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卒業式のあと

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/03

 悠子(ゆうこ)は胸元に触れた。


 黒のスーツにパールのブローチ。

 息子の卒業式。

 

 ひと区切りだ、と悠子は思う。

 もう高校生だ。

 

 式が終わり、保護者たちは玄関前の前庭へと流れ出ていた。三月の空は白く、風はまだ冷たい。ヒールの音が石畳に細く響く。


 遅いわね。誰かがつぶやく。

 「まだ出てこないわね」

 「写真でも撮ってるのかしら」

 ざわ、とした声が広がる。


 悠子も校舎を見上げた。


 ようやく出てくるのか。一階の廊下を、制服の列が歩いている。黒の学ランとセーラー服が、窓越しに影のように揺れる。

 玄関へ向かっているのかと思った。

 だが、列は曲がり、消え、そして階段へと向かった。

 やがて二階の窓に、その影が現れる。

 ぞろぞろと、同じ歩幅で。

 ぐるぐると、校舎の内側を巻き上げるように、卒業生達の流れは上へ、上へと昇っていく。


 「・・・何してるの?」


 隣の保護者が戸惑いを滲ませる。


 悠子も息子の姿を探すが、背格好が似ている子ばかりで、はっきりとはわからない。中学三年生の背中は、もう子供とは言い切れない大きさをしている。


 隣で話していた女性が、ああ、と小さく笑った。


 「そういえば、うちの上の子の時もあったわ」


 その声音には、既視感と少しの誇らしさが混じる。


 「最後にね、校舎を回るの。教室も、理科室も、音楽室も。三年間使った場所を、みんなで歩くのよ」


 悠子は思わず、もう一度校舎を見上げた。

 三階の窓に、また列が現れる。

 窓辺に立ち止まる子がいる。隣と何かを言い合い、笑う子がいる。

 式の時よりも、どこか素の顔だ。卒業生という言葉が、やっと体に馴染み始めたような顔。


 悠子は胸元のブローチを押さえた。

 あの子は今、何を思っているのだろう。

 初めて部活に入った日のことか。帰りが遅くて叱った夜のことか。何も言わずに閉じた部屋のドアの向こう側か。


 四階の窓に、列が現れる。

 上へ、上へ。ぐるぐると、校舎の内側を巻き上げるように、卒業生たちの流れは上へ、上へと昇っていく。


 そのとき、前庭に設置されたスピーカーが、小さく軋んだ。

 キン、と一瞬のハウリング。

 続いて、マイクを持った校長先生の声が響く。


「・・・えー、皆様、本日は、ご列席、誠にありがとうございました」


 前庭にいた保護者達がお喋りをやめ、一斉に顔を上げる。

 校長先生の声が僅かに詰まる。まだ式の緊張が抜けきらないのか。

 悠子は校舎を見上げたまま、耳だけを声に向ける。


「お集まりの保護者の皆様に、お願いがございます。恐れ入りますが、通路の中央を・・・ええ、空けていただき、花道をお作りください」

 「花道?」

 「どういう事?」


 ざわ、と空気が揺れる。

 それでも大人達は、互いに目配せしながら少しずつ移動し始める。ヒールの音、革靴の擦れる音、コートの裾が風に揺れる音。


 中央に、細い一本の道ができていく。


 その間も、校舎の窓には生徒達の姿がある。

 三階の廊下を、四階へ向かう列。

 誰かが窓に手をつき、外を見下ろしている。誰かが隣と肩をぶつけて笑っている。


 マイクに、校長のはっきりと息を吸い込む音が入る。

 「これは・・・その・・・」


 一拍、間があく。


「これは、この梅鉢中学校の、伝統・・・らしいのですが」


 らしいの部分が、はっきり弱い。

 前庭のあちこちから、小さな笑いが漏れた。

 

