第42話:不良債権の滞留と照射される死角
探索者協会のロビーで、私は壁面に固定された環境モニターの前に立っていた。
液晶画面に表示された数値を、手帳に正確に書き写していく。
湿度、気圧。
本日の業務において、致命的なエラーが発生するか否か。
「この数値なら問題ない」
そう結論づけたところで、背後から複数の足音が規則正しく響いてきた。
視線を向ける。
紺色で統一された防具。
胸元に光る共通のエンブレム。
企業クラン『アルゴス』の隊列だった。
彼らは大型のセンサー機材や測定器を抱え、重心をブレさせることなく整然と歩みを進めている。
向かう先は、中層の『金剛石の回廊』だろう。
その光景を遠巻きに見ていた若い探索者たちの声が、私の耳に届いた。
「なあ、いつも思うんだけどよ。なんであんな大企業が、俺たちと同じ換金窓口に並んでるんだ?」
「だよな。親会社とかスポンサーに直接、魔石を持ち込めばいいじゃねえか。わざわざ協会を通して売上金にする意味がわからねえ」
「大量に持ち込んで相場まで下げやがって。誰得なんだよ」
彼らの疑問は、もっともだ。
私も手帳にペンを走らせながら、その会話の行く末にわずかに意識を向ける。
「お前ら、何もわかっちゃいねえな」
若い探索者たちとは違う、少し年かさのいった探索者のくぐもった声がそこに割り込んだ。
「法律で決まってるからに決まってるだろうが。ダンジョンから出た魔石は、全部協会を通さなきゃならねえんだよ」
「法律? そんなのがあるんすか」
「あるんだよ。……いいか? 協会のテスターを通した安全証明がない魔石なんて、暴発するかもしれない危険物だ。企業だろうが工場だろうが、そんな出所不明の代物を直接受け取れるわけがねえんだよ」
年かさの探索者は、呆れたように続ける。
「それに、協会だって、ただの組合じゃねえぞ? 国からダンジョンに関することを一括して管理するよう委託された関所だ。勝手に持ち出して密輸なんて真似、できるわけねえんだよ」
若者たちが納得、あるいは感心したように嘆息を漏らせば、年かさの探索者は、
「……探索者になる時にそういう説明を受けてるはずなんだがなあ」
と言えば、若者たちは気まずそうに笑って誤魔化していた。
その後、彼らの話は雑談に突入し、私は意識を環境モニターの隣の掲示板へと向ける。
そこに貼り出された注意喚起の用紙。
『金剛石の回廊』において、規格外の大型個体、あるいは極端な小型個体といったイレギュラーなアイソポッドとの遭遇報告が増加傾向にあるという内容だ。
彼ら『アルゴス』のシステムは、マニュアル化された標準個体のみを処理対象とし、規格外のイレギュラー個体との戦闘を徹底して回避する。
その局地的な最適化が何をもたらすか。
標準個体という競合であり間引き役を失った環境下で、放置されたイレギュラー個体だけが縄張りに滞留する。
その結果、特定エリアの生態系に深刻な歪みが蓄積されつつあるのではないか。
周囲の探索者たちが、連日A品の魔石を大量に納品し続ける『アルゴス』の成果を羨む声を上げている。
だが、その影で進行している環境の異常に意識を向けている者は?
