吸血獣マルティネス
~第一部 家畜の血を啜る者~
暗黒の翼で夜の闇を翔ける黒い影。
麗しき乙女が寝息を立てる寝室の窓辺へ音も無く舞い降り、その首筋にそっと一対の牙を差し込む。
それは食欲を満たす為の捕食であり、半永久的な寿命を持つが故に持て余した暇を潰す狩猟であり、己の僕となる眷属を作る為の契約でもあった。
彼はヴァンパイア――有象無象の怪物達の頂点に君臨する、高貴なる吸血鬼である。
女の艶めかしい呻き声を愉しむように目を閉じて、新鮮な処女の生き血を貪っていく――
「――みたいなのを期待してたのに!」
私、浦島戸真加子。中学二年生。ヴァンパイアに憧れて、やたらそんな感じのファッションとかに手を出したり、首筋に油性マジックで噛み跡描いてみたりしてるタイプの女の子♪
今日、町はずれの古本屋で、吸血鬼の召喚法を記した大きな魔道書を見つけてしまってさあ大変! さっそく試してみたら、本当に怪物を呼び出しちゃった!
でもその怪物は、毛むくじゃらでチビ。私の憧れる、麗しいヴァンパイアとは似ても似つかない姿です。というか比べるのも烏滸がましい。何よこの動物。
「私は吸血鬼を呼び出したの! 出来損ないのワラビーみたいなのなんか呼んでない!」
「で、出来損ないのワラビーとはちぃと酷いんとちゃう……?」
その怪物はそう言って頭を掻いています。
「なんや、お嬢ちゃん血ぃ吸われたいんか? ワイかて血ぃ吸いまっせ?」
「血吸う癖にヴァンパイアじゃないの?」
「いや……血ぃ吸うモンがみんなヴァンパイアやったらヤブ蚊やヒルかてそうやないか……ええか、ワイはチュパカブラのマルティネス言うモンや。お嬢ちゃんの呼びかけに応えて、わざわざプエルトリコから来てやったんやで。もっと感謝してくれてもええんと違う?」
なんかケダモノに説教されてます。何コイツ。大阪のオッサンかよ。
「嘘つかないでよ。なんでプエルトリコ出身のチュパカブラが関西弁でくっちゃべってんのよ。どうせ最近流行りの喋るゆるキャラかなんかでしょ」
「ホンマ失礼な嬢ちゃんやな……ワイはゆるキャラやない! 背中にチャックもあらへんで! それにワイが喋ってんのはプエルトリコ弁や! カンサイベン? 知らんな~」
「ああもうムカツク! いいわよ! あんたが人間じゃないって言うなら、保健所に連絡して連れてってもらうから!」
「ワイをイヌネコと一緒にしたらアカンで~。ほらお嬢ちゃん、吸血されたいんやろ? 遠くのヴァンパイアより近くのチュパカブラ。ほれほれ、ワイでよければ血ぃ吸うたろか」
「ちょ! 近寄らないで! 獣臭い!」
「ええやないか! 先っぽだけ! な? 一回だけでええから! ちょっとチクッとしてジュルジュルっとなっとれば楽になるから! ついでに血糖値とか鉄分濃度とかサービスで測っといたるで!」
「然るべき専門機関で検診受けるからいいわよそういうの! 信用できない!」
「大丈夫や! ワイは第二種国際吸血診断師の免許持っとるからな。安心しいや」
「聞いたことないわ! 一体どこが発行してるのその資格!?」
「そらWHOやで」
「なーんだ、それなら安心ね」
私は胸を撫で下ろし、さっそく吸血してもらおうと自慢のゴスロリドレスの首元を開き、あまり肉のついていない首筋をさらけ出した。
「お~、美味そうやな~」
チュパカブラのマルティネスは、巨大な黒い目を光らせて、不揃いな牙をペロリと舐めた。
「……ねえ、チュパカブラってどうやって吸血するの?」
「ん? そら、牙でガブっとやって、その傷口から体中の血液を残らずジュルジュルと――」
「全然スマートじゃない!」
私はその辺にあったスコップでマルティネスをぶん殴った。
「あ痛ぁー!? ちょ! 何すんねん!」
「吸血鬼はもっとこう、なんか上品な感じなの!」
「そんなん言うたかてしゃあないやん! 生きるってのは汚いことなんやで?」
「そういうのいいから! もう保健所の人呼ぶから!」
「やめて~! それだけは勘弁したって~!」
そいつの静止を無視して、私は保健所に連絡しました。
