精神病棟。
私は人間がのうのうと生きている姿を見ると、胸の奥がザワザワしとても不愉快になる。
なぜこんな愚かな生物が我が物顔で地球上を歩いているのか、なぜ奴等は罪のない他の生命を蹂躙しているのか、なぜ人間は生命の尊さを理解できないのか、それを考えると人間を殺したくなる。
いや、ただ殺すだけでは意味がない。存分に痛みつけてやらないと奴等は反省しないだろう。
私という恐怖を持ってして、奴等を正す。
*
手始めに私は男を監禁した、手足を縛り付け床に磔にしてある。
その顔は敵対心剥き出しだった、私を憎み今すぐにでも殺してやろうかという憎悪の顔。
その口は次々と私を罵倒する減らず口をたたいている、それは人間に与えられた言葉の刃、だが絶対的有利な立場にある私は痛くも痒くも無い、むしろ見苦しさを感じる。
なぜこいつは抗うのか、素直に命乞いをすればいいものを、自分の生命すら不意にするつもりなのか、愚か過ぎる。
私はいつでもこいつを殺すことができる、だから反省の色を見せるまでは殺さない。反省するまで手を下すまでだ。
*
私はとりあえず半日観察した、何もせずにただ床に磔にされている男をジッと見るだけ。
すると不思議なことに、アレだけ威勢のよかった態度がシュンと収まったのだ。それどころか不安な表情を浮かべ、ガタガタと奥歯を鳴らしていた。
私は知っている、この症状は恐怖から来るものだ、いつの間にか私は男にとって恐怖の対象となっていた。
恐らく、無言で観察する私に不気味さを感じたのだろう。不気味は恐怖に直結する。
わざわざ手を下さなくても恐怖を植え付けることができた、ようやく行動に移せる。
「なぁ、反省したか?」
男は一回ビクンと体を大きく上下させる、そこからはより一層恐怖を感じた。
どうせ話すことはできないのだ、私は男の返答を待たずして続ける。
「人間は愚かだ、だから私はお前を殺したいんだ、体中を刺し存分に苦しませたいんだ」
その途端、男は火がついたようにガタガタと激しく体を揺らし始める、拘束から逃れようとしているのだろう。これが人間の『生きたい』という本性、極限状況に陥るとそれを確認することができる。
もう準備はできた、私は男に告げる。
「私はお前を助けたいと思っている」
男は先ほどの暴れっぷりが嘘のように静かになる。そして、涙と鼻水で無様に汚した酷い表情をこちらに向けていた、まるで神に縋るかのような滑稽な表情を。
それを見た途端、私は人間の浅ましさを痛感した。
自分勝手な人間らしい心情の動きだ、このような生物が地球上に存在するだけで虫酸が走る。
私は逸る気持ちを抑え、最終段階に入る。
「助けるには条件がある、それは人間を殺すことだ」
もう一々男の挙動を確認するまでもない。
私は男の拘束を解くとその部屋を後にする、そして適当な人間を誘拐してきた。
20代ほどの女、手足を紐で結び床に投げ出す、万が一叫ばれないようにと猿轡を噛ませてある。
「さぁ、殺せ」
男は尻餅をつき首を振っている。
「さぁ、殺せ」
男は口をパクパクとさせ声なき声を上げている。
「さぁ、殺せ」
この間にも女は青虫のように体を捩らせ、汚い顔をして男から逃げようとしている。
「さぁ、殺せ」
男は頭を抱え何かと葛藤している。
「さぁ、殺せ」
男は足をガタガタと震わせゆっくり立ち上がる。
「さぁ、殺せ」
男は恐怖に慄く女の背中に跨る。
「さぁ」
そして首に手をかけた。
*
力なく横たわる女、それを見下ろす男。
「どうだ、女を殺して助かった心地は」
男はうんともすんとも言わない、ただ呆然と突っ立っている。
男には今どのような感情があるのだろう。
女を殺した自責の念か?それとも私から解放される安堵感か?はたまたその両方か。
「これが命の重みだ、他の生命を踏みつけ生きる愚かさが分かっただろう」
私はドアを開け男を誘う。
「お前はもう自由だ、どこへでも行くといい。ただし忘れるな、お前は人間の命を奪ったということを」
しばらく何も反応がない。だがハッと我に返り、男は逃げるようにその場から飛び出して行った。
残ったのは死体と私、私は死体を眺める。
そこから浮かび上がる感情は一つ。
「邪魔だな」
だがこれのおかげで、この世から汚い生命の一つを戒めることができた。あいつは心に命を感じながら生きて行くのだ、それはとても素晴らしい。
人間など生かす価値はないが、ただ殺すのと戒めて生かすのでは大きく意味が違ってくる。
時間はかかるが、私はやつらにその身をもって生命の尊さを教えていこうと思う。今日はその記念すべき第一歩だ、盛大に自分を褒めてやろう。
私は死体を残しドアを開け歩みを進める。体を取り囲む暗闇は、まるで私を歓迎してくれているように見えた。
*
あれから数週間、私は何人かに同じことをした。
監禁し、恐怖させ、光を見せ、殺させる。
年代や性別によって症状は様々だったが、最後には皆一様に戒めることができた。ついでに人間も殺せて一石二鳥だ。
順調に世界を浄化できている、だがこのペースでは絶対に全てを正すことはできない。
これからどうするか考えていたある日、私の所に警察がやって来た、令状を持って。
*
すぐに私は死刑が確定した、これからは牢屋の中でただ死を待つのみ。
今頃、メディアは私の起こした事件を大々的に取り上げているだろう。どうせやつらは私を悪人として報道する、私の意思を介入させずただの精神異常者として報道するのだ。しかし其れもまた仕方ない、私の高貴なる思考は人間には到底理解できないのだから。
ゆえに私は人間を試す、報道された事項を見た人間達が一体どれだけ『私』に変化するか。
私の意思を継ぐ人間が完成される可能性は0ではない。私をマイナスと見る世論とは切り離された高貴なる思考を持つ人間が必ず作られる。
それが世界でたった一人でも構わない、要はその人間が第二の私となり、再び人間を粛清してくれればいいのだ。
そして、そいつを見た別の人間がまた新たな私となり人間を正していく、後世に私が受け継がれていくのだ。
そうすれば時間と共に私の存在は絶対的なものとなる、精神異常とされる私も神と謳われる日がくるのだ。私を神と呼ぶ時には、世界は私で満ち溢れていることだろう。それはとても美しい。
その日が来るまで、私はしばし待つとしよう。
*
時は流れ、ついに死が実行される時が来た。
私は今、とてつもない満足感で満たされている。今まで生きて来た人生で最も幸福だ。
ようやく私は死を持って永遠の生を得るのだ。
首に縄が巻かれる時、何か声が聞こえた気がした、恐らくそれは人間の心の声。いや違う、これは私の昔の記憶、生まれてから今この時までの人生で一番聞いた言葉。
やつらは私にこう言った、『異常者』と。
「確かに私は健常者ではない、だが決して異常者ではない」
これを神と呼ぶのだ。
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