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薔薇戦争

作者: 西武明

「次、エックハート君。この薬草、ローズマリーの語源は何ですか?」

 ある晴れた日に、銀縁眼鏡をかけたブラウンの髪の女性教師が質問する。

 ――まただよ。集中攻撃だな。ティルの奴、何かケリー先生にやったんじゃないのか?

 ――あいつのことだからありうるな。多分何か気に障るようなことでも言ったんだろう。

 教室中にひそひそとした声が上がる。魔術学院の生徒達は哀れむように犠牲になった銀髪の男子生徒を見つめていた。クラス中の視線を一身に浴びている男子生徒、ティル・エックハートは助けを求めるようにして、後ろの席に座っている金髪の級友を見やるが――頼みの綱の友は、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、熟睡していた。

 ――畜生、あいつ寝てやがる。

 ティルは友人を恨めしく思い、おずおずと答える。

「……分かりません。薔薇の、マリーさんとか?」

 その瞬間、教室中から溜め息と失笑が漏れた。女性教師は呆れたように額に手を当て、首を左右に振る。穏やかに、けれどもやんわりと責めるように、彼女はティルに言った。

「ローズマリーはラテン語でロスマリヌスと言います。ロスは雫、マリヌスは海、という意味で、『海の雫』を表します。ローズマリーの咲かせる青い花からこの名が取られたと言われていますが――この間の授業でやったでしょう?」

「すみません、先生(マギステル)

 ティルは頭を掻いて苦笑すると、弁明するようにこう付け加えた。

「ちょっと忘れてました」

「ちゃんと授業でやった所は復習しておきなさい、エックハート君」

 ちょうどそのとき、授業の終了を知らせる鐘の音が、校内に響き渡る。途端、生徒達がざわざわと騒ぎ出したのを見渡して、女性教師はわずかに肩を竦めた。

「今日の授業はここまでにします。課題は無いですが、今日やった部分は各自、自習しておくように」

 そう言い放ち、女性教師はヒールの音を響かせ、教室から出て行った。


     *


 薬草学の授業はオラルーモ魔術学院の中でも、最も人気のあるものの一つだ。必修科目という訳ではないのだが、担当する教師であるところのビアトリクス・ケリー教師が、一般的な治療薬や毒薬の調合法だけでなく若返りの薬や媚薬など実用的な薬の調合法も教える、と公言しているのが人気の秘密である。その結果、この授業には女子生徒が殺到して、聴講が抽選になったこともあった。

 授業が終わって昼休みになると、教室内の生徒はぞろぞろと外へと出て行き、人気はまばらになる。

 ――ああ、明後日も薬草学がある。憂鬱だな。

 ティルはまだ席に座ったまま、自分の時間割表を眺めていた。予習をやらないと、また恥をかくことになるだろう。そう暗い気分でもの思いにふけっていると、頭上から声が落ちた。

「ティル。今日のケリー先生の集中攻撃はひどかったな」

「クロス」

 呼ばれてティルは顔を上げる。ティルの近くに寄って声を掛けたのは、東洋風の顔立ちをした、黒髪黒目の少年だった。彼の名は黒須恭平(くろすきょうへい)。もちろん東洋風に苗字が黒須で名前が恭平なのだが、皆、苗字の方が呼びやすいのか、彼はクロス、とクラスメイトから呼ばれていた。ティルは彼に向かって手を広げると、いかにも芝居がかった口調で叫ぶ。

「君が僕の近くの席だったら、こんな目に会わずに済むのに!」

 それから大仰に溜め息を吐いた。

「君は優等生だから、予習復習は完璧だろう? それに比べてこいつは――」

 一旦言葉を切ると、ティルは振り向いて後ろの席を見やる。そこには授業が終わってしばらく経つのにも関わらず、未だ熟睡したままの金髪の友人がいた。ティルは席から立ち上がると、何となく腹立たしくなって叩き起こそうとする。それを見た恭平が慌てた声で制止した。

