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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾


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第38話:量産化の罠と損益計算

 朝の準備広場にダンジョンからの冷気が漂う。


 私はいつものベンチに腰を下ろし、靴紐の張力、ポーション、止血剤、各種溶剤の位置、各装備の固定具合、そしてバックパックの重心を、頭の中にあるチェックリストに照らし合わせて確認していく。


 ——全条件(コンディション)規定値内(オールグリーン)


 私はベンチから立ち上がった。


 その時、広場の喧騒を切り裂くように、規則正しい足音が近づいてきた。


 ダンジョンの入口に現れたのは、紺色で統一され、胸元にエンブレムを光らせた防具を纏う集団。


 企業が運営する大規模なクラン——『アルゴス』だ。


 彼らの装備は、一般的な探索者のそれと比べてあまりにも異質なものだった。


「あいつらダンジョンに何をしにいくんだ? あんな重そうな機械の塊を抱えてよ」


「馬鹿お前わからねえのかよ。あれでモンスターをぶっ潰すんだよ!」


「はは、オレたちとは頭の使い方が違うなあ!」


 周囲の探索者たちから、嘲るような声が漏れ聞こえてくる。


 彼らは『アルゴス』を、ダンジョンを知らない素人の集団だと見下しているのだろう。


 未帰還者リストに名を連ねることなく、日々、生き残っている自負があるゆえに。


 自分たちの優位性を少しも疑っていない。


 だが、私の認識は違った。


 沈黙し、整然と隊列を組む彼らの腰には、装備と同じく統一された長剣が下げられている。


 そして、そんな彼らが両手で抱えているのは、おそらくだが、分厚いバッテリーパックに接続された大型の環境測定器や、パラボラ型のアンテナがついたセンサーである。


 優に数十kgはあるだろうその質量を抱えながら、彼らの体幹は一切ブレていない。


 重心の上下動を極限まで抑えたすり足。


 高所の岩場を歩く登山家、あるいは不整地での重量物運搬に特化した山岳歩兵のような、極めて実用的で洗練された動きだ。


 私の推測が正しければ、彼らはモンスターを狩るための探索者ではないだろう。


 悪路を踏破し、確実に機材を運び、現場を構築するための、探索者とは別ベクトルの専門家たち。


 アルゴスの、いや、企業の本気を感じ、私の奥に何かが生まれる。


 彼らがダンジョンに入っていく。


 私が今日向かうのは『金剛石の回廊』であり、そして彼らの目的地もまたそこであったため、私は一定の距離を保ち、彼らの後を追従する形となった。




 中層、石英質の岩盤が広がる領域——『金剛石の回廊』。


 私は岩陰に身を潜め、前方で展開される光景を観察していた。


『アルゴス』の部隊が、フォートレス・アイソポッドの群れと対峙している。


 アイソポッドの巨体による突進に対し、前衛が分厚い大型の盾を地面に突き立てて衝撃を完全に吸収し、対象を完全に固定する。


 彼らは腰の魔剣を抜こうとはしない。


 そして前衛に守られている後衛が、運び込んだ大型のセンサー機材で何かをしていた。


「……やはりデータ収集か」


 アイソポッドの多層装甲の硬度。


 表面温度の推移。


 周囲の湿度と気圧の変化。


 後衛の作業員たちが、センサーで膨大なデータを収集している。


 対象の性質を解析し、個人の職人技をアルゴリズムへ解体するつもりなのだ。


 彼らの機材とマニュアルは、ダンジョンという不規則な環境全体を攻略するためのものではない。


 この『金剛石の回廊』における、フォートレス・アイソポッドという単一の事象から、安全に魔石を回収することだけに条件を絞り込んだ、極端な局地最適化だ。


 自衛隊などの国家組織がダンジョン内部の制圧を行わないのは、階層ごとに環境という変数が極端に変わりすぎ、面での制圧は維持コストが利益を上回るからだ。


 だが、彼ら企業は違う。


 私の残したデータから利益の出る点だけを切り取り、そこを工場化しようとしている。


 ……しかし、その極端な局地最適化は、前提条件である変数が少しでも狂えば、即座に機能不全に陥ることを意味している。


 私は手帳を取り出し、彼らの機材や人員配置、行動の手順を書き留めた。


 瀬能氏の言葉を思い出す。


「……誰でもできる作業に落とし込むためのデータ収集」


 疑っていたわけではない。


 それでも企業の本気がそこにはあった。


 私は彼らの視界に入らないよう後退し、本日の業務を別エリアで完遂した。




 地上に戻り、換金カウンターの列に並ぶ。


