第35話:不当な告発と、現場検証という名の正答合わせ
探索者協会のロビーで、私はいつものベンチに腰を下ろした。
業務開始前の、最終工程へ移行する。
安全靴の確認。
ポーション類の確認。
カラビナ、ロープ、サバイバルナイフ、その他私が普段から利用している資材、機材、溶剤——それらすべてを細かくチェックしていく。
そうして最後に、ドロップレッグ・ホルダーに収めた『対極硬度用・高周波解離ユニット』の確認だ。
バッテリーインジケーター——電力の蓄積に、
「問題なし」
今日は、昨日に引き続き、この新モデルの動作検証である。
一度のデータ収集だけでは、環境の変化による変数を網羅できない。
繰り返しの試行錯誤を経て、初めて確実な段取りが構築できる。
そのため、バックパックには種田精密から受け取った設計仕様書を収めてある。
現場での一次データを、そこに直接書き込むのだ。
すべて問題なし。
全条件、規定値内。
そうして私が立ち上がり、ゲートへ向かおうとした時だった。
私の前に人影が現れた。
厚手の作業着には胸など一部に金属板が縫い止められ、さらに各種ポーチを機能的に配置した実用性を重視した装備姿は探索者のそれだったが、彼女の肩には探索者協会に所属していることを示すシンボルが縫い付けられていた。
「あなたが静河さんですね。わたしは鷹沼紗霧。協会の監査官です」
綺麗な顔立ちだからこそ、その眼光の鋭さが際立っていた。
「本日、あなたの探索業務に同行し、監査を実施します」
私はそんな鋭い彼女の目を真っ直ぐに見て、告げた。
「理由を伺えますか」
「あなたに対する告発がありました」
鷹沼氏は小脇に挟んでいたバインダーを開く。
「未認可の機材を岩壁に強く押し当て、ダンジョン環境を著しく破壊しているという内容です。同行を拒否する場合、探索者ライセンスの取り消し規定を適用します」
確かな熱が胸の奥に沸き立つのを感じた。
彼女の言う告発内容は、昨日、私が安全マージンを計測するために行った岩盤への過負荷テストのことに違いない。
あの時、物陰から私を観察していた不自然な探索者の姿が脳裏に浮かぶと同時に、答えを得たような気がした。
これは仕組まれた監査だ。
おそらく、私を貶めるために。
だが、誰が?
先日、『金剛石の回廊』を占拠していて、私が排除した冒険者だろうか?
……いや、彼らがそのような伝手を持っているとは考えにくい。
ならば、誰が——。
「……ああ、そういうことですか」
思い出したのは、先日の安全管理規則の改訂会議で、更迭された管理部門の男たちのことだった。
「何か?」
彼女の問いに、私は短く「いえ」と応じる。
今回の監査に、管理部門の裏があるのではないかというのは、私の推測に過ぎない。
悪意を持って切り取られた報告に対し、ここで言葉による反証を試みても、さらなる曲解の素材を与えかねない。
私が彼女の同行を認め、いつもの業務に向かおうとした時、
「師匠が、そんなことするはずねえ……!!」
ロビーに大声が響いた。
『蒼穹の翼』のリーダーだった。
「……だな。静河はプロだ。意味のない破壊なんてするわけがない」
『赤き戦斧』の男も、腕を組んだまま、『蒼穹の翼』に同意を示す。
他にも、周囲の探索者たちが頷く気配が広がった。
鷹沼氏の表情が僅かに乱れた。
想定していた、孤立した探索者への一方的な通告という構図が崩れ、動揺したのかもしれない。
私は彼らに一礼し、鷹沼氏を見た。
「同行の件、承諾します」
そして、こう続けた。
「実地で数値を計測すれば、結論は出ます」
と。
中層の通路。
湿ったカビの臭いと、微かな冷気が肌にまとわりつく。
私は背後を歩く鷹沼氏に、視線を向けずに口を開いた。
「環境テスターのスイッチは入れないのでしょうか?」
鷹沼氏はため息に似た吐息を小さく漏らすと、
「……もちろん、入れます」
腰のポーチから小型のテスターを取り出し、スイッチを入れた。
彼女の足運びに無駄はない。
重心の移動も、周囲への視線の配り方も、ダンジョンを識る者の動きだった。
しばらく進むと、横の通路から金属音が響いてきた。
どうやら別のパーティーが戦闘を行っているようだ。
私が岩陰に身を潜めてその様子を観察し始めれば、鷹沼氏も私と同じようにした。
気にならない、といえば嘘になる。
だが、ダンジョンにおいて、自分以外のことに気を取られていては、いつもどおりの業務を遂行することはできない。
彼女のことは一旦、意識の外に置くことにして、私は前方のパーティーを注視した。
彼らは大型のモンスターに、魔剣で対抗していた。
大型モンスターが持つ装甲のような毛皮に弾かれ、刃が欠けるのが目視できた。
と同時に、鷹沼氏が持つテスターが警告ランプを点灯させた。
「……欠けた魔剣からの、魔力漏洩」
鷹沼氏が呟く。
環境数値を乱す原因の一つである。
鷹沼氏が何か考える表情をする。
私はただ、
「いきます」
と告げて岩陰から身を出すと、目的地へ向かうためのルートを進んだ。
