3.公爵令嬢は静かに怒る
――――あら、あら、まあ……どういたしましょう?
わたくし、とても怒っていますのよ。
わたくし、殿下に婚約破棄を言い渡されてすぐ、学校を退学しましたの。
もともと通っていた理由が、王妃になるために必要な人脈を得ることですから、王妃になる可能性がないのに、学ぶことがない場所に居続ける必要はありませんの。
あの一件の後、父はすぐに国王陛下に拝謁して、殿下の有責での婚約解消で話はまとまりましたのよ。
当然ですわよね。わたくしは何一つ、悪いことはしておりませんもの。
それから母と共にお茶会に積極的に出席するようになりましたの。
本格的なデビューはもう少し先ですが、その前の予行練習のようなものですわ。
しばらくはとても平和でしたの。
家で静かに過ごしたり、父や母と買い物に出かけたり、観劇したり、時々ですがスラム街の炊き出しに参加したり……そうそう、寮生活で絶たれていたお友だちとの交流も再開しまして、とても有意義に過ごしましたのよ。
ところがです。
父や母と縁のある貴族の集まりとはいえ、中には口さがない方もいらっしゃいますの。
わたくしのことを、『殿下に捨てられた令嬢』『聖女を虐めて退学になった令嬢』などとおっしゃる方も少々……。
もちろん、王家に次ぐ権力を持つ公爵家に直接けんかを売る愚かな方はいらっしゃいませんが……陰口ひとつでも知れる程度の情報収集能力は、我が家も持ち合わせておりますのよ。
とても面倒なことになりました。
我が家と親しい方々でさえわたくしの悪評を信じているということは、我が家と敵対関係にある派閥の方々も集まる社交界では、さらに悪評が広まっているということです。
そればかりか、貴族と懇意にしている商人にも、少しずつ広まっているようですの。
人の口にはなんとやら、と言いますでしょう? そのうち、市井にも広まってしまいます。
これでは、社交界に出る前から失格を突きつけら、世間で嗤われ者になる未来が決まったようですわ。
父も母も、わたくしに知られまいと隠れて画策しているようですが、とても申し訳なくて。
なぜ、何もしていないわたくしのために、両親が奔走しなければならないのか。
原因を考えれば考えるほど、怒りが募ってしまいますのよ。
「いっそのこと、本当にこの国を出ようかしら?」
これはわたくしの祖父、前公爵の影響かも知れませんが。わたくし、世界中を旅する生活が幼い頃からの夢でしたの。
祖父は目先が利く方で、貴族には珍しく、
「子供達にもっと広い世界を見せるべき」
という教育方針を持っておりまして。
父が幼い頃はもちろん、わたくしの幼い頃にも、弟のマシューも共に、近隣諸国を旅して回りましたのよ。
本当に様々な国を……中には隣国ニタ共和国のように、王制ではない国にも参りましたの。
ニタ共和国での生活はとても新鮮で、衝撃的で、最もわたくしに影響を与えましたわ。
女性が男性と同じように働き、生き方に自由と権利を持つ――なんて素晴らしい国でしょう!
