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 深い雪が神殿を覆いつくしている。


 山間の、渓谷に囲まれた大河の水源に立つ水竜の神殿は、人の背丈ほどの雪に覆われている。

 降り続く雪は止む気配を見せず、視界は白く遮られたままで、奥殿に行くことすら出来ない数日が続いている。

 一応奥殿へと続く回廊までは行くものの、神官総出で止められた。

 何でも過去に、雪の日に奥殿に行って遭難しかけた巫女がいたとか……。

 その真偽はわからないけれど、レツも無理はしなくていいというので、ここ数日は自室に篭っていることが多い。

 書庫に行けば、珍しい本が山のようにあって、部屋に一人でいても全然苦にならない。

 たまに火鉢を持ってきてくれるシレルと話すくらいで、特にこれといったこともしていない。

 神官たちも、神殿を維持する最低限の作業以外はせず、この雪が去るのをじっと待っているようで、神殿の中は静けさが支配していた……ほんの数時間前まで。

 恐らく、神官たちにとっても迷惑なことに、この雪の中来訪者が来るというのだ。


 こんな大雪で視界も悪いのに、祭宮ご一行様がいらっしゃるという。

 理由は、ご神託を聞くためにではなく、新年の挨拶らしい。


 シレルから「祭宮様が、新年のご挨拶にいらっしゃいます」と告げられたとき、正直ぴんとこなかった。

 水竜の神殿では、水竜の大祭の日を一年の始まりとして考えているため(通常竜暦と呼ばれている)新年=水竜の大祭という頭がある。

 この場合の新年が、この王国で使われている通常の暦(王暦と呼ばれている)だと気付くのには、しばらく時間が必要だった。

 何もこの雪の中来なくたって思うけれど、理由を何かとつけては神殿にくるウィズのこと、豪雪でもあまり関係ないのかもしれない。


 そこまでして会いたい人がいるんじゃない?と冗談めかしに笑ったのはレツ。


 水竜の大祭以降、これといったご神託も無かったので、祭宮のウィズが神殿に呼ばれることも殆ど無かった。

 それに王家側から、ご神託を……というような申し入れも無かった。

 そうなると必然とウィズはここにくる必要が無い。

 レツが冗談めかしに言った、そこまでして会いたい人と、ウィズは今ゆっくり話しこんでいる頃だろう。



 最近着ていなかった巫女の正装は、ものすごく寒い。

 薄布がひらひらと動くような見た目重視の服なので、冬の寒さに耐えられるようには作られていないのは着る前からわかっていたけれど、芯から冷え込むような冷気が身を包む。

 着ていても着ていなくても大差ないような寒さに、鳥肌が立つ。

 何もこんな日に来なくてもいいのに、とウィズを呪いたくなる。

 とりあえず誰かが呼びにくるまで、火鉢の傍で体を温めておこう。

 丁度、読みかけの本の続きも気になったし。


 村にいた頃は最低限の読み書きは教わっていたけれど、ゆっくり本を読む時間なんて到底無かったし、それにこんなに沢山の本があるような場所は、村のどこにも無かった。

 本に囲まれる生活をしてみて初めて、自分が本を読むという事が好きだったんだなという事に気が付く。

 もっとも、巫女見習いで沢山の本を読まされた時には、ちょっと嫌な気持ちにもなったけれど。

 今読んでいるのは「始まりの巫女」について書かれている古びた冊子。

 それが神殿で作られたものなのか、それとも他で作られたものなのかはわからない。

 ただ、淡々と事実を述べているというのとは赴きが違って、まるで日記のように、やけに人間臭い書き方がされている。

 吟遊詩人が語る「水竜と巫女の話」と微妙に違う部分があったりして、かなり面白い。



 本の内容が架橋に差し掛かった頃、ようやく扉を叩く音がする。

「巫女様、祭宮様が巫女様にご挨拶をとのことです」

「わかりました」

 シレルの淡々とした声に返事をし、読んでいた本を机に置き、奥殿のほうを見る。

 やはり雪が降り続けていて、奥殿の姿を見ることは出来ない。

 白いベールが全てを隠してしまっている。



 レツ、行ってくるね。

 ――うん。いってらっしゃい。


 何日も顔を見ていない、レツの微笑んだ顔が頭に浮かんだ。




 神官長様の執務室の前に立つと、何となく中の二人の邪魔をしてしまうんじゃないかって気がして、一瞬躊躇ってしまう。

 二人が話している姿を見ると、やっぱり育ちの違いを感じるし、二人の間に流れる穏やかな柔らかい空気が、私が間に入ることを拒んでいるように感じるから。

 けれど今日ばかりは、寒さで躊躇っていられるような状況じゃない。

 扉を軽くノックして開くと、ぴたりと神官長様とウィズの笑い声が止まる。

 そんなあからさまに止めなくたっていいのに。

 本当に私が邪魔者みたいに思えてくる。


 巫女になって約一年半。

 神官長様が王族なのだという事と(神官長は王族しかなれないから)、同じく王族であるウィズとは旧知の仲であったという事という、自分が持っている知識や以前ウィズから聞いた事だけでは片付けられない事が、恐らく二人の間にあるのだろうという事が徐々にわかってきた。

 それは誰も口にはしないけれど、きっと誰もが感じている。

 先の神官長様なら、全ての事実をご存知なんだろうけれど、残念ながら王都にお帰りになってしまわれてからは交流が無い。

 レツなら知っているかもしれない、ううん、絶対知っているだろうけれど「さあね」とかわされるに決まってる。

 それに、さっきまで読んでいた本の中にも書いてあった。

 全てを知ることが、決して幸せな事ではないって。


 神官長様とウィズの間に流れる空気。

 それはどことなく甘ったるいような、でもどこか冷めたような不思議な空気。

 もしかしたら私が間に入らないときは、甘ったるい空気が支配していて、さっき突然笑い声が止まったみたいに、私や神官たちがいるところでは「そういう」空気を出さない為に、距離をとるかのような話し方になって、どことなく冷めたような感じになるのかもしれない。