私は手帳の余白にペンを走らせる。
——アルゴスは自社の採算に対してのみ最適化している。ダンジョンという系全体に対してではなく。
彼らの事業計画が少なくない影響をダンジョンに及ぼし始めており、その先に何が待っているのか。
それは誰にもわからない。
私は手帳を閉じ、バックパックにしまった。
息を吐き、意識を切り替える。
私の本日の目的地は、新たな収益源の開拓。
他の探索者たちが敬遠する不採算エリア、『霧骨の沼地』だ。
準備広場に向かい、いつものベンチに腰を下ろすと、ダンジョンに向かう前の最終チェックを行う。
装備にとどまらず、最新のモンスター出現情報の確認、ダンジョン内の地図、他にも必要なものをすべて確認していく。
「問題なし」
全条件、規定値内。
私は立ち上がると、ダンジョンへ向かって足を踏み出した。
中層の西側奥深くに位置する不採算エリア、『霧骨の沼地』。
ここは常に白い濃霧が立ち込め、数メートル先の岩肌すら滲んで見えるほど視界が劣悪な環境だった。
そして、このエリアを生息地としているのは、濃霧に紛れて獲物を狩る水陸両用型の爬虫類種、霧隠鰐である。
彼らは泥の中に潜み、白い霧を保護色として利用するため、視覚的な索敵が極めて困難だ。
視覚に頼れないこの場所で安全に業務を遂行するには、別の代替手段でモンスターの正確な位置を割り出す必要があった。
初日と二日目、私はこのエリアの地質と気象データの収集、および対象の生態パターンの把握に費やした。
そして三日目となる本日、そのデータに基づき、事前に策定した複数の仮説を順次テストする実地検証のフェーズである。
まずは、聴覚によるアプローチを検証した。
視覚による情報の取得が難しい以上、音で対象の接近を測ることにしたのだ。
しかし、分厚い泥が対象の足音などを吸収、減衰させる。
加えて、沼底から断続的に湧き上がるガスの気泡音が環境ノイズとなり、対象の正確な位置を抽出することは不可能だった。
次に検証するのは、餌を用いた誘導アプローチだ。
見えない敵を探すのではなく、自分が設定した安全な定点に血抜きをした肉片を置き、対象を誘い込む。
罠猟の基本論理である。
対象をピンポイントに誘導することには成功した。
だが、泥の中から獲物に喰らいつく捕食特有の激しい動きと、視界を覆う濃霧が障害となった。
私の主武装は、魔剣と比べて遥かに安価な量産サバイバルナイフである。
強靭な鱗を避けて急所に一撃で致命傷を与え、無駄な損傷なくA品の魔石を回収するには、対象の位置をミリ単位で見極めなければならない。
何より、一撃で確実に仕留められなければ、手負いの対象から反撃を受ける致死的なリスクが生じる。
「第二案も不可」
そう結論づけ、私は三つ目の検証に移行した。
過去二日間の痕跡データから、対象の回遊ルートを予測するという仮説だ。
足元の泥の感触を確かめながら立ち止まり、予測した座標での定点観測を始める。
しかし、すぐに第三案の前提が崩れ去った。
予測したルートに対象が現れなかったのだ。
「……つまり、二日間の痕跡データが示していたのは、対象の規則的な回遊ルートなどではなかったということですか」
対象は変温生物だ。
体温を維持するため、地下水脈から不規則に湧き出すあたたかい水の層をただ追従していただけだったのかもしれない。
私の視界の先で、地を這うようなシルエットが微かに動く気配があった。
だが、予測の前提が完全に崩壊しているため、対象を正確に捉えることができない。
これでは、一撃で確実に処理できるという担保がない。
不確実性を抱えたままの業務継続は、致命的なリスクを跳ね上げるだけだ。
「……撤退しかありません」
私は即決し、足音を殺して来た道を戻り始めた。
何の成果も得られぬまま、私は準備広場へ戻ってきた。
定時にはずいぶんと早い。
途中、どうしてもやり過ごすことができなかったモンスターを処理して得られた魔石を換金していると、係員にも驚かれた。
何にしても、新たなアプローチの構築が急務である。
協会が発表している情報はすでにチェック済みだが、あるいは何か見落としている可能性もある。
私は改めて確認するため、資料室に向かおうとしていたのだが、
「よう、静河。珍しいなこんな時間に」