この国では、貴族の成人女性は結婚して子を産む以外の道はありませんから、成人したらニタ共和国で市民権を得て、自由に生きようと密かに決めていましたのよ。
両親に反対された上に、突然王太子の婚約者に選ばれてしまったので、実現できない夢となりましたが。
実は、あちらには祖父母がおりますの。
今は若者のための教育に情熱を傾けておりますのよ。
ですので、国を出ることはわたくしにとって、過去に奪われた選択肢を選び直すだけのこと。
まだ両親はわたくしの夢を許してくれませんが、状況が変わりましたもの。
わたくし、喜んで旅立ちますのに。
「あー、それな。閣下と夫人は絶対に許さないだろうけど、名案だと思うよ」
と、相槌をうつのは、父が後ろ楯となっているニタ共和国からの留学生、カレン・リトルウッド。わたくしとは幼なじみのようなものですわ。
祖父母の仕事の関係で、わたくしと共に学校に在籍しておりましたが、あの一件があって彼も退学しましたの。
あの日、たまたまわたくしのパートナーだったばかりに、『公爵令嬢の不貞の相手』などというくだらない噂に巻き込まれてしまった、被害者の一人ですわ。
目下のところ、わたくしの暇潰しの相手です。
「わたくし、ニタに行きたいのよ。おばあ様のように女性でも働いて自由に意見が言えるなんて、素敵だと思わない?」
「俺にとってはそれが普通なんでね。素敵かどうかは解らないよ。それに能力主義ということは、必ず努力が報われると限らない。それはそれで残酷な国だと思うけどね」
「どう残酷なの?」
カレンは読んでいた本を閉じ、少し考えてから続けました。
「いいか? お前のような、働かなくても生きていける人間は、一般的に『勝者』と言うんだ。どこの国でも勝者の家はずっと勝者だ。その子も孫も……よほどの馬鹿が出ない限り、一生安泰なのさ。だが、それは平等か? かたや、苦学を積んでようやく一人前に稼げる生活、かたや、遊んでいても贅沢三昧なんてこともザラだ。勝者の家に生まれれば、戦わずにして勝者だなんて、おかしいだろ?」
なんだか、難しい話になってまいりました。
わたくしも手にしていた本を置き、侍女にお茶を頼みました。
「お前にはニタが楽園に見えるかも知れないが、ニタにはニタなりの闇があるのさ。夢を見るなとは言わないが、ほどほどにしておかないと、閣下が心配なさるように痛い目を見るぞ」
「まあ、あなたもお父様の味方なの?」
「違う。現実を見ろと言っているんだ。ニタは元は小国の寄せ集め、いまだに国は安定せず、武器商人が権力を握る新興国だ。お前みたいな貴族の生活しか知らない人間が、のほほんと足を踏み入れたら、身ぐるみはがされるだけじゃすまないぞ。」
「やっぱり、あなたも反対じゃないの」
「だから違うって。ニタにはお前みたいな優しい人間が必要なんだ。おまけに人並み以上の知性も教養も備わっているなんて、最高の人材だ。お前がニタのためにその頭脳を使ってくれたら、きっとニタはもっと弱者に優しい国になる。ただ、今のお前は素直すぎて、世渡りするずる賢さが足りないんだ」
「……それ、褒めてませんわよね?」
「褒めているだろ? そういうところは素直じゃないんだな」
反論しようとしたわたくしの口元に、カレンがクッキーを差し出したので、わたくしはそれを手に取りました。
カレンの物言いいには腹がたちますが、クッキーには罪はありませんもの。美味しくいただきますわ。
その様子をカレンが目を細めて見ておりました。そういう余裕ぶったところも、腹立たしいのです。同い年のくせに。妙に大人びて見えてしまって。
軽薄なようで、本当はそうではない、よく解らない人。いつもわたくしは振り回されてばかりで、とても腹立たしいのですわ。
「頭と人脈を使え」
とのカレンの助言に従い、わたくしはすぐに祖父に連絡を取りました。
以前は他国に連絡する手段は手紙しかありませんでしたが、ニタ共和国の発明、魔力を使った通信機が普及して以来、遠方への連絡が容易につくようになりましたの。
そうしましたら、なんと、翌日には祖父が我が家に到着しましたわ。ニタ本国と我が国にある大使館の間で試運転中の転移装置を使ったそうですの。それならば、たった数秒の移動時間なのだそうです。さすがは魔法の先進国だけでありますわ。
「先生、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
真っ先に挨拶をしたのは、カレンでした。
普段はいささか無作法な彼の礼儀正しい姿を見るに、いかにカレンが祖父に敬意を抱いているかが解りますわね。
祖父もカレンに小さく頷き、
「お前もとんだ災難だったな」
と労りましたの。
母の提案で、話は庭で花を眺めながらすることにいたしました。
「お前が望むなら、復学をさせることもできなくはない」
「いえ、私は一度、本国に戻ろうかと考えております。もちろん、こちらでお嬢様のお役にたってからの話になりますが」
お、お嬢様ですって! わたくしのこと、そのように呼んだことなどないくせに!
