8.ブートキャンプ
最近の生活リズムは安定している。
だいたい午前中がフランシーヌとのお勉強で、午後が…ゾルバルのトレーニングだ。
とっても優しいフランシーヌに比べて、ゾルバルのトレーニングは苛烈を極めた。
奴の正体は…鬼軍曹だったのだ。
「おまえのその貧弱な身体じゃ、この世界で友人を探すどころか…生き抜くことすら難しいぞ」
そんな言い方で俺の行く末を心配し、この世界で生きていくのに不足が無いよう、それはもうたっぷりと鍛えてくれた。
「…ぬるい。この程度でばてるとは、情けないな」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
ちなみにこれは、家の周りにある"大魔樹海"の中を1時間以上走らされたあとのセリフである。
当然、まともに返事できるわけがない。
「お前、この程度でこの森で生きていくつもりなのか?」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
いや、そんなつもり全然無いんですけど。というか、安全な街で生活したいし。
そう言い返したいけど、息が上がって言葉が出ない。
そもそも、こんなにトレーニングをする必要はどこにあるんだ?
「…まぁこの森で生きていかないとしても、最低限の体力はつけておく必要がある。お前は貧弱すぎだ。だからしっかりと走るように」
「はぁ…はぁ…。はいぃ」
この世界の人、どんだけ体力あるっていうんだよ。
こちとらか弱い"女の子"だっていうのにさ。こやつ、本当に鬼だ…
ランニングのあとは、小休止を挟んでゾルバルとの組手だ。
ゾルバルは『自分の身は自分で守れるように』と、戦闘技術を教えてくれた。
彼の教える戦闘技術は、空手やキックボクシングのような格闘技に、剣術をミックスしたようなものだ。従って、半分は徒手空拳で、半分は刃を潰した小刀でのレッスンとなる。
この格闘術、実はゾルバルが編み出したものなのだそうだ。…さすがは自称"一流の戦士"。自分で格闘術を作っちゃってるよ。
ただ、この格闘術の奥義は、魔力を用いた全身の筋肉の強化にある。一度教わって試してみたのだが、これがまたからっきし上手くいかなかった。魔力のコントロールもろくにできない今の俺には、ちょっとハードルが高すぎたのだろう。
トレーニングだけでなくわ組手に関しても彼は容赦がない。相手が"女の子"だろうがなんだろうが…そこに遠慮という二文字は、彼の中に存在していなかった。
「ハアッ!」
シュッ。
…ぱぁん。
顔の横を、ゾルバルの手刀が突き抜けていった。
一瞬遅れて音と衝撃波が襲いかかってくる。あまりの勢いに、髪の毛が乱れ舞った。
…はっきりいって、信じられないほど早いスピードだ。
"化け物″と呼ぶにふさわしい戦闘能力。
隻腕隻眼だからといって、ハンデにすらなってないのではないかと思う。まともに戦える気がしなかった。
…正直、ゾルバルの戦闘技術は、前の世界でも見たことがないレベルと言っていい。
たぶんゾルバルが地球に来たら、最強の格闘家になれるのではないだろうか。
これまでのゾルバルのトレーニングの中で、実はひとつ…不思議なことがあった。
ゾルバルの拳が…なぜか俺の目には見えていたのだ。
衝撃波を発するようなスピードの拳が、だ。
以前の自分には考えられないレベルの動体視力だった。
「おいアキ。お前…反応は出来ないくせに、見えてるな?」
「…う、うん。なぜかはわからないけど…」
本当になぜかはわからない。
もしかして…この身体になってから、動態視力がめっちゃ上がってるのかな?
ちなみに、体力に関しては以前よりもはるかに貧弱だ。もっとも、14歳の女の子だと思えばこんなもんじゃないのかな?って思う。
「なかなか良い目を持ってるなぁ。ワシの拳が見える人間なぞ、以前弟子入りしてたガキ以来だぞ」
へー、この人に師事する人間なんていたのかよ。ってことは、その人は俺の兄弟子ってことになるのかな?
