卒業式のあと
悠子は胸元に触れた。
黒のスーツにパールのブローチ。
息子の卒業式。
ひと区切りだ、と悠子は思う。
もう高校生だ。
式が終わり、保護者たちは玄関前の前庭へと流れ出ていた。三月の空は白く、風はまだ冷たい。ヒールの音が石畳に細く響く。
遅いわね。誰かがつぶやく。
「まだ出てこないわね」
「写真でも撮ってるのかしら」
ざわ、とした声が広がる。
悠子も校舎を見上げた。
ようやく出てくるのか。一階の廊下を、制服の列が歩いている。黒の学ランとセーラー服が、窓越しに影のように揺れる。
玄関へ向かっているのかと思った。
だが、列は曲がり、消え、そして階段へと向かった。
やがて二階の窓に、その影が現れる。
ぞろぞろと、同じ歩幅で。
ぐるぐると、校舎の内側を巻き上げるように、卒業生達の流れは上へ、上へと昇っていく。
「・・・何してるの?」
隣の保護者が戸惑いを滲ませる。
悠子も息子の姿を探すが、背格好が似ている子ばかりで、はっきりとはわからない。中学三年生の背中は、もう子供とは言い切れない大きさをしている。
隣で話していた女性が、ああ、と小さく笑った。
「そういえば、うちの上の子の時もあったわ」
その声音には、既視感と少しの誇らしさが混じる。
「最後にね、校舎を回るの。教室も、理科室も、音楽室も。三年間使った場所を、みんなで歩くのよ」
悠子は思わず、もう一度校舎を見上げた。
三階の窓に、また列が現れる。
窓辺に立ち止まる子がいる。隣と何かを言い合い、笑う子がいる。
式の時よりも、どこか素の顔だ。卒業生という言葉が、やっと体に馴染み始めたような顔。
悠子は胸元のブローチを押さえた。
あの子は今、何を思っているのだろう。
初めて部活に入った日のことか。帰りが遅くて叱った夜のことか。何も言わずに閉じた部屋のドアの向こう側か。
四階の窓に、列が現れる。
上へ、上へ。ぐるぐると、校舎の内側を巻き上げるように、卒業生たちの流れは上へ、上へと昇っていく。
そのとき、前庭に設置されたスピーカーが、小さく軋んだ。
キン、と一瞬のハウリング。
続いて、マイクを持った校長先生の声が響く。
「・・・えー、皆様、本日は、ご列席、誠にありがとうございました」
前庭にいた保護者達がお喋りをやめ、一斉に顔を上げる。
校長先生の声が僅かに詰まる。まだ式の緊張が抜けきらないのか。
悠子は校舎を見上げたまま、耳だけを声に向ける。
「お集まりの保護者の皆様に、お願いがございます。恐れ入りますが、通路の中央を・・・ええ、空けていただき、花道をお作りください」
「花道?」
「どういう事?」
ざわ、と空気が揺れる。
それでも大人達は、互いに目配せしながら少しずつ移動し始める。ヒールの音、革靴の擦れる音、コートの裾が風に揺れる音。
中央に、細い一本の道ができていく。
その間も、校舎の窓には生徒達の姿がある。
三階の廊下を、四階へ向かう列。
誰かが窓に手をつき、外を見下ろしている。誰かが隣と肩をぶつけて笑っている。
マイクに、校長のはっきりと息を吸い込む音が入る。
「これは・・・その・・・」
一拍、間があく。
「これは、この梅鉢中学校の、伝統・・・らしいのですが」
らしいの部分が、はっきり弱い。
前庭のあちこちから、小さな笑いが漏れた。
校長は明らかに動揺して、咳払いをひとつして、言い直す。
「実は・・・私、これまで市内の中学校数校に着任してまいりましたが」
声がやや上ずる。
「本校には今年度初めて参りました。正直申し上げて・・・本日、初めて知りました」
「えっ?」
保護者達の声が重なる。
校長は小さく、困ったように笑った気配を見せる。
「はい・・・えぇ・・・その、事前に伺っておらず・・・」
誰かが「ええー」と素直に声を上げる。
校長は言葉を探すように間を取り、更に付け足す。
「市内の他の中学校には・・・少なくとも、私の知る限りでは・・・ございません」
そのざわめきの中で、先ほど「上の子」の話をしていた女性が小さく呟いた。