「莫迦! 止めろ!」

 拳骨で殴られた衝撃で起きた金髪の少年は、ものすごい目付きでこちらを向いた。

「俺の眠りを妨げたのは貴様か、ティル」

 少年は地獄の底から響くような低い声で唸ると、間髪入れず呪文を唱え始める。

「吹き渡る風よ。流れ巡る水よ。我が声に応えて雷雲となれ」

「まずい――イージスの盾よ!」

 ティルは詠唱を省略した簡単な呪文で応戦しようとするが。

「遅い。降り落ちよ!」

 金髪の少年は不敵な笑みを浮かべて、手を振り下ろした。その瞬間、目も眩むような白光が辺りを包み、雷撃がティルを襲った。ティルはダメージを受けて床に倒れている。

「アルファ。やりすぎだ。相変わらず寝起きが悪いんだから」

 恭平が(たしな)めるように視線を金髪の少年へと向けた。愛称を呼ばれた少年は悪びれもせずこう口にする。

「こいつが俺の睡眠の邪魔をしたのが悪い。万死に値する」

「何でそれくらいで殺されないといけないんだよ」

 いつの間にか復活したティルが心底うんざりした口調で漏らした。

 アルファと呼ばれた金髪碧眼の少年は、どこかの貴族の子弟かと見まがうような、繊細で綺麗な顔立ちをしていた。彼の名をアルファルド・シュタインという。授業中に居眠りをしていることが多いので、彼は有名であるのだが、どの教師も決して彼を起こすことはない。彼はいつ起こされても、教師の問いに完璧に答えるのだ。彼は魔術学院始まって以来の天才と言われていた。魔術の実技においても彼は抜きん出ており、先程の風と水の二つの属性から、擬似的に光属性を生み出す精霊魔術は、魔術組合(ギルド)特級魔導師(エクス・ウィザード)でも使える者は少ない。

「ふむ。俺を叩き起こしたということは、何か用でもあるのか」

「アレフ。用が無いと起こしちゃだめなのかよ? 授業、とっくに終わってるよ」

 アレフ。ティルだけがアルファルドをそう呼ぶ。彼の愛称、始まりの者を表す神の異称でもあるギリシャ文字の最初の文字アルファを、ヘブライ語読みした言い方で。その意味は牛、である。ティルは、いつも牛のように眠っている彼には、こちらの方が相応しいと思っていた。数学においては無限集合の濃度を表す文字ではあるが。こういった他人に自分好みの愛称を付けるやり方は、言霊使いである彼の師匠譲りのものであった。