いつかは会ってみたい気もするけど、ゾルバルみたいな脳筋だったらどうしよう…
「…もっとも、今のお前だと、その目もただの宝の持ち腐れだがな」
「むぅ?」
正面切って言われると、さすがにちょっとムッとする。
でもまぁ、確かにそうなんだけど…いつかギャフンと言わせてやりたい。
「うむ、反抗するだけの気概はあるのだな?ふふふ、よかろう。その目に体が付いてこれるよう、みっちりしごいてやろうじゃないか」
「…ひえぇぇぇ」
うへぇ、完全にやぶへびだった。
実力の伴わないプライドなんて何の意味もない。この日は、そんなことを身に沁みて思い知らされる羽目になったのだった。
次の日。
「…アキ、どうだ?感じているか?」
「…あっ、うぐぅ!」
「うむ。まだまだだな。もう少し経験すれば、もっと感度が良くなると思うんだがな」
「あうぅ…。はぁ…はぁ…」
発言だけ聞くと、誤解を招くかもしれない。だがこれは…れっきとした魔力のトレーニングだ。
いま行っているのは、ゾルバルから無理やり"魔力"を移されて、それを体感するというもの。"魔力"に親しみのない俺にとって、このトレーニングはなんとも気持ち悪いものだった。
なんというか…全身を虫が這いずり回っているような感覚、とでも言うのだろうか。
そのせいで思わず変な声が出てしまうのであって、それ以外にはまったく他意はない。
女の子の声で喘ぐのがクセになっているわけでは…断じて無い。まったく無い。
でも…なんか新しい扉を開けてしまいそうな気がする。いろいろな意味で。
「…おいアキ。お前、ワシの話を聞いてるか?」
「は、はひぃ?」
いかんいかん、気もそぞろになっていたわ。
「いいかアキ。お前はしっかりと魔力をコントロールできるようになる必要がある。なぜならお前は…"本来持つべきではない力"を持っているからだ」
「本来持つべきではない力?」
「そうだ。お前がワシに使った技、覚えてるか?」
もちろん覚えている。
例の…【レーザービーム】のようなものを発射する技。のちにゾルバルは、この技のことを【流星】と呼んでいた。一撃必殺と言っていいレベルの破壊力を持っている、殺人兵器。
…正直おっかなすぎて、あの時以来使おうとも思っていない。
「おまえがワシに【流星】を放とうとした、あのとき…お前の右手に"翼"のようなものが映えたのを覚えているか?」
あのとき…
右手から噴き出していた光の粒子が、まるで"白い翼"のように変化した。
「うん。光り輝く…翼のようなものだったよね?今思うと、魔力の光に似ていたような気がするけど…」
「なかなか良い視点だな。そのとおり、あの翼は…"魔力"が具現化した姿だ。その名を…"天使の翼"と言う」
天使の翼、かぁ。ものすごい名前が出てきたな。
でも、こうやって名前が知れてるということは…この世界では解明されている力なんだろうな。
「それじゃあ、私の力は…別に特別なものではないんだね?」
「…いや、あれは普通ではない。だから問題なのだ」
それからゾルバルは、この"天使の翼"について教えてくれた。それは、フランシーヌが『まだ早い』と言って教えてくれなかった内容だった。
「この世界の魔法についてはフランシーヌから教わっているな?では、その先については?」
「ううん。フランシーヌは今はまだ早いって言って教えてくれなかった」
「ふむ、あやつめ…こっちに丸投げしおったな。まぁよい、その先についてはワシが教えてやろう」
ゾルバルが語るには…
比較的高い魔力を持つ人間が、あるものに運命的に出会ったとき、真の魔力に覚醒することがある。
真の魔力に覚醒した存在。魔力覚醒者。
それを、この世界の人は"天使"と呼ぶのだという。
「天使…」
「うむ。ではなぜ魔力覚醒者を"天使"と呼ぶのかというとな。その者の背中に…魔力が、まるで翼のような形に具現化するからだ」
実際に、ゾルバルがこの場で背中に"天使の翼"を具現化してくれた。
彼の全身を光が覆ったかと思うと、一気に背中に集約していく。それは…きらきらと光り輝く、"純白の翼"と化した。
これが…"天使の翼"か……。
「そうだ。あのとき、おまえの右腕からこいつと同じ"天使の翼"が具現化した。それが…大問題なのだ」
「…どうしてそれが問題になるの?」
「問題点は二つある。ひとつは…"天使の翼"が、背中ではなく腕に生えたこと」
そこのどこが問題なのだろう。
別に魔力が具現化した姿なんだったら、背中だろうと腕だろうと出現してもおかしくないと思うんだけどなぁ。
「いやいや、これまでの人類の歴史上、背中以外に"天使の翼"が出現した人間の例は聞いたことがないぞ?」
「…まじで?」
「…まじだ」
それは…たしかにおかしいのだろう。ただ、おかしいだけで、特別問題視するようなことではない気がする。
イメージ的には、本来蛇口から出てくるはずの水がホースから出てきた。そんな感じかな?違うか?
