勇者を救うたび、俺は君を忘れていく
目の前で、勇者の首がぽーんと飛んだ。
魔王城の正門を潜ってから、僅か三歩目の出来事だった。
重厚な黒鉄の扉を開け、「行くぞ!」と高らかに叫んで踏み出したその一歩が、床のタイルに仕掛けられた即死トラップを起動させたのだ。
壁から水平に射出された回転刃は、あまりにも鮮やかに、勇者の強靭な肉体を上下に泣き別れさせた。
「あーあ」
俺は、床を転がってきた勇者の生首と目が合い、深々とため息をついた。
勇者の顔は「え、嘘だろ?」と驚愕に見開かれたまま固まっている。
世界最強と謳われ、数多の魔物を葬り去ってきた男の最期にしては、あまりにもお粗末で、あまりにも芸術的な死に様だった。
俺は荷物袋の中から、愛用の懐中時計を取り出した。
アンティーク調の古びた時計。俺の生家である時計屋に伝わる、唯一の遺産だ。
親指でリューズを弾く感触は、もう何千回と繰り返して指に馴染んでいる。
「……ったく。学習しろよ、エリック」
カチリ、と音がして、世界が裏返る。
視界がセピア色に染まり、物理法則が逆転する。
飛び散った血飛沫がビデオの巻き戻し映像のように体内へ収束していく。転がった首が宙を舞って胴体に繋がり、踏み抜かれたタイルが元に戻る。
ぐにゃりと歪む時空の中で、俺の脳だけが、焼け付くような痛みを訴える。
そして、五分前。
「よーし!いよいよ魔王城だな!気合入れていくぞ!」
元気いっぱいに剣を掲げる幼馴染――勇者エリックの背中に、俺は平坦な声で告げた。
「おい、エリック。三歩目のタイル。罠だぞ」
「えっ、マジか」
エリックはぴたりと足を止める。そして、足元に落ちていた石ころを拾い上げ、三歩目のタイルに向かって軽く放り投げた。
ガシュンッ!!
凄まじい金属音と共に壁から回転刃が飛び出し、石を粉々に粉砕した。粉塵が舞い、エリックの金髪を揺らす。
エリックは目を丸くして、振り返った。
「うわあっぶねぇ!よく分かったなハンス!お前ってやっぱすげぇ勘が良いよな!」
「まあな。なんとなくな」
「助かったぜー!お前がいなきゃ俺、今頃首が飛んでたかもな!ガハハ!」
笑い事ではない。実際飛んでいたのだ。
俺はこめかみに走る鈍痛を堪えながら、ニカッと笑う太陽のような男を見た。
俺の幼馴染、エリック。
輝くような金髪に、吸い込まれるような碧眼。長身で体格も良く、剣の腕は超一流、魔力も桁外れ。正義感に溢れ、裏表がなく、誰からも愛される、正真正銘の「勇者」。そして、その輝かしい戦歴からついた異名が「無敗の勇者」だ。
だが、天は二物を与えずというか、致命的な欠点が一つある。
こいつは、どうしようもなく死にたがりなのだ。
……いや、正確には「善性が強すぎて即死する才能」に恵まれすぎている。
疑うことを知らない。困っている人がいれば罠ごと飛び込む。
そんなこいつが、なぜ「無敗の勇者」として世界中から崇められているのか。
理由は単純。
ただの荷物持ちである俺――ハンスが、こっそりと時間を巻き戻して、こいつの死を「無かったこと」にしているからだ。
俺には、戦闘の才能はない。剣を持てば振る速度が遅くて敵に避けられるし、魔法を使おうとすれば威力が弱すぎて使い物にならない。
あるのは、先祖代々受け継がれてきた、たった一つのユニークスキル『刻とき戻し』だけ。
対象が死んだ直後、時間を最大五分間だけ巻き戻すことができる能力だ。