 アルファルドは腕時計の文字盤に視線を落とすと、ぽんと手を打った。

「ああ、そうだ。昼御飯の時間だな。購買に急がなくては、パンが売り切れてしまう」

「君、一体何しにここに来てるのさ」

 ティルは思わず呆れた声を上げて、そそくさと教室を出てゆくアルファルドの後ろ姿を見送った。


     *


「本当に心あたりはないのか?」

 昼休みの教室。恭平はジュースのストローから口を離すと、ティルに確認するように問いかけた。ティルは先程購買で手に入れたサンドイッチを頬張りつつ、首を左右に降る。

「そんなものないって。どうして僕がケリー先生に恨みをかっているのか、こちらが聞きたいくらいだよ」

「こういうのは加害者のほうが自覚のないことが多いのだが」

 パンを手で細かくちぎって口に放り込みながら、アルファルドが口を挟んだ。ティルはアルファルドのほうに向き直って、抗議の声を上げる。

「誰が加害者だ! 僕はケリー先生と授業以外で顔を会わせたことはないんだよ? 接点がなさすぎる! だいたい君が授業中起きていたら問題ないんだよ」

「何故この俺が貴様のために睡眠時間を削らなければならない。そもそも貴様がきちんと予習復習をちゃんとしていないのが悪いんだろう」

「確かにその通りだけどさ。君に正論吐かれると何か腹立つ。まあ、明後日の予習はちゃんとやることにするよ」

 ティルはむすっとして言うと、サンドイッチを勢い良く平らげた。恭平がそんなティルを横目で見ながら、こう申し出る。

「ティル、私がとったノートで良かったら貸すけど」

「サンキュー、クロス。心の友は君だけだよ」

 ティルはアルファルドを半眼で睨みながら、返事をする。

「別に俺は貴様の心の友になった覚えはないぞ」

「ああ、もう! 次の薬草学の授業では先生の質問に完璧に答えてやるから! アレフ、君も眠らないで僕の勇姿をちゃんと見るんだ」

 ティルは半ば自棄糞気味(やけくそぎみ)に胸を張ると、威勢良く宣言した。


     *


 ティルはイングランド、ランカシャー地方に住む彼の師匠の家から、転移魔術を使ってオラルーモ魔術学院に通っている。転移魔術とは非常に厄介な代物で、魔法円を転移元と転移先に設置しなければ使用できない。幸い、彼の師匠は出不精で、ほとんど家にいるため、ティルは瞬時に家へと帰れるのであった。

「師匠。今日の精霊魔術の鍛錬、見逃してくれませんか」

 家に帰ってすぐにティルは自身の師匠に頼み込んだ。ティルの師匠である赤銅色の髪をした魔女は、暖炉の前の椅子に背をもたせかけながら雑誌を読んでいたが、弟子の声に反応して顔を上げた。

「ああ、私の可愛い小鳥くん(ツィポール)。何か悩みでもあるのか? あるのなら私に言ってみたまえ」

 彼女の名はメリル・シェーラザード。理の王(ロード・オブ・ロゴス)という二つ名を持つ言霊使いである。ティルはメリルへとおそるおそる話を切り出した。

「薬草学の勉強をしたいんです。学院の授業についていけなくて」

「薬草学? 毒薬を調合したりするあれか」

「毒薬だけじゃないんですけどね」

 可愛らしく首を傾げながら危険な発言をする師匠の様子に、ティルは思わず苦笑を漏らす。

「何故だか担当の先生によく当てられるんですけど、うまく答えられないんです」

「君の担当の先生の名前は何というんだ?」

「ビアトリクス・ケリーって言う茶色の髪をした女の先生なんですが」

 それを聞いたメリルは茶褐色の目を大きく見開かせて、一瞬驚いたような顔をした。それから、視線を床に落として、肩を震わせる。そして――

「ふふっ、ふふふふっ、ふはははははははっ!」

 地の底から響くような不気味な笑い声にティルは背筋を凍らせながら、何とか口を開いた。

「ど、どうしたんですか。師匠」

「はははははは! ヨークシャーの呪術師の分際で! 我が弟子に手を出すとは!」

 その異様な迫力に気圧されてティルは声も出せない。

「安心しろ、我が愛しき弟子よ。あやつには君に指一本も触れさせぬ」

 凄絶な笑みを口元に湛えつつメリルは椅子から立ち上がり、家の奥のほうへ向かった。

「くくくくっ。首を洗って待っていろ。ビアトリクス」

 物騒な笑い声を上げながら何かを画策する師匠の後ろ姿を、ティルは冷や汗を掻きながら見送った。

 ――もしかして、ケリー先生が僕を当てまくっていたのって、僕じゃなくて師匠に恨みがあったんじゃ……。

 その夜、ティルは薬草学のテキストを開いてはみたものの。自身の師匠の態度が気になって全く手が付かなかった。


     *


 二日後。再び薬草学の授業の時間がやって来る。ティルは授業の前の休み時間に、テスト直前の生徒のように必死になって薬草学のテキストを眺めながら、頭の中にその内容を必死で詰め込んだ。この二日間、師匠の様子がおかしくて、勉強どころではなかったのだ。後ろの席を見やると、アルファルドは、もう夢の世界に旅立っている。