でも、なんで背中からしか具現化しないんだろう。確かに不思議だ…
「まぁお前の存在自体がイレギュラーだからな。それくらいの問題はあるのかもしれないな。ところがな…本当に問題なのは、もう一個のほうなのだ」
そう言うと、ゾルバルは懐に手を突っ込んで何かを取り出した。
「…さっきワシは、『天使』になるには″あるもの″との運命的な出会いが必要だと言ったろう?それがな…″これ″のことだ」
ゾルバルが懐から取り出したもの。
それは、歪な形をした"腕輪"だった。
「それは?」
「これはな、この世界で【天使の器】と呼ばれている"魔法具"だ。こいつが無ければ"天使"になることはできない」
ゾルバルの説明によると、【天使の器】はさまざまな道具の形をした魔法具で、世界中に散らばっているのだそうだ。
″魔法使い″が、己の相性とぴったり合う【天使の器】に出会うと、共鳴反応が起こって…魔力的に"覚醒"する。
"覚醒"した魔法使いは、それまでの10倍から100倍もの魔力と、【天使の歌】と呼ばれる固有の"魔法"を手に入れるのだそうだ。
その際、"魔力覚醒者"の証明として、背中に"天使の翼"が具現化する。ゆえに…彼らは"天使"と呼ばれている。
「お前があのときワシに放った【流星】は、まさにその固有魔法…"天使の歌"だ」
「それじゃあ私は、その…"天使"だっていうこと?」
「いや、違う。そうでないから問題なのだ。なぜなら、お前は自分の【天使の器】を手に入れていないからな」
そりゃそうだ、そもそも【天使の器】がどんなもんかも知らないのに、出会うわけも目覚める理由もない。
それなのに俺は、"天使の翼"と″天使の歌″を持っている…
なるほど、確かに問題かも。
「それに…なによりおまえの魔力を見ればわかる。アキ、お前は"魔力覚醒"していない」
…それじゃあなんで"天使の翼"が生えて、しかも固有魔法である"天使の歌"をつかえたわけ?
「それはわからん。これまで【天使の器】無しに”天使の翼”を得た人間は存在せん。だから、その理由を…これから鍛えながら一緒に調べていこうではないか」
なるほど、そういうことだったのか。
たしかに、正体不明の力は危険だ。
たぶんイメージ的には、運転の仕方も知らない素人が、いきなり戦車の操縦席に載ってるようなものなのだろう。
だからゾルバルは、そんな俺に『戦車の操作方法』を教えてくれようとしているわけだ。それには、体力トレーニングも必要なことなのだという。
それであれば、このトレーニングには確かに意味があるのだろう。
いやむしろ、サトシを探すことより率先してやらなければならないことだ。
幸いにも、ゾルバルという優秀な先生もいる。こんなに恵まれた環境は他にないだろう。
サトシを探すためにも…今後この世界を歩き回るにも、自分の力をコントロールすることは必要なことだしな。
「なぁアキ。おまえが鍛えなければいけない理由は、それだけではないのだ。おまえに…もう一つ言っておかなければならないことがある」
俺が考え込んでいると、ゾルバルが改まって口を開いた。
…珍しいな、彼が言いにくそうにしている。
「実はな、お前の額にある"額飾り"…それはな、まさに今説明した【天使の器】なのだ」
「…えっ?これが?」
それは…想定外の話だった。
あっちの世界ではただのオモチャだったのに、【天使の器】だって?
