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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾


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第6話:視角の死角と、まぶしい背中


 朝の空気は、まだ夜の冷たさを残していた。


 ダンジョンの入り口付近。


 私はいつもの場所で、バックパックの中身を広げていた。


 ポーションの残量確認。


 ナイフの刃こぼれの有無。


 靴紐の締め具合は、血流を阻害せず、かつ緩まない絶妙な強度で。


 すべては今日という一日を、事故なく終えて帰宅するための、必須の工程だ。


 同時に、日常から非日常であるダンジョンへ最適化するために必要な過程でもある。


 ダンジョンは常に死が身近にあり、日常のまま赴けば、精神はあっという間に摩耗する。


 少しずつ、だが確実に、研ぎ澄ましていく——。


「よう」


 気づいてはいた。隠そうともしない足音に、その存在感。


 顔を上げれば、そこには私の頭一つ分ほど背の高い男が立っていた。


 赤茶色の髪に、意志の強そうな瞳。


 背には身の丈ほどもありそうな大剣を背負っている。


 装備の系統も、醸し出す雰囲気も、私とは対極だ。


 まるで主役、あるいは主人公のようだとすら思った。


「……何か御用でしょうか」


「俺は坂垣(さかがき)颯真(そうま)。年は22!」


 なるほど。静河くんより4つ上か。


 私がそんなことを思っている間に、彼は屈託のない笑みを浮かべて、とんでもないことを口にした。


「俺にアンタのやり方を教えてくれ! 協会の人たちがアンタのことを話してるのを聞いて、参考にしてえって思ったんだ!」


 朝一番の冷気が、さらに冷え込んだ気がした。


 私はゆっくりと視線を手元に戻すと、作業を再開する。


「お断りします」


「よし行くぞ——って何でだよ!?」


「私は臆病で、あなたは勇敢だ。OS……いえ、根本的な設計思想が違いすぎます。私のやり方は、きっと——いえ、絶対にあなたには毒になる」


 私のやり方は、石橋を叩いて、叩いて、結局渡らずに別の道を探すようなやり方だ。


 対して、彼の装備や、そこから覗く筋肉の付き方を見れば推測できるが、直感と身体能力で道を切り拓くタイプだろう。


 そんな彼を、私のマニュアルという枠型に押し込めばどうなるか。


 直感が死ぬ。


 反応速度が鈍る。


 それはダンジョンにおいて、自殺行為と同義だ。


「毒でも薬でも、飲んでみなきゃわからねえだろ! 俺は今のままじゃダメだと思ってんだ!」


 頑固だ。


 それに、理屈ではない熱量がある。


 ここで問答を続けるのは、今日の業務開始時間を遅らせるだけ、か。


「……わかしました。ですが、私はあなたに教えません。私の業務に同行することを認めます。それが最大限の譲歩です」


 そんなふうに言ってしまったのは、彼の熱さに、覚えがあったからだろう。


「おう、恩に着るぜ!」


 ニッと颯真くんが笑った。


 私は自分から同行を許可しておきながら、早まったかもしれないと苦虫を噛み潰したような顔する。


 後日、この時の様子を見ていた権藤さんは笑いながら言ったものだ。


『君のあんな顔を見るのは初めてだったよ』


 と。


 こうして、どう見ても噛み合うはずのない私と彼の探索が始まった。




 ダンジョンに潜って三十分。


 私の隣で、颯真くんはすでに限界を迎えていた。


「あーっ! もう! そこにモンスターはいねえだろ! さっき確認したろ!?」


 彼は頭をガシガシと掻きむしると、唸り声を上げた。


「……ダンジョン内で無闇に大声を出すのはどうかと思いますよ?」


「わかってるけどよぉ!」


 私が注意すれば、小声で怒鳴るという器用さを見せる颯真くんだ。


 ……まあ、彼がそうなるのも無理もない。


 私は数メートル進むごとに立ち止まり、壁のシミを確認し、石を投げて音を反響させ、地図に詳細なメモを書き込んでいる。


 直感で動く彼のような人間にとって、これは拷問に近い遅さだろう。


「無理なら戻っていいですよ。入り口はまだ近いですし」


「戻らねえ! 絶対にだ!」


 即答である。


 どう考えても私のやり方が彼に合うわけがないのに。


 なんと不器用で、非効率的なことか。


 一度決めたら、最後までやらないと気がすまないのだろう。


 私の脳裏に、かつての『私』の記憶が蘇った。


『先輩、ここどうやるんスか!』


『失敗!? ……もう一回、もう一回やらせてください! 次こそ! 絶対いけますから!』


 かつての職場で、私の後ろをついて回っていた暑苦しい後輩。


 何度失敗しても、その度に顔を上げて食らいついてきた。


 私は、そんなふうに無防備に熱くなることができない。


 どうすればリスクを減らせるか、そればかりを考えて生きてきたから。


 よく言えば波風を立てない生き方とでも呼べるのだろうが、要するに平凡なのだ。


 それなのに、今、私は、平凡とは程遠い人生を生きている。


「どうした? まだ進まねえのか?」


