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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾
第6部

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第67話:職人の領域


 本日の魔石の換金を終え、明細を手帳に挟んだ時だった。


「少しよろしいでしょうか、静河さん」


 振り返った。


 特徴的な紺色の防塵コートを纏った女性が、カウンターの端に立っていた。


 企業クランである『アルゴス』、その代表を務める瀬能氏だ。


 一緒にいることが多い涼下氏の姿は見当たらない。


「……何かありましたか」


「いえ。お時間をいただけるなら、先日の観測データの結果をお伝えしたいと思いまして」


 私が首肯して応じれば、彼女は、


「ありがとうございます」


 と感謝を告げてから、姿勢を正し、真っ直ぐに私の目を見た。


 彼女の瞳の色が少し薄いことに、私はこの時初めて気がついた。


「先日のデータ解析が終わりました。あなたの環境適応能力と機材の運用について。わたしたちの解析班が出した結論は——マニュアル化不可能、でした」


 やはり、前回のデータ収集は、あわよくば自分たちが規格外を処理できる方法を手に入れるためだったのだ。


 彼女の話は続く。


「正確には、こう結論づけています。現場の環境変数に対する認知の速度と精度、および機材の運用手順は、当社の標準化プロセスに落とし込める水準を超えている。職人の領域である、と」


 初めて出会った時の彼女からは、想像もできない発言だった。


 瀬能氏がわずかに苦笑しているのは、自分でもわかっているからだろう。


「今後の方針として、当社は自社のシステムを回すことに専念し、規格外個体の処理については、探索者の方々に完全に委ねる方向で社内調整を進めています」


「……そうですか」


 話はそれで終わりかと思ったのだが、瀬能氏は少しだけ逡巡した後、こう言った。


「あの、静河さん。対象の間引きをご依頼させていただけないでしょうか。条件は前回と同様で」


 前回と同条件なら断る理由はない。


 だが、疑問もあった。


 他に探索者はいくらでもいる。


 実際、『アルゴス』から間引きの依頼を受けている探索者を私は知っている。


 それなのに、なぜ彼女は私を指名するのか。


 ……またデータを収集するためだろうか。


 私が考えていることが伝わったのだろう。


 彼女は微かに笑って告げた。


「データの収集は行いません」


「……ならば、どうしてでしょう」


 その疑問は自然と私の口から出た。


 彼女の表情が変わった。


 照れくさそうな、と言えばいいだろうか。


 わずかに目元がやわらかくなったのだ。


 だが、すぐに表情を真剣なものに戻すと、彼女は言った。


「あなたのプロフェッショナルな仕事ぶりを、もう一度現場で見せていただきたいのです」


 真っ直ぐな眼差しが、それが紛れもない彼女の本心であると、何よりも雄弁に物語っていた。


 数秒、私は答えなかった。


 いや、答えられなかった、というのが正しい。


 大企業のクランの代表を務める者が、一個人の探索者の仕事を現場で見たいという。


 ダンジョンは死が常に隣りにあるというのにだ。


 私は思い出した。


 かつての『私』が出向していた現場に、こういう人間がいたことを。


 現場の仕事を、自分の目で確かめなければ気が済まない人間が。


 不器用だが、現場から真剣に学ぼうとする人間が。


「……難しいでしょうか」


 瀬能氏の声に、私は彼女の目を真っ直ぐに見た。


「いえ、大丈夫です」


 ただし、と私は続けた。


「当日、私の業務の邪魔はしないこと。不測の事態が起きても、安全は保障しません」


 彼女は頷いた。


 一瞬の迷いもなかった。




 夜、宿舎の自室。


 私は机の上に、分解した機材を並べた。


 改良型の『対極硬度用・高周波解離ユニット』だ。


 明日の業務に備え、点検しておく必要があった。


 バッテリーのコネクタを抜き、端子の腐食と接触不良がないことを確認する。


 次に、振動ホーンの摩耗状態。


 先端の接触面を手持ちのライトで照らし、微細な傷の入り方を確かめる。


 許容値の範囲であり、まだ交換の必要はない。


 最後に、グリップの清掃に移った。


 布片に溶剤を含ませ、丁寧に拭いていく。


 種田氏が手作業で削り出した形が、指先にいつも通りの感触を返してくる。


 私は布片を折り畳むと、グリップを拭き終えた。


 手帳を開いて、今日の換金明細と明日の業務計画を確認してから、眠りに落ちた。




 翌日、私は『金剛石の回廊(アダマント・ロード)』にやってきた。


 瀬能氏は約束通り、一人だった。


 彼女に一礼し、私は意識を切り替える。


 今日の対象は、規格外のフォートレス・アイソポッドである。


 今回は小さいものはおらず、通常個体より大きいものだが、装甲の基本構造は変わらない。


 多脚の歩行周期から装甲の継ぎ目が露出する瞬間を見切り、ユニットで分子結合を解離して隙間を作り、そこにサバイバルナイフを差し込む。


 それだけだ。


 岩陰から対象の動きを観察する。


 規格外の個体は、巨体に見合った重心の低さがある。


 歩行周期はわずかに長い。


 つまり、通常個体より一拍、遅く動けばいい。


 足音を完全に殺し、対象の死角に回り込む。


 多脚が接地するリズムを肌で数え——露出した継ぎ目へ、ユニットの先端を押し当て、スイッチを入れる。


 装甲が剥離し、私はサバイバルナイフを差し込んだ。


 対象が光の粒となって霧散して、魔石が硬い岩盤に落ちた。


 私はそれを拾い上げ、ハードケースに収める。


 二体目、三体目と同じ手順で処理を重ねていく。


 業務は極めて順調だ。


 対象は想定の位置に想定の密度で存在し、私の構築した手順が過不足なく機能している。


 見通しの良い通路では遮蔽物として機能する岩柱を選んで近づき、奥まった区画では気流を読んで自分の気配が流れる方向を確認してから動く。


 反復の中に、微かな興奮がある。


 自分の準備と手順が正確に機能していくことの手応えは、何度も経験しているというのにだ。




 ノルマの半分を消化し終えた頃、私は奥へ進んだ。


 通路が徐々に狭まっていく。


 壁面の石英が増し、岩盤の性質が変わっていく。


 足元の砂が消え、代わりに剥き出しの岩が続くようになる。


 協会が開示しているエリアデータに、この地形変化の記録があった。


 ——石英裂溝(クォーツ・クラック)


