第30話:閑散エリアの変数
誤字脱字の報告、ありがとうございます。
助かっています。
肌を刺すような冷気が、朝のダンジョン前の準備広場を吹き抜けていく。
多くの探索者が思い思いの準備を進める中、私は歩みを緩め、視線を巡らせる。
「……おかしいですね」
準備広場には、いつも以上に人がいた。
中堅以上のパーティーや、高価な魔剣を背負った探索者たちの姿が特に目立っている。
そして、彼らの口から『金剛石の回廊』という単語が熱を帯びて漏れるのを聞いて、私は息を吐き出した。
どうやら昨日の私の成果に関する噂が、彼らを突き動かしたようだ。
その集団を一瞥していた私は、頭の中で即座に計算を終えた。
これだけの人数が一つのエリアに殺到すれば、魔石の取得効率は低下し、それだけでなく、他者の戦闘に巻き込まれる事故リスクが跳ね上がる。
今日は同エリアへ立ち入らない。
「……元よりそのつもりではありましたが」
フォートレス・アイソポッド専用、特注解体工具である『対極硬度用・高周波解離ユニット』は、昨日一日の使用でバッテリーの接合部に微細な熱ダメージが蓄積している可能性があった。
なので、確実な冷却期間を設けて、機材の破損リスクを回避しようと考えたのだ。
ゆえにユニットは宿舎に置いてきたし、今日の私の目的ははじめから同エリア以外。
混雑具合を確認しながら、その都度、エリアを選択し、魔石を取得しようと考えていたが、皆が『金剛石の回廊』を目指すというなら、これまで混雑していたエリアが解放されると考えてもいいだろう。
いつものベンチで、ダンジョンに入る前のルーティンを行う。
すべての装備の確認、問題なし。
「全条件、規定値内」
立ち上がり、ダンジョンに向かおうとした時だった。
私の前に立ちふさがる複数の影があった。
「おい、お前。今日も金剛石の回廊に行くんだろ」
中堅パーティーだ。
昨日、『金剛石の回廊』で対象の装甲に魔剣を弾かれ、逃げるように後退していった五人組である。
彼らは私の退路を塞ぐように半円形に陣形を組み、威圧的な視線を向けてくる。
「俺たちも同行してやるよ。その代わり、あの装甲をどうやって剥がしたのか、その手品を俺たちに教えろ。俺たちが前衛を張って安全を確保してやるんだ、タダで技術を教えるくらい当然だよな?」
あからさまな圧力と、自分たちに都合の良い取引の提示。
ノウハウの提供は、これまでの時間的・金銭的投資を無償で他者へ譲渡する行為であり、論外である。
また、練度や運用思想の異なる他者との同行は、不測の事態における巻き込まれ事故リスクを無意味に跳ね上げるだけだ。
「お断りします」
男たちの顔が赤くなる。
だが、私は構わず続けた。
「私が用いる機材と手順は、個人の安全と利益を確保するためのものであり、無償で開示する理由がありません。また、運用思想の異なる方との同行は、事故リスクを高めるためだけなのでお受けできません」
パーティーのうちの一人が、魔剣に手を伸ばすのが見えた。
彼の仲間がそれに気づき、やめるように注意する。
「……チッ。もういい。いこうぜ」
彼らは舌打ちを残して、私の前から立ち去った。
私は息を吐き出し、気持ちを切り替える。
すでに装備の確認も準備も終えている。
「……問題ない」
ダンジョンに向かった。
ダンジョンの環境は事前のデータ通りであり、ここまでのところ、競合する探索者の姿は皆無だった。
モンスターに遭遇すればそれを処理し、魔石を回収していく。
しかし、地下水脈の影響で常に足元が濡れている菌床地区へと差し掛かったところで、私は停止した。
鼻を突く異臭。
ダンジョン特有のカビの臭いではなく、獣の体液が腐敗したような、強いアンモニア臭だ。
それだけではない。
足元の泥には、普段このエリアに生息しているスライムや昆虫系とは明らかに異なる、深く抉れたような直線的なわだちが残っていた。
耳を澄ませば、遠く、微かに、反響した金属音や人の叫び声のようなものが届いてくる。
「……そういうことか」
『金剛石の回廊』に殺到した探索者たちの騒音に追われ、本来ここにいないはずのモンスターが迷い込んできたのだ。