 校長は明らかに動揺して、咳払いをひとつして、言い直す。


「実は・・・私、これまで市内の中学校数校に着任してまいりましたが」


 声がやや上ずる。


「本校には今年度初めて参りました。正直申し上げて・・・本日、初めて知りました」

「えっ?」


 保護者達の声が重なる。

 校長は小さく、困ったように笑った気配を見せる。


「はい・・・えぇ・・・その、事前に伺っておらず・・・」


 誰かが「ええー」と素直に声を上げる。

 校長は言葉を探すように間を取り、更に付け足す。


「市内の他の中学校には・・・少なくとも、私の知る限りでは・・・ございません」


 そのざわめきの中で、先ほど「上の子」の話をしていた女性が小さく呟いた。


「三年間お世話になった校舎に、お礼を言うのよ」


 校長は一瞬、校舎を振り返った。

 まるで自分の知らない何かが、今まさに内部で進行しているのを、外から眺めているような顔で。


「・・・えー、しかしながら、生徒達の自主的な取り組みであると聞いております」


 聞いております、先ほどよりさらに弱い。最後は、やや早口になった。


 その言葉にかぶさるように、ちょうどその時、正面玄関の扉がゆっくりと開く。

 軋む音。

 春の光の中へ、最初の一団が現れる。


「一組、整列っ!」


 凛とした声が響く。

 約三十名の生徒達。

 黒い学ラン、紺のセーラー服。胸元にはまだ式のコサージュが揺れている。彼らは花道の入口で、きびきびと横一列に並んだ。

 さきほどまで廊下を歩いていた姿とは違う。どこか、顔つきが引き締まっている。

 誰かが用意した演出ではない。誰の指示でもない。ただ伝統だと、何故かこの中学にだけある、何時からあるのかもわからない行動。今この場の中心は、明らかに彼らだった。


 一人の男子生徒が一歩前に出る。風に前髪を揺らしながら、声を張り上げた。


「三年間・・・ありがとうございました!」


 その声は、まだ少し少年の高さを残している。


「礼っ!」


 号令がかかる。

 三十人の背が、同時に折れた。


「ありがとうございましたっ!!」


 声が、校舎の壁に反射し、空へと抜ける。

 保護者の何人かが、思わず息を呑む音がした。

 廊下の列はまだ続いている。

 その光景が、ふっと遠ざかった。

 


  ●●



 卒業式が終わったあと。

 悠子は自分の教室に戻っていた。机の中をもう一度確かめる。教科書は持ち帰った。ロッカーの奥に体操服袋はない。椅子を引く音が、がらんとした教室に響く。

 黒板には「祝・卒業」の文字。色チョークの粉がまだ床に落ちている。窓の外は白く光っている。


「忘れ物、ないよね・・・」


 そう呟いてから、教室を出た。

 廊下は思ったより静かだった。

 窓の下の前庭からは歓声が聞こえる。


「先輩、また来てくださいね!」

「これ、みんなからです!」


 手すり越しに覗くと、部活の後輩に囲まれ、花束を受け取っている三年生達の姿。制服の襟元に光が当たっている。


「第二ボタンください!」

 別の場所では女子に囲まれている男子。


「先輩、リボンください!」

笑い声と泣き声が混ざる。


 悠子はふんっと鼻を鳴らした。


「・・・別に」


 羨ましくなんてない。

 その時、廊下の壁にもたれていた友人が片手を上げた。


「お~っ」

「なんで、こんなとこに居るん?」

「荷物再確認。そっちは?」


 友人は顎で下を示す。


「見てた。第二ボタンください、だって」

「あ~・・・もらいに行く?」

「まさかっ。リボンも取られとる奴もおるよ。モテるやつは大変やな~」

「ふーん」


 視線は下へ向けない。

 友人がにやっと笑う。


「あ~、一緒に行くわ~」

「どこに?」

「なんとなく」


 二人、並んで歩き出す。

 窓から差し込む光が長く廊下に伸びている。ワックスの匂いと、まだ少し残る体育館の湿った空気。


「そういえば、昨日CONBINATION見返したわ」

「え、マジ?」

「圭司さん、やっぱカッコよすぎ」

「うちはさ、あの二人の話が見たい」

「それって・・・」


 友人が顔を近づけ、小声で区切る。


「ヤ・オ・イ」

「いや~っ!」

 

