第4話:死線上のリスクマネジメント
探索者協会のカウンターで、私はトレイの上に置かれた魔石を見つめていた。
色も形も不揃いだ。
しかし、私が今日一日、ダンジョンで生き抜いたことの証だった。
「今日もだいたいいつもと同じくらいですね。静河さんの仕事はいつも丁寧で助かっています」
査定を終えた協会員が、伝票に判を押しながら言った。
最近知ったのだが、権藤さんはこの組織でそれなりの『立場』がある人らしい。
現場に出て探索者との受付業務をするような人では、本来ないとも聞いた。
「権藤さん言ってましたよ。静河さんみたいな探索者が長く生き残るんだって。期待しているって。珍しいんですから、あの権藤さんがそんなことを言うの」
「……ありがとうございます」
期待。それは今日を経て、明日へと繋がる活力になる。
うれしくないと言ったら嘘になる。
だが、光が当たれば、影ができることを『私』は知っている。
私の背中に、粘着質な視線が絡みつく。
「……ちっ。あんな臆病者がなんで期待されてんだ」
「俺たちの方が稼いでるのに、権藤のやつ、見る目がねえよ」
ロビーの隅にたむろしている、三人組の若者たちだ。
先日、ダンジョンの入り口で私の準備運動を嘲笑した彼らのそれとは違う。
睨みつけるような視線には、明らかな敵意が滲んでいた。
なるほど。確かに私は彼らにしてみれば『臆病者』かもしれない。
だが、それは彼らの価値観でしかない。
ダンジョンに求めるものがそれぞれ違うように、私には私の価値観があると理解してくれるといいのだが。
「……理想論か、それは」
理不尽な因縁は、社会という枠組みの中にいる限り追いかけてくるものであることを、私は嫌というほど知っていた。
協会員がさりげなく彼らとの射線を遮るように動いてくれたおかげで、その場は事なきを得ることができた。
私は協会を後にする。
宿舎に戻り、ドアの鍵をかける。
あたたかい食事を取って、入浴剤入りの風呂に入っても、あの視線の不快感が消えない。
ため息が勝手に出る。
「……嫌な予感がする」
『案件』が炎上する直前の空気に、とてもよく似ていた。
翌朝。
目覚めは悪い。
不快感はいまだ消えず、燻り続けている。
しかし、私にダンジョンに行かないという選択肢はなかった。
生きていくためには、働く必要がある。
私は今、ダンジョン探索者だ。
ダンジョンは職場であり、そこに赴くのは当たり前のことなのだ。
ダンジョンの前で、これまでそうしてきたように入念な準備を、装備の点検を行う。
このルーティンは、私の心を鎮めてくれる。
ダンジョンに対する恐怖。
今日は死んでしまうかもしれない不安。
完全には払拭できないし、払拭するつもりもない。
恐怖を裏返せば、生き残るためなら何でもやってやるという決意になるし、不安だってそうだ。
だから正しく言えば、研ぎ澄ませていくという感覚が一番近いだろうか。
ダンジョンの中層付近。
初めてダンジョンに来た時には考えられない場所まで、今の私はたどり着くことができていた。
そして、カビと湿気の臭いが充満した通路を歩いていた時だった。
「……昨日は偉そうな顔してたなあ?」
私の行く手を塞ぐように、三つの影が立っていた。
あの若者たちだ。
偶然? 違う。
彼らの様子を見ればわかる。
これは明確な待ち伏せだ。
「……何か?」
尋ねたが、答えはほとんどわかっていた。
ダンジョン内での死は事故として処理される。
つまり、法や倫理が及ばない無法地帯と一緒だ。
そして、彼らはそれを理解した上で、ここに立っているのだ。
「お前みたいな臆病者が気に入らねえ」
だから、と彼らは下卑た笑みを浮かべて言い放つ。
「死んでくれや? なあ?」
三人が剣を抜き放った。
心臓が早鐘を打つ。
嫌な汗が背中を伝う。
彼らは私と同じ人間だ。
ダンジョンを徘徊するモンスターではない。
しかし、話し合いでは解決できないようだ。
こちらの事情など一切考慮しない、暴走したクライアントと同じ。
——どうする?
