「俺を愛していると言えば助けてやる」と死の間際に貴方が言った。
彼は変人であり、偏屈な嫌われ者の魔法使いだった。
「俺を愛していると言えば助けてやる」
まもなく死を迎える女性の前に現れて、決してこんな冗談を言うような男ではなかった。
離宮の一室にある私の部屋には今は誰もいない。私の命の灯はもう消えかけていた。一人で死んで行く運命だったはずだ。
国の為働いて働いて……ひとりぼっちで。
「なぜ、笑うんだ」
彼は不機嫌を隠すことのないように言う。
長いくせ毛の黒髪が顔の半分ほどを覆う。紫水晶のような瞳は神秘的だけれど、睨みつけるような眼光は怖がられている。顔立ちそのものは整っているはずなのに、何よりも表情と言動の歪み方が、周囲の人を不快にさせているようだ。どんな会話も非難や否定、皮肉で終わる。笑みが気持ち悪い、という位ならまだましな方な評価だ。
今も眉間の皺がくっきりと刻まれている。
魔法使いの黒いローブを着こんだ長髪の彼は、まるで闇色を纏っているよう。死神のようにベッドの上の私を見下ろしている。
「初めて……冗談を聞いたわ」
「冗談など言っていない」
「そ、う……?」
人生の最期にこんなにも愉快な気持ちになれるのなら、彼と知り合えて良かったな、と思う。
私は『贈り物』を持っていた。
時々、他の人にはない特別な力や魔法が使える人が生まれる。私の『贈り物』は治癒と浄化能力だった。そして『贈り物』には必ず代償があった。幾度か『贈り物』を使用しているうちに本能的に気が付くのだそう。私は最初から気が付いた。引き換えに、命を削っていると。
『贈り物』は素晴らしいものだけど、能力が強ければ強いほど、代償も大きくなる。だから『贈り物』を授かった人もそれほど使用することなく生きて行く。
……私を除いて。
「……逃げられなかったのか?」
彼は表情を変えずに問う。
それはきっと私の立場のこと。
庶子として市井で育ったのに、『贈り物』があることが判明したあと、宮殿に連れて来られた。先帝の落とし子の一人だったのだとか……本当なのかも分からない。なにせ先帝も母ももういない。
帝国の治癒係として、民への広告塔として、都合の良い政治の駒として、命を削ることを強制された。
そうして最後は、命を懸けて流行病に苦しむ民の街を浄化してしまった。皇帝は激怒していた。彼のために治癒能力を遺しておかなくてはいけなかったから。
「逃げる場所なんて、なかったもの」
本当にそれだけだろうか。朦朧としてきて、自分でももうよく分からない。
無理やり連れてこられたとき十五歳だった。帰りたいと飛び出したことだってあった。けれどすぐに連れ戻される。体罰も監禁生活もあった。未来に希望もなかった。どこかで終わらせたかったのかもしれない。結局それから三年しか生きられなかった。
「ならば教えてやろう。お前が逃げる先は、東の国カスハールだ。あの国は、『贈り物』のある人間を厳重に守っている。使用することでのリスクを教え込み、命を守ることを最優先にさせる。それは、歴史の中で幾たびも悲劇に見舞われたからだ。悲劇を悲劇と認識出来たからだ。愚かなこの国と違う。……逃す機会を狙っていたのだ。本当は」
彼の言葉に驚いて、目を開ける。
死の間際に、逃げる先を教えてもらえるだなんて。
一体どういうつもりなんだろうと彼を見つめても、不機嫌そうに見下ろされているだけだ。
「……ふふ……もう一度やりなおせたら、カスハールに逃げ込むわ」
「忘れるな。何が何でも逃げろ。カスハールの教会ならどこでも保護してくれるはずだ」
「……」
そうね。皇女にされる前に……カスハールに逃げ込めば……別の人生があったのかもしれないわね。