 思わず声が裏返る。


「やおいって言葉知ってる時点で、あんたも、ど・う・る・い」

「違います~! そんな仲間は嫌で~す!」


 また笑いが弾ける。


「SLAM DUNKも見たっけ?」

「見たよ~。花道のシュート練習」

「あの地味なやつ?」

「そうそう。ひたすら基礎」

「うちは花道、リョータかな。いやいや花道、流川かな。」

「そっちの話は聞きたくありませ~ん」


 向こうから男子数人が歩いてくる。

 教室の隅で、アニメや漫画の話をしていた集団。

 なんとなく、視線が合う。


「今、花道の話してたぁ?」

「してないし」

「してたやろ。嘘つくなや」

「聞こえてたん?」

「地味な練習似合ってなくね?って言ってたやろ」

「あれはさ~、努力型でしょ」

「いや流川やろ」

「いや花道やろ!」


 自然と歩幅が揃う。

 いつの間にか、男女入り混じって廊下を進んでいる。

 笑い声が天井に跳ね返る。

 そのまま歩いているうちに、自分達の教室の前まで来る。


 さっき出てきたばかりの扉。

 黒板の「祝・卒業」が、廊下からも見える。

 悠子は一瞬だけ足を止める。

 ・・・忘れ物、ないよね。

 もう一度確認したはずなのに、なぜか胸がざわつく。

 けれど誰かが振り返って言う。


「せっかくここまで来たんやし、一番上まで上がっていこうぜ」

「なんで?」

「なんとなく」

「屋上開いてないやろ」

「階段までな」


 誰も反対しない。


 悠子は、教室の扉から視線を外す。

 本当は、ここに用があったはずなのに。

 でも今は、違う。

 階段へ向かう。


 上へ、上へ。


 笑いながら。


 四階。

 音楽室の前に、古びた楽器見本の棚がある。

 トランペットやクラリネットが、埃をかぶらないようにガラス越しに並んでいる。

 そのガラス戸だけが、やけに新しい。夏休み明けに割れて、直していた。それが廊下の蛍光灯を反射して、白く光っている。


「これやったの、俺」


 ぽつり、と声が落ちる。

 一瞬、全員の足が止まる。

「はああぁ!?」「えええぇっ」


 悠子も、思わず声を上げた。


「マジで?」

「え、うそやろ?」


 本人は肩をすくめる。

「大きいガラスやから、高いって先生ら泡食ってたぞ。楽器の点検とか、めっちゃやってたし」

「なんで割れたん?」

「普通に筆箱当たったら、割れた」


 てへっ、と笑う。もう声変わりの終わった、低い声で。


「可愛くねーよっ」「てへっ、じゃねぇし」


 誰かが肩を小突く。


「つーか、あん時スゲー犯人探してたよな」

「あー、してたしてた」「オマエ、いたの?」

「いたやつ、全員職員室に呼ばれてたじゃん」

「勿論、呼ばれてないよ」


その言葉に、悠子も小さく頷いた。


「あー・・・」


 呼ばれなかった。疑われるほど、目立ってなかった。それが少しだけ楽で。少しだけ淋しい。それ以上、誰も何も言わない。ここにいる子達は、誰もが少しだけ覚えがある。

 教室の隅で、漫画やアニメの話が主。オタクと囁かれて。

 名前を強く呼ばれた事はない。イジメられた事もない。完全に無視されていたわけでもない。

 気づかれない。

 いても、特別気にされない。

 スポーツが飛び抜けてできるわけでもない。勉強が特別できるわけでもない。できないわけでもない。すごい美人でもないし、派手な不良でもない。

 同級生達からも。

 先生達からも。

 でも、こうして同じ場所にいる。


「まっ、時効ってことで。内緒なっ」


 犯人が軽く言う。


「自分でバラしたくせに」


 小さな笑いが戻る。


「誰にも言うなよ?」

「もう卒業やし」「てか、今さら怒られてもな~」


 小さな笑いが広がる。

 気づけば十人ほどになっている。

 誰も運動会で主役になったことはないし、合唱コンクールでソロを任されたこともない。

 でも、今は何となく一緒にいる。共通点は、漫画とアニメの話が通じる事。

 