「おう! 待たせたのう! 保健所のモンじゃ!」
「ひぃ! お助け!」
「じゃかしいわい! さっさとこっち来んかい!」
そうして、あの獣は連れていかれました。きっと近いうちに殺処分になることでしょう。
さーてと、今度こそ本物のヴァンパイアを召喚する方法を見つけなきゃ。
~第二部 死にゆく者達の凱歌~
「ここで大人しゅうしとれやボケェ!」
「あいたー! もっと優しく扱ってくれや!」
マルティネスは保健所の暗く湿った檻の中へ叩き込まれた。そこへおずおずと歩み寄る四本足の影が一つ。
「新顔かい? なんか変わった犬だね。二本足だし、出来損ないのワラビーみたいだ」
「誰が出来損ないのワラビーや。ワイはチュパカブラのマルティネスやで」
「チュパカブラ……? なんだかよく分からないけど、まあよろしく」
そう言って前足を差し出してきたオスの柴犬。
「僕はココノツ。よろしく」
「よろしゅうな」
握手に応じたマルティネスに、ココノツが少し焦ったような口調で説明を始めた。
「せっかく知り合えてこんなこと話すのは残念なんだけど、この檻に居る犬は、もう明日には殺処分されるんだ」
「明日!? 余裕なさすぎやんけ! ワイ今さっき来たばっかやのに誰かに引き取ってもらえるチャンスほぼゼロやん! うう……プエルトリコに残してきた妹よ、ホンマごめんな」
「――でも、君は明日まで生きていられるかどうか……」
「は? なんやそれ、聞き捨てならんな。どういうこっちゃ」
「実は、今この檻の中には二〇頭の犬がいるんだけど、その中には厳密なランクがあってね。その上位の犬には、下位の犬は絶対服従なんだ。奴隷だよ。そしてそのランクは、純粋な戦闘で決定される。きっと君もすぐにその戦いに巻き込まれる」
それを聞いたマルティネスは、得意げに鼻を鳴らした。
「ハッ、何かと思えばそんなことかい! ワイを舐めたらあかんで。これでも三歳の頃からプエルトリカン柔術を叩き込まれ、チュパカブラ男子の部では中米・カリブ地区大会ベスト8までいってんねんで! そこらへんの野良犬如き、ワイに掛かれば赤チュパカブラの手を捻るも同然やで!」
「甘い! 甘いよマルティネス! まるでうちの祖母ちゃんが作る糖蜜パイのように甘い!」
「なんで犬が糖蜜パイ食うねん」
「いいかい、君は知らないだろうけど、犬には隠された力が――」
ココノツがそこまで言いかけた瞬間、保健所の床がズシンと揺れた。
「! 奴だ! 奴が来る!」
「なんやココノツ。『奴』って誰や」
「……この檻の中の、わんわんランキング第一位……! ここへやって来てからというもの、一度としてその座を他へ譲ったことのない最強王者――」
檻の奥の暗闇から、何者かがズシリ、ズシリと地響きとともに近づいてくる。
「……新入りが入ってきたんだってなァ~。ちょっちご挨拶してやろうかのォ~」
その体躯は四メートルを超え、スパゲティのように太い灰色の毛が全身を覆う。ホッキョクグマにしか見えないその怪物は、毛の隙間から覗く大きな目でマルティネスを睨め付ける。その背後には、怪物に付き従う下位の犬たちが恭しい態度で頭を垂れていた。
「こ、これはジャガーパイル様! ご機嫌麗しゅう!」
ココノツも慌ててその場で礼をするが、ジャガーパイルはそれを無視して鼻を鳴らす。
「はん……おめえが新入りかァ~。まァたひょろっちィのが来たのォ~」
「あんたがここのボスかいな。ワイはマルティネス。よろしゅう」
「ふはっ、まだまだ身の程を知らんようだのォ~。どれ、とりあえず適当なランクの奴と闘わせて様子見としゃれ込もうかのォ~。そいじゃァ一七位のウーチャカと――」
「いや、悪いけどもワイは、そんな中途半端な順位には興味ないんや」
マルティネスの言葉に、ジャガーパイルの顔から余裕の笑みが消える。
「……つまり、なにが言いたいのかのォ~」
「――ジャガーパイル、ワイはお前を倒してこの檻のナンバーワンを戴くっちゅうこっちゃ!」