 周囲の探索者たちは「アルゴスの連中は剣も抜かずに逃げ回っていた」と笑い合っている。


 彼らの目にはそう映ったのかもしれない。


 だが、それは現状の認識が甘いと言わざるを得ないだろう。


 莫大な資金の投入は、高確率でダンジョンの生態系と魔石の相場を激変させるはずだ。


 他の探索者たちにとって不採算エリアだった『金剛石の回廊』を、私は種田氏の協力を得てユニットを開発し、ブルーオーシャンに書き換えた。


 だが、一つの場所に依存するやり方は、致命的なリスクに他ならない。


 生き残るための手段は、常に複数用意しておくべきだ。


 もちろん、これまでもそうしてきていたが、今まで以上に加速する必要があるだろう。


「……明日は別の場所で業務を行いながら、新たな不採算エリアの攻略方法を構築しましょう」


 私は明日以降の予定を思い描きながら、協会を後にした。




 ——一週間後。


 朝の準備広場の空気は、重機の排気熱によって澱んでいた。


『アルゴス』が搬入した大型の機材がダンジョンへと運ばれていく。


 揃いの作業服を着た者たちが、決められた手順に従い、ダンジョンに吸い込まれていく。


 あの巨大な質量を、彼らは大竪穴のような難所であっても、鳶職のような完璧なロープワークと滑車の連携で遅滞なく下ろしていくのだろう。


 物理的な物量の投入。


 いよいよ、企業による市場の制圧が始まるのかもしれない。


 私はその光景を横目に、ここ一週間続けていた別ルートでの業務へと向かった。


 新たな不採算エリアの地質及びモンスターのデータ収集と採取効率の測定は、すでに目処が立っている。


 危険を分散させるための備えは、着実に機能し、『金剛石の回廊』の時のようではないが、それでも少しずつ利益を生み出し始めていた。




 そうしていつも通り、私は定時にダンジョンを出る。


 業務を終えて探索者協会のロビーに足を踏み入れれば、いつもとは違う光景が広がっていた。


 壁際に立ち尽くす者、頭を抱えて座り込む者——。


 見知った人影が近づいてきた。


 中堅パーティー『赤き戦斧』のリーダーだった。


「……ひどい有様だろう」


 彼は重々しい口調で告げた。


「アルゴスの奴らだ。あいつらが、朝方運び込んでたあの機械でアイソポッドを乱獲しやがったんだ」


 私は見ていない。


 だが、その光景を簡単に脳裏に思い浮かべることができた。


 徹底的なマニュアル運用によって、対象を魔石へと変えていったに違いない。


「A品魔石が大量に持ち込まれ、今日の魔石の買取価格が暴落してる。……お前は、大丈夫か?」


 彼の気遣う視線に、私は首を横に振った。


「本日は別の場所で目標は達成しています。一つの場所に頼るのは、危険ですから」


 私の言葉に彼は目を丸くした。


 やがて大きな声で笑った。


 あまりにも大きく、他の者たちの視線を集めるほどだった。


 そうしてひとしきり笑うと、彼は明確な敬意を込めて私を見た。


「やっぱりお前はプロだな。いつか、飯でも奢らせてくれ」


「その時がきましたら」


 私の応答に彼は苦笑し、だが、


「約束だぞ」


 と言い残して去っていった。


 私は彼の背中をしばらく見送ってから、換金カウンターへ向かい、今日、取得した魔石をトレイに置く。


 直後だった。


 紺色のスーツの上に防塵コートを羽織った、眼鏡をかけた男が隣に立ち、私に声をかけてきた。


 胸元には『アルゴス』のエンブレム。


「あなたが静河さんですね。自分はアルゴスでデータアナリストを務めている涼下(すずもと)(れい)と申します」


 彼は手元の端末の画面を私に向けて提示した。


 画面には、彼らの圧倒的な納品量を示す棒グラフと、窓口の横に貼り出された本日の下落した買取相場表の数値が並んでいた。


「瀬能代表は先日、厳しい言葉を投げかけましたが、自分はあなたの納品データ、その品質と安定性を高く評価しています。素晴らしい職人技です」


 彼は純粋な称賛の表情を浮かべた後、その目を冷徹なものに変えた。


「ですが、あなたの属人的な技術は、すでに我々の収集したデータによってアルゴリズム化されました。個人の経験則が、資本とシステムに凌駕される過程を、この数字が証明しています。今なら、当社のシステム開発のための顧問として、破格の報酬でお迎えしますが」


 私は涼下氏が提示した端末の数字を視界に収める。


 バックパックから手帳を取り出し、ペンを走らせて計算を始めた。


 彼が怪訝な顔をしているが構わない。


 そうして計算を終え、私は告げた。


「確かに、持ち込まれた量は圧倒的ですね」


 ですが、と続ける。


「今日、ダンジョンに持ち込まれた大型機材の運用コストや、多数の人件費。そして何より、あなた方自身が引き起こした相場の下落。それらを差し引けば、手元に残る利益は急激に悪化しているはずです」