 美辞麗句で並び固めたような二人の会話の違和感。

 それでいて他の誰もが入れないような親密感。

 ウィズに会わない間忘れていた、言葉にできない靄が心の中に広がっていく。



 扉を開けると、にっこりとウィズが笑う。

 文句のつけようのない、きれいな笑顔だと思う。

 そして、なんて偽者くさい笑顔なんだろうと思う。

 祭宮じゃないウィズは絶対そんな笑い方をしない。

 けれど、一体どっちが本物のカイ・ウィズラールという人なのだろう。

 でも「ウィズ」を知っていると、「祭宮」の笑顔が偽善的な笑顔にしか見えてこない。


 その笑顔に会釈で応え、着ている外套を脱ぎ、シレルに渡す。

 外套を脱ぐと、肌にヒヤッとした冷たい空気が触れ、手足が粟立つ。


「巫女様、こちらをどうぞ」

 斜め後ろからシレルの声がし、暖められたガウンが肩にかけられた。

「ありがとう」

 シレルと、そのガウンを持ってきてくれた神官長様付きの神官に言い、部屋の方へ目を向ける。



 二人は先ほどまでの話をぴたりと止め、ウィズが立ち上がり一礼をする。

「巫女様、お寒い中申し訳ございません」

「いいえ。祭宮様も雪の中大変でしたでしょう」

 寒さで歯の根があわず、声が少し震えてしまう。

 神官長様は大丈夫なのかな、ずっと寝込んでいたのに。

 こっそり顔色を窺うと、元々陶器のように白い肌が一層白く見える。

 やっぱり無理をなさっているんだわ。なんでそういうのに気が付かないんだろ、ウィズってば。

 そう思いながら横目でウィズを見たけれど、全然気にも留めてない様子で微笑むだけだった。


「どうぞ、おかけになって下さい」

「ありがとうございます。巫女様もどうぞ」

 慣用句になりつつある会話をして、ソファに腰掛ける。


「ご無沙汰しておりましたが、巫女様はお変わりございませんか」

「ええ。祭宮様はお変わりございませんか」

「はい。お気にかけていただいて嬉しく思います。このような天候ですから、神殿の方々も皆さん体調を崩されたりしていらっしゃいませんか」


 どう答えたら良いんだろう。

 素直に神官長様の具合が悪いですなんて言ったら、バカ以外の何者でもないだろうし。

 戸惑っていると、神官長様が口を開く。

「お気遣いいただきありがとうございます。中にはやはり体調を崩す者もおりますけれど、皆ここの生活に慣れておりますから、大丈夫ですわ」

 ご自分の体の事はやはりウィズには言っていないようで、神官長様が何事もないようにおっしゃる。


 この方はきっと、自分のことを隠すのがとても上手なのかもしれない。

 いまだに何を考えていらっしゃるのか、掴めない事のほうが多い。

 それは何となく、疎まれているような気がしているからかもしれないけれど。


「ところで殿下、今日はどんな御用でいらっしゃいましたの。新年の挨拶が目的ではないのでしょう」

 顔色一つ変えず神官長様が切り出すと、ウィズは苦笑いをする。

「どうしてそう思われるのですか」