マルティネスはその俊敏さを生かし、ジャガーパイルが動き出す前に相手との間合いを一気に詰めた。
「喰らえや! プエルトリカン柔術奥義『カリブに眠る夢』!」
一度喰らえば三日間は食べ物が喉を通らなくなると言われる大技が炸裂する。
「手応え有りや! ……むむっ」
しかし、ジャガーパイルの分厚い毛皮が、その衝撃を完全に防いでいた。
「そんなアホな……! こいつの毛、鉄のようにカチンコチンやで! こんなんおかしい!」
「マルティネス! それが僕ら犬の持つ力だ!」
背後からココノツが叫ぶ。
「僕ら犬が、誰でも一つ(ONE)だけ持つ特別な力――一度呼び出せば哺乳類無敵! その名を『ONE CALL』! 犬同士の戦闘とは、これすなわちワンコゥバトル! 犬ではない君はワンコゥを持たない! 強力なワンコゥを持つジャガーパイル相手に、まともな戦いなんて端から無理なんだ!」
「な、なんやてぇ!? つまりあの『体毛の硬化』が奴のワンコゥ能力ってわけかい!」
一度距離を取るマルティネス。ジャガーパイルはニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる。
「んははは、おめえの貧弱な攻撃なんざ効かないよォ~。んじゃ次はこっちからだァ~」
「ハッ! お前の鈍重な攻撃なんざ、ワイのスピードについてこれるかい!」
「じゃあ試してやろうかァ~」
ジャガーパイルが動いた。マルティネスは確かにそれを確認した。ところが、次の瞬間にはマルティネスは檻の反対側の壁までふっとばされていた。
「ぐはぁ!?」
「おめえのスピードってのもこんなもんなのかァ~」
マルティネスは床に崩れ落ちながら、必死で考えを巡らせる。
(なんなんやあの超スピードは……中南米のスピードキングと呼ばれたワイが目で追うことすら出来ん……こんなん普通やない。間違いない、これもワンコゥ能力や!)
「おいココノツ! ワンコゥ能力は一匹に一つやなかったんかい!」
「はい! 原則一つ! しかしジャガーパイルは例外なんだ! 奴は一頭でいくつもの能力を有している! だからこその最強! 絶対王者! 底が見えない!」
「そんなん反則やん!」
絶望に身をよじるマルティネスを見て、ジャガーパイルはゆっくりと近づきながら嗤う。
「かっかっか。チュパカブラか何か知らんが、犬以外がおいらに楯突こうなんて烏滸がましいにも程があるんだよォ~」
「……! ほう、そうかそうか。分かったで。お前が無敵な理由も、いくつもの能力を持つ訳も、そして、お前の倒し方もな!」
「あ~ん?」
突如として自信を取り戻したマルティネスは、再び戦闘態勢に入る。
「ハァァァァァァ……プエルトリカン柔術奥義『一応メリケン人なんですけど』!」
一度喰らえば一週間は食べ物が喉を通らなくなると言われる大技が炸裂する。
――背後に立っていたココノツに。
「ぐあああ!? 何故だああああ!」
もんどりうって倒れるココノツ。すると、ジャガーパイルの姿が掻き消えるように見えなくなった。取り巻き達が事態が理解できず右往左往している。
「ど、どういうことだ!」
「ジャガーパイル様が消えた!」
「おいこれは何が起こっているんだ新入り!」
尋ねられたマルティネスが得意げに笑って答えた。
「なあお前さんたち、ワイがなんて生き物なのか分かるか?」
そう逆に尋ねられ、犬たちは口々に「犬だろ?」「犬だよな?」「ちょっと変だけど、ここに入れられたってことは犬だろ」「なんか出来損ないのワラビーみたいだな」などと話している。
「誰が出来損ないのワラビーやねん。さて、ココノツ、分かったか?」
「な、何が、だ……」
会話するのがやっとなココノツに、マルティネスが告げた。
「日本の野良犬たちには、残念ながらチュパカブラの名は広まってないみたいやわ。そう、最初に自己紹介したお前を除いてな。だがジャガーパイルはワイがチュパカブラやと知っていた。名乗ってもいないのにな。これはどういうことや。つまりな――ジャガーパイルという存在そのものが、お前がワンコゥ能力で創り出したものやったんや! せやからいくつも能力を持っていたことも理解できる。一匹の犬にワンコゥ能力は一つ。でも犬やないんやから、いくつ能力を持とうが構わんわなぁ。そして何より――」