 ――相変わらず気楽なもんだなあ。君が羨ましいよ、アレフ。

 ティルは大きく溜め息を吐き、また勉強を再開した。

 そのとき、授業の開始を告げる鐘の音が鳴った。ざわざわとしていた教室内が一斉に静まる。それからいつものようにビアトリクス・ケリー教師が、甲高いヒールの音を響かせてやって来るはずであったが、いくら待ってもブラウンの髪の女性教師はやって来なかった。教室中がまたざわめきに包まれる。そうしているうちに、がらっと教室のドアの開く音がした。そして入ってきたのは――

「ビアトリクス・ケリー教師は病気で今日は休みだ。私、メリル・シェーラザードが臨時講師を務める。諸君、今日の所はよろしく」

 ティルは絶句した。赤銅色の髪の魔女が、鮮やかな赤のドレスに身を包み、教壇に立っている。ティルがそれを見た途端、彼が今まで必死に学習した薬草学の知識はどこかへ飛んでしまった。

 ティルの動揺とは関係なく教室内のざわめきはますます大きくなる。メリル・シェーラザードと言えば世界で数人しかいない魔術師の最高位(ウーヌス)のうちの一人だ。魔術師を志す者なら誰だって知っている。理の王(ロード・オブ・ロゴス)。あるいはランカシャーの魔女。言霊の支配者。数々の呼び名を持つ有名な魔術師だ。

 ティルは虚ろな目をして宙に視線を彷徨わせる。彼は今すぐここから消えてしまいたい気分になった。

「さて、薬草学の授業を始めるぞ。百二十頁。毒草として有名なトリカブト。これに含まれるのは有毒性のアルカロイド、アコチニンだ。神経伝達物質に影響を与えるタイプの毒だな。根の部分の毒が強く、これを服用すると死にいたる。東洋では漢方薬に――」

 授業を始めたメリルの言葉を遮って、教室のドアが叩き付けるようにして開く。そこにはブラウンの髪を振り乱したビアトリクス・ケリー教師がいた。

「メリル・シェーラザード! どういうつもりですか! 人の授業を乗っ取ったりして」

「おや。おかしいな。しばらくは起き上がれないはずだったんだが」

 メリルはビアトリクスのほうを、冷たい眼差しで見やる。

「私にこの種の毒が利くと思いますか? あなたは私の家系をお忘れのようですね。私の身体はある程度の毒には耐性があるのですよ」

「知っているさ。ケリー家。ヨークシャーの忌まわしき呪術師の家系だ。長い付き合いだからな。しかししばらく見ないうちにますます化け物じみてきたな。普通の人間だったら間違いなく致死量のはずなんだが」

 いかにも納得がいかない、といった面持ちで首を傾げるメリル。

「我が家系が忌まわしいなどと! 禁呪に手を染めたランカシャーの魔女の末裔の人間には言われたくありませんね。それよりさっきの質問に答えてくれませんか。いくら厚顔無恥なあなたでもこんなことをしては――」

「はっ! 厚顔無恥はそっちだろう。我が愛しき弟子に手を出したな。嫌がらせなら私に直接すれば良いものを! やはり薄汚い呪術師のやり方だよ」

「黙りなさい! 私をそれ以上侮辱するとただでは済ませませんよ」

 そう言い放つと彼女は無言で宙に印を描き始めた。その様子を見たティルは蒼白になる。あれは呪文を用いない特殊な魔術だ。その効果は――

 メリルは表情を引き締めると、素早く呪文を詠唱する。

「光よ。此処に在りて忌まわしき邪を払え。七里結界」

 結局二人の間には何事も起こらなかった。しかし教室中が今のやりとりを理解していた。ビアトリクスが死の呪いをかけ、メリルがそれを消し去ったのだ。あの呪いは軽々しく扱えるものではない。失敗すれば呪いは周囲に撒き散らされ、大惨事が起こる。身の危険を感じた生徒達は一人、また一人と教室内から出ていった。