その時、かつての『私』のことが脳裏をよぎった。
理不尽に耐え、心を削り、そして最後はすべてを失った。
今の私も同じだった。
幼馴染に、家族に、自分という存在を搾取され続けた。
どこにいっても、生まれ変わっても、同じだ。
理不尽は常につきまとい続ける。
ダンジョンで死が常につきまとい続けるように——。
私は、生きたい。
今日帰って、温かいご飯を食べたい。
——どうする?
モンスターと対峙している時とは違う恐怖に晒されながら、私は思考を止めない。
動き続ける限り、進むことができるのだから。
私に腕力はないし、装備も貧弱。
まともにやり合えば、数分もしないうちに『事故死』することだろう。
権藤さんあたりは、少しの間は悼んでくれるかもしれない。
だが、すぐに忘れてしまうだろう。
ここは死がありふれた世界だから。
そんな世界で、私はこれからも生きていくのだ。
そう決めたのだ。
だから、何でもする。
そのための『準備』を私は今日まで繰り返してきたのだから。
彼らに臆病者だと笑われても。
「くそが! 逃げんじゃねえよ臆病者が!」
「待てオラァ!」
罵声を背中で聞きながら、私はダンジョンの中を、悪路を走る。
彼らには私が闇雲に逃げているように見えるかもしれない。
だが、違う。
私の頭の中には、協会で配布されている地図データと、最新のモンスター目撃情報が展開されている。
私が目指したのは、探索者が避けて通るべきエリアとして赤く塗られていた場所。
『高ランクモンスター』の定期徘徊ルートだ。
私の息の根を止めようとする彼らの足音が、私を容赦なく追ってくる。
立ち止まれば彼らに殺される。
しかし、このまま進めば高ランクモンスターに殺される。
進むも地獄、戻るも地獄とはまさにこのことに違いない。
そんなことを思いながら、私は額から滴り落ちてきた汗を拭った。
そして見つけた。
「……ここだ」
危険区域に指定されていたエリアの、狭い亀裂を。
人ひとりがやっと身を隠せるほどのそこに、私は体を押し込み、息を殺す。
心臓の音がうるさい。
自分の脈拍で敵、彼らか、高ランクモンスターか、いずれにせよどちらかに見つかるのではないかという恐怖に襲われる。
遅れて、彼らがやってきた。
「どこへ消えやがった!」
「臆病者が! 出てきやがれ!」
臆病者と見下した私のように、協会の資料を読み込んでいれば、この場所で大声を出す愚かさは犯さないはずなのに。
もう遅い。手遅れだ。
彼らの背後にあった闇から、巨大な影が現れてしまった。
「あ?」
悲鳴を上げる暇さえなかった。
音だ。
肉が潰れ、骨が砕ける、生々しい音がする。
「ひ、あ、ああああああああああああああああああああああああああ!?」
断末魔は、耳をふさいでいても私の耳朶を震わせた。
私は彼らを見殺しにした。
……違う。
私が誘導したのだ。
ただ、私が生きて、明日を迎えるためだけに。
断末魔は残響となり、咀嚼音だけが残った。
どれくらい経っただろう。
辺りは完全に静かになり、すべての気配がなくなったのを確認してから、私は隠れていた亀裂から這い出した。
彼らの姿はどこにもない。
地面にへばりついた赤黒い痕跡と、引きちぎられた装備の残骸だけが、そこで起きた『事故』を物語っていた。
胃の奥に消化できない何かの塊を流し込まれたような、重苦しい感覚。
それは、私が生きているという何よりの証拠だった。
ダンジョンを出て、探索者協会に戻り、いつも通り換金を行う。
カウンターの向こうで、久しぶりに権藤さんの顔を見た。
権藤さんは私を見つけると、
「探索者とよくない雰囲気になったと聞いたが」
「……はい」
「大丈夫か?」
「……ええ、私は大丈夫です」
「なら、よかった」
ほっとしている彼の顔に背を向け、私は協会を後にした。
宿舎への帰り道、私はコンビニに立ち寄った。
棚に並ぶ弁当の中から、いつもより少し高い、ハンバーグ弁当を手に取る。
レジで温めてもらい、部屋に戻る。
プラスチックの蓋を開けると、湯気とともにソースの匂いが広がった。
箸を手に持ち、白米を取ろうとして——できなかった。
震えがひどい。
それでも、生きていくためには食べる必要がある。
だから。
「……いただき、ます」
口に運んだ米も、ハンバーグも、何も味はしなかった。
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