俺たちは、小さな村で一緒に育った。
エリックが聖剣に選ばれ、王都からの使者が来た日。俺はこいつの旅に同行することを決めた。
周りは止めた。「ハンスごときがついていって何になる」、「足手まといだ」と。
だが俺は、こいつ一人で行かせたら、隣町に着く前に野垂れ死ぬと確信していた。その予感は的中した。
いや、俺の想像を遥かに超えていたと言っていい。
旅立ち初日。スライムの粘液に足を滑らせて崖から転落死。
俺は時間を戻し、「足元滑るぞ」と注意した。
三日目。盗賊の放った矢が眉間に刺さって即死。この時も、エリックは子供を庇おうとして矢面に立ったのだ。
俺は時間を戻し、「伏せろ」と叫んだ。
一か月後。ドラゴンのブレスを「俺なら斬れる!後ろの村を守るんだ!」と正面から受け止めようとして消し炭に。
俺は時間を戻し、「盾を使え、バカ!」と怒鳴りながら指示した。
死んで、戻して。死んで、戻して。
来る日も来る日も、俺はこいつの凄惨な死に顔を見続けた。
首が飛び、胴が裂け、黒焦げになり、毒で溶ける。
世間では、エリックは「傷一つ負わずに魔物を倒す、神に愛された勇者」と呼ばれている。吟遊詩人は彼の華麗な剣技を歌い、街の娘たちは彼のポスターを部屋に貼る。
だが、その裏には、何百、何千回と繰り返された俺のやり直しがあるのだ。
俺がいなければ、こいつの冒険譚など1ページ目で終わっている。タイトルは『勇者、スライムで死す』だ。
魔王城の中庭を進む。
瘴気が濃くなり、吐く息が白く凍る。
エリックは警戒心もなく、大股でずんずんと進んでいく。いや、違うな。
俺に攻撃が届かないよう、自分が前衛となって視線を一身に集めているのだ。
そういう男だ。だからこそ、危なっかしい。
俺はその背中を追いながら、ズキンと痛む頭を押さえた。
「……ッ」
鼻から温かいものが垂れる。
俺は手の甲でそれを拭った。鮮血だった。
『刻戻し』には、代償がある。
強大な時の流れに逆らうのだ。無償で済むはずがない。
時間を巻き戻すたびに、俺の「記憶」が削られていく。
しかも、その代償は「巻き戻す運命の重さ」に比例する。
スライム程度の死なら、昨日の夕飯の内容を忘れる程度で済む。
だが、強大な魔物による「確定的な死」を覆すには、相応の重みのある記憶を差し出さなければならない。
実家の飼い犬の名前が消えた。
好きだった本のタイトルが消えた。
初恋の相手の笑顔が、モザイクがかかったように思い出せなくなった。
そして、故郷の村の風景すらも、霧の中へと消えていった。
エリックが死ねば死ぬほど、俺の中の「俺」が死んでいく。
まるで、精巧な砂の城が波にさらわれていくように、俺という人間を形成していた思い出が、ぼろぼろと抜け落ちていくのだ。
最近では、自分の誕生日の日付すら怪しい。
俺がなぜ旅をしているのか、その動機すら曖昧になりつつある。
それでも、俺は時間を戻すのをやめなかった。
「出たな!!」
エリックの叫び声で、俺は現実へと引き戻された。
大広間の中央。そこに鎮座していたのは、四本の腕を持つ巨大なガーゴイル――魔王城の守門将だ。
中ボスと言うには、あまりにも禍々しい気配。
「ハンス、下がってろ!ここは俺がやる!」
エリックが聖剣を抜き放ち、光を纏わせて突撃する。
速い。
目にも止まらぬ速さで懐に潜り込み、一撃を見舞う――はずだった。
ガーゴイルの目が妖しく光る。
カッ!