「生徒を怖がらせるとは、教師失格じゃないかね、ビアトリクス」

 メリルは挑発するようにあえて嘲るような口調で言った。

「あなたが、先に手を出したんでしょう」

 尋常ではない殺気を発して、対峙する二人。

 ティルは逃げようとして自分の席から立ち上がろうとするが。

 がしゃん。立ち上がる時に大きな音をたててしまった。

 二人の魔女がこちらを見やる。

「ビアトリクス。呪術で生徒を恐怖のうちに支配するのが君のやり方か? 薬草学の教師らしく、薬草学の知識で私と勝負しないかね?」

 メリルは哀れ、恐怖で固まった自らの弟子を見て口を開いた。

「いいでしょう。あなたが勝負の方法を決めてください。この程度のハンデはあなたに必要でしょうから」

「随分な自信だな。じゃあ、化粧品(・・・)の作り方で行こう」

「化粧品?」

 銀縁眼鏡の教師は片眉を訝しげに上げて、静かに問う。

「どういうつもりですか?」

「世の乙女達を美しく飾りたてるあれだ。お互いに自分の作った化粧品でメイクして君と私のどちらが美しいのか生徒達に評価してもらうのだ」

「そんなのが勝負になるものですか」

「おやおや、私の美貌に勝つ自信がないのか?」

 先程までと違って表面上は穏やかな口調で会話が繰り広げられる。だがその空気は絶対零度に冷え切っている。

 ――ここは魔界だ。やっぱり逃げよう。

 足音を忍ばせて教室からそろりそろりと出て行こうとするティル。それを見たメリルが彼の背後から声を掛けた。

「ティル。君もこの勝負に協力したまえ。化粧品の材料を集めるのを手伝ってもらわなければ」

「エックハート君。そもそも自身の師匠を引っ張り出したのはあなたの(とが)ですよ。あなたには薬草園に行って原料を取ってきてもらいます」

 二人の視線を一身に浴びたティル。身体中から嫌な感じの汗が吹き出ている。

 ――何で僕だけ!

 いつの間にやら、教室にいた生徒は全員廊下に避難して、こちらをそっと(うかが)っている。いや、全員ではなかった。ティルの後ろの席に座っている金髪の生徒、アルファルドだけが、寝ぼけ眼で、まだ自分の席に座っていた。

 ――心の友よ! アレフ、やはり君は最高(・・・・)だ!

 ティルはアルファルドを指差して提案した。

「師匠。先生(マギステル)。アルファルド・シュタインも一緒に連れて行っていいでしょうか」

「構わないぞ」

「ええ」

 二人の魔女は頷いて了承した。アルファルドはまだ状況を把握していないのか、ぼんやりしたように、ティルを見ている。

「薔薇だ。薔薇戦争が勃発した……」

 廊下でこう呟いたのは誰だっただろうか? これが、かつてイングランドを二分して戦ったランカスター公とヨーク公になぞらえて、薔薇戦争としてオラルーモ魔術学院に語り継がれる事件の始まりであった。


     *


 ティルはアルファルドを伴って魔術学院の薬草園に来ていた。ガラス張りの温室に午後の明るい日差しが差し込んでいる。生い茂った葉の茂みが、頭を撫でる感触に顔を顰めながら、ティルは魔女達に渡された紙を眺めて、目的の材料を探していた。