マルティネスはビシッと指さした。
「あんなでっかい犬はおらん!! クマか! 動物図鑑ちゃんと見直せや!」
「くっ……」
ココノツは悔しそうに床を叩いた。
「負けたよマルティネス……そしてみんなもごめん、ずっと騙していて。そう、僕のワンコゥ能力は『ジャガーパイル召喚』。僕自身には腕力が無いから、ジャガーパイルを犬だって言い張ってなんとか頑張ってたんだけど……でも、マルティネス、君はそのジャガーパイルを倒した。曲がりなりにもわんわんランク一位を破ったんだ。今日から君がここのボスだ。僕ら犬一同、君の言葉に従うよ」
ココノツがそう言って頭を下げると、他の犬たちもそれに倣った。
「――分かった。ワイがボスか。なら最初の命令や」
マルティネスは目を見開いて犬たちを見た。
「全員、生き抜くんや! このまま檻の中の仲間内で喧嘩しとったって、明日には殺処分されるんやろ!? ならその能力で戦う相手は他におるやろ! こっから脱出して、生き残るんや!」
マルティネスの言葉に、犬たちはハッと目を覚ます。
「そうだ……!」「俺達は人間に負けない!」「この能力があれば勝てる!」「それにマルティネスさんが居れば無敵だ!」「無敵のリーダー万歳!」「万歳!」「万歳!」
「よっしゃあ! 全軍突撃や! 檻をぶち壊せぇ!」
チュパカブラに率いられた犬たちによる、人間への反逆の狼煙が上がった。
~第三部 革命の英雄のワイの妹と契約者が修羅場で一触即発!?~
その後ワイと犬たちによる革命は成功し、日本は犬による統治が始まった。しかしその革命を率いたワイは政府には参加せず、大統領はココノツに任せて、自由気ままに家畜である人間の血ぃ吸うて暮らしていた。なんか『革命の英雄』ゆうて囃し立てられるのが趣味に合わんかっってんな。まあワイの顔写真がTシャツにプリントされて大ヒットしたのは嬉しかったけどな。
「いや~、日本人は栄養状況も良くて血がごっつ美味いわ~。もうプエルトリコに帰るのめんどくさなってきたわ~」
「ちょっと! 今言ったこと本気なん!?」
「だっ、誰や!」
家畜の人間以外は誰も住んでいない、一人暮らしの我が家に突如として響くプエルトリコ弁。そんな……この可愛らしい声はまさか!
「シーラ! シーラやないか! なんで日本に!?」
それはワイのたった一人の妹・シーラやった。プエルトリコで暮らしているはずのシーラがなんでこんな極東のド田舎な埼玉県に!?
「なんでもクソもあるかい! ウチらたった二人の兄妹やねんで!? 親もUMAハンターに殺されて、ずっと二人っきりで暮らしてきたのに、兄やんがずっと帰ってこんからウチ寂しくて寂しくて……」
せや……いきなり日本に召喚されてから激動の毎日やったから、すっかり頭から抜け落ちとったけども、シーラのことほっぽらかして何やってたんやワイは――
「シーラ……すまんかったな。兄やん考えが浅はかやったわ。これからは二人一緒や。ここならもう一生食っていくのには困らん。また一緒に住もうや」
「兄やん……ウチ、嬉しい!」
そう言って、大きな目に涙を浮かべながらワイの胸に飛び込んでくるシーラ。ああ、ワイはなんでこんなに可愛い妹を独りにしてしまったんや。革命の情熱に突き動かされた、罪深い男やで。
「せや、一緒に住んどる家畜を紹介するわ。おーいマカー!」
「御用でしょうか、我が主様」
奥の部屋から、メイド服を着た人間が姿を現した。
「紹介するで。うちで家内奴隷として、主に家事全般からワイの身の回りの世話、それとワイに血液を供給してくれとるマカや。えーっと、本名なんやったっけ」
「浦島戸真加子でございます」
そうなんや。ワイを一方的に召喚した挙句、なんか理想と違ったからちゅうてワイを保健所送りにしたあの女や。革命が成功して、ワイが英雄として祭り上げられてた頃、向こうから自分を奴隷にしてほしいと名乗り出てきたんや。結局女は富や名声にすり寄ってくるもんなんやな。そこら辺は人間も犬もチュパカブラも、プエルトルコも日本も変わらんで。