 涼下氏の眉が微かに動く。


「少しの環境変動による遅延が発生すれば、あなた方のシステムは一瞬で赤字に転落する。ダンジョン特有の微細な環境変数や、外れ値と呼ばれる個体差は、マニュアルに落とし込めません。安全マージンを切り捨てたシステムは破綻します」


 私は手帳をバックパックにしまうと、彼を真っ直ぐに見据えた。


「そこに私が加わる理由は、どこにもありません」


 私の指摘に対し、涼下氏は激昂することもなく、自信に満ちた冷笑を浮かべた。


「あなたの言う属人的な勘や経験は、すべて当社の高精度センサーで数値化し、対応策を用意しています。個人の技量に依存する時代は終わります。そう遠くない未来に確実に」


「……そうですか。ならば現場の運用リスクと製造物責任を負う覚悟で、どうぞご自由に」


 私の言葉に、彼は苦笑を浮かべる。


 私の忠告を強がり、あるいは、時代遅れの職人の負け惜しみとでも受け取ったのかもしれない。


 涼下氏はこれ以上勧誘する価値はないと判断したのだろう。


 私に背を向け、自身の部隊の方へと歩き去っていった。


 私がその背中を見送っていると、


「……静河さん」


 窓口の女性係員が、強張った声で私を呼んだ。


 振り返れば、彼女の顔には声同様、強張りがあった。


 圧倒的な資本を背景にした彼らの威圧感に、不安を抱いていたのかもしれない。


 だが、彼女の顔から強張りが抜け、やすらいだ笑みが浮かぶ。


「……大企業を相手にしても、静河さんは静河さんのままなんですね。……なんだか、とても安心しました」


 彼女は、いつも以上に丁寧な手つきで買取金の口座への振込を行い、明細を差し出す。


「ありがとうございました」


「いえ。お礼を言われるようなことは何もしていません」


 私はそう告げ、明細を受け取り、軽く会釈をして協会を後にした。


 外へ出ると、冷たい風が心地よかった。


 夕食は、温かい肉うどんにしよう。




 ——翌朝。


 準備広場のいつものベンチで、装備の最終確認をしていると、人影が近づいてきた。


 上近少年だ。


 彼は不安に揺れる瞳で私を見てきた。


「静河さん……僕たちは、どうすればいいんでしょうか」


『アルゴス』という巨大な組織の脅威と、それがもたらした相場の激変。


 明日を生きられるかという切実な恐怖を抱いているのだろう。


 私はバックパックから取り出した手帳を開き、昨晩の計算結果を彼に向けた。


「『アルゴス』のやり方は、特定の条件下——『金剛石の回廊』でフォートレス・アイソポッドのみに機能する極端な局地最適化です。対象の体温や装甲の厚みといった平均値から外れた個体、あるいは彼ら自身の連続稼働による環境の乱れなど、少しの変数が生じるだけで対応しきれなくなります。そう遠くないうちに、エラーによる経費ばかりがかさんで立ち行かなくなる可能性が高い、というのが私の計算結果です」


 だから、と続けて、私は立ち上がった。


「私はこれまで通り、私の作業を継続します」


 これまでの私なら、そこで言葉を終わらせていただろう。


 だが、気がつけば、私はこう続けていた。


「あなたも、自分の計算を信じるべきです」


 と。


 私自身驚き、そしてそれは上近少年も同じようだった。


 だが、彼はすぐに破顔し、


「ありがとうございます、静河さん!」


 その瞳には、不安はもう存在していなかった。


 だが、その場に居合わせた、他の探索者たちの反応は様々だった。


「企業相手に、そんなうまくいくはずがない!」


 と、そう吐き捨てるように言う者もいた。


 しかし、上近少年以外にも、この場には颯真くん、『蒼穹の翼』、そして『赤き戦斧』のメンバーたちもいて、彼らは私を見て、かすかに頷き、静かに自らの装備の点検を始めていく。


 私の計算が正しいかどうか、今はまだわからないが——。


 私の目的は今日を生き抜き、平穏な生活を維持することに他ならない。


 ダンジョン突入前のチェックリストをすべてクリアすると、


「……全条件(コンディション)規定値内(オールグリーン)


 私は確かな足取りでダンジョンの暗がりへと足を進めた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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▼書籍化作品▼

【書籍版 異世界に召喚されなかったから、現実世界にダンジョンを作ってやりたい放題 / ガガガブックス】
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【Audible版 異世界に召喚されなかったから、現実世界にダンジョンを作ってやりたい放題】
1巻 こちらから
2巻 こちらから

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