閃光が走り、次の瞬間、エリックの身体は石像へと変わっていた。
勢いのまま倒れ込み、石のエリックは無残にも粉々に砕け散った。
「…………はいはい」
俺は懐中時計を取り出し、リューズを弾く。
世界が歪む。脳が焼ける。
(――代償は、子供の頃に街のはずれにある森で遊んだ記憶か。ああ、だめだ。誰と遊んだかも、もう思い出せないな)
五分前。
「出たな!!」と叫ぶエリックに、俺は叫び返す。
「エリック!あいつの目を見るな!石化させられるぞ!」
「おう、サンキュー!」
エリックは瞬時に視線を逸らし、足元の影を見ながら突撃する。
石化光線を回避し、ガーゴイルの懐へ。
だが、今度はガーゴイルの四本の腕が一斉に襲い掛かった。
聖剣で二本を受け流すが、残りの二本がエリックの脇腹を深々と貫いた。
「が、はっ……」
鮮血を吐いて崩れ落ちるエリック。
俺は舌打ちをして、再び時計を握る。
(――次は右の二本がフェイントで、左下が本命か)
リューズを弾く。
視界が明滅する。俺の名前を呼ぶ母親の声が、記憶の底でプツンと途切れて消えた気がした。
(ああ、母さんの声、どんなだったっけ……)
五分前。
「エリック!右はフェイントだ!左下に集中しろ!」
「了解!」
エリックは完璧な動きで攻撃を捌き、ガーゴイルの腕を切り落とす。
いけるか、と思った矢先。
切り落とされた腕が爆発した。自爆攻撃だ。
至近距離で爆風を浴びたエリックは、壁に叩きつけられて動かなくなった。首が不自然な方向に曲がっている。
「……嘘だろ、おい」
俺は膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、震える指でリューズを探った。
鼻血が止まらない。視界が二重三重にブレる。
誰かの顔が消えた。
誰だ?俺に時計をくれたのは、誰だった?祖父か?父か?どんな顔をしていた?
思い出せない。
(――腕を切ると爆発する。なら、本体を狙うしかない)
カチリ。
音と共に、また一つ、俺の一部が消滅する。
四度目の挑戦。
「エリック!腕は無視だ!爆発するぞ!懐に入って心臓を一突きにしろ!」
「おっしゃ任せろぉぉぉぉ!!」
エリックは俺の指示を疑いもせず、無防備な特攻を仕掛ける。
ガーゴイルの腕が迫る。エリックは一瞬、俺の方を振り返ろうとした。自分が避ければ、後ろの俺に爆風がいくと思ったのか。
その優しさが命取りなんだよ、バカ野郎!
だが、俺の「行け!」という視線を感じたのか、彼は覚悟を決めて踏み込んだ。
爆発を背後で受け流しながら、聖剣を突き出す。
ズドンッ!!
光の刃がガーゴイルの胸板を貫き、巨体が崩れ落ちた。
「やったぜ!!」
エリックがガッツポーズをして振り返る。
無傷だ。髪の一本すら焦げていない、完璧な勝利。
「見たかハンス!俺たちのコンビネーション!いやー、お前の指示マジですげぇな!未来でも見えてんのかってくらいドンピシャだぜ!」
駆け寄ってくるエリック。
俺は壁に手をついて、必死に呼吸を整えた。
未来が見えているんじゃない。
お前が死ぬ過去を、俺が食いつぶしているだけだ。
「……ああ、すごかったな。お前は最強だよ」
「へへっ、よせよ! ハンスのおかげだって!」
エリックは屈託なく笑い、俺の背中をバンと叩いた。
その衝撃で意識が飛びそうになる。
「おいハンス?顔色が最悪だぞ。大丈夫か?」
エリックが心配そうに覗き込んでくる。
その瞳に映る俺は、ひどく顔色が悪いだろう。だが、俺は視線を逸らして誤魔化した。
気付かれるわけにはいかない。俺が身を削っていると知れば、この優しい勇者は二度と剣を振るえなくなる。
……なぜだ。
なぜ俺は、ここまでしてこいつを生かしているんだ?
家族の顔も、故郷の風景も忘れてまで。
俺の人生を犠牲にしてまで、こいつを英雄にする価値があるのか?