とんだ猫かぶりですわね。
しらけた顔でねめつけると、あちらも目で「調子をあわせろ」と訴えていますのよ。
よろしいですわ。わたくしも淑女。猫かぶりと帳尻合わせは得意ですのよ。
「リジー、お前もさぞ辛かろう。どうだ、しばらくはこのジジイのところに来るか? 昔のようにまた、ニタで楽しく暮らそう」
しばらく他愛のない話をして、祖父がやっと切り出してくれましたの。わたくしは、その言葉を待っておりました。
「はい! 喜んで」
「いけません。そのようなこと、旦那様がお許しになりません」
思わず前のめりになったわたくしを、母が静かに嗜めましたわ。
わたくしはすがるように祖父を見ましたが、肩をすくめるだけ。当主の反対に歯向かうことは、たとえ祖父でもできないのですわ。
ですが、諦めません。
わたくしも色々と考えましたの。
いかにして両親を納得させ、わたくしの欲しい人生を手にいれるか、を。
そのために祖父を呼んだのですもの。
わたくしは母に頼んで、弟のマシューを学校の寮から一時帰宅させました。
夕方、父が仕事から帰宅した時には、いないはずのマシューと祖父がいることに驚くやら困惑するやらで、ちょっとした騒動でしたが、詳細は食後ということで落ち着き、久々に家族で賑やかに夕食を楽しみましたのよ。
食後は談話室に場所を移し、わたくしの主導で作戦会議となりました。
そこで、わたくしはマシューから、殿下とアイビー様の傍若無人の振る舞いや、わたくしの悪評を広めていることを聞き、怒りを新たにしたのです。
どうして去った者をそっとしておいてくれないのでしょうか。そればかりか、嘘の流布をするなどと。
ほら、こうしてわたくしの心に、醜い怒りが募っていくのです。
やはり決着をつけなければ。わたくしの心はいつまでも乱されたまま。
どうやら、あの方達にはお仕置きが必要のようですわ。争い事は好みませんが、仕方ありません。
わたくしは、全員の前でわたくしの考えを訴えました。
両親の反対を覆すのはとても大変でしたが、そこは祖父が後押しとなりましたの。それからちょっとだけ、カレンにも助けられましたわ。
なんとか両親を説得し、わたくしのこれからすることへの協力を得ましたの。やっと一歩前進です。
善は急げとばかりに、わたくしは父と、母と、マシューと、祖父、それぞれにこれからしてもらうことを頼みました。
「そう、……ならば、美味しいお茶をたくさん取り寄せなければならないわね……」
「じゃあ僕は、久々に剣の鍛練でもしようかな? 貴族の中にも頭が悪いのがいるからね。言葉が通じなければ、暴力も仕方ないよね?」
「いくらなんでも、殺すのはご法度です、父上。半殺しか半々殺し程度でやめてください。それから鍛練は僕も一緒にお願いします。学校で姉さんを悪く言う者がいたら、その場で半々殺しにします」
「私はニタと行き来がしやすいように、この家にも転移装置を置けるように手配しよう。なに試運転とは言っても、国から許可が出るまでのことで、製品としては完成しているからな」
まあ! 家族がやる気満々で、大変助かりますわ。わたくしだけでは、できることに限りがありますもの。
わたくしの母は、かつて明星の女神さえひれ伏すと謳われ、貴婦人の頂点に君臨したこともあったのです。もちろん、その人脈と影響力はいまだ健在ですわ。
わたくしの父は、かつて闘神の申し子と謳われ、最年少の将軍として他国の侵略から国を守った戦狂い。その腕ばかりが評価されておりますが、もちろん大軍を動かすだけの知略にも長けておりますわ。
そして、現在はニタ共和国の重鎮として、国の内部に磐石な地盤を持つ祖父。
さらに王太子殿下の傍らには、次期公爵であり、わたくしと共に公爵家の英才教育を受けた弟のマシュー。
わたくしが実際に動くことはできませんが、その代わりにわたくしの家族が、全て段取りをつけてくれるのです。
援軍として、これほど頼もしい味方は、国中を探してもどこにもいませんわ。
ああ、何だか今夜のお茶はいつも以上に美味しい。こんなに美味しいお茶は、久しぶりのような気がします。
「……おい、お前の家族、全員怖いぞ」
カレンの耳打ちに、わたくしは言葉ではなく、笑みで答えました。
いいえ、カレン。これが貴族というものなのよ。
一度戦うと決めたのなら、全力で叩き潰すのみです。
公爵家の力を見せてさしあげましょう。
毎週金曜21時に更新。
次回は新年、1月6日の予定です。
次回は、公爵様が家族愛?を叫びます。
(あくまで予定です)