3.使えねえな
「密売品?」
私は眉を顰めた。
「ガルダを神鳥として崇めているのは、カルマ国だけだ。国境を越えれば、ただの美しい鳥にすぎない」
ルディの唇が微かに震えていた。これほど分かりやすく怒りの色を滲ませるのは珍しい。
「蒐集家の間では随分な人気らしいが、王の象徴たる『神鳥』を俗悪な感情で浅ましく扱うなど、許し難いな」
うん、本当に勝手な話だ。
「それに、こんなに綺麗で可愛いガルダを捕まえて、自由を奪って、遠い所に売り払うなんて、許せないよね!」
と、私は共感して言ったつもりだった。しかし、ルディは何故か虚を衝かれたような顔をする。
「……お前が、ガルダの事を知らなかった理由が何となく分かった」
「え?」
「ラクシャサ将軍は忠臣だが、養い子のお前には、その忠誠心を倣わせなかったらしいな」
「な、何を言ってるの?」
話が予想外の方向に転がり始め、私は面食らう。
「お前がク・シュナの民であり、輪環の巫者だからだろう」
線を引かれた。
そう感じたと同時に、幼い頃の出来事が脳裏を過る。私がまだ、士族になり切れなかった頃の。
ぐっと拳を握りしめた。
「…ちゃんと読むよ」
「?」
「アビ法典! 最初から最後まで全部!!」
だから信じて欲しい。読まなかったのは、異民族だからじゃないって。
ルディが目を瞠る。そして、ばつが悪そうに手で口を覆った。
「一人だけ違うという事の疎外感や、居心地の悪さは俺も良く知ってるのにな」
そして、口を覆っていた手を今度は私の頭に載せる。ぽんぽん、と宥めるように軽く叩かれるのを、ターバン越しに感じた。
私を見る目はどきっとするほど優しい。
「ルディ?」
私が呼びかけると、ルディはそれが合図だったかのように真顔になった。
「お前が王家に忠誠を捧げると言っても、俺は嬉しくない」
「や、やっぱりそうなんだっ…!」
「だから、勘違いするなって! …あー、例えば、さっきお前が密売のことを聞いて、カルマ国の神鳥を貶められたからじゃなく、自分が知っているガルダだから怒っただろう」
「う、うん」
「あんな感じでいい」
「え? 良く分からないんだけど」
「俺は、そのままのお前が、…あ、いや、要は現状のままで問題無しということだ!」
叫ぶように言うルディ。その頬にはうっすらと朱が載っていた。そのせいだろうか、ルディにしては、随分と大雑把なまとめ方なのに、妙な説得力を感じる。
自然と、口元が綻んだ。
「でも、アビ法典を読む努力はするね。後で困るってルディも言ってたしさ」
アビ法典は法律的な規定から生活の規範に至るまで書かれた書物だ。末端とはいえ宮廷に仕える人間として基本的な事くらい頭に入れておいた方が良いだろう。今更だけど。
「好きにしろ」
ぶっきら棒に言って、ルディはふいっと顔を背けた。
どうしたんだろう? 急にご機嫌斜め?
(幼き輪環の巫者よ。先ほどから汝らの話を聞いておったが、汝はク・シュナの民以外の人間に育てられたのか)
不意に、ガルダの意思が伝わって来た。
「え? うん。私を育ててくれたのは、ラクシャサ将軍。亡くなった父の親友で、先祖代々王家に仕える生粋の武人だよ」
そして、私の名前の由来になった人だ。
私が答えると、察しの良いルディもガルダに目を向けた。
(ということは、もしや輪環の巫者として覚醒すらしておらぬのか?)
私は頷いた。
輪環の巫者を導けるのは輪環の巫者だけ。
知識だけなら、その気になれば誰にでも伝えられるだろう。でも、その能力を表す助けにはならない。なぜなら、輪気を知覚する術を教えられるのは輪環の巫者だけだからだ。
(…ちっ! このガキ、使えねえな)
ん? なんか雰囲気が変わったような。
「ガルダ?」
(い、いや、何でもない。しかし、弱ったのう。ようやく、故郷に帰れると思うたのに)
「えっ!? 水輪の彼方の国って、ガルダの故郷だったんだ!」
(のう、能力の片鱗くらい現れんのか)
縋るような目で見つめられ、私は慌てて記憶を呼び起こす。
「ええと、それなら、私が〈闘〉の契印者になれたのは、輪環の巫者としての潜在能力だって聞いたけど」
およそ半年前、アウランガ国にいるク・シュナの民に。でも、その話は今は関係ないから詳しく語る必要はないだろう。
(輪環の巫者であれば、契印を付けるも消すも思いのままであろうが)
「あ、消すのは出来ない。…まだ」
(やはり偏っておるな。これでは、水輪の彼方の国への道を見つけることは出来まい)
ガルダは、だらりと翼を下げ、俯いた。随分と気落ちしているように見える。
でも、そうだよね。故郷から切り離されるのは、魂の半分を失うように辛いだろうね。
私はルディの服の袖を掴んだ。
「ね、ルディ。私は、自分が輪環の巫者だってことは理解しているつもりだよ」
「どうした。藪から棒に」
「でも、それだけ。いつか力が使えるようになるだろうって、漫然と受け止めているだけで、そうなろうと努力もしていない」
「努力のしようが無いだろう? 教えを請うべき先代の輪環の巫者がいないんだからな」
ルディの声には気遣いの響きがある。先代の輪環の巫者とは、顔も知らない私の父だ。
「だったら、独学できないかな」
「はあっ!?」
ルディが、ぽっかりと口を開けた。
「ルディだって、その方が良いでしょ。あの時の約束、私、ちゃんと覚えてるから」
「……あ、ああ」
「んじゃ、手始めに、アウランガ国にいるク・シュナの民に会ってくるよ。何か参考になる話が聞けるかもしれないから」
「って、おいこら、待て!」
踵を返そうとした途端、手首を掴まれた。
「放してよ! 善は急げって言うでしょ」
「アホ! それは善じゃなくて勇み足って言うんだ!」
「勇んで何が悪い!?」
「体裁が悪い! 要領が悪い! 頭が悪い!」
「おのれ、それは宣戦布告と見なす!!」
「見なすな! いいから、俺の話を聞け!」
「対話を求めるか。然らば応じてやろう!」
「……そんな言い回し、どこで覚えた?」
「うち」
「ラクシャサめ。忠誠心の代わりに妙な知恵をつけさせやがって。…まあ、それは置いといてだ」
ルディは軽く咳払いをし、
「感情だけで突っ走る前に、一度、情報を整理しておいた方が良いんじゃないか」
理知的で冷静なルディらしい意見だった。
でも、正しい。私は昂った心を静め、ルディの提案に賛成した。