 過去の局地的な地殻変動によって形成された、極めて狭隘な亀裂地帯だ。


 大型モンスターは進入不可能。


 小型から中型の対象が逃げ込んだ場合、物理的なアプローチが著しく制限されるため追撃は非推奨。


 私はライトを正面に向け、足を止めた。


 目の前に広がるのは、ほぼ垂直に切り立った岩の壁と、その間を縫うように続く細い空間の連続だ。


 両肩が容易く岩盤に触れる。


 頭上は低い。


 石英の鋭い断面が、光を受けてあちこちで輝いていた。


 現実の地形を、頭の中にあるデータと照合し、一致していることを確認して、私はその中へ入った。


 岩の隙間を慎重に抜け、足元の凹凸を確かめながら奥へ進む。


 数歩進んだところで、前方の奥まった壁面のひび割れに、何かがいた。


 フォートレス・アイソポッドだ。


 それも、規格外の個体。


 しかし、気配を察知されたのか——対象は岩の亀裂の中へ急速に退避してしまった。


 スタンピードのことがある。


 放置するわけにはいかない。


 だが、問題は隙間の狭さだった。


 対象が嵌まり込んでいる亀裂に対して、私がユニットを正しい姿勢と角度で押し当てられる空間がない。


 上体を捻り、腕を斜めに差し込んで、そこから継ぎ目を探さなければならない。


 私は亀裂に身体を滑り込ませ、対象の装甲を確認した。


 継ぎ目は、ある。


 だが、そこへ適切な角度でユニットを当てるためには、手首を極端に内側へ折り込んで、さらに上体を壁に押しつけるような体勢を取るしかない。


 仕様書の計算上、その体勢でユニットを稼働させれば、反発力が手首に集中する。


 正規の姿勢であれば腕全体に分散されるはずの衝撃が、一点に加わることになる。


 折れるとまでは言い切れないが、業務を継続できなくなる程度の損傷は充分にあり得るだろう。


 あまり頼りたくはないが、最悪の場合はポーションを使用するしかないだろう。


 私は壁と身体の間に手を差し込むと、手首を折り込み、対象の装甲の継ぎ目にユニットの先端を押し当てた。


 岩の角が肩と背中に食い込む。


 ユニットのスイッチを入れた。


 反発力が来た。


 想定の通りの衝撃が、手首に叩き込まれた。


 しかし、私の手は無事だった。


 衝撃が一点に集中するのではなく、腕の筋と骨格に沿って上へ上へと分散されていったからだ。


 なぜそんなことになったのか。


 気にならないと言ったら嘘になるが、今は目の前の対象を処理することが先決だった。


 対象の装甲が剥離する。


 私はサバイバルナイフを差し込んだ。


 対象が霧散し、亀裂の奥に魔石だけが残った。




 体勢を戻し、岩盤から背中を離した。


 手首を動かしてみるが、痛みはなかった。


 可動域にも何も問題はなかった。


 差し当たっての脅威は周囲に存在せず、私は今の出来事を考えてみた。


 衝撃を分散できたのは、グリップのおかげだった。


 種田氏は知っていたのだ。


 今日みたいな日が来ることを。


 あの時、彼がグリップに拘った真の理由に、今、触れられたような気がした。


 視線を感じて振り返れば、岩柱の陰から瀬能氏がこちらを見ていた。


 私と目が合うが、彼女は何も言わなかった。


 ただ、一度、深く息を吐いた。


 私は亀裂から魔石を回収してハードケースに収め、残りのノルマへと向かった。




 石英裂溝を抜けると、通路が再び広くなる。


 対象を探し、周期を読み、継ぎ目を解離して処理する。


 業務が完遂したのは、定時の少し前だった。


 私はユニットの電源を落とし、ホルダーに収めた。


 瀬能氏を振り返り、撤収することを告げようとした時、彼女が先に口を開いた。


「……わたしたちのシステムでは、到底たどり着けない領域でした。改めて、そう感じました」


 彼女は私を見ながら、次に、私の腰のホルダーへ視線を移した。


「その機材を作った職人の方も含めて」


 声には、讃辞、羨望、それらを感じさせながらも、だが、それだけではない何かがあった。


「静河さん。また、お願いすることになるかもしれません」


「今日と同じ条件であれば構いません」


「ありがとうございます」


 瀬能氏が深く頭を下げた。




 換金を済ませて宿舎に戻ってきた私は、ダンジョンの汚れをシャワーで落とし、まずは机に向かった。


 手帳を開き、今日の業務データを書き留めていく。


 対象の処理数、ユニットのバッテリー消費率、亀裂地帯での事例。


 それらを書き終えてから、グリップのことも記録した。


 種田氏が拘った、その理由を。


 手帳を閉じて、夕食を作った。


 白米と、豆腐の味噌汁。


 シンプルだが、拘ろうと思えば、どこまでも拘れるメニュー。


「……美味い」


 もちろん、完食した。


 窓の外を見れば、夜空の真上に北斗七星がよく見えた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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