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 すっと立ち上がり、シレルに目線を送る。

 心得た様子で、シレルが外套を持って背後に立つ。

「私はこれで失礼致します。ご神託は以上ですから」

 これ以上ここにいても、どんどん自分が辛くなってくるだけだから。

 私が泣ける場所はレツのところしかない。


 たとえ遭難しても良いから、奥殿に行こう。

 腰まで雪に入ろうが構わない。

 雪道で転んだって、こんなに情けない、消えてしまいたいような気持ちにはならないもの。

 それに雪なんて村にいた頃に慣れてるから大丈夫だもん。


 ガウンを脱ぎシレルに渡すと、代わりに外套を肩からかけてくれる。


 神官長様もウィズも二人とも驚いた顔で見返してくる。

「巫女様。ご不快な思いをさせ……」

 ウィズが腰を上げ、取り繕うように口を開くけれど、それを片手で遮る。

 なぜか自分の意思とは別の力が働いて、手を動かされたような、そんな感じがする。


 レツの声を聴くときのような、奥殿と自分の間の距離感が無くなり、目の前にレツがいるような感じ。

 ううん、それよりももっと強い、レツに包まれているような感覚が一気に体を包む。



 ――謝罪など結構。ボクとボクの巫女を愚弄した者に、これ以上話す言葉など無い。

「謝罪など結構。ボクとボクの巫女を愚弄した者に、これ以上話す言葉など無い」


 レツの言葉が頭に入ってくるのと同時に口が動く。

 体中から炎が立ち上がってくるように熱い。

 それなのに体も意識も宙に浮いたような気がしてくる。

 自分の体の重さが無くなり、空気に混じってしまいそうになる。


 ――立ち去るがよい。その顔、当分見たくもない。立ち去れ。

「立ち去るがよい。その顔、当分見たくもない。立ち去れ」


 絶句しているウィズを見下ろすように目線を動かし、冷たい氷のような口調で突き放す。

 それからゆっくりとその目線を神官長様に巡らせ、ふっと口元を歪めるように微笑む。


 ――君が望んで選んだ道だ。その責を他者に負わせるような言動は慎むといい。

「君が望んで選んだ道だ。その責を他者に負わせるような言動は慎むといい」



「すいりゅうさま?」


 神官長様がきょとんとした顔で問いかけ、それから目に強い光が点る。

「水竜様、水竜様なのね。ああ、そのお声をもう一度聴くことが出来るなんて」

 喜びに頬を染め、少女のようにあどけない笑みを浮かべ、神官長様が立ち上がる。

 その様子を微動だにせず見下ろしたままで、視線や表情は一向に動く気配が無い。

「わたくし、何度も何度もお祈り致しましたの。もう一度お声が聴きたいって。それが叶う日が来るなんて、なんて幸せなんでしょう」

 はしゃぐ姿を、瞳はただ映すだけだ。

「もっと沢山お話がしたいわ。巫女であった時のように。水竜様、ね、沢山お話し致しましょう。あの頃のように」


 レツはもう何も言おうとはしない。


 私の中にレツがいる。レツの中に私がいる。

 今、私とレツは同一のモノになっている。

 私の目が見るものをレツが見ているのか、それともレツが見ているものを私が見ているのか、それさえわからないような一体感がある。


 ふいに、レツが一粒涙を流したような気がした。

 レツの心が流れこんでくる。

 どこか悲嘆にくれるような、絶望するような。哀れむような。

 それでも表情は一つも変わらない。


 一瞥しただけで、ふいっと背を向け、シレルに目を移す。

 立ちすくんでいたシレルは、はっとした表情で床に額づく。一歩離れて控えていた神官長様付きの神官もまた、同じように額づく。

 神官たちの様子を見、ふっと口元に笑みを浮かべる。

 それから、また神官長様とウィズに目線を戻すけれど、冷ややかな視線を向けたままで、それ以上は何も言おうとはしない。

 その圧倒的な支配感が、もう誰にも口を開く事は許さないと告げているよう。



