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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾


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第47話:非生産的な会議と最適生産ラインの再構築


 スタンピードが起こった翌日。


 私は探索者協会本部のロビーへと足を踏み入れた。


 もちろん、本日の業務を行うためだ。


 まずは本日のダンジョン内の環境数値を確認するため、壁面に設置されたモニターへと向かおうとした時だった。


 私の前に、見知った人物が現れた。


 権藤さんだ。


 ネクタイはわずかに緩み、シャツの襟元にはシワが寄っている。


 私を見るその両目には濃い疲労の色と、明らかな充血が確認できた。


 徹夜で昨日の事態の収拾に奔走していたのだろう。


「おはよう、静河さん。……すまないが、本日の探索は中止してもらえないだろうか」


 切羽詰まった声。


「……何か、イレギュラーな事態が発生したということでしょうか」


「イレギュラーといえば、確かにそのとおりかもしれない」


 権藤さんは短く息を吐き出し、言った。


「本日の午後、昨日のスタンピードに関する調査委員会が開催されることになった」


 それと私に何の関係があるというのだろう。


 その疑問はすぐに権藤さんによって明らかにされた。


「そこに、現場の有識者として、静河さん、君に出席してほしい」


「……理由をお聞きしても?」


 権藤さんは、周囲に聞かれないようにするためだろう、声のトーンを落とした。


「本来、この委員会は今日の午前中に開催される予定だった。協会上層部の主導により、『アルゴス』を事態の戦犯に仕立て上げ、早急に幕引きを図るために」


 それは、巨大組織が自らの保身のために最もよく選択する、典型的な尻尾切りという手法だ。


「だが、私はそれに異議を唱え、強引に開催を午後へとずらした」


 権藤さんの声に、微かな熱が混じる。


「『アルゴス』に責任を被せただけで終わらせては、根本的な解決にはならない。今回のような異常事態がなぜ起きたのかを究明し、対策を講じなければ、未来の現場にリスクを残すことになる」


 権藤さんは、私に向かって深く頭を下げた。


「現場の安全を守るため、静河さん、君の視点を貸してほしい」


「……頭を上げてください、権藤さん」


 権藤さんが頭を上げ、私を見る。


「出席させてもらいます」


 彼には恩がある。


 だが、それだけが出席を決めた理由ではない。


 巨大組織が不完全なルールでダンジョンを運用し続けることは、現場で活動する私自身の生存確率を著しく削り取る、放置できない問題に他ならないからだ。


 権藤さんは「ありがとう」と安堵の息を漏らし、脇に抱えていた分厚い紙の束を私に手渡した。


「これが、上層部が用意した事前の報告書だ」


 私はそれを受け取り、ページをめくる。


 ざっと目を通せば、権藤さんが危惧していた通り、『アルゴス』の乱獲のみに責任があるという結論ありきの杜撰な推論が並んでいた。


「本委員会の座長である宇津木(うつぎ)理事は経済産業資源省から出向していて、彼の至上命題は、一刻も早く事態を収拾し、ダンジョンの安全宣言を出して利益供給を再開させることだ」


 権藤さん曰く、現在、複数の探索者から、このままモンスターを倒し続けてもいいのかという声が上がっているらしい。


 またスタンピードが起こるのではないかと。


 探索者たちがモンスターを倒さなければ、魔石は供給されない。


「そのためには、わかりやすい戦犯が必要になる」


 さらに権藤さんは言葉を継いだ。


「同席する山高資源管理部長も同じだ。彼は自部門の管理不行き届きという責任を回避するため、全面的に宇津木理事のシナリオに便乗し、『アルゴス』へ責任を押し付けるつもりでいる」


 私は手帳にペンを走らせ、彼らの力学と目的を書き留めた。


「出席者のリストと、『アルゴス』の納品記録や相場変動などの客観的な事実を示す記録をすべて共有してください。会議の力学を分析するための、事前の正確な状況把握が必要です」


