6.頭が煮えそう
不可触民は四姓制度の階級ではない。
そもそも、第一階級の王族、第二階級の祀族・士族、第三階級の平民、第四階級の賎民からなる四姓制度とは、因果応報に基づく輪廻の結果とされている。
つまり、高位の身分であるほど、前世での徳が高く、低位であるほど背負う因業が深いと解釈されている。
ゆえに、カルマ人たちにとって身分に差があるのは理であり、そこに差別が生じることも社会通念として定着しているのだ。
そんなわけだから、四姓制度に含まれてさえいない不可触民の扱いは、取り分け非人間的だった。
例えば、住む場所を隔離される。他の階級と同じ井戸を使えない。母なるサラワティ川で沐浴を禁じられている。教育を受けられない。そして、皮なめしや家畜の死体処理など、不浄とされる仕事にしか就けない。
何かがおかしいと思う。
だいたい、不浄って何だ?
キタナイもの? だけど、誰でも肉を食べるし、皮の靴を履くじゃないか。
だけど。
もしも、その仕事をしろって言われたら、私は何の抵抗も無く頷けるだろうか。
私も、元は不可触民なのに。
あの日会った、あの子と同じに。
「どうした? 眉間に皺が寄ってるぞ」
ルディの声に、私は重苦しい思考を中断させた。
今は、ルディに先導されてダルリドルラに向かっている所だった。
実は、それが憂鬱の原因だったりするんだけど。
「…頭が煮えそう」
「は?」
「甘い物が欲しい。…ああっ! 結局、スワードゥ買い損ねたあっ!」
「……お前、何言ってるんだ」
一人で喚く私に、ルディの視線は生温い。
すでに、日輪は西の方へと移動していた。
時間に余裕が無い事は分かっている。
それでも、私の口からこんな台詞が滑り出ていた。
「私ね、10才くらいの時に、一度だけダルリドリルラに行ったことがあるんだ」
ルディが立ち止まり、軽く目を瞠る。
「へえ。何しに?」
「私と同じ、銀髪で紫色の瞳の子がいないかな、と思って」
すると、ルディは静かな声でこう尋ねた。
「ラクシャサの屋敷で嫌な事でもあったのか?」
「ううん、まさか!」
私は顔の前で、ぶんぶんと両手を振った。
「父さまも、兄さまたちも、使用人たちも、みんな私を可愛がってくれたよ」
だけど、いつしか気付いてしまった。
自分が、「不可触民」なんだって。
みんなとは違うんだって。
「…で、目当ての人物は見つかったのか?」
一瞬、ルディが何か別の事を言いかけたように見えた。そう、それはルディにとっても馴染みのある感覚だろう。
だけど、だから、私は気付かない振りをした。
「うん、見つかった。でもね……」
日の光にきらきら輝く銀色の髪が目に入った瞬間、私は夢中でその姿を追いかけた。
同い年くらいの男の子だった。私の足音が聞こえたのか、彼はすぐに足を止めて振り返った。瞳の色も濃い紫色だった。
私は笑いかけた。彼の髪と目が黒くないことが嬉しくて仕方なかった。
「私たち、同じ! 仲間だね!」
声を弾ませ、胸いっぱいの思いをぶつけた。
だけど。
どんっ!
「……え?」
あまりにも思いがけない出来事に、その男の子に突き飛ばされたのだと気付くのに、数秒かかった。
てめえなんか同じでも仲間でもねえよ、と男の子は吐き捨てた。それまで聞いたことも無いような乱暴な言葉遣いを、十才の私は怖いと感じた。
呆然とする私に苛立たしげな舌打ちを残して、男の子は走り去った。
彼は一度も振り返らなかった。遠ざかる彼の銀髪は、日陰に入った途端くすんで見えた。
私は長いこと座りこんでいた。
その間に、男の子の銀髪が輝いて見えたのは日輪のせいで、本当はろくに手入れもされず薄汚れていたのだと思い至った。
いや、髪だけじゃない。私は清潔で体に合った服を着ていたけど、彼の衣服は黄ばんでいて、しかもぶかぶかだった。
「…本当の意味で四姓制度を意識したのは、多分この時からだと思う」
私はラクシャサ将軍の娘として連花警備隊に入ったけど、街を歩く時は髪を隠す。
カルマ国に住むということは、四姓制度に生きるということだから。
「…四姓制度は悪習だ。と、俺が言っても説得力は無いかもしれないけどな」
「ルディ?」
私は眉根を寄せた。この人は、何を言い出すんだろう。
「人が集まったら序列が生じるのは摂理だ。だが、それは生まれでなく、能力や人格で自ずと決まるものだと、俺は思う」
ルディは気負う風でも無く、淡々と話す。だからこそ、ただの思いつきじゃなくて、ずっと考えていたことだと窺わせた。
「アウランガ国のラジャスナム王を覚えているか? 彼は身分ではなく人品と能力で臣下を取り立てているそうだ。
彼はまだ若く、その国造りは始まったばかりだ。きっと何年もしないうちに、その繁栄はカルマ国を超えるだろうな」
私は仰天した。
「それって、王子として問題発言じゃ…」
慌てて辺りを見回す。誰もいないよね。
「だから、お前にしか話してないだろ」
と、ルディは悪戯っぽい目をした。そのくせ、どこか大人びて見えて私は少しだけ、どきっとする。
「あの…もしかして、慰めてくれてるとか?」
途端、ルディはくるりと背を向けた。
そしてそのまま、すたすたと歩き出す。
「ええと?」
(素直じゃないのう)
すっかり私の右肩が定位置になったガルダが、苦笑交じりに呟いた。
私も、くすりと笑い、意地っ張りな背中を追いかけた。
憂鬱な気分はいつの間にか忘れていた。
読んで頂き、ありがとうございました。