第2話 陰の努力
王城からの帰り道、揺れる馬車の中で、私はただ窓の外を流れる景色を虚ろな目で見つめていた。先ほどの謁見の間での出来事が、まるで悪夢のように何度も頭の中で再生される。
『地味で、華がない』
『隣国の“冷徹公爵”あたりがお似合いだろう』
レオンハルト殿下の言葉が、鋭い棘となって私の心を抉り続ける。涙は、もう枯れ果ててしまったのか、一滴も流れなかった。ただ、胸の中心にぽっかりと穴が空いたような、途方もない虚無感が広がっているだけ。
(私の努力は、すべて、無駄だったというの……?)
婚約者として過ごした歳月が、走馬灯のように蘇る。幼い頃に婚約が決まってから、私はずっと、未来の王太子妃として相応しい女性になるためだけに生きてきた。
王妃教育は厳しかった。歴史、法律、経済、外交儀礼、数ヶ国語の習得……どれも必死に勉強した。苦手なダンスだって、足にいくつもマメを作りながら練習を重ねた。刺繍や絵画といった、いわゆる「妃殿下の嗜み」も、人並み以上にこなせるように努力した。
けれど、私の努力はそれだけではなかった。レオンハルト殿下が王太子として立つようになってからは、彼の「影」として、様々な仕事を手伝ってきたのだ。
夜遅くまで、殿下の執務室の隣室に控え、膨大な量の書類整理を手伝ったことも一度や二度ではない。殿下が苦手だとおっしゃる他国との外交文書の下準備や、複雑な経済政策の資料作成も、私が担当することが多かった。
『アリアナ、この資料を明朝までにまとめておけ』
『この件について、何か良い案はないか? 君なら何か思いつくだろう』
殿下は、当たり前のように私に仕事を振ってきた。私はそれが婚約者の務めだと思い、必死に応えようとしてきた。時には、徹夜で資料を読み込み、改善案を考え、それをレポートにまとめて殿下に提出した。
そして、その改善案が採用され、国の政策として発表される時、手柄はすべてレオンハルト殿下のものになった。誰も、その影に私の存在があったことなど知らない。それでいいと思っていた。殿下のお役に立てるのなら、私の名前など表に出なくても構わない、と。殿下を支えることが、私の喜びであり、存在意義だと信じていたから。
(ああ、なんて愚かだったのかしら……)
殿下にとって、私は都合の良い駒でしかなかったのだ。私の能力を利用するだけ利用して、用済みになれば、あんな風に簡単に捨てられてしまう。
『出しゃばる女は好かん』『妃は夫を立て、一歩下がって支えるものだ』
殿下のその言葉を、私は律儀に守り続けてきた。だから、自分の意見をはっきり言うことも、華やかなドレスで着飾ることも、自ら進んで社交の場に出ることも、ずっと我慢してきた。それが、妃としてのあるべき姿だと信じて。
その結果が、これだ。『地味で華がない』から、婚約破棄。馬鹿みたいだ。本当に、馬鹿みたい。
私が自分を殺してまで尽くしてきた相手は、私のことなんて、これっぽっちも理解しようとしていなかった。ただ、自分の理想の「型」にはまらない部分だけを見て、切り捨てたのだ。
馬車の窓に映る自分の顔は、ひどくやつれて見えた。確かに、お世辞にも「華やか」とは言えないかもしれない。けれど、この顔は、この姿は、あなたのために作り上げたものだったのに。
こみ上げてくるのは、悲しみよりも、行き場のない怒りと、深い、深い徒労感だった。
窓の外では、王都の街並みがきらびやかに輝いている。けれど、その光は今の私には眩しすぎるだけ。私の未来は、まるで厚い雲に覆われたように、真っ暗で、どこへ進めばいいのか、全く見えなかった。
馬車が、ベルンシュタイン侯爵家の壮麗な門をくぐる。これから私を待ち受けているであろう、家族からの冷たい視線を思うと、馬車から降りることすら億劫だった。