「ここはこの季節、容易く人が立ち寄れるような場所ではありませんわ。この深い雪を掻き分けてこられたのは他に理由があるのでしょう?」

 ふふふっと神官長様が笑う。

「ええ、あなたには敵いませんね」

 ウィズもまた、口元を緩ませて笑みを浮かべる。


 こういう時はいつも、二人の間には絶対入れない空気になる。

 毛並みのいい猫が二匹じゃれているような。


「殿下はお寒いのが苦手でしたでしょう。それなのに雪の日に来られるなんて、おかしいですもの」

 にこっと、同性から見ても可愛らしいと思うような微笑みをウィズに投げかける。

 私はなんだって知っているんだからっていうような、何となく茶目っ気のある微笑み。

 それは普段の神官長様は絶対になさらない表情。

 ウィズにだけ向けられる微笑み。

「よく覚えていらっしゃいましたね!そんな事を覚えていただけたなんて光栄です」

 大げさだなあと突っ込みたくなるような感嘆の声を上げる。

 でもどこか表面だけの、なんだか本気でそうは思っていないような感じを受けるのは勘ぐりすぎなのかな。

 祭宮じゃないウィズを知っているだけに、どうにも芝居がかって見える。

 だから余計に、何をしたらいいのか、何を話したらいいのかわからなくて二人の会話に入っていけなくなる。


「王都に大雪が降った年がありましたでしょう。あの時、殿下はお部屋から出るのが嫌だとお付きの者たちを困らせたと聞いておりますわ」

「お恥ずかしい限りです」

「それに王宮の新年の宴を投げ出してくるほど、ここは魅力的な所ではありませんもの」

「いえいえ、何をおっしゃいます。こちらにはあなたも巫女様もいらっしゃいますから。それで十分に魅力的ですよ」

 別に、わざわざ付け足してくれなくてもいいのに。

「まあ。宴となれば様々なご令嬢に囲まれていらっしゃった、カイ・ウィズラール殿下がよくまあおっしゃいますこと」

「私が好んでそのようにしていたとお思いだったとは」

 絶句するかのような、落胆したかのような表情でウィズがうなだれて見せる。

 ここまで来ると、吟遊詩人の芝居の方が何倍も面白みがあるんだけれど。なんか本当に嘘っぽい感じ。

「ご令嬢たちよりも、その後ろでニコニコと笑っている貴族たちが恐ろしくて、とてもとてもご令嬢のお相手をする気にはなりませんよ」

「それはそうでしょうね。王家に連なる者になりたいと思うのは、どなたも同じでしょうからね。でもわたくしには、あなたが喜んでお相手していたように見受けられましたわ」

「何て事をおっしゃいます。本気でそう思われていたのなら、今後言動を悔い改めなくてはなりませんね」

 そこまで言うと何が楽しいんだかわからないけれど、二人はコロコロと笑い、そしてお互いに優雅な動作で口元を押さえる。

 わからない。私には全然、何が楽しいんだかがわからない。

 のけ者にされたような気がするっていうのは、私が僻みっぽいのかな。

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