話しかけてきたのは、大剣を背負った赤茶色の髪の持ち主である、颯真くんだった。
「というか、難しい顔してるな。俺で良ければ相談に乗るぜ? ……って、静河にしてみれば、余計なお世話だったか」
「……いえ。そんなことはありません」
私は彼に向き直り、頭を下げた。
「では、お言葉に甘えて聞いていただけますか」
「おいおいおい! 頭を下げたりなんかすんな!」
颯真くんが私の肩を叩き、頭を上げるように促す。
「俺でよければ、何でも聞くから。……な?」
笑顔で告げてくる。
「……ありがとうございます」
「で、何だ?」
照れくさそうに頬を掻く彼に、私は微かに笑ってから、私が現在攻略しようと考えている『霧骨の沼地』についてのデータと、そこから導き出した攻略の検証結果を告げた。
「……という感じで、視界を奪う濃霧そのものが、対象へのミリ単位の接近を阻害する障害になっているのです」
「あー、あそこなぁ。俺も『何が不採算エリアだ! 俺が攻略してやらあ』と思って乗り込んだことあるが」
颯真くんが苦笑する。
「俺は大剣で霧ごと薙ぎ払ってなんとかしたけど、静河の得物はナイフだもんな」
「ですね」
「霧、霧、霧——」
と、何度も繰り返し、彼が自身の赤茶色の髪を掻き混ぜる。
「あれが映画のスクリーンみたいになって、そこに敵の影でもくっきり映ればいいんだろうが、そんなわけにはいかねえし」
スクリーン——そう聞いた瞬間、かつての『私』の記憶が蘇る。
暗く、粉塵の舞う建築現場。
そこで正確な直線を引くために、ある機材を用いていたことを。
「颯真くん、ありがとうございます。とてもよいヒントをいただきました。このお礼はいつか必ず」
「ヒント、だったのか? よくわからんが、役に立ったならよかったぜ」
拳を突き出してくる彼に、私も応じる。
……ああ、初めて出会った時には、まさかこんなふうに彼に応じるようになるなんて思っていなかった。
私は彼に背中を向けると、協会を出て目的地へと足を速める。
必要な機材の調達のために。
——翌日。
再び訪れた『霧骨の沼地』。
私はバックパックを下ろし、調達した機材を取り出した。
建築現場で用いる、ジンバル式のレーザー墨出し器である。
泥に沈まないよう平坦な岩の上に置く。
内蔵されたジンバル機構が重力に従って動き、即座に完全な水平を算出して固定された。
戦闘の最中に三脚の調整などしている時間はない。
置くだけで機能するこの仕様は必須だった。
スイッチを入れる。
高輝度の緑色のレーザーが、濃霧の中へ向けて全方位に照射された。
直進する光線が空中の微細な水滴に乱反射し、空間全体に緑色の光の格子が立体的に浮かび上がる。
視覚情報に頼れなかった沼地が、即席の光学センサー空間へと変貌した。
前方の泥が跳ねる音がした。
空間に張り巡らされた光の格子が、対象の輪郭に沿って歪む。
見えないモンスターの立体座標が、リアルタイムで可視化された。
急所の位置が、緑色の直線の屈折によって正確に定義される。
私は腰の鞘からサバイバルナイフを抜くと、足音を殺し、死角である尻尾側から接近する。
対象が私に気付くより早く、光で縁取られた頸部の隙間へ、迷いなく刃を突き立てた。
対象が光の粒となって霧散する。
私は魔石を拾い上げ、布片で汚れを拭き取ってからハードケースに収める。
友人の知見を得て立てた仮説の証明と、確実な工程の確立。
胸の奥に熱が湧き上がる。
だが、その衝動に身を任せるわけにはいかない。
静かに長く息を吐き、私は業務を再開した。
定時に業務を終え、私はダンジョンから協会のロビーに戻ってきた。
換金カウンターに並べば、私の前に並んでいた中堅探索者二名が、舌打ちをして列を離れていく。
彼らのトレイには、魔道具の広範囲攻撃に頼りきった結果である、濁ったC品の魔石が転がっていた。
「次の方」
促され、前に出る。
本日の対応は、見慣れない男性係員だった。
その後ろには、馴染みの女性係員が立っている。
「研修なので、ご迷惑をかけるかもしれませんが、ご協力お願いします」
「いえ、大丈夫です」
彼女の言葉に頷き、私はハードケースをカウンターに置き、蓋を開いた。
ウレタンの隙間に並ぶ魔石を、新人係員が一つ取り出し、テスターにセットする。
機械が微かな駆動音を立て、緑色のランプが点灯した。