でも、そうしたらこの人に会えなかった。
最初の頃に魔法の教師として付けられた、四つ年上の、気難しい帝国魔法使い。他の魔法使い達とはいつも口論していて、国にも文句を言い続けていたし、皆に嫌われていた。だけど私は嫌いじゃなかった。不器用だけど嘘がなくて、愛想笑いもしない。飾らなくていい気がして、一緒にいるとほっとして心が落ち着いた。彼からはあれほど能力をむやみに使うなと言われていたのに私は守れなかった。
彼はベッドの横に跪くと私の片手を握った。そうして祈るように言った。
「逝くな。俺が助ける。ああそうだ……助ける。お前を失うことなど耐えられない。必ず助ける。だが俺は恐ろしいんだ。俺は、全てを失う。力も命も権威も愛も。俺が俺であったものを失う。全てを投げ出す覚悟を俺にくれないか。嘘でいい。愛していると言ってくれ。それだけで俺は終わらせられる。これが、脅しだと分かっている。それでも。どうかお願いだ」
「……」
間近によく見てみれば、彼の苦悩の表情は真に迫るものがあり、ここに来て冗談ではないのかしら?と思えてくる。
「あなた、私のことが好きだったの?」
「……初めて会ったときから」
皮肉気に彼は嗤う。
初めての出会いは、離宮での魔法の授業の時だと思う。
そう言えばこの人、私のこと凝視して固まっていた気がしたけれど……。
「俺が一番美しいと思う景色は、夜明けの空を昇りゆく朝日だ。領地の屋敷から海を昇る太陽をいつも眺めていた」
私をまっすぐに見つめている。
「海の青を思わせる澄んだ瞳。朝日のような淡い金色の髪。……美しいと思った。人間を美しいと思ったのはお前だけだ。そうして生き方も……美しいと思った」
悲哀を瞳に浮かべながら彼は語る。
そんなことを思っていたならもっと早く言って欲しいと思う。今更……もう時間もないのに。
「嫌いじゃないわ。……好きだったのかも?分からないわ、考えないようにしていたのかしら。そう言われると好きな気もしてくるわ」
「な……っ適当なことをぬかすな!!」
ばっと手を離されてしまう。
「分からないけど……立場もなにもなくて告白されたら付き合ってたと思うの……」
「お前……悪女なのか!いくら脅したとはいえ、そこまで言えとは言っていない!」
動揺して顔を赤く染めた彼は勢いよくそう言い放つ。
日頃見せないこんな表情、最期じゃないと見られなかったのだと思うとなぜだか切なくなる。
「……手を握って……」
私のお願いを簡単に叶えてくれる偏屈な魔法使い。
その人の手はとても温かい。優しい人の……手だ。
「会いに来てくれて……嬉しかった」
「大丈夫だ。助ける」
「結構……好きだったの。本当よ」
「ああ、もう分かったよ……俺も結構好きだったよ」
彼は小さく笑う。こんな時でも歪んだ笑みだ。きっと上手に笑えないんだろうと思う。
私の頭を撫でて言った。
「さようなら。どうか幸せに。愛した人」
「大丈夫?」
「え?」
市井に住んでいたころの近所のおばさんが心配そうに私を見つめていた。
ここは母と住んでいた小さな家の中だ。え?
「葬儀は終わったけど、これからどうするんだい?行くあてはあるのかい?」
「葬儀……?」
窓ガラスに映る私は、黒い服を着て、十五歳くらいに見える。
――『贈り物』だ。
瞬時に私は理解する。そうだ、彼は助けると言ってた。告白されて頭がいっぱいになってしまってたけど、きっと『贈り物』の力を使ったのだ。
え?でも?これは時を戻したの?三年も?それほどの時を戻すなんて……。
『俺は、全てを失う。力も命も権威も愛も。俺が俺であったものを失う。全てを投げ出す覚悟を俺にくれないか』
彼の命を懸けて戻した……?