自問自答する俺の脳裏に、ふと、ぼやけた映像が浮かんだ。
――『泣くなよハンス。お前が泣き止むまで、俺がずっとそばにいてやるから』
いつの記憶だろう。
雨の日だ。俺は何か大切なものを失くして泣いていた。たしか、親父に怒られて家を飛び出した時だ。
そんな俺に、傘もささずに寄り添ってくれた、小さな男の子。
あいつはずっと、俺の手を握ってくれていた。自分の服がびしょ濡れになるのも構わずに。風邪をひきやすい体質だったのに、翌日熱を出して寝込んだのはエリックの方だった。
それでもあいつは、見舞いに行った俺に『お前が元気になってよかった』と笑ったんだ。
……ああ、そうか。
俺は、あの時の温かさが忘れられないんだ。
俺が辛い時、いつも隣で笑ってくれた、この太陽みたいな馬鹿が。
自分よりも他人を優先してしまう危うい優しさが、世界で一番尊いものに見えたから。
こいつが死ぬところなんて、見たくないんだ。
映像の中の少年の顔は、もう思い出せない。
けれど、その時に感じた「救われた」という感情だけは、まだ胸の奥に焼き付いている。
「ハンス?やっぱり休んだ方が……」
「……平気だ。行くぞ、エリック。次が最後だ。魔王の首取って、さっさと帰ろうぜ」
俺は顔を上げ、強がって見せた。
「おう!帰ったら宴会だな!ハンスの好きなミートパイ、お前の母さんに死ぬほど作ってもらおうぜ!」
ミートパイ。
そうだ、俺の好物はミートパイだったか。
教えてくれてありがとう、エリック。
でも、ごめんな。
俺、もう母さんの顔が思い出せないんだ。
大好きだったであろう味も……。
「……そうだな。楽しみにしてる」
俺は震える手を隠すように拳を握りしめ、巨大な扉の前へと歩み出した。
扉の向こうには、魔王がいる。
俺たちの旅の終着点。
これが最後の戦いだ。
俺が俺でいられるうちに、こいつを本当の英雄にしてやる。
絶対に死なせはしない。
たとえ、この戦いの果てに、俺が「ハンス」という人間をすべて失うことになったとしても。
「開けるぞ、ハンス!」
「ああ、やっちまえ!」
重い扉が、轟音と共に開かれる。
溢れ出す闇の向こうで、魔王が嗤っていた。
魔王は、強かった。
強いなんて言葉じゃ生温い。あれは理不尽の塊だった。
そして、俺が定めた「ルール」通り、強大な敵の運命を変える代償は、桁違いに重かった。
開幕の極大魔法で、俺たちは蒸発した。
カチリ。俺は時間を戻す。
――ズキリッ!
脳が割れるような激痛と共に、ごっそりと何かが抜け落ちる。
(今、何を失くした? ……魔法だ。魔法の出し方そのものの感覚が消えた)
「エリック!すぐ魔法が来るかもしれない!全力で障壁を張っておいてくれ!」
「おう!」
エリックが障壁を展開する。魔法は防げた。
だが、その直後に放たれた魔王の爪が、エリックの胴体をなぎ払った。
カチリ。時間を戻す。
――バキンッ!
俺の心に亀裂が入る。
(俺の、隣にいる、金色の髪の男。……こいつは、誰だ?)
エリックの名前が、消えかけた。必死に繋ぎとめる。「勇者」。「相棒」。「幼馴染」。概念だけで認識する。
「障壁の後は右に回避だ!爪が来るぞ!」
「了解!」
回避した先で、床から突き出した棘がエリックを串刺しにした。
カチリ。
時間を戻す。
――何もかもが、消えていく。
勝てない。
何度やっても、何十回繰り返しても、勇者が死ぬ未来しか見えない。
魔王の一撃は速く、重く、多彩だった。エリックの剣技は通用しているが、俺を守ろうとする意識が隙を生んでいる。
即死。即死。即死。
俺の指先が痙攣を始める。
鼻血だけでなく、目からも血が流れ出しているのが分かった。視界が赤い。
脳みそを紙やすりで削られているような激痛。
それ以上に恐ろしいのは、俺の中の空白が広がっていく感覚だ。
カチリ。
(俺は、誰だ?)