 権藤さんは力強く頷いた。


「わかった。すぐに手配しよう」


 動き出した彼の後を、私は追った。




 午後。


 探索者協会本部、その最上階に位置する特別会議室。


 部屋の中央に、長大なマホガニー調のテーブル。


 私の隣には、腕を組んで目を閉じている権藤さん。


 対面に座るのは、企業クランである『アルゴス』の瀬能氏と涼下氏だ。


 疲労は濃いように見受けられたが、その瞳には決して退かないという強固な意志がある。


 私が手帳を開いて視線を落としていると、扉が開いた。


 権藤さんが目を開き、数名の人物が入室してくる。


 先頭を歩くのは、仕立ての良いスリーピースのスーツに身を包んだ初老の男だ。


 白髪交じりの髪は隙なく撫で付けられ、神経質そうな細いフレームの眼鏡をかけている。


 その背後には、サイズの合わない真新しいスーツを着て、しきりにハンカチで額の汗を拭っている小太りの男。


 さらにその後ろには、冷徹な空気を纏った鷹沼監査官と、右腕を白い三角巾で吊り、頬に痛々しいガーゼを貼った大柄な探索者が続いていた。


 彼は探索者パーティー『天牙(ファング)』のリーダーだ。


 初老の男が上座へと重々しく腰を下ろす。


 権藤さんからの事前情報にあった、本委員会の座長である宇津木理事だ。


 そしてその後ろの小太りの男が山高資源管理部長だろう。


 彼らが『天牙』のリーダーをこの場に同席させた理由はこういうことではないか。


 傷ついた現場の証人として昨日の惨状を語らせ、『アルゴス』のせいで死にかけたのだと証言させるための仕込み——。


 会議の結論は、すでに彼らの中で決まっているのだ。


 宇津木理事は手元の書類を苛立たしげに整えると、鋭い視線を権藤さんに向けた。


「権藤現場管理統括。そこにいる部外者はなんだね」


 私を指しての言葉だった。


 現場管理統括。


 ……それが権藤さんの正確な役職か。


 以前からただの受付ではないとは聞いていたが、彼が協会のここまでの重職に就いていることを、私は今の宇津木理事の言葉で初めて知った。


 権藤さんは言う。


「私が正式にオファーした有識者の、静河氏です。スタンピードの中心だった『統率者』を処理した人物であり、現場の実態を最も正確に把握している探索者の一人です」


 宇津木理事が不快そうに鼻を鳴らす。


 権藤さんは視線を逸らさず、逆に問い返した。


「理事こそ、そちらの探索者は? 委員会の名簿には記載されていなかったはずですが」


 宇津木理事が顎でしゃくると、山高資源管理部長が慌てて口を開いた。


「昨日の未曾有の災害において、最前線でどれほどの被害が出たか。その悲惨な現場の実態を証言してもらうための参考人だよ。何も問題はないさ」


「ということだ。——では、始めよう」


 宇津木理事が重々しく口を開いた。


「今回のスタンピード。『アルゴス』、君たちによる無軌道な乱獲が、ダンジョンの均衡を破壊し、深刻な損害を与えた。探索者たちは不安を訴えていて、このままでは生産活動が滞ってしまう。この莫大な経済的損失と混乱の責任は、すべて君たちにある。違うかね」


 すかさず、山高資源管理部長が身を乗り出してそれに追従する。


「そうだ! 我々管理部門の定めた採掘の取り決めに不備は一切なかった! 君たちが未知の手法で抜け穴を突き、ダンジョンを荒らしたからだ! これは明らかなダンジョンへのテロ行為であり、我々の管理責任ではない!」


 瀬能氏が即座に反論した。


「既存の規定に違反する行為は一切行っておりません。事前の許可も得ています」


 涼下氏も続く。


「我々の行動とスタンピードの発生を結びつける客観的な証拠は存在しません」


「詭弁だ。君たちが荒らした直後に異常が起きたのだぞ。結果がすべてだ」


 宇津木理事が言えば、


「そうだ! 君たちが勝手なことをしたせいで……!」


 山高資源管理部長がそれに同調し、『アルゴス』を責め立てる。


 対立が可視化される中、鷹沼監査官が冷徹な声で介入した。


「『アルゴス』の納品記録と、相場の変動、および災害発生の時系列データです」


 部屋に備え付けられていたディスプレイに数値が投影される。


 だが、事実を示す記録が提示されても、すでに結論を導き出している宇津木理事は見向きもしない。


『天牙』のリーダーが、傷の痛みからか、あるいはこの結論ありきの会議への苛立ちからか、深く眉をひそめているのが見えた。


 非生産的な時間でしかない。


 私は手を上げて言った。


「発言してもよろしいでしょうか」


 宇津木理事が不快そうに顔をしかめたが、有識者として呼ばれている以上、無下に却下することはできないらしい。


 顎でしゃくるような動作で許可が出た。


 私は手帳をテーブルに置き、断言した。


「犯人探しは、無意味だと考えます」


 宇津木理事が顔を赤くして身を乗り出す。


「お前——」


「誰を処罰しようとも、ダンジョンに発生した異常には関係がありません。我々が今議論すべきは、ダンジョンを再び暴走させないための取り決めを作ることではないでしょうか」


 私の隣で、権藤さんが頷く。


「なぜ、スタンピードが発生したか。おそらく原因は、『アルゴス』が『金剛石の回廊』でアイソポッドの標準個体のみを機械的に狩り尽くすという、かつてない規模の過負荷をダンジョンに与えたからだと推測されます」