「……何よ、この女――」
「ん? どしたんシーラ、眉間にシワ寄せて。美人が台無しやで」
「兄やん! なんなんこれは! ウチが独りで寂しさに耐えていたっちゅうのに、兄やんはこの女と二人でイチャコラ乳繰り合ってたっちゅうんか! この浮気者!」
「浮気!? マカは家畜やで! 家畜に欲情する奴がおるかい!」
「……でも主様、私の血を吸うとき、こっそり私のおっぱいをお揉みになっていらっしゃいますよね?」
「なっ! バレとったんか!」
「兄やんどういうこと!?」
「そ、それはアレや! ただの乳しぼりや! そそそそれにワイとシーラはただの兄妹やろ! ワイが他に女作ったかて、お前には関係ないやろがい!」
「……ッ!」
その瞬間のシーラの表情は、今までワイが見たことない程悲しそうだった。
「――兄やんの……兄やんのアホー!」
「ちょ、シーラ!?」
シーラは、チュパカブラ自慢の計り知れない跳躍力を生かし、開いた窓から外へ跳び出していった。
「なんやねんもう……」
「主様、このままでよろしいのですか?」
「よろしいも何も――」
マカは心底呆れたように溜息を吐いた。
「主様は本当に鈍い方です。あんなにもあからさまに好意を向けられているというのに、これっぽっちも気づきもしない。この私の気持ちにも――」
「え? なんやって?」
「――もういいです。ほら主様、さっさと追いかけないと、妹様が行ってしまいますよ」
「あ、ああ、せやな。待てやシーラぁぁぁ!」
ワイはダッシュでシーラの後を追った。
~第四部 吸血獣、宇宙へ~
数歩で最高速に達する。人間には不可能な速度。チュパカブラ特有の下半身のバネが存分に火を噴き、先の塁へ滑り込む。
「セーフ!」
審判が大きく手を開いた。観客が待ってましたと大歓声を上げる。
『盗塁成功! レンジャーズのマルティネス、これでメジャー通算一四〇七盗塁となり、リッキー・ヘンダーソンの記録を超え、MLB新記録を樹立しましたー!』
あの時、家を飛び出していったシーラは、そのまま行方をくらまし、今もその消息は掴めていない。世界中を探し回ったワイは、こちらから追うのを諦めた。
これだけ探しても見つからないんや。きっとシーラはワイに会いとうないんや。なら会いとうなった時にいつでも会いに来られるよう、ワイは誰でも知ってる有名人になろうと考えた。それでアメリカに渡り、メジャーリーグでスーパースターを目指すことにしたんや。
プエルトリコは野球が盛んで、二〇一三年のWBCでは、アメリカや日本を倒して準優勝しとる。ワイも小さい頃からバット振っとった。人間よりはるかに優れた身体能力を持つワイは、晴れてチュパカブラ初のメジャーリーガーとなり、その俊足を生かして盗塁を量産。ついに通算盗塁数の世界記録を樹立した。
ここまで来るのに、本当に色々なことがあった。
色々な人間の血も吸うた。
でもシーラの行方は依然として不明なままやった。
「……まあええ。そんなに兄やんと会うのが嫌なら、無理に会おうとは思わん。その代わり、ワイは足がちぎれるまで頑張って、マルティネスここに健在やっちゅうのを世界に見せ続けてみせるで。そうすれば、きっとシーラも安心やろ――」
テキサスの自宅で、プエルトリコから取り寄せたラム酒を傾けながら、一人でそんなことを呟いとったら、部屋にマカが入ってきた。
「あなた、こんな郵便が」
「ん? なんや? 今日は郵便局は休みやろ?」
そうそう、あの後ワイとマカは結婚したんや。
マカが差し出したのは、真っ白い封筒やった。宛名も、差出人も書いとらん。
「手紙か?」
ワイはその封を破った。中にはカードのようなものが一枚だけ入っとった。
「なんやこれ……紙やないな。金属で出来たカードか? ……うわっ!」
突然カードが光り出した。びっくらこいてカーペットに投げ出したそれから、立体映像のようなものが空中に照射された。