今日の目的地である『金剛石の回廊』へとやってきた。
前方から、多脚が岩を擦る振動が伝わってくる。
フォートレス・アイソポッドだ。
鷹沼氏のことはすでに意識の外に置いている。
私はいつもどおり、業務を行うだけである。
専用ホルダーから高周波解離ユニットを引き抜いた。
気配を殺し、足音を殺し、対象の死角へ。
多層装甲の継ぎ目が露出する瞬間、踏み込み、ユニットの先端を押し当てる。
「……スイッチ」
装甲の分子結合が解離し、生まれた隙間にサバイバルナイフを差し込んだ。
アイソポッドが光の粒となって消散し、魔石が落ちる。
私はそれを拾い上げる。
二体目、三体目——と処理を続け、昨日、熱膨張によって固着した時間より早く、ユニットに違和感が発生。
固着が起こっていた。
私はすかさず岩陰へと身を隠し、
「……アイソポッドの個体差によるものか」
バックパックからユニットの設計仕様書を取り出し、今回得られたデータを書き込んだ。
隣で、テスターを覗き込んでいた鷹沼氏が呟くのが聞こえた。
「…………魔力干渉、ゼロ」
業務を行っている横で、彼女はずっとテスターを見ていた。
その結果を口にした。
「これは物理的な振動を利用するだけの工業製品ですから」
私はすでに手に持っていた設計仕様書と、バックパックから取り出した手帳とを彼女に差し出し、言った。
「これが、この機材の種田精密による設計仕様書と、この機材の設計概要です」
彼女はそれらを受け取り、無言で目を走らせる。
「このユニットの周波数は、フォートレス・アイソポッドの装甲の分子結合にのみ干渉するよう設計されています」
言葉による説明だけでは不十分だろう。
私は彼女を促し、昨日、私がテストを行った岩壁の前まで移動した。
「ここが、昨日私がユニットを押し当てていた箇所です」
岩肌をライトで照らす。
削れた痕跡も、ひび割れも一切存在しない。
私は再びユニットを構え、その岩壁に先端を強く押し当て、スイッチを入れる。
振動音が響くが、岩盤は微塵も変化しない。
「影響がないことは、これで証明されたはずです」
私がユニットの電源を落とすと、彼女が呟いた。
「……そうですね。あなたは環境に影響を及ぼしてはいない」
彼女の手が岩肌を撫でる。
そこは、私がユニットを押し当てていた場所ではない。
その近くにあった、鋭利な刃物によって傷つけられただろう箇所だ。
鋭利な刃物——おそらく魔剣のものと思われる傷跡は一つではなかった。
無数、存在していた。
「環境を破壊しているのは、いったい誰なのか……」
鷹沼氏は岩壁の無傷な表面と、魔剣による傷跡を交互に見比べる。
そして、手元にある仕様書にもう一度、視線を落とした。
すでに確認していたため、改めて行う必要はなかったはずだ。
だが、彼女はそうした。
彼女ではない私には、わからないことだった。
「……確認いたしました」
鷹沼氏は仕様書を私に返し、短く息を吐き出した。
「告発は、事実誤認に基づくものであったと報告します。これ以上の監査は不要です」
彼女はテスターの電源を落とし、ポーチにしまった。
ダンジョンの暗がりから、準備広場へと帰還する。
監査というイレギュラーな事態は発生したが、今日も定時に業務を終えることができた。
新モデルのデータも得られ、これを種田氏にフィードバックする必要がある。
その前にフォートレス・アイソポッドの魔石を換金する。
そう思って換金カウンターへ向かおうとすると、荒い足音が近づいてきた。
「静河さん……!」
権藤さんだった。
私の前で立ち止まると、彼は肩で大きく息をし、額には汗が滲んでいた。
「今回の監査は——」
何かを言いかけ、権藤さんは私の隣で静かに立っていた鷹沼氏を見て、慌てて口をつぐむ。
「……では、これで」
鷹沼氏はそう言って、去っていく。
私は立ち去る彼女の背中を最後まで見送ることなく、権藤さんに振り返る。
「……静河さん、本当に申し訳ない。私が委員会に引き込んだせいで。今回の不当な監査は——」
委員会。
不当。
やはり、管理部門の男たちが背後にいたらしい。
だが、
「権藤さん、問題ありませんでした」
私が告げれば、彼は微かに目を見開き、そして、深く、静かに頷いた。
「…………ありがとう」
それは何に対する礼なのか。
訊ねるようなことはせず、私は権藤さんに一礼し、換金カウンターに向かった。
予定していたとおりの査定金額に頷きつつ、協会を後にする。
意識の外に置いたつもりではあったが、それでも今日の予定外の監査対応には、精神的なリソースを大きく消費した。
自炊による調理と片付けの工数を削減し、効率的なエネルギー補給を優先すべきだ。
「……今日は外食にしよう」
豚ニラ玉定食がいい。
それに副菜としてキュウリと長芋の梅肉和えをつければ、疲労回復に必要な栄養素を迅速に摂取できるだろう。
胃袋を満たし、休息を取り、明日の業務へ備えるのだ。
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