「昨日、きんぎょ注意報!見た?」

「見た見た! あの回ヤバかった」

「わぴこ、相変わらず意味不明」

「てか、お前まだ見てんの?」

「何が悪いのよ」


 言い返して、皆が笑う。


「お子ちゃま~」

「うるせぇ」


 誰かが笑いながら、手すりに体を預ける。

 四階の窓から見える空は、やけに広い。

 ここが校舎のいちばん上。


「屋上、行けたらよかったな」

「鍵かかってるし」

「知ってる? ここ、天体観測ドームあるんだぜ」

「知らんけど」

「屋上に、何か丸いの乗ってるじゃん。」

「おお、そういえばあるな」

「入った事あるやついんの?」

「俺のとーちゃん、天体部やったって」

「そんな部ねーぞ」

「鍵持ってる先生しか無理やろ」

「じゃあ一生入れんやん」

「別にいいし」


 別の誰かも手すりに体を預ける。

 空は近いのに、届かない。


「よし、降りるか」

「なんで?」

「なんとなく」


 また、その言葉。

 十人ほどが、ぞろぞろと階段を下り、足音が、揃って響く。

 四階まで上がったのに、まっすぐ帰るわけでもなく。

 階段を下りる。


 三階まで下りたとき、先頭の誰かが足を止めた。

 そのまま二階へは向かわない。

 自然と方向が曲がる。

 また、教室の前を通る。

 さっき通ったばかりなのに。


「幽☆遊☆白書・・・」「戸愚呂なぁ」

「100%な」

「いや80%のほうが強そうやろ」


 くだらない言い合いをしながら、みんな、さりげなく窓の下を気にしている。

 誰も露骨に覗き込まない。でも、視線は落ちる。


 前庭。


 まだ、後輩に囲まれている同級生達。

 花束を抱えた人。

 写真を撮られている人。

 肩を叩かれている人。

 

「まだ囲まれてるな」

「人気者やなー」「すげぇな」

「オマエ、部活入ってたじゃん」「写真部、後輩入って来んかったもん」


 羨望とも違う、皮肉とも違う、ただの事実みたいな声。

 廊下を歩く人数は、さっきより増えている。

 十人くらいだったはずが、いつの間にか二十人ほど。

 増えても、騒がしくはならない。

 温度はそのまま。

 誰かが、ぽつりと呟く。


「せめて、挨拶して帰ろうか」


 一瞬、足が止まる。


「誰に・・・?」


 間が空く。


 窓の下では、

 「先生、お世話になりました!」と声を揃えている一団。部活の顧問を囲んでいる。涙ぐんでいる子もいる。

 

「先生、とか・・・」

「お前、誰に世話になった?」

「・・・」

「別に怒られもしてないしな」

「褒められてもないけど」


 小さな笑い。

 気まずくはない。でも、はっきりした対象がない。


「じゃあ・・・校舎」


 誰かが言う。

 一瞬の沈黙の後。


「ぶっ」


 誰かが噴き出す。


「いやいやいや・・・」

「校舎って何」

「建物に礼?」

「ヤバすぎるやろ」

「不審者やん」「とうとう、オマエラもおかしくなったかと思われるぞ」


 笑いが広がる。

 でも、完全な否定でもない。


 悠子が、ふっと言う。

「いいんじゃない」

 隣を歩いていた友人が、ええって顔をする。


「え、マジ?」

「だってさ」


 悠子は廊下の壁に寄りかかる。


「三年間いたじゃん」


 誰かが黙る。


「うちらのこと覚えてなくてもさ」


 前庭から歓声が上がる。

 風が吹く。

 カーテンがふわりと揺れる。


「・・・校舎なら、覚えてるかもよ」


 誰かが小さく笑う。


「何それ」

「ロマンチックか」

「いや電波やろ」「青春漫画かっ」


 でも、誰も歩き出さない。

 二十人ほどが、廊下に立ち止まる。

 窓の外には、主役達。

 校舎の内側には、自分達。

 そのどちらにも属しているようで、どちらにも属していない。


「・・・どうする?」


 誰かが言う。


 悠子は、壁に寄りかかったまま。


 男の子が、ぼそりと呟いた。


「じゃあ、俺、かけ声かけようかな・・・」


 その声は強がり半分、本気半分。笑いに紛れさせるような音量だった。


「何て言うんだよ」

「知らんけど」

「勢い?」


 正面玄関が見えてくる。

 並んだ下駄箱。

 擦れて白くなった床。ガラス越しに差し込む午後の光。

 三年間、何百回も通った景色なのに、

 今日だけ少し輪郭がはっきりしている。


「・・・出るまでに考える」


 何言うつもりだこいつ、という空気と。でも仕方ない、ここまで来たから付き合ってやるか、という空気が混ざる。そのどちらも否定しないまま、人数だけが静かに増えていく。

 いつの間にか二十人ほど。誰かが誰かを呼んだわけでもないのに、気づけば輪が膨らんでいる。


 靴を履き替える。

 上履きを脱ぐ音。

 革靴のかかとを踏み鳴らす音。鞄を担ぎなおす音。

 

 そのどれもが、いつもより響く。

 

 玄関前に、ゆっくりと集まる。

 

「先生、お世話になりました!」明るい声が、空気を震わせる。

 悠子はその光景を見て、胸の奥がちくりとした。

 羨ましい、というより。

 ああ、あれが正しい形なんだろうな、という感覚。自分達は、少し違うだけ。

 

