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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾
第3部

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第33話:特許の不良債権化と、無言の申告


 錆びたトタン壁に、午前の斜めの光が当たっている。


 色褪せた『種田精密』の看板を見上げ、今日の業務を定時よりも早く切り上げた私は、重い引き戸に手をかける。


「あ、いらっしゃいませ」


 種田氏とともに働いている、作業着姿の若者に出迎えられる。


 種田精密は下町の、極めて小規模な町工場だ。


 しかし、ここは私の要求仕様を満たせる技術力を持つ、現在唯一の取引先でもある。


 若者の案内で、薄暗い作業場の一角にある、傷だらけの応接テーブルに私はついた。


「どうぞ、熱いうちに」


 種田氏のご家族だろう。


 高齢の女性が、静かな足取りで私と種田氏の前に湯呑みを置いていく。


 湯気とともに香るほうじ茶の香り。


 私は軽く会釈をし、一口だけ含んで喉を潤した。


 ご家族が去り、この場に私と種田氏、それに若者が残った。


 私はすでに床に置いておいたバックパックから数枚のレポート用紙を取り出し、テーブルの上に並べた。


 それは先日納品された『対極硬度用・高周波解離ユニット』の振動ホーンに関する、現場での稼働時間と摩耗率の相関データについて、私が書き込んだものだ。


 私は一つ一つの数値を指先で示しながら、種田氏に要件を伝える。


「これが規定回数使用した後の偏摩耗の推移です。そして現状の仕様ですが、交換に工具とトルク調整が必要となり、現場でのタイムロスが無視できません。ワンタッチ換装機構の実装と、消耗部品の量産単価削減。また、出力に対するバッテリー効率の最適化。この三点を次期モデルの要件として打診します」


 そのための開発費用はすでに振込が終わっており、そのことは種田氏も確認している。


 若者が近寄ってきて、私の提示したデータを食い入るように見つめている。


 一方、種田氏は腕を組み、鋭い視線で数値を追っていた。


 しばらくの沈黙の後、若者が顔を上げた。


「静河さん、……あの、実はちょっと気になっていたことがありまして」


「何でしょう?」


「これだけ実用的な機材と運用手順が完全に確立しているなら、すぐにでも全体の技術特許を取るべきだと思うんです。協会……いえ、メーカーですね。売り込んで量産化すれば、ダンジョンに潜らずとも、一生遊んで暮らせるだけの財産が手に入ると思うんです。なぜ、そうしないのでしょう?」


 一生遊んで暮らせる財産。


 一見すると魅力的な提案に聞こえる。


 しかし、それはリターンを致命的な負債が上回る、完全な不良債権でしかなかった。


「私がそうしない理由は三つあります。第一に、製造物責任と顧客管理のリスクです」


 私は手元のデータを鞄にしまいながら、理由を口にする。


「マニュアルを読まない、あるいはメンテナンスを怠る素人が現場で事故を起こせば、必ず機材の欠陥として訴訟を起こされます。過去に善意で救助した相手から訴えられそうになった経験や、整備不良の魔剣がもたらした二次災害の例を見れば明らかです。不特定多数への販売は、コントロール不可能な顧客を無限に抱え込む行為にほかなりません」


 私の言葉に、先程まであった、若者の顔の輝きが失われていくのがわかった。


「第二に、特許の防衛コストです。資金力のある大企業やクランが類似品を作った場合、特許侵害を立証するための裁判費用と、それに割く膨大な時間というリソースが私にはありません。私は一介の探索者であり、法律の専門家でも経営者でもありません」


 そこで言葉を切り、私は最後の懸念材料を提示する。


「第三に、市場の利益率の低下です。全員が安全にフォートレス・アイソポッドを狩れるようになれば、魔石の供給過多で買取価格が暴落します。私の安全な資金源を、自らの手で破壊する合理性がどこにもないのです」


 若者は完全に言葉を失っていた。


 ただ彼が呼吸を繰り返す音だけが響く中、沈黙を破ったのは、腕を組んで目を閉じていた種田氏だった。


「……全くだ」


 彼がゆっくりと目を開き、私を真っ直ぐに見た。


「道具の限界を理解せず、手入れもせずに壊す馬鹿どもに、俺の道具をくれてやる義理はない。静河、お前の言う通りだ」


 かつて自身の打った魔剣を無理解な探索者に否定された経験を持つ種田氏は、私の提示したリスクに深く共鳴したようだった。


「機構の変更と単価の見直し、やってやる。そのための費用も受け取ってるしな。連絡を待て」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 私が一礼すると、若者は我に返って頭を下げてきた。