「……いえ、進みます」


 ただ、ちょっと懐かしかったから。


 そんなふうに熱くなれることを、少しだけまぶしく思う自分がいたから。


 私は地図にペンを走らせながら、小さく首を横に振った。


 どうにも今日は、いつもの調子とはいきそうもなかった。




 中層エリア。


 空気の流れが変わった場所で、私は足を止めた。


「……止まってください」


「ん? どうした」


「静かに。……そこにいます」


 地面の僅かな隆起。


 そして風が運んでくる微かな悪臭。


 角の向こうに、私が『待ち伏せ型』とタイプ分けしているモンスターの気配があった。


「あ? なんだよ、何もいねえぞ」


 颯真くんの言葉に、私は静かにするよう指示。


 ポケットから、装備品店で購入しておいた閃光玉を取り出した。


 消耗品だ。


 だが、決して安くはない。


 しかし、怪我をするリスクと天秤にかければ、安い方に傾く。


 私はそれを、角の向こうへと転がした。


 しばらくして——


 強烈な閃光、


 それに破裂音。


 絶叫に似た悲鳴が響き、モンスターが怯んだ気配がする。


「今のうちに」


 私はその隙に、戦闘を回避できるルートへと彼を誘導した。




 安全圏まで移動してから、颯真くんが大きく息を吐いた。


「……全然わからなかった」


 素直に感心する彼に、私はいつもなら語らないことを語ってしまった。


「よく観察すればわかります。風に乗る空気、そこに含まれる臭い」


 ダンジョン特有のかび臭さとは明らかに違う異臭。


「他にも地面の違和感など、上げればきりがないくらい、ダンジョンには多くの情報が溢れています」


 そう言いながら、私は足元の確認をしようと視線を落とした。


 罠がないか。


 ぬかるんでいないか。


「一瞬のミスが命取りになりますから」


 そう告げた時だった。


「上だッ!」


 首根っこを掴まれ、強引に後ろへ引き倒された。


 私がついさっきまで立っていた場所に、轟音とともに巨大な質量が落下してきた。


 それは天井に張り付いていた大蜘蛛。


「おらあぁァァァッ!」


 私の目の前で、大剣が閃く。


 一撃。


 硬い甲殻ごと、大蜘蛛が颯真くんによって一刀両断にされる。


 体液を撒き散らして絶命した蜘蛛を見下ろし、彼が荒い息を吐く。


「……っ」


 私の意識は完全に下にのみ向けられていて、天井は見向きもしていなかった。


 私の運用マニュアルには、天井のチェックも含まれているというのにだ。


 普段の私ならありえない、致命的なミス。


 颯真くんが手を差し出してきた。


「……ありがとう、助かりました。私の確認漏れです」


 その手を取り、立ち上がる。


「気にするな。さっきは俺が助けられた。お互い様だ。ダンジョンを生き残るなら、な」


 颯真くんがニッと笑う。


 そこには、私の命を救ったのだという恩着せがましさも、自分の手柄を誇るような優越感もなかった。


 私が出会ってきた探索者とは、何もかもが違った。




 予定よりも早く、私たちはダンジョンを出た。


 日はまだ高い。


 だが、颯真くんはすっかり疲れ果てていた。


「……もう嫌だ。何だこれ。一体何なんだ!? アンタはあんなやり方で楽しいのか!?」


 ダンジョン内ではないこともあって、颯真くんが叫ぶ。


「楽しいかどうかは関係ありません」


 それが私の生き方だから。


「だいたい、言ったではないですか。私の『マニュアル(やり方)』はあなたには合わないと」


 私が告げれば、彼は苦笑して言った。


「ああ、認める。俺には無理だ。アンタの真似をしたら、俺は俺じゃなくなる」


 自分の限界と適性を認める。


 それは簡単なようでいて、その実、とても難しいことだと私は知っている。


「だけど、みんなが言うような『臆病者』じゃねえことはわかった。アンタは、すげえ」


 自分とは違う流儀、自分にはできないやり方で、命を張っている者への敬意。


「また組もうぜ。今度はアンタが俺のやり方に付き合う番だ」


 彼の真っ直ぐな言葉が、私を突き動かした。


「静河です」


「え?」


「私の名前。アンタではありません」


「おう、静河! 約束だぜ?」


「……その機会があれば、その時、考えてみます」


「素直じゃねえな、静河は!」


 颯真くんは豪快に笑うと、私の背中をバシッと叩いて、喧騒の中へとその姿を消した。




 スーパーの袋を提げ、帰路につく。


 袋の中には、今日の夕食の材料と、彼に付き合ったせいで少し予算オーバーしてしまったが、まあいいかと思って買ったノンアルコールビールが入っている。


『私』はとっくに20歳を越えているが、静河くんは18歳。


 アルコールはまだ早い。


 しかし、今日だけは、無性に飲みたかったのだ。


『いつもと違う』今日だけは。


「……まあ、悪い時間ではなかった、か」


 こんなことを思わず呟いてしまうのも、まったく、いつもと違うな、と私は苦笑した。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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