 ただ、それだけ。

 

 二十人ほどが、自然と正面玄関を向く。誰が合図するでもなく、横一列になりかける。

 風が吹く。

 ガラス戸が微かに震える。


「せぇのっ」


 誰かの声は、思ったより小さい。 


「3年間ありがとうございましたっ」


 一瞬、時間が止まる。

 悠子の視界の端で、玄関前にいた子達が振り向くのが見えた。

 え? という顔。

 何? という目。

 でも、止まれない。

 

「ありがとうございましたっ」

 

 何人かが声を出す。

 悠子も、声を出す。

 思っていたより、ちゃんと出た。こんなふうに、腹の底から声を出すのは久しぶりだ。


「声が小さい! もう一度っ!」


 途中で野球部をやめた子が、腹の底から張り上げる。

 その声に、びくっとする。


「3年間っ!」

 誰かが叫ぶ。本気で叫ぶ。

 注目されている。視線が集まる。

 でも、もうどうでもいい。


「ありがとうございましたっ!」

 二、三人の声が重なる。


「ありがとうございましたっっ!!」

 今度は、そこにいた二十人ほど、全員の声が揃う。

 校舎の壁にぶつかり、天井に反響し、自分達の胸に戻ってくる。

 校舎にぶつかって、跳ね返る。

 

 花束はもらっていない。

 第二ボタンもほしいと言われない。

 先輩と呼んでくれる後輩もいない。

 それでも、今この瞬間、確かに自分達はここにいた。 

 

 悠子の胸が熱くなる。

 「礼っ!」

 気づけば叫んでいた。

 

 反射的に、全員がぴしっと揃う。

 背筋が伸びる。

 足が閉じる。

 体が覚えている。

 1。

 2。

 深く、頭を下げる。床のタイル模様が視界いっぱいに広がる。

 3。

 顔を上げる。


 静まり返っていた。

 さっきまでのざわめきが、嘘みたいに止まっている。


 力が抜ける。

 三年間で、こんな大声を出した事はなかったかもしれない。

 悠子は周りを見た。

 正直、今までちゃんと話したことのない子もいる。

 顔だけは知っていた。それぞれ教室の隅で、アニメや漫画の話をしていた子達。その距離のまま、三年が終わった。


 それぞれが、少し赤くなっている。

 照れたように笑う。いつもと同じ小声で会話する。


 「やべぇ」

 「何やってんだ俺ら」

 「ちょっと目立った?」

 「多分」


 悠子は、心の中で思う。

 目立ったっていい。

 一回くらい。

 それ以上、何も言うことはなかった。

 何もなかった。

 でも、確かに、今はあった。


 唖然とした同級生たちの間を、それぞれ、いつもの二、三人の仲間と固まって歩く。さっきの二十人ほどは、もう自然にほどけている。特別なグループにはならない。

 また、元の距離に戻る。

 校門を出る。

 振り返らない。

 ただ、それだけの話。



  ●●



「・・・ありがとうございましたー!」


 ざわめき。

 スマホのシャッター音。

 拍手。

 

 悠子は、ゆっくり瞬きをする。

  

 目の前にあるのは、あの頃よりずっと小さく感じる校舎。

 正面玄関の前。

 花束を抱えた生徒達。

 担任を囲む輪。

 さっきまでの二十人はいない。

 代わりに、今の子達がいる。

 

「ありがとうございましたっ!」

 

 何回目かの声が、また響く。

 今度は、はっきり現在のもの。

 悠子の胸の奥で、さっきの記憶の声と重なる。


 あの時、自分達も叫んだ。

 誰に届いたかはわからない声を。


 「母さん、帰るよ」

 すぐそばで、低い声。

 悠子は、はっと顔を向ける。

 いつの間にか、息子が隣に立っている。制服の襟元が、少し乱れている。手には、小さな包み。

「ほら」

 差し出される。

 お祝いでもらった饅頭。

 赤い熨斗紙が、春の光に透ける。

 

 悠子はそれを受け取りながら、ふっと笑う。

「息子よ」

 わざと、もったいぶった声で。

「お母様が、いい話をしてやろう……」

 息子が、うわ、始まった、という顔をする。

 その横顔が、少しだけ昔の誰かに重なる。

 校舎は、変わらない。

 でも、そこに立つ人は、変わっていく。

 風が吹く。

 どこかで、また誰かが叫ぶ。

 「ありがとうございました!」

 その声は、ちゃんと届いている。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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