自分の名前が消えた。
恐怖はない。恐怖を感じる機能すら、どこかへ抜け落ちてしまったのかもしれない。
ただ、機械的に、本能的に、俺は時計のリューズを弾き続ける。
あいつを死なせてはいけない。
あいつを生かして帰さなければならない。
それだけが、空っぽになった俺の魂にこびりついた、唯一の縛りだった。
百回を超えた頃だろうか。
魔王の動きに、わずかな隙が見えた。
必殺のブレスを吐き出した直後、一瞬だけ硬直する。そこしかない。
だが、今のループでは、勇者はブレスを浴びて骨すら残らず消滅した。
俺は、震える指で時計を握りしめた。
直感が告げている。
次が、最後だ。
これ以上戻せば、俺の精神が崩壊する。俺が植物のようになれば、もう時間を戻すことはできない。
最後の一回。
賭けるしかない。
カチリ。
世界が歪み、再構築される。
五分前。
魔王が口を大きく開け、魔力を溜め始めた瞬間。
俺は、立っていることさえできず、その場に崩れ落ちた。
血反吐をぶちまけながら、俺は叫んだ。
「――つぎ、ブレス、くる!右、ななめ、まえ!そこだけ、あんぜん!」
呂律が回らない。言葉がうまく出てこない。
まるで幼児に戻ったような感覚。
俺の異変に、前衛のエリックが振り返る。
その顔が、驚愕に引きつった。
「……おい、ハンス!?なんだその血は!?」
エリックが駆け寄ろうとする。
ダメだ、来るな。来たら死ぬ。
俺は血まみれの手を振って、あいつを制した。
「ブレス、くる……!よけろ、ゆうしゃ……!」
俺は、あいつの名前を呼ぼうとした。
けれど、出てこなかった。
名前がない。思い出せない。
大事な奴だったはずだ。俺の半身のような、大切な……。
「……おまえの、なまえ、わすれた。でも、しぬな。いきて、かえれ」
それが、俺の最後の言葉だった。
俺の手から、懐中時計が滑り落ちて、乾いた音を立てた。
意識が暗転する。
俺の身体は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「――ハンスッ!!!」
誰かの絶叫が聞こえた気がした。
―・―・―
地面に転がった古びた時計。
そして、血涙を流して倒れた相棒。
エリックの脳裏に、強烈な違和感が走った。
走馬灯のように、記憶の断片が駆け巡る。
崖から落ちたはずなのに無傷だったあの日。不意打ちの矢が、なぜか逸れたあの日。
『お前ってやっぱすげぇ勘が良いよな!』
『俺って運がいいよな!』
違う。
運なんかじゃなかった。
勘なんかじゃなかった。
「名前を忘れた」?どういうことだ?
――あいつは、俺の代わりに、何を支払っていた?