あ、もしかして…あっちの世界のものがこっちに来ると【天使の器】になるとか?
まぁそれはあとで考えるとして…つまり俺は、こいつの力で"天使"の力を使えているとか?
「いや、それの力ではないな。第一【天使の器】にそんな力はない」
「じゃあ…こいつのおかげで覚醒してるとか?あ、それは無いってさっき言ってたか」
「うむ、そうだ。そもそも共鳴している場合は見ればわかる。残念ながら、お前とその"額飾り"の間に…共鳴反応は無い」
うーん、そしたらなんでこいつは俺の額に埋め込まれちまったんだか…
「理由は知らん。ただ…【額飾り】のせいで、おまえは誰かから狙われるかもしれん。なにせ【天使の器】は…とても価値のあるものだからな」
ゾルバルの説明によると、【天使の器】は、最低でも100万エル…日本円で100万円くらいの価値があるらしい。
正直、その程度の価値なのかぁと思ったけど、残念ながらこの世界では、そのくらいの価値でも命を奪われる可能性すらあるそうだ。
…まじかよ、この世界、殺伐としすぎだろ。
「もちろん、そんな目に遭わないようにおまえを鍛えてやるつもりだが…念には念を入れて、そいつは隠しておくことだな。そうだな…前髪を伸ばせば見えなくなるのではないか?」
うーん。そうすると、すっごい根暗な感じの女の子になりそうだ。
マンガとかでもあったよな、目が前髪で見えない女の子。でも大概はモブだったような…
んまぁ、背に腹は代えられないか。髪型は今度フランシーヌに相談しよう。
渋々了承している俺を見て、ゾルバルは満足そうに頷いた。
「よーし、そうとなれば明日からトレーニングの負荷を上げるかな」
「うっそーん!?」
これだから脳筋は…すぐ調子に乗る。
恨みがましい目線でキッと睨みつけてやると、ゾルバルは嬉しそうに歯をむき出しにして笑い出した。
がっはっはっは。
ゾルバルの豪快な笑い声が、"大魔樹海"と呼ばれる森の中に響き渡った…
くっそー、いつか覚えてやがれよ!
このとき、ゾルバルには言わなかったが、実は…彼の話を聞いて、一つ気にかかることがあった。
それは、サトシの夢に出てきた人物のこと。そう。サトシが"天使”と呼んだ存在だ。
サトシのレポートには『背中に翼の生えた美男子』と記録されていた。
その存在と、ゾルバルの話に出てきた″魔力覚醒者″である″天使″。
…正直、無関係とは思えなかった。
だから、俺は必死に…彼らが与える知識とトレーニングを受け入れた。
この世界を知るためにも…
そして、サトシの行方を知るためにも。
「あらアキ。ずいぶん疲れてるみたいね?」
数日後。ゾルバルのひどいスパルタトレーニングでヘロヘロになった俺を見かねたフランシーヌが、優しく声をかけてくれた。
さすがフランシーヌ。もう俺の中で女神認定されている。
彼女が淹れた美味しいお茶を飲みながら、先日のゾルバルとのやりとりをチクった。
するとフランシーヌは「あらあら。ゾルバル様ったら困った人ねぇ」と言いながら、一つアドバイスをくれた。
翌日。フランシーヌの入れ知恵で、厳しいトレーニングを指示するゾルバルにこう言ってやった。
「あの…もう少し優しくしてもらえませんか?おとうさま」
…効果は、てきめんだった。
なんと、あの鬼軍曹のゾルバルが…顔を真っ赤に染めたのだ!
「アキ、きさま…」
「私、辛いんです…おとうさま、優しくして?」
「ぐっ…おのれフランシーヌめ、アキにいらん知恵を!?」
悔しそうに表情を歪めたゾルバル。
だが…言葉に反して、途端に優しくなった。
…チョロいぜ、このおっさん。もしかして、娘フェチか?
まぁいい。理由はどうであれ、顔を真っ赤にしているゾルバルを見れただけで少し溜飲を下げた。
ざまーみろ!うけけっ。