彼が『贈り物』を持っていたことすら知らなかったのに。
「だ、大丈夫です。心当たりがあるので」
「そうかい?気を付けるんだよ」
おばさんが帰って行くと、懐かしい部屋の中を見回した。
数枚の衣服と、ほんの少しの荷物しかない部屋。本来なら、この後、この家を出てしばらく孤児院で暮らそうとしたところで、教会で『贈り物』が判明したのだ。
だから、教会には行けない。
行きたくない。最後には自分で選んでいたとしても、逃げ道のないあの生き方をもう一度したくない。
違う道を模索したい。
――『忘れるな。何が何でも逃げろ。カスハールの教会ならどこでも保護してくれるはずだ』
この国の教会で判定を受ける前に国を出てカスハールに向かわないと。それには路銀を稼がないといけないけれど、稼ぎながら旅するしかないんだろうな。
だけど……そうすると、もう『彼』に出会えない。
さようなら、と聞こえた。
二度と会えないことがきっと分かっていたんだろう。だからこの巻き戻りは、彼の為なんかじゃない、私だけのためにしてくれたことだ。
彼は、生きているんだろうか。
この時間に、無事に戻ってる?だって何か大きな覚悟を決めていた。
何より私が会いたい。
好意を伝えられても、自分の気持ちもよく分からない。確かめる前に終わってしまった。
三年も彼は一体どんな気持ちで過ごしていたんだろう。ずっと不機嫌そうな顔で私を見ていたのに。その奥にこんなにも激しい情熱を持っていただなんて、誰が思うだろうか。
「旅に出る準備をしよう。そして彼に会ってから旅立とう……」
『彼』はもう既に、帝国魔法使いとして働いていたはずだ。
宮廷には近寄りたくなかったので、彼の屋敷の近くをうろうろとした。訪ねてもきっと門前払いだろうし。一目会えれば、それでいいと思った。私の気持ちが分かる。それにたぶん……彼の気持ちも。
夕方帰宅時間を狙って待っていると、馬車が通り過ぎていく。乗っているかもしれない、そう期待しながら見守っていると、馬車の中に黒い影が見えた気がした。
たぶん、それだけで十分だった。
馬車が停まった。まだ若い、十九の彼が馬車から降りてくる。重苦しいまでの真っ黒なローブ。最後に見た時よりまだ短い髪。目線を私から離さない。
眩しいものを見つめるような、羨望するかのような瞳。
(二つの可能性を考えてた。彼が生きていないこと。彼も記憶も持っていること。だけどその可能性は消えたわ)
そうしてこの瞳に見覚えがある。魔法使いの先生として初めて会った時もこんな瞳をしていた。だから私は彼のことを嫌いになれなかったんだわ。どんなに口が悪くても、この人は私を人として見てくれるって。色んな人が私を道具のように扱っても、この人は敬ってくれるって、なぜだか信じられた。
何だ私……最初から彼のことが『結構好き』だったのね。
彼は我に返るように表情を引き締めて言った。
「君はなんだ?こんなところで何をしている?」
「私はただのリディア。あなたに会いに。帝国魔法使い、サイラス・シーウェル様」
礼を取ると彼は片眉を上げる。
そうして彼が何かを呟くとキーンと言う音がして不思議な静寂が訪れた。
「結界を張った。何用だ」
……凄いな。見ず知らずの人の話を結界を張ってまで聞こうとするなんて。
彼の一目惚れを思ったより舐めていたかもしれない。
「あなたに一目惚れをしました。そうして『贈り物』を持っています。どうか一緒に、カスハールに逃げませんか?」
案の定彼は驚愕に目を見開いていく。
不愛想な彼を驚かせることが出来るなんて、それだけで嬉しくなってしまう。
彼はなんて答えるんだろう。
追い返されてしまうんだろうか。
話を聞いてくれるんだろうか。
信じてくれるんだろうか。
私もあなたが好きなんだと、もう一度伝えさせてくれるだろうか。
どう転んでも構わない。
生きてまたあなたと逢えたから。
心から微笑んでしまったら、彼が頬を赤く染めていく。
彼は逡巡した後「来い」と一言だけ言って、屋敷に招き入れてくれた。
どうやら、一人でカスハールに向かうことはなさそうだな、と思う。
もう逢えない、未来の彼が言っていた。『俺を愛していると言えば助けてやる』
私は……あの時答えられなかった言葉が言える日が来ればいいな、とそんな未来を心待ちにしている。
Fin
補足、ヒーローがここまでの嫌われ者だったのはヒロインを助けるため、現状に裏からも表からも立ち向かっていたせいなんですがヒロインは知りません。
タイトルの語呂の悪さ気になってます…