いつだって、後ろで彼が――ハンスが、血を吐きながら時間を戻していたのだ。
自分の記憶を、魂を削って。
エリックの死を、無かったことにしてくれていたのだ。
「ああ……ああああああああッ!!」
エリックの喉から、獣のような咆哮がほとばしった。
理解した瞬間に押し寄せたのは、焼けるような後悔と、身を焦がすほどの感謝。
そして、友をここまで追い詰めた魔王への、純粋な殺意。
魔王がブレスを放つ。
全てを焼き尽くす極光。
エリックは、ハンスが示した安全地帯――右斜め前へと、涙を振り乱しながら跳んだ。
熱波が頬を焦がす。
だが、当たらない。ハンスの言った通りだ。あいつの言うことは、いつだって絶対だった。
「よくも……よくもハンスを!!」
エリックの碧眼が、怒りと悲しみで金色に染まる。
聖剣が、かつてないほどの輝きを放った。
限界突破。
友を傷つけられた怒りが、勇者の器を強制的に押し広げたのだ。
「死ねぇぇぇぇぇぇッ!!」
硬直している魔王に向かって、エリックは一閃を放つ。
それは剣技ですらなかった。
ただの、魂の暴力。
光の奔流が魔王を飲み込み、その巨体を、城ごと両断した。
魔王の断末魔すら聞こえなかった。
後に残ったのは、崩壊した天井から差し込む、美しい朝の光だけ。
―・―・―
静寂が戻った瓦礫の中で、俺は目を覚ました。
頭がぼんやりする。
身体中が痛い。
目の前に、誰かがいた。
金色の髪をした、背の高い男だ。
彼は、くしゃくしゃの泣き顔で俺を見ていた。
「……ハンス、ハンス……ッ!良かったっ…!回復魔法が後少しでも遅かったら…間に合わなかった…」
男が俺の名前らしきものを呼んで、抱き着いてくる。
温かい。
力強い腕だ。
けれど、俺は不思議そうに首を傾げた。
「……あんた、だれだ?」
男の身体が、ビクリと震えた。
彼は身体を離し、信じられないものを見る目で俺を見る。
「嘘だろ……?俺だよ、エリックだよ!幼馴染の……!」
「えりっく……?」
知らない言葉だ。
俺は辺りを見回した。
ここはどこだろう。俺はなぜここにいるのだろう。
何も分からない。
自分自身のことさえ、よく分からなかった。頭の中が真っ白なノートになったみたいだ。
ただ、目の前の男が、今にも壊れそうな顔で泣いているのを見て、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
どうして泣いているんだろう。
泣かないでほしい。この人は、笑っている顔の方が似合う気がする。
俺は自然と手を伸ばし、男の頬を伝う涙を拭った。
「……なかないで。おれ、あんたのこと、しらないけど」
俺は、胸の奥に残っている、消えなかった「残り火」のような感情を言葉にした。
名前も、思い出も消えたけれど、この温かさだけは知っている。
「あんたがいきてて、なんか、うれしいから」
男は、目を見開いた。
そして、顔を覆って、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「う、うあぁぁぁぁ……!ごめん、ごめんなぁハンスぅ……!ありがとう、ありがとう……ッ!!」
彼は再び俺を抱きしめた。
骨が折れそうなくらい強く。
その温もりが、俺の空っぽの心を満たしていく。
ああ、この感覚は悪くない。
俺はこの温かさを守りたかったのかもしれない。
「……帰ろう、ハンス」
ひとしきり泣いた後、彼は俺を背負い上げた。
その背中は、広くて、頼もしかった。
「お前が忘れたなら、俺が全部覚えてる。俺たちの冒険も、馬鹿やったことも、お前が好きだったミートパイの味も」
彼は振り返り、濡れた瞳で力強く笑った。
「お前が俺を忘れても、俺が何度でも教えてやる。お前は俺の、世界一の相棒だって。これからまた、何百回でも積み上げ直そうぜ」
相棒。
その響きが、空っぽの胸にストンと落ちた。
心地よかった。
「……うん、たのむよ。えっと…」
「俺の名前はエリック。これからもよろしくな」
「えりっく…。うん、えりっくよろしく」
俺がたどたどしく名前を呼ぶと、彼は泣き笑いのような顔で「おう!」と答えた。
俺たちは歩き出す。
崩れ去った魔王城を背に、どこか懐かしい匂いのする方角へ。
俺にはもう、過去はない。
けれど、この温かい背中があるなら、これから始まる未来はきっと悪くない気がした。
俺はポケットの中にある、役目を終えた懐中時計をそっと撫でる。
もう、針を戻すことはないだろう。
失った過去よりも、こいつと見る明日の方が、ずっと輝いて見えるからだ。
真っ白になった記憶のページに、また一から、お前との思い出を刻んでいくよ。
世界で一番世話の焼ける、俺の大切な英雄と共に。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
かなり初期に考えていた、勇者と相棒をテーマにした物語を作ってみました!
よろしければ評価していただけると励みになります!
よろしくお願いします。