「三年間お世話になった校舎に、お礼を言うのよ」
校長は一瞬、校舎を振り返った。
まるで自分の知らない何かが、今まさに内部で進行しているのを、外から眺めているような顔で。
「・・・えー、しかしながら、生徒達の自主的な取り組みであると聞いております」
聞いております、先ほどよりさらに弱い。最後は、やや早口になった。
その言葉にかぶさるように、ちょうどその時、正面玄関の扉がゆっくりと開く。
軋む音。
春の光の中へ、最初の一団が現れる。
「一組、整列っ!」
凛とした声が響く。
約三十名の生徒達。
黒い学ラン、紺のセーラー服。胸元にはまだ式のコサージュが揺れている。彼らは花道の入口で、きびきびと横一列に並んだ。
さきほどまで廊下を歩いていた姿とは違う。どこか、顔つきが引き締まっている。
誰かが用意した演出ではない。誰の指示でもない。ただ伝統だと、何故かこの中学にだけある、何時からあるのかもわからない行動。今この場の中心は、明らかに彼らだった。
一人の男子生徒が一歩前に出る。風に前髪を揺らしながら、声を張り上げた。
「三年間・・・ありがとうございました!」
その声は、まだ少し少年の高さを残している。
「礼っ!」
号令がかかる。
三十人の背が、同時に折れた。
「ありがとうございましたっ!!」
声が、校舎の壁に反射し、空へと抜ける。
保護者の何人かが、思わず息を呑む音がした。
廊下の列はまだ続いている。
その光景が、ふっと遠ざかった。
●●
卒業式が終わったあと。
悠子は自分の教室に戻っていた。机の中をもう一度確かめる。教科書は持ち帰った。ロッカーの奥に体操服袋はない。椅子を引く音が、がらんとした教室に響く。
黒板には「祝・卒業」の文字。色チョークの粉がまだ床に落ちている。窓の外は白く光っている。
「忘れ物、ないよね・・・」
そう呟いてから、教室を出た。
廊下は思ったより静かだった。
窓の下の前庭からは歓声が聞こえる。
「先輩、また来てくださいね!」
「これ、みんなからです!」
手すり越しに覗くと、部活の後輩に囲まれ、花束を受け取っている三年生達の姿。制服の襟元に光が当たっている。
「第二ボタンください!」
別の場所では女子に囲まれている男子。
「先輩、リボンください!」
笑い声と泣き声が混ざる。
悠子はふんっと鼻を鳴らした。
「・・・別に」
羨ましくなんてない。
その時、廊下の壁にもたれていた友人が片手を上げた。
「お~っ」
「なんで、こんなとこに居るん?」
「荷物再確認。そっちは?」
友人は顎で下を示す。
「見てた。第二ボタンください、だって」
「あ~・・・もらいに行く?」
「まさかっ。リボンも取られとる奴もおるよ。モテるやつは大変やな~」
「ふーん」
視線は下へ向けない。
友人がにやっと笑う。
「あ~、一緒に行くわ~」
「どこに?」
「なんとなく」
二人、並んで歩き出す。
窓から差し込む光が長く廊下に伸びている。ワックスの匂いと、まだ少し残る体育館の湿った空気。
「そういえば、昨日CONBINATION見返したわ」
「え、マジ?」
「圭司さん、やっぱカッコよすぎ」
「うちはさ、あの二人の話が見たい」
「それって・・・」
友人が顔を近づけ、小声で区切る。
「ヤ・オ・イ」
「いや~っ!」
思わず声が裏返る。
「やおいって言葉知ってる時点で、あんたも、ど・う・る・い」
「違います~! そんな仲間は嫌で~す!」
また笑いが弾ける。
「SLAM DUNKも見たっけ?」
「見たよ~。花道のシュート練習」
「あの地味なやつ?」
「そうそう。ひたすら基礎」
「うちは花道、リョータかな。いやいや花道、流川かな。」
「そっちの話は聞きたくありませ~ん」
向こうから男子数人が歩いてくる。
教室の隅で、アニメや漫画の話をしていた集団。
なんとなく、視線が合う。
「今、花道の話してたぁ?」
「してないし」
「してたやろ。嘘つくなや」
「聞こえてたん?」