 視界の隅で、涼下氏が俯くのがわかった。


「つまり、やはりこいつらが原因じゃないか! 勝手なことをしたこいつらが……!」


 山高資源管理部長が声を上げる。


 私が彼を一瞥すれば、彼は言葉をつまらせ、視線をそらした。


「……原因だとしても、彼らが、『アルゴス』が意図的に逸脱したわけではありません」


 私のその言葉に、涼下氏が弾かれたように顔を上げた。


「ただ、我々全員が無知だったのです。ダンジョンについて、あまりにも」


 私は手帳のページを一枚めくった。


「これは、現場の観測データから導き出した私の仮説です。ダンジョンは、それ全体が一つの巨大な環境……あるいは、工場のようなものだと考えてください」


 標準個体は、その環境を維持するための部品であり、清掃機能だと仮定する。


 再生のペースを上回る過剰な狩猟は、環境への強烈な負担となる。


「過剰な負荷がかかり続けると、バランスが崩壊し、異常が発生する。その結果が、規格外の変異種の発生であり、昨日のスタンピードであると私は考えました」


 会議室が静まり返る。


 山高資源管理部長が、震える声で反論を試みた。


「こ、根拠は!? 根拠は何だ!」


「ありません。始めに言ったとおり、これは私の仮説に過ぎませんから」


 私は手帳を閉じ、宇津木理事を見据えた。


「ですが、乱獲と異常発生に強い相関があると予想される以上、我々はこの環境を無理な稼働で深刻な事故を起こす工場だと仮定して安全対策を講じるべきです。それが現場における最低限の備えだと考えます」


 宇津木理事の眉がピクリと動いた。


「つまりお前は、ダンジョンの環境を保護するために、採掘を制限しろと言うのか。そんな自然保護団体の真似事に、協会が頷くとでも?」


 私は首を横に振った。


 環境保護ではない。


 ゆえに、彼らが最も執着している『利益』という結果に焦点を当てて事実を述べることにした。


「現状の無計画な乱獲は、工場の生産ラインを無理なペースで稼働させ、機械そのものを故障させる非効率なやり方に等しいと言えます。機械が壊れて完全に止まり、安全な採掘ができなくなれば、全員の利益がゼロになります」


「……続けろ」


「永続的に、かつ最大の利益を確保し続けるためには、環境が悲鳴を上げない安全な限界のペースを見極め、それを絶対に守るべき取り決めとして維持することが、最も合理的ではないでしょうか」


 宇津木理事が深く頷き、言う。


「……なるほど。極めて合理的だ。現場を保全し、永続的な利益を担保するための生産管理の徹底」


 探索者たちの不安を払拭して安全宣言を出し、利益供給を安定させたいであろう宇津木理事の官僚的な目的。


 それに、私の提案した生産の論理が合致したのだろう。


 鷹沼監査官が手元の端末を操作し、冷徹な声で補足する。


「『アルゴス』の過去の納品記録と、相場変動、および異常発生の兆候を照らし合わせれば、安全な稼働ペースの上限値の算出は可能かと」


『天牙』のリーダーも、私の構築した手順に納得したように、痛む腕を庇いながらも深く頷いているのが見えた。


 沈黙を守っていた権藤さんが、ゆっくりと目を開けた。


「現場での具体的な運用への落とし込みと、監視体制の構築は、私の部門で引き受けましょう」


 段取りは完成した。


『アルゴス』側も、これ以上の反論は自社の不利益に繋がると悟ったのだろう。


 瀬能氏も涼下氏も、沈黙をもって同意を示した。


「——では、本委員会は、新たな環境維持の限界値を基準とした暫定的な取り決めの策定へ移行する」


 宇津木理事が宣言する。




 夕方、会議は終わった。


 私は手帳をバックパックに収め、席を立った。


 会議室を出て、重厚な絨毯の敷かれた廊下を歩く。


「……静河さん」


 背後から、声がかけられた。


 振り返る。


 瀬能氏だった。


 少し後ろには涼下氏も控えている。


 瀬能氏の顔には、初めて会った時の氷のような冷徹さは微塵も残っていなかった。


 あるのは、自らの見通しの甘さを痛感した者の深く重い悔恨と、そして事実を直視する真摯な色だった。


 彼女は私を真っ直ぐに見つめ、深く頭を下げた。


「……申し訳ありませんでした」


 静かな廊下に、彼女の謝罪の言葉が響く。


「わたしたちは、自らのシステムを過信し、ダンジョンという環境を、そしてそこで生きる個人の知見を完全に見くびっていました。今回の事態を招いたのは、わたしたちの判断の誤りです」


 彼女は頭を上げた。


「静河さん、あなたが議論の前提を変えてくれなければ、『アルゴス』は全責任を負わされ、市場から退場させられていました。あなたに助けられました」


 その言葉に嘘はないと感じた。


 だが、


「誤解です」


 私は事実を返した。


 確かに、『アルゴス』にしてみれば、そのように映ったかもしれない。


 しかし、


「私はあなた方を助けるために発言したわけではありません。私の職場であるダンジョンを守るために必要な措置をとっただけです」


 瀬能氏は私の言葉にわずかに目を見開き、やがて自嘲気味に口元を緩めた。


「失礼します」


 私は軽く会釈をし、再び歩き出した。


 瀬能氏と涼下氏が、私の背中を静かに見送っている気配がした。




 協会本部を出ると、外は暗くなっていた。


 私の平穏な日常と、明日からの生活基盤は、確実な形で維持された。


「さて、今日は、何にしましょうか」


 スーパーで特売の鶏肉と大根を買って、みぞれ鍋にするのはどうだろうか。


 私は夕食の献立と調理の段取りを頭の中で組み立てながら、スーパーマーケットに向かった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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1巻 こちらから
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