 気にしていないというふうに頷いてみせてから、私は種田精密を出た。


 外の空気を吸い込みながら、私は自身の内面を確認する。


 先程若者に告げた言葉に嘘はない。


 会社を興して巨万の富を得るような野心など、私にはないのだ。


 今日を無事に終え、温かい夕食を食べ、誰にも脅かされずに眠る。


 その平穏な生活の維持こそが、今の私にとっての最優先事項なのである。




 ——数日後。


 ダンジョンの大穴を取り囲む準備広場。


 外気と地下からの冷気が混ざり合い、カビと湿気の臭いが肌にまとわりつく。


 私はいつものベンチに腰を下ろし、業務開始前の最終工程へ移行した。


 ——協会が出している最新のモンスター出現情報及び、ダンジョン環境データの確認、クリア。


 ——ダンジョン内の地図、クリア。


 ——体調、クリア。


 ——装備、クリア。


「対極硬度用・高周波解離ユニット」


 冷却期間はとった。


 振動ホーンは、昨夜のうちに損耗したものを取り外し、予備のホーンへと換装済みだ。


 もちろん、六角レンチによるトルク調整は完璧に済ませてある。


「クリア」


 全条件(コンディション)規定値内(オールグリーン)


 私は立ち上がり、ダンジョンの暗がりへと足を踏み入れた。




 本日の目的地は、中層にある『金剛石の回廊』。


 高い利益率を誇るフォートレス・アイソポッドの魔石を回収する。


 岩肌の冷たさを感じながら、途中、ダンジョン特有のトラップやモンスターを慎重に対処しながら、歩を進めていく。


 しかし、目的のエリアへ続く主要な分岐点に差し掛かったところで、私の足は止まった。


 前方の通路が、物理的に封鎖されていたのだ。


 正確には、大柄な探索者が三人、横一列に並んで立ち塞がっているのである。


 彼らの装備は装飾過多で、手入れが行き届いているとは言いがたかった。


 足元には空き缶や包装紙などのゴミが散乱し、強いアルコールの匂いと安っぽい香水の匂いが漂ってきていた。


「ここから先はオレたちの管理エリアだ。通りたけりゃ、通行料として魔石を置いていきな」


 中央に立つ男が、下卑た笑みを浮かべて剣の柄に手をかけた。


 典型的な、ルートの不当占有を企む不良探索者たちだ。


 これまでにも遭遇したことが、ないわけではなかった。


 私の脳内で素早く計算する。


 ここで彼らと直接的な戦闘や口論に及べば、怪我のリスク、装備の損耗、そして何より時間の浪費という致命的なコストが発生する。


 利益を生まない不毛な争いは、避けるべきだ。


「……理解しました」


 私は彼らの要求を拒絶することも、交渉を試みることもしなかった。


 ただ一言だけ口にし、踵を返す。


 背後から嘲笑するような声が投げかけられたが、それは私にとって工事現場の騒音以下の意味しか持たない。


 私は一切の感情を交えることなく、その場から完全に撤退した。




 直接対決は避けたが、あのルートを継続的に占有されることは、私の将来的な業務効率を著しく低下させる。


 もちろん、他の不採算エリアを開拓するという選択肢がないわけではないが、


「それよりも彼らを処理する方が早い」


 障害物を撤去するのには、何も力任せである必要はない。


 私は正規ルートから外れ、岩盤が複雑に入り組んだルートへと足を踏み入れる。


 目指すのは、彼らが陣取っていた拠点のすぐ裏側だ。


 足音を完全に殺し、呼吸の音すら岩の反響に溶け込ませる。


 モンスターの死角を突くのと同等の、隠密行動だ。


 岩肌の冷たさが衣服越しに伝わってくる。


 彼らの下品な笑い声と話し声が、岩壁の向こうから漏れ聞こえてきた。


 私は岩の隙間から、彼らの足元を静かに観察する。


 周囲には、彼らが持ち込んだ物資の残骸が無造作に投棄されていた。


 丸めて捨てられた弁当の空き容器や、スナック菓子の袋。


 私の視線が、そのゴミの山から覗く一枚の紙片に固定される。


 印字されたインクの文字列。


 それは協会に併設された売店のレシートだった。


 通常の小売店で使われる感熱紙であれば、ダンジョン特有の気候で判別が難しくなっていてもおかしくはない。