「地味な練習似合ってなくね?って言ってたやろ」
「あれはさ~、努力型でしょ」
「いや流川やろ」
「いや花道やろ!」
自然と歩幅が揃う。
いつの間にか、男女入り混じって廊下を進んでいる。
笑い声が天井に跳ね返る。
そのまま歩いているうちに、自分達の教室の前まで来る。
さっき出てきたばかりの扉。
黒板の「祝・卒業」が、廊下からも見える。
悠子は一瞬だけ足を止める。
・・・忘れ物、ないよね。
もう一度確認したはずなのに、なぜか胸がざわつく。
けれど誰かが振り返って言う。
「せっかくここまで来たんやし、一番上まで上がっていこうぜ」
「なんで?」
「なんとなく」
「屋上開いてないやろ」
「階段までな」
誰も反対しない。
悠子は、教室の扉から視線を外す。
本当は、ここに用があったはずなのに。
でも今は、違う。
階段へ向かう。
上へ、上へ。
笑いながら。
四階。
音楽室の前に、古びた楽器見本の棚がある。
トランペットやクラリネットが、埃をかぶらないようにガラス越しに並んでいる。
そのガラス戸だけが、やけに新しい。夏休み明けに割れて、直していた。それが廊下の蛍光灯を反射して、白く光っている。
「これやったの、俺」
ぽつり、と声が落ちる。
一瞬、全員の足が止まる。
「はああぁ!?」「えええぇっ」
悠子も、思わず声を上げた。
「マジで?」
「え、うそやろ?」
本人は肩をすくめる。
「大きいガラスやから、高いって先生ら泡食ってたぞ。楽器の点検とか、めっちゃやってたし」
「なんで割れたん?」
「普通に筆箱当たったら、割れた」
てへっ、と笑う。もう声変わりの終わった、低い声で。
「可愛くねーよっ」「てへっ、じゃねぇし」
誰かが肩を小突く。
「つーか、あん時スゲー犯人探してたよな」
「あー、してたしてた」「オマエ、いたの?」
「いたやつ、全員職員室に呼ばれてたじゃん」
「勿論、呼ばれてないよ」
その言葉に、悠子も小さく頷いた。
「あー・・・」
呼ばれなかった。疑われるほど、目立ってなかった。それが少しだけ楽で。少しだけ淋しい。それ以上、誰も何も言わない。ここにいる子達は、誰もが少しだけ覚えがある。
教室の隅で、漫画やアニメの話が主。オタクと囁かれて。
名前を強く呼ばれた事はない。イジメられた事もない。完全に無視されていたわけでもない。
気づかれない。
いても、特別気にされない。
スポーツが飛び抜けてできるわけでもない。勉強が特別できるわけでもない。できないわけでもない。すごい美人でもないし、派手な不良でもない。
同級生達からも。
先生達からも。
でも、こうして同じ場所にいる。
「まっ、時効ってことで。内緒なっ」
犯人が軽く言う。
「自分でバラしたくせに」
小さな笑いが戻る。
「誰にも言うなよ?」
「もう卒業やし」「てか、今さら怒られてもな~」
小さな笑いが広がる。
気づけば十人ほどになっている。
誰も運動会で主役になったことはないし、合唱コンクールでソロを任されたこともない。
でも、今は何となく一緒にいる。共通点は、漫画とアニメの話が通じる事。
「昨日、きんぎょ注意報!見た?」
「見た見た! あの回ヤバかった」
「わぴこ、相変わらず意味不明」
「てか、お前まだ見てんの?」
「何が悪いのよ」
言い返して、皆が笑う。
「お子ちゃま~」
「うるせぇ」
誰かが笑いながら、手すりに体を預ける。
四階の窓から見える空は、やけに広い。
ここが校舎のいちばん上。
「屋上、行けたらよかったな」
「鍵かかってるし」
「知ってる? ここ、天体観測ドームあるんだぜ」
「知らんけど」
「屋上に、何か丸いの乗ってるじゃん。」
「おお、そういえばあるな」
「入った事あるやついんの?」
「俺のとーちゃん、天体部やったって」
「そんな部ねーぞ」
「鍵持ってる先生しか無理やろ」
「じゃあ一生入れんやん」
「別にいいし」
別の誰かも手すりに体を預ける。
空は近いのに、届かない。
「よし、降りるか」
「なんで?」
「なんとなく」