つまり、ダンジョンにおける、予測不能な環境汚染。
そして、通路の奥から現れたのは、先ほど嗅ぎ取った体臭の主である、岩のように発達した頭骨と獣特有の太い四肢を持つ、狂乱角獣。
突進を仕掛けてくるのが特徴のモンスターだ。
私は足音と気配を殺しながら後退した。
撤退するためではない。
通路の曲がり角の手前、地下水脈の浸水によって苔が最も密集している地点に狙いを定めると、腰のポーチから取り出した、ダンジョン内において様々な用途で使用する界面活性剤を投下する。
高い含水率の苔に溶剤が混ざり合い、床面の摩擦係数を減らす。
私はその奥に立ち、狂乱角獣の突進を誘導した。
私に気づいた狂乱角獣が地面を蹴り、直線的な加速を伴って迫ってくる。
狂乱角獣の足が、溶剤を散布した地点に踏み込んだ。
強固な踏み込みの力は完全に空転。
私がその場から移動しても追うことができず、姿勢制御を失った狂乱角獣はそのままの運動エネルギーを保って、岩壁へと激突した。
岩盤が微かに震え、その動きが完全に停止した。
無防備に露出した喉元の頸動脈へ、ナイフの切っ先を正確な角度で差し込む。
狂乱角獣は光の粒となって霧散して、後には淡く輝く魔石が残された。
魔石を拾い上げ、A品であることを視認して、私はそれを専用のケースに収めた。
「……撤退ですね」
狂乱角獣を処理するためのトラップの構築に溶剤を消費した結果、残量が規定値を下回った。
これ以上の業務継続は、不測の事態が発生した際、対応できない可能性がある。
他の探索者たちの無計画な行動の余波が、これで終わりであるという保証はどこにもない。
結論は、やはり撤退以外にあり得なかった。
地上へ戻り、探索者協会のロビーに足を踏み入れると、空調の効いた室内は異様な熱気と疲労感に包まれていた。
朝よりも明らかに人口密度が高い。
だが、その質は異なっていた。
刃の欠けた魔剣を抱えて座り込む者、同士討ちの責任を巡って口論するパーティー、精神的に消耗し虚空を見つめる探索者たち。
『金剛石の回廊』へ殺到した者たちが、競合と混乱の中で自滅した結果だ。
そんな中で、朝、私に声をかけてきた中堅パーティーの男たちが見えた。
彼らの腕には分厚い包帯が巻かれ、顔には隠しきれない疲労と屈辱の色が浮かんでいる。
手にしているのは真っ二つに折れた魔剣。
それを床に叩きつけ、踏みにじる。
私は静かに息を吐き、彼らから視線を外した。
換金カウンターへ向かう。
回収した魔石をトレイに置いた。
本日の取得数は目標の最低ラインだが、品質はすべてA品を維持している。
担当をしていた権藤さんが、テスターで迅速に査定を終え、金額を提示した。
報酬は口座に振り込まれるため、この場では明細だけを受け取った。
「権藤さん。中層の菌床地区において、狂乱角獣の単独個体を確認し、処理しました。隣接区画からの迷い込みと推測されます」
情報の共有は誰かを救済するためではなく、私の作業環境の安全を確保するためである。
権藤さんは報告書にペンを走らせ、受理した。
「……助かる。それと、後日、少し知恵を貸してほしい事案がある」
「わかりました」
承諾し、私はカウンターを離れた。
協会の外へ出ると、夕暮れだった。
スーパーへ向かう道すがら、私は本日の収支を頭の中で整理する。
魔石の取得数は計画の下限。
溶剤を一本余分に消費した。
それでも、赤字にはなっていない。
また、今日、最後に処理したモンスターは、他の探索者の行動が引き起こした環境変化の余波だ。
今日のようなことが二度と起こらないと言い切ることはできない。
ならば、変数として、今後、業務を遂行する上で、計算に組み込む必要があるだろう。
ダンジョンは死がすぐ近くにある。
思考を放棄した瞬間、すべてが終わる。
「……さて」
気持ちを切り替え、私はスーパーに入る。
店内の陳列棚へ視線を向ける。
「今日は少し冷えます。大根と豚肉の煮物にでもしましょう」
レシピを考えながら、必要な食材をピックアップしていった。
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