「こっちが師匠のか? ええと、薔薇の花びらに、ローズマリーの葉、ペパーミントの葉、オレンジの実?」

 ぶつぶつと呟きつつも、ティルは手に持った籠の中に、手際良く材料を集めていく。アルファルドはティルと同じように材料を採取しながら、不満を漏らした。

「何で俺が貴様の手伝いをしなければならない」

「アレフ。あの二人の気が収まるまで君は薬草学の授業で安眠できないと思うよ?」

「だから何で俺を付き合わせたのかと聞いている」

「だって君だけが教室に残ってたんだもの」

「それだけの理由でか? 全くいつもいつも貴様は――」

 アルファルドは不服そうな顔をして愚痴り始める。それを遮るようにして、ティルは材料の書かれた紙を、アルファルドの目の前に突き付けた。

「文句言ってないで手を動かす! こっちがケリー先生のだ」

「薔薇の蕾に、ローズマリーの葉、茜草の根、ラベンダーの葉か。材料はそんなに変わらないんだな」

「まあ、化粧品にマンドラゴラやらトリカブトやらを使う訳にはいかないよ」

「これで、あの二人の勝負に差がつくとも思えないが……」

「何か特殊なメイク法でもあるんじゃない? 僕の師匠、何か自信たっぷりだったから」

「そういうものか」

 アルファルドはどこか腑に落ちない、といった様子で首を捻る。ティルは反論を封じ込めるように、口元に笑みを浮べた。

「そういうものだよ」

 それからティルは籠にラベンダーの葉を無造作に放り込むと、アルファルドに渡して言った。

「ケリー先生の分、君が持っていって。さて、戻ろうか。厄介事はさっさと済ませちゃうに限る」

「そうだな」

 アルファルドは頷いて、材料の入った籠を受け取った。それからティルは立ち上がって、教室への道を戻り始めた。アルファルドもそれに続いて歩く。渡り廊下を歩き、階段を上り、三階へと上がる。そこから右に曲がったところにいたのは、思いもかけない人物だった。赤いドレスに身を包んだ赤銅色の髪の魔女だ。

「師匠! 教室で待ってるはずじゃあ――」

「アルファルド君。それはビアトリクスの分の材料だな。それに呪いをかけさせてもらう。こちらに渡してもらおうか」

 メリルは不敵ににやりと笑うと、アルファルドの手に持っている籠へと視線を落とした。

「どういうつもりですか、師匠! 勝負をする時は公平な条件で勝たないと意味がないっていつも言ってるじゃないですか」

 あまりと言えばあまりな発言に、ティルは思わずうわずった声で叫んでしまう。

「覚えておきたまえ。我が愛しき弟子よ。呪術師相手にフェアプレーの精神など無意味だよ。さて――」

 そこでメリルは言葉を切って呪文を唱えた。

「この息は我が息にあらず、神の息なり。故に我が息は命の担い手にして万象を支配する言霊――彼の者よ動け、我が望むように」

「なっ! 身体が勝手に……」

 アルファルドが呻く。メリルがアルファルドの身体を操っているのだ。

「さあ、歩け」

 メリルの声に応えてアルファルドがメリルのほうに歩いていく。アルファルドは必死に抵抗するが、それでも彼自身の歩みは止まらない。だが。

 ――まずい。

 ティルはアルファルドの眼を見て思った。彼の碧眼は燃えるように爛々と輝いている。本気で怒っている。

理の王(ロード・オブ・ロゴス)だろうが、何だろうが――俺を支配しようとするな! 裁きの光よ。天より大地を貫き全てを滅ぼせ!」

 その瞬間、光が膨れ上がり、辺りを轟音が包む。ここが普通の建物ならば周囲は灰燼に帰する所であろう。だが魔術学院の校舎は防護魔術が掛けてあるので、この程度では崩壊しない。しかし直撃を受けた人間は無事ではすまないだろう。アルファルドの魔術の破壊力は凶悪だ。彼に手を出したものは、誰もが彼の魔法名、災厄(ディザスター)の由来を身をもって知ることとなる。あの攻撃を食らっては無事でいるはずがない。ティルはそう思っておそるおそる師匠のほうを見たが。