また、その言葉。
十人ほどが、ぞろぞろと階段を下り、足音が、揃って響く。
四階まで上がったのに、まっすぐ帰るわけでもなく。
階段を下りる。
三階まで下りたとき、先頭の誰かが足を止めた。
そのまま二階へは向かわない。
自然と方向が曲がる。
また、教室の前を通る。
さっき通ったばかりなのに。
「幽☆遊☆白書・・・」「戸愚呂なぁ」
「100%な」
「いや80%のほうが強そうやろ」
くだらない言い合いをしながら、みんな、さりげなく窓の下を気にしている。
誰も露骨に覗き込まない。でも、視線は落ちる。
前庭。
まだ、後輩に囲まれている同級生達。
花束を抱えた人。
写真を撮られている人。
肩を叩かれている人。
「まだ囲まれてるな」
「人気者やなー」「すげぇな」
「オマエ、部活入ってたじゃん」「写真部、後輩入って来んかったもん」
羨望とも違う、皮肉とも違う、ただの事実みたいな声。
廊下を歩く人数は、さっきより増えている。
十人くらいだったはずが、いつの間にか二十人ほど。
増えても、騒がしくはならない。
温度はそのまま。
誰かが、ぽつりと呟く。
「せめて、挨拶して帰ろうか」
一瞬、足が止まる。
「誰に・・・?」
間が空く。
窓の下では、
「先生、お世話になりました!」と声を揃えている一団。部活の顧問を囲んでいる。涙ぐんでいる子もいる。
「先生、とか・・・」
「お前、誰に世話になった?」
「・・・」
「別に怒られもしてないしな」
「褒められてもないけど」
小さな笑い。
気まずくはない。でも、はっきりした対象がない。
「じゃあ・・・校舎」
誰かが言う。
一瞬の沈黙の後。
「ぶっ」
誰かが噴き出す。
「いやいやいや・・・」
「校舎って何」
「建物に礼?」
「ヤバすぎるやろ」
「不審者やん」「とうとう、オマエラもおかしくなったかと思われるぞ」
笑いが広がる。
でも、完全な否定でもない。
悠子が、ふっと言う。
「いいんじゃない」
隣を歩いていた友人が、ええって顔をする。
「え、マジ?」
「だってさ」
悠子は廊下の壁に寄りかかる。
「三年間いたじゃん」
誰かが黙る。
「うちらのこと覚えてなくてもさ」
前庭から歓声が上がる。
風が吹く。
カーテンがふわりと揺れる。
「・・・校舎なら、覚えてるかもよ」
誰かが小さく笑う。
「何それ」
「ロマンチックか」
「いや電波やろ」「青春漫画かっ」
でも、誰も歩き出さない。
二十人ほどが、廊下に立ち止まる。
窓の外には、主役達。
校舎の内側には、自分達。
そのどちらにも属しているようで、どちらにも属していない。
「・・・どうする?」
誰かが言う。
悠子は、壁に寄りかかったまま。
男の子が、ぼそりと呟いた。
「じゃあ、俺、かけ声かけようかな・・・」
その声は強がり半分、本気半分。笑いに紛れさせるような音量だった。
「何て言うんだよ」
「知らんけど」
「勢い?」
正面玄関が見えてくる。
並んだ下駄箱。
擦れて白くなった床。ガラス越しに差し込む午後の光。
三年間、何百回も通った景色なのに、
今日だけ少し輪郭がはっきりしている。
「・・・出るまでに考える」
何言うつもりだこいつ、という空気と。でも仕方ない、ここまで来たから付き合ってやるか、という空気が混ざる。そのどちらも否定しないまま、人数だけが静かに増えていく。
いつの間にか二十人ほど。誰かが誰かを呼んだわけでもないのに、気づけば輪が膨らんでいる。
靴を履き替える。
上履きを脱ぐ音。
革靴のかかとを踏み鳴らす音。鞄を担ぎなおす音。
そのどれもが、いつもより響く。
玄関前に、ゆっくりと集まる。
「先生、お世話になりました!」明るい声が、空気を震わせる。
悠子はその光景を見て、胸の奥がちくりとした。
羨ましい、というより。
ああ、あれが正しい形なんだろうな、という感覚。自分達は、少し違うだけ。
ただ、それだけ。
二十人ほどが、自然と正面玄関を向く。誰が合図するでもなく、横一列になりかける。
風が吹く。
