2.どういうこと?
ルディの本名は、ルディヤーナ・アグニ・シャフジャハン・ラージャン・カルマという。
四姓制度の頂点に立つ、「王族」であり、我がカルマ国の第二王子であらせられるのだ。
二番目に高い身分といえ、「士族」の私が対等な口をきけるのは、それをルディが望み、私が受け入れたからだ。
「そういえば、じゃないだろ」
「最初に聞けよ」と呆れているのが、言外にひしひしと伝わってくる。たとえ〈言読〉の力が無くても、これは流石に分かる。
ああああ、馬鹿だ、私! 非番とはいえ、一介の警備兵なんだから、王子の身の安全を真っ先に考えなければならなかったのに!
言葉は交わしてないから、そんな私の心の叫びが通じたわけじゃないだろうけど、ルディはまるで読んだかのように、
「ま、今日はお前も非番みたいだし、気にするな」
なんて、優しい言葉をかけてくれた。
「へえ、ルディが気遣いなんて珍しい。空から水輪が落ちてこないでしょうね?」
私は空を見上げた。仲良く並んだ日輪が二つ。そして、空をぐるり囲むように複雑な文様が描かれた、半透明の大きな水輪が在る。
もっとも、水輪とはいっても名前だけで、実際は、「輪気」が集まって可視化されたもの、と言われている。
『すべて世界は輪気の環の中に』
子供でも知っている天則だ。
私たちにとって神とは大自然そのもの。
そして、目には見えないけど、大気中には、輪気が満ち溢れ、世界を巡り、そして回している。
輪気とは、神の息であり意志なのだ。
また、契印もまた輪気の賜物と言われている。
「よし、異常なし!」
言った途端、頭をはたかれた。
「お前、俺を何だと思ってるんだ?」
「いや、えへへ…ごめん」
ここは素直に謝る。なのに、ルディは、ふん、と鼻で笑って、こう言い放った。
「別にいいけどな。気遣ったんじゃなくて、公私混同を避けただけだから」
「うわ、可愛くない~。それなら、最初から声をかけるなって…わわっ!」
不意に、ばさっと軽やかな音がしたと思いきや、目の前を金色が横切った。
直後、右肩に微かな重みがかかる。ぱっと顔を向けると、そこには鮮やかな色彩を持つ一羽の小鳥が止まっていた。
顔は白く、翼は赤い。そして、それ以外の羽は全て金色。まるで、宝石のように美しい。
それでいて、目はくりっとして愛らしく、私のことを人懐こく見上げている。
「わっ、可愛い! どうしたの、この子?」
思わず声が弾んでしまう。不機嫌になりかけていた事なんてすっかり忘れていた。
「あ~、そのガルダは、まあ…届け物だな」
何だろ。茶を濁してる感がする。
「いつも、ずけずけと物を言うルディにしては、変に歯切れが悪くない?」
「ずけずけ言ってんのはお前の方だろ。断わっておくが、嘘は吐いてないからな」
「ふうん? 別に良いけどさ。あ、ねえ、この子、ずいぶんと人に慣れてるのね。触っても噛みつかないかなあ」
言いながら、私はガルダに指を伸ばしていた。多分、大丈夫だよね。だってこの子、優しい目をしているもん。
(輪環の巫者よ、汝に頼みがある)
「へ?」
突如聞こえた声に、伸ばしかけていた指を止めた。
(ここで会ったは、何かの縁であろう。『水輪の彼方の国』への道を開いてくれぬか?)
こんな雑踏の中にいるのに、その声はやたら明瞭に聞こえてくる。
「え? え? えー!?」
私は仰天して辺りを見回した。
(どこを見ておるのだ? 儂はすぐ傍におるじゃろうが。汝は、輪環の巫者ではないのか?)
すぐ傍って…ま、まさか。
「い、一応、輪環の巫者だけど! な、何で知ってるの…かな?」
と、私は半信半疑で肩に止まっているガルダに話しかけてみる。
(隠しきれると思うたか? 汝の周囲だけ、輪気が輪環を描いておるぞ)
ぎゃー! 本物だあっ! 言ってる意味分かんないけどっっ!
「おい、お前、誰と話してるんだ?」
「う、うわわ、ルディ、鳥が喋ってるよ~!」
思わず、ルディの服を掴む。すると、ルディはぎょっとしたように私を見返した。
「お、落ち着け! 人の言葉を真似る鳥くらい、いるだろうが」
「違うの! ガルダから話しかけてきたの!」
私の剣幕に押されたのか、逃げ腰になるルディを追いかけるようにして訴える。
「わ、分かったから、それ以上近づくな!」
そう喚くルディの顔は真っ赤で、表情も険しい。
そ、そんなに私が近づくのが嫌なのか!?
