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第9話 旅立ち

出発の朝が来た。空はどんよりと曇り、まるで私の心の内を映しているかのようだ。侯爵邸の玄関前には、ガルディア王国から迎えに来たという、質素だが堅牢そうな馬車が一台と、数名の護衛騎士、そして侯爵家が形だけ付けた供の者が数人、無言で待機していた。


私は、必要最低限の荷物だけを詰め込んだトランクを手に、玄関ホールに立った。父と母、そして妹のセレスティアも、形式的に見送りのために姿を見せてはいたが、その表情は一様に冷淡だった。


「アリアナ、道中、恙無く過ごすように。そして、ガルディアに着いたら、決して我が家の名を汚すことのないよう、言動にはくれぐれも注意しなさい」


父は、事務的な口調でそれだけ言うと、さっさと背を向けてしまった。


「……お元気で、アリアナ」


母は、小さな声でそう呟いたが、その瞳には何の感情も浮かんでいない。


「……お姉様」


セレスティアに至っては、私の顔を見ることすらできず、俯いたまま小さな声で何か言ったきり、すぐに母の後ろに隠れてしまった。


(これが……家族との、最後の別れになるかもしれないのね……)


想像していたとはいえ、あまりにも寂しい見送りに、胸がちくりと痛んだ。けれど、もう感傷に浸っている時間はない。私は、彼らに一礼すると、毅然とした態度で馬車へと向かった。


ただ一人、マーサだけが、涙を浮かべながら玄関の外までついてきてくれた。


「お嬢様、どうか、お身体だけはお大事になさってくださいまし。わたくし、ずっとエスタードからお嬢様のご多幸をお祈りしておりますから」


「ありがとう、マーサ。あなたも、元気でね」


最後にマーサと視線を交わし、私はガルディアから来た護衛騎士に手を借りて、馬車に乗り込んだ。扉が閉められ、御者の合図と共に、馬車はゆっくりと動き出す。


窓から見える侯爵邸が、みるみるうちに小さくなっていく。私が生まれ育った家。たくさんの思い出があるはずなのに、今はもう、何の感慨も湧いてこなかった。ただ、マーサの涙だけが、瞼の裏に焼き付いている。


馬車は王都の門を抜け、隣国ガルディアへと続く街道を進み始めた。これから始まる長い旅。そして、その先にある未知の生活。


不安がなかったと言えば嘘になる。ライオネル公爵は、本当に私を妻として迎えるつもりなのだろうか。彼は一体どんな人物なのだろうか。もし、噂通りの冷酷な人物だったら……? 考え出すと、きりがない。


けれど、同時に、ほんの少しだけ、胸が高鳴るような気持ちもあった。


(もう、誰かの理想の型にはまる必要はないんだわ……)


これからは、自分の足で、自分の人生を歩いていくのだ。地味だとか、華がないとか、そんな言葉に縛られる必要もない。もしかしたら、隣国では、私の中に眠っているかもしれない「何か」を見つけ出すことができるかもしれない。


揺れる馬車の中で、私はぎゅっと目を閉じた。故郷を離れる寂しさ、未来への不安、そして微かな希望。それらすべてが入り混じった複雑な感情を抱えながら、私の新しい旅が、今、始まった。


道中の景色は、エスタード王国内を走っている間は、見慣れた田園風景が続いた。時折、馬車とすれ違う貴族や商人たちは、私の乗る馬車に気づくと、好奇の目を向けてくる。婚約破棄された侯爵令嬢が隣国へ嫁ぐという噂は、すでに広まっているのかもしれない。その視線が、少しだけ、私を憂鬱にさせた。


ガルディアから来た護衛騎士たちは、寡黙で、必要最低限のことしか話さない。侯爵家から付けられた供の者たちも、どこかよそよそしく、私とは距離を置いている。馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。


それでも、私は窓の外を眺め続けた。流れていく景色を見ていると、少しだけ気分が紛れる気がしたからだ。私の人生も、この景色のように、ただ流れていくだけなのだろうか。それとも、どこか新しい場所に辿り着けるのだろうか。今はまだ、何も分からなかった。

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