 しかし、協会のレシートは、コストをかけて耐水・耐薬品性の合成紙と熱転写インクが採用されている。


 ダンジョン内での所持や、購入証明を前提としているためだ。


 目を凝らすと、購入日時に加え、探索者のポイントカードの会員番号らしき文字列がはっきりと印字されているのが読み取れた。


 いざという時の証拠保全を想定した、協会側の正しいリスク管理の賜物である。


 これ一つで、協会のシステムと照合すれば即座に身元が特定できる、言い逃れ不可能な物理的証拠だ。


 さらにその脇には、青いラベルが貼られた小瓶が転がっている。


 筋力増強と興奮作用を伴うため、ダンジョン内への持ち込みが協会規定で厳しく制限されている『処方指定ポーション』の空き容器だ。


 完璧な、コンプライアンス違反の物証。


 私はバックパックから厚手のポリ袋を取り出した。


 岩の陰から腕だけを伸ばし、彼らに気づかれることなく、それらのゴミを一つずつつまみ上げる。


 微かな摩擦音すら立てないよう、慎重に袋の中へ収め、口を密閉した。


 ……これでいい。


 私は再び足音を殺し、無言のままその場を離脱した。




 地上に戻ると、夕暮れの乾燥した空気が頬を撫でた。


 私はそのまま探索者協会のロビーへと直行する。


 空調の効いた室内は、帰還した探索者たちの熱気と疲労で満ちていた。


 私はいつものように換金窓口には向かわず、まずはロビーの隅にある記載台へ足を向けた。


 バックパックから、定型のレポート用紙が挟まれたバインダーとボールペンを取り出す。


 口頭での報告は、担当者の記憶や主観に依存し、単なる探索者同士の揉め事として処理を後回しにされるリスクがある。


 組織を確実に動かすためには、事実を明記した書面と物証による正式な手続きが必須だ。


 発生日時、該当エリアの座標、対象パーティーの特徴、および回収した証拠品のリスト。


 客観的な事実のみを簡潔に書き連ねていく。


 数分で書類を完成させると、私は管理部門の受付カウンターへと向かった。


 そこには、書類仕事に追われる権藤さんの姿があった。


 私は彼に対し、怒りや正義感といった感情を一切見せず、ポリ袋と書き終えたばかりのレポート用紙を提出した。


「静河さん、これは」


 権藤さんが怪訝そうに眉をひそめる。


「ダンジョン内における規則違反の申告、および業務環境の正常化要請です」


「……ふむ」


「中層の分岐ポイントにおいて、不当なルート封鎖と通行料の要求を行うパーティーに遭遇しました。これらは彼らが陣取っていた場所から採取した投棄物です」


 私はポリ袋の中身を指差した。


「協会併設店舗のレシートです。印字された会員番号と購入日時の照合により、当該エリアに滞在していた個人の特定が即座に可能です。同時に、協会規定で持ち込みが禁止されている指定医薬品、興奮剤の空き容器を提出します。コンプライアンス違反の確たる物証としてご査収ください」


 権藤さんはポリ袋の中身と私の提出した報告書を交互に見つめ、深く頷いた。


「受理した。迅速に調査と処分を行う」


「よろしくお願いします」


 私は一礼し、協会を後にした。




 数日後。


 朝の準備広場へ向かう途中、私はロビーの掲示板の前で足を止めた。


 そこには、新たな公示が貼り出されていた。


 ——悪質なルート占有および規定違反薬物使用の事実により、該当パーティーのライセンスを無期限停止処分とする。


 私の業務環境は、正常化された。


 私は掲示板から視線を外し、いつものベンチに向かう。


 今日の探索が予定通り終われば、帰りにスーパーへ寄ろう。


 特売の鶏肉が買えれば、夕食は照り焼きにしようか。


 そんな思考から、すぐに意識を切り替え、ベンチに腰を下ろすと、業務開始前の最終工程に入る。


 ……すべて問題なし。


 ユニットに触れていた手を離す。


 私はダンジョンへと続くスロープを下っていった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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