ガラス戸が微かに震える。
「せぇのっ」
誰かの声は、思ったより小さい。
「3年間ありがとうございましたっ」
一瞬、時間が止まる。
悠子の視界の端で、玄関前にいた子達が振り向くのが見えた。
え? という顔。
何? という目。
でも、止まれない。
「ありがとうございましたっ」
何人かが声を出す。
悠子も、声を出す。
思っていたより、ちゃんと出た。こんなふうに、腹の底から声を出すのは久しぶりだ。
「声が小さい! もう一度っ!」
途中で野球部をやめた子が、腹の底から張り上げる。
その声に、びくっとする。
「3年間っ!」
誰かが叫ぶ。本気で叫ぶ。
注目されている。視線が集まる。
でも、もうどうでもいい。
「ありがとうございましたっ!」
二、三人の声が重なる。
「ありがとうございましたっっ!!」
今度は、そこにいた二十人ほど、全員の声が揃う。
校舎の壁にぶつかり、天井に反響し、自分達の胸に戻ってくる。
校舎にぶつかって、跳ね返る。
花束はもらっていない。
第二ボタンもほしいと言われない。
先輩と呼んでくれる後輩もいない。
それでも、今この瞬間、確かに自分達はここにいた。
悠子の胸が熱くなる。
「礼っ!」
気づけば叫んでいた。
反射的に、全員がぴしっと揃う。
背筋が伸びる。
足が閉じる。
体が覚えている。
1。
2。
深く、頭を下げる。床のタイル模様が視界いっぱいに広がる。
3。
顔を上げる。
静まり返っていた。
さっきまでのざわめきが、嘘みたいに止まっている。
力が抜ける。
三年間で、こんな大声を出した事はなかったかもしれない。
悠子は周りを見た。
正直、今までちゃんと話したことのない子もいる。
顔だけは知っていた。それぞれ教室の隅で、アニメや漫画の話をしていた子達。その距離のまま、三年が終わった。
それぞれが、少し赤くなっている。
照れたように笑う。いつもと同じ小声で会話する。
「やべぇ」
「何やってんだ俺ら」
「ちょっと目立った?」
「多分」
悠子は、心の中で思う。
目立ったっていい。
一回くらい。
それ以上、何も言うことはなかった。
何もなかった。
でも、確かに、今はあった。
唖然とした同級生たちの間を、それぞれ、いつもの二、三人の仲間と固まって歩く。さっきの二十人ほどは、もう自然にほどけている。特別なグループにはならない。
また、元の距離に戻る。
校門を出る。
振り返らない。
ただ、それだけの話。
●●
「・・・ありがとうございましたー!」
ざわめき。
スマホのシャッター音。
拍手。
悠子は、ゆっくり瞬きをする。
目の前にあるのは、あの頃よりずっと小さく感じる校舎。
正面玄関の前。
花束を抱えた生徒達。
担任を囲む輪。
さっきまでの二十人はいない。
代わりに、今の子達がいる。
「ありがとうございましたっ!」
何回目かの声が、また響く。
今度は、はっきり現在のもの。
悠子の胸の奥で、さっきの記憶の声と重なる。
あの時、自分達も叫んだ。
誰に届いたかはわからない声を。
「母さん、帰るよ」
すぐそばで、低い声。
悠子は、はっと顔を向ける。
いつの間にか、息子が隣に立っている。制服の襟元が、少し乱れている。手には、小さな包み。
「ほら」
差し出される。
お祝いでもらった饅頭。
赤い熨斗紙が、春の光に透ける。
悠子はそれを受け取りながら、ふっと笑う。
「息子よ」
わざと、もったいぶった声で。
「お母様が、いい話をしてやろう……」
息子が、うわ、始まった、という顔をする。
その横顔が、少しだけ昔の誰かに重なる。
校舎は、変わらない。
でも、そこに立つ人は、変わっていく。
風が吹く。
どこかで、また誰かが叫ぶ。
「ありがとうございました!」
その声は、ちゃんと届いている。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
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