 けれど、神官長様だけは違った。

「水竜様、こちらにおかけになって下さいな。わたくし沢山お話ししたいことがあるの」

 甘えた声で神官長様が手を伸ばし、腕に触れそうになったところで、ウィズが神官長様の手を掴む。

「おやめなさい」

 恐らくウィズが止めなかったら、この腕が、神官長様の手を払っていただろう。

 指の先がピクリと動くのを感じたから。

 きっとレツは触られたくなかっただろうし、私も触れられるのが嫌だと思った。

 それは私が先に思ったのか、レツが先に思ったのかは判らない。


「あら。何がいけないと言うの? わたくしは巫女だったのよ。水竜様とお話しする権利があるわ」

 頬を膨らまし、子供のようにウィズに抗議する。

 その姿を愛らしいと思う心がどこかにあり、それと同時に疎ましいと思う心がある。

「離して。わたくしは水竜様とお話しするのよ!」

 身を捩り、ウィズの手から逃れようとするものの、華奢な体ではその腕から逃れる事は出来ない。

「もう! 嫌! 触らないで!」


 ブンと力いっぱい動かした腕が空を切る。

 その指が微かに私の頬に触れる。

 頬は爪で傷つき、ぴりっとした痛みが走る。

 けれど、レツの心は動かない。

 ただ目の前の光景を眺めているだけで、何の感情も感動もない。

 神官長様の興奮した様子とは対照的に、レツの心は氷のように冷たく、いかなるものにも動かされない。


「わたくしは水竜様とお話しがしたいのよ。誰も邪魔しないで!」


 叫び声が耳に飛び込んでくる。

 熱望するその声は、部屋の空気を振動させる。

 子供がオモチャを取られた時のように、遊びを邪魔された時のように泣き叫んでいる。

 それでもレツの心は微動だにしない。


「神官長様、どうぞおやめ下さい。あなたの目の前にいるのは水竜ではありません」

 ウィズが表情を曇らせ、神官長様の目を見据えてゆっくりと静かな声で話す。

 神官長様はその腕を相変わらず振り回すようにしているけれど、ウィズはその事は気にも留めていない様子で、さらに続ける。

「あなたの目の前にいるのは、あなたがご神託を聴き次代の巫女にと選ばれ、今は巫女であらせられる方です」


 神官長様がぴたり、と腕の動きを止める。

 瞳の中からは、さっきまでの激情が去ったかのように見えるけれど、まだ落ち着いた様子ではなく、何かのきっかけで爆発しそうな危うさが混在している。


「巫女様はただ我々に水竜のお言葉を伝えて下さっているのです。水竜そのモノではありません」


 ウィズがゆっくりと諭すように語りかける

 神官長様の瞳からは色が消え、虚ろに空を見つめてしまう。

 その空虚な瞳からは涙が零れ落ちてくる。

 こんなにも感情を表に出す人だなんて、知らなかった。

 けれど、レツは何一つ動じる事は無い。


「そうですよね、巫女様」


 念押しするかのように、確認するかのように、強い瞳で見つめてくる。

 その強い視線から目を逸らしたくなるけれど、レツは決して目を逸らそうとはしない。

 寧ろその瞳で全てを射抜こうとしているかのように、正面から見据えて睨みつける。



 ――聡い奴め。



 そうレツが呟く。

 苦々しそうな表情を浮かべ、それから口元に笑みを浮かべ、すっとその気配を消す。


 体を包んでいた熱のようなものは消え、体が突然重たくなる。

 奥殿にいるレツとの距離もまた、遠く離れて雪の向こうに消えてしまう。



「私に出来るのは、ただ水竜のお言葉を伝えるだけです」

 それでよかったのだろうか。

 神官長様の顔には、明らかに絶望の色が広がり、それとは対照的にウィズの顔には安堵が広がった。

 緊張感でいっぱいだった、部屋を支配する空気も落ち着きを取り戻した。

 その瞬間、全身の力が抜け視界がぐるぐると回り、全ては暗闇の中に落ちていってしまった。

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