「ああ。アルファルド君。いきなり攻撃するなんてひどいじゃないか? 君にはお仕置きが必要だな」

 メリルは平気な顔をして傷一つ無くそこに佇んでいる。それから、物騒な笑みを口元に湛えて詠唱を始めた。

「永劫の炎よ。灼熱の業火よ。灼きつくせ」

 その呪文とともにアルファルドを灼熱の炎が襲う。それをまともに喰らったアルファルドはばったりと地に倒れ伏した。

「ティル……。後は頼んだ……ケリー先生に……薔薇の蕾……」

 それだけ言うとアルファルドの頭ががくりと落ちる。

「わあああ! ずるいぞ、アレフ。変な遺言遺して死ぬな! 実は死んだふりしてるだけだろ? 僕は騙されないぞ!」

 動揺して訳の分からないことを口走るティル。それを見たメリルは悪魔のようににっこりと笑った。

「さあ、私の可愛い小鳥くん(ツィポール)。それを渡してもらおうか」

 ――ケリー先生。アレフ。ごめん。僕は悪魔に魂を売り渡すよ。

 ティルは心の中で級友と教師にひたすら謝罪しながら、薬草の入った籠を自らの師匠に手渡した。


    *


 それから。ティルはずたぼろになったアルファルドの首根っこを掴みながら、ずるずるとひきずって教室に戻ろうとすると、たくさんの生徒達がティル達のほうに向かってものすごい勢いで走ってきた。

「何だ……?」

 ティルは独りごちる。猛烈に嫌な予感がする。

 生徒達はティル達に気をとめることなく彼方へと走り去っていく。

 そこへ同じように、息を荒げて走ってきた黒髪黒目の少年が足を止めた。彼の級友、黒須恭平(くろすきょうへい)である。彼は慌てた口調でティルを呼び止めた。

「ティル!」

「どうしたんだ、クロス」

「早く逃げろ、ここも危ない!」

 恭平がそう言った途端、派手な轟音が響いて建物全体を揺るがす。思わず震動でつんのめりそうになった。

「まさか、ケリー先生と師匠が全力で戦ってるのか……?」

 ティルは愕然とした面持ちで声を漏らす。

「そうだよ! シェーラザード先生がケリー先生に薬草を渡したらケリー先生がいきなり魔術をぶっ放して――とにかくアルファも一緒に――何でこんな大変な時にこいつは寝てるんだ!」

 どごぉぉぉぉぉぉん!

 続けて轟音。めしり。校舎が軋む、嫌な音がする。

 ティルは顔面を蒼白にして呟いた。

「もしかして、崩れる?」

「防護魔術が掛けてあるはずなのに、この破壊力。尋常じゃない。とにかくアルファを運ぶのを私も手伝うから早く逃げるぞ!」

「分かったよ。急ごう」

 そうしてティルと恭平の二人は必死になってアルファルドをかつぎ、命からがら、校舎から脱け出した。

「ここまで来れば大丈夫だろう」

 息を切らせながら恭平が校舎のほうを振り向くと。

 ごごごごごごごごごご。

 地響きを立てて校舎が全壊した。その瓦礫の上に立っていたのは二人の魔女。

「覚悟なさい! メリル・シェーラザード!」

 ブラウンの髪の魔女が叫ぶ。

「大地よ。愚かなる者に裁きの鉄槌を!」

 赤銅色の髪を靡かせながらもう一人の魔女が叫ぶ。

「その程度の魔術で私を倒そうなどとは図々しいにも程がある! 閃光よ。我が手に集いて全てを灰燼と帰せ!」

 辺りを引き裂く熱波。衝撃波。そして爆裂音。

 魔術によって引き起こされる現象を、どこか虚ろな目をして眺めながらティルは言った。

「今日はもう帰ろうか」

「そうだな」

 恭平もティルと似たような表情を顔に浮べながら、同意するように頷く。他の生徒達はどこへ逃げたのか、校舎(の残骸)の周囲にはもはや誰もいない。ティルと恭平はアルファルドをひきずって、学院を後にした。


     *


 その後。全壊した校舎は学院の職員総出の修復魔術で直ったのだが。ビアトリクス・ケリー教師の薬草学の授業はその学期一杯、休講となった。そして理の王(ロード・オブ・ロゴス)、メリル・シェーラザードは校舎を壊した罰として、魔術学院の用務員として無償で奉仕させられることとなるが、それはまた別の話である。

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