新人係員はディスプレイに表示された数値を二度見し、信じられないものを見るように戸惑いの表情を浮かべた。
「……全点、A品です」
彼の報告に、後ろにいた女性係員が頷き、続けた。
「これ、すべて『霧骨の沼地』のものですね。視界が悪く、皆が広範囲攻撃の機材に頼るため、あそこの魔石はB品が最高だと思っていたのですが。あのエリアのA品魔石を見る日が来るとは思っていませんでした。さすが静河さんですね!」
「……ありがとうございます」
女性係員は、端末操作を新人係員に指示する。
新人係員が差し出す明細を、私は受け取った。
「あの、本当にすごいですね!」
新人係員の素直すぎる称賛に、私は一礼した。
明細を手帳のページに挟み込むと、カウンターを離れた。
さっそく颯真くんに礼をしようと考えたのだが、ロビーにその姿は見当たらなかった。
まだダンジョンにいるか、あるいはすでに帰路についているのかもしれない。
ならば、また日を改めてすることにしよう。
私は協会の外に出た。
暗い空の下、冷たい風が吹き抜ける。
歩きながら手帳を開き、明細の数字と今後の収益予測を頭の中で計算しながら歩いていると、
「おう、静河じゃねえか!」
「颯真くん」
「どうなった——って聞くまでもねえな。その顔を見れば」
「……わかりますか?」
「俺ぐらいになると、な。静河との付き合いも十年になるからな!」
彼と出会って、まだ一年も経っていない。
私は彼の冗談に苦笑し、
「おかげさまで、目標の利益を出すことができました。ありがとうございました」
「気にすんなって」
彼は自分のことのように喜んでくれる。
「……けど浮かれてはいねえな」
すぐに表情を引き締め、聞いてくる。
「ええ。『金剛石の回廊』と『泥濘の迷宮』、二つの例がありますから」
「どっちも静河がA品の魔石を納めてたところだよな」
「ええ。いずれ、今の『霧骨の沼地』にも他の探索者が現れるでしょう。私のやり方を模倣して」
「あー……」
颯真くんが何とも言えない表情を浮かべる。
「別に咎めるつもりも、非難するつもりもありません。彼らには彼らの生存戦略があると考えますから。ですが、それは私も同じ。今のエリアが私にとってブルーオーシャンである時間はそれほど長く続かないと考えています。ですので、リスク分散のためにも、次の一手が必要です」
「もう考えてるんだろ、静河なら」
「はい。以前からデータを収集している、未踏の極寒冷地エリアへの進出です」
私は手帳のページをめくり、次なる課題の要件定義を視界に収めた。
「既存の機材ではそもそも局地条件に対応できず、性能上限を完全に超えてしまうでしょう。既存の機材も耐寒仕様にする必要があります。それに、そのエリアに出現するモンスターを処理するのに必要な機材を設計しなくてはいけない可能性もあります」
手帳を閉じる。
「その際は、種田精密への相談が必要になりますね」
私の結論に、颯真くんは呆れるような表情を見せず、むしろ感心したようなそんな感じで、
「……やっぱ静河はすげえな」
何かを呟いたが、その声はあまりにも小さく、よく聞こえなかった。
颯真くんは破顔一笑し、
「よしっ。そんじゃあ、そんな静河に飯を奢るか!」
「いえ。むしろ私のほうがお礼をするべきでしょう。今日は私が——」
「あー、よく聞こえねえなあ!」
颯真くんは笑いながら両耳を押さえた。
私はただ苦笑することしかできなかった。
街の、ある居酒屋。
そこに併設された食事処。
颯真くんが選んだ店がそこだった。
私と颯真くんはカウンター席に並んで座っていた。
私が注文したのは焼鯖定食。
醤油を垂らした、脂がのった鯖を口に運ぶ。
隣では颯真くんが上機嫌でビールが入ったジョッキを傾け、自身の武勇伝や探索の愚痴を熱っぽく語っている。
「でよ、そこで俺が……!」
私は咀嚼を続けながら、
「颯真くんらしいですね」
時折短く相槌を打つ。
いつもの一人の自炊とは違う。
しかし、決して悪くない平穏な時間が流れていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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