「何よ! 自分だって、さっき至近距離まで迫って来たくせに!」
「あ、あれは、自分から行くのと、来られるのでは違うだろうが!」
「どう違うのよ?」
「聞くな! ていうか、自分で分かれ!」
「はあ!?」
「そんなことより、ガルダを返せよ!」
ルディは素早くガルダを指に乗せ、首の後ろ、ターバンで覆われている箇所に押し込んだ。取り付く島も無い。息苦しいのに、とガルダのぼやきが聞こえる。
あ、さっきはここから飛び出してきたのか。
「ちょっと、こっちに来い」
ルディは何かを警戒するように辺りを見回すと、私の腕を掴んで、引きずるように人気のない路地裏に入って来た。
掴まれている腕が痛いくらいだった。深層の王子様のくせに、意外なほど力が強い。
「は、放してよ! 自分で歩く!」
ずんずん歩くルディの背中に訴えると、ルディはあっさりと私の腕を解放した。
「もう一度聞くが、お前にはガルダの声が聞こえるんだな?」
私は黙って頷いた。強引さに一言文句を言ってやろうと構えてたけど、そうするにはルディの目があまりにも真剣だったから。
「俺には聞こえなかった。お前、本当に『聞こえた』のか?」
「へ?」
そう言えば、さっき聞いたばかりなのに、ガルダの声質が思い出せない。
そう、まるで、頭の中に直接響いてくるような…。
(儂が説明しよう、輪環の巫者よ)
いつの間にターバンの中から出てきたのか、ガルダがルディの肩に乗っていた。
(我らは、輪気で意思の疎通を図っておる。であるから、輪環の巫者である汝にだけは、儂の『声』が聞こえるのじゃ。分かったか?)
いいえ、分かりません!
「おい、またガルダが話しかけてるのか?」
「ルディ~!」
私は、ルディに泣き付いた。この人、口は悪いけど、頭は良いもんね。
ともあれ、ガルダの言葉を伝える。それだけで、ルディは全てを理解したようだった。
「じゃあさ、分かるように教えて」
にこにこしながら私が言うと、ルディは心底呆れたような顔をしてたけど、結局は嫌味も文句も言わずに、説明を始めた。ルディって意外と面倒見が良いんだよね。
「まず、お前は、ク・シュナの民で、かつ輪環の巫者の血統だよな」
「うん」
両親は私が赤ん坊の時に死んだ。そして、父が私と同じ輪環の巫者だったという。
「で、輪環の巫者とは、輪気に干渉し、その聖知を詠む者のこと。だよな?」
私は頷いた。そのくらいなら知っている。
「じゃあ、後は簡単だ。このガルダも似たような力があるから、お前にだけは意思を伝えられるってことだろ」
「え? どういうこと??」
ひく、とルディは頬を引き攣らせた。
「ほんとに鈍いな! お前らは、輪気を通じて、話が出来るって事だろうが!」
「うん、それは分かった。けどさ、だったら、このガルダって何なの? 今更だけど、ただの鳥じゃないよね」
その瞬間、ルディは膝から崩れ落ちた。足元が急に下がって驚いたガルダが、慌てて私の肩へ飛び移ってくる。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「今更、の位置が違う」
「へっ?」
ルディは顔を上げた。目が据わっている。
どうしたんだろう? なんか回れ右して逃げ出したくなるくらい、怖い。
「王宮に仕える者が、『神鳥ガルダ』を知らないなど、あり得ない……」
いや、ここに実例が。
なんて、口に出せるはずもなく、淡々と続くルディの低い声に、私は神妙な顔を作って耳を傾けた。
「輪気より生まれいでし神聖なる鳥、ガルダは王の象徴でもある。ゆえに、王以外が捕獲することは禁じられており、それを破る者には厳罰が下される」
「あ…そうなん…ですか」
「ったく、アビ法典の最初の項目だぞ」
「あはは。ああいう小さい字がみっちり書かれた本って苦手なんだよね」
「…知らなくて後で困るのは自分だからな」
ぼやきながら、ルディは立ち上がった。
「で、ガルダはお前に何と言ってきたんだ?」
「ええと…確か、『水輪の彼方の国への道を開いて欲しい』って。ルディ、知ってる?」
「聞いたことも無いな」
ルディは空を見上げた。私もそれに倣う。
遥か上空に架かる大きな水輪。水輪は、二つの日輪の強すぎる熱線から、下界を守っているという。
「額面通りならば、水輪の向こう側に、国なり世界なりが存在するということだろうな。ちょっとガルダに聞いてみてくれないか」
私は頷く。しかし、
(その通りだと伝えよ)
「あ、あれ? まだ何も言ってないのに」
(馬鹿にするでない。人の言葉くらい分からぬガルダと思うてか!)
ガルダは円らな瞳を吊り上げた。
「あ、いや。じゃあさ、輪気を介さなくても、こっちの言う事は分かるんだ」
「そうか。だから、国外に売り飛ばされる直前に逃げだしたんだな」
と、横でルディが感心したように呟いた。
って。ちょっと待て。
「売り飛ばされるって、それ、どういうこと!?」
ガルダを捕まえることは法で禁じられていると、さっき教わったばかりだ。
私が詰め寄ると、ルディはあっさりと答えた。
「ああ。そのガルダは『密売品』だからな」