「うわぁ! スターウォーズみたいや!」
光は形をつくり、そこに映し出されたのは、ワイらチュパカブラの毛を全部抜いたみたいな姿かたちの生物の映像やった。
『――お初にお目にかかる。先に言っておくが、これはビデオレターのようなものだ。私の名は■■■■という。おそらく地球生物には聞き取れないだろうが、「啓蒙」に近い意味合いをもつ』
「地球生物て……まさかこいつら宇宙人か! そんなもんが本当に居たなんて!」
『さて、マルティネス君。今回私が君にこの手紙を送ったのは、君の力を貸してほしいからだ。革命の英雄であり、MLBのスーパースターであり、第二種国際吸血診断師であり、プエルトリカン柔術チュパカブラ男子の部中米・カリブ地区大会ベスト8である、君のね』
「なんやて……」
『銀河連邦に属していない後進地域である君たちの星は――地球と言ったかね――知らないだろうが、現在この宇宙は危機に瀕している。悪逆皇帝ゲルトガイザーによって、既に全宇宙の九九・九%が悪の手に落ちているのだ。この事態を解決できるのは、他ならぬ君しかいないのだよ。どうか力を貸してほしい』
「悪逆皇帝ゲルトガイザーやと……? なんて凶悪なやっちゃ!」
「でもあなた……いくら革命の英雄であり、MLBのスーパースターであり、第二種国際吸血診断師であり、プエルトリカン柔術チュパカブラ男子の部中米・カリブ地区大会ベスト8であっても、一介のチュパカブラでしかないあなたが、全宇宙の九九・九%を支配するような凶悪さを持つ悪逆皇帝ゲルトガイザーに太刀打ちできるの? 私は不安です……」
「マカ……確かに、そうやな……」
『――こんな話をしても、おそらく君は素直に首を縦には振ってくれないだろう。いくら革命の英雄であり、MLBのスーパースターであり、第二種国際吸血診断師であり、プエルトリカン柔術チュパカブラ男子の部中米・カリブ地区大会ベスト8であっても、一介のチュパカブラでしかない君が、はたして全宇宙の九九・九%を支配するような凶悪さを持つ悪逆皇帝ゲルトガイザーに太刀打ちできるのか、不安に思っているに違いない』
「おお! せやせや! その通りや!」
『そんな君に、耳よりの情報がある。行方不明になっていた君の妹だが、実は悪逆皇帝ゲルトガイザーによって囚われているのだ』
「なんやて!? シーラが悪逆皇帝ゲルトガイザーに囚われているやと!?」
『どうかね、我々に協力する気になったかい。それでも力を貸してくれないというのなら、この手紙は燃やしてくれて構わない。だが、もし協力してくれるのなら、叫べ! 「カモン・ジャスティス」と! 我ら宇宙の民の科学の結晶である戦闘ロボット、超絶機導ジャスティスオーディンが君を迎えに来る! 君は超絶機導ジャスティスオーディンに乗り、悪逆皇帝ゲルトガイザーと闘うのだ!』
「…………」
「――あなた、行くんですね」
「分かってまうか、マカ」
「ええ……もう長い付き合いだもの。私が言っても、どうせ聞かないんでしょうね」
「すまんな――でもワイは、どうしても行かなあかん。悪逆皇帝ゲルトガイザーをしばき倒して、シーラを助け出さなきゃあかんねん。ついでに宇宙も救ってくるわ」
「あなた……どうか御無事で」
「当たり前やがな。いくら盗塁しまくったってな、家に帰って来れなきゃ意味ないんやで」
「――いってらっしゃい」
「おう、行ってくるで」
ワイは家の外に出た。空は澄み切った青。この美しさは、プエルトリコのサンファンも、日本の埼玉も、アメリカのテキサスも変わらず素晴らしいで。ま、しばらく見られんくなるんやけどな。これが見納めや。
もう地球の血ぃは吸い飽きた。次は宇宙や。
待っとれよ、悪逆皇帝ゲルトガイザー。
大事な妹を攫ったその罪、晴らさせたる。
最後の一滴まで、血ぃ吸うたろか!
「カモォォォォオオオオオオオオン!! ジャァァァアアアアスティィィィイイイイイイス!!」
――マルティネスの勇気が宇宙を救うと信じて!
【吸血獣マルティネス・完】