9.居場所
9.居場所
ジジイの案内に従って歩けば、たどり着いたのは大きな建物。人間の気配はない、いわゆる廃墟だ。ボーリング場か、パチンコ屋か?
ガラス張りの玄関はぶち破られて、壁面は白い部分がないほど落書きで溢れている。スプレーだかペンキだかで彩られたそれらはお世辞にも気持ちのいいものではない。クソったれが世の中に対するクソをぶちまけただけだろう。手慣れた様子で、ジジイは中に入っていく。それを追って俺も建物のなかへ。暗い室内を照らすのは外からのわずかな光だけだ。
「カン」と高い音をたてて足下で何かを蹴飛ばした。乾いた音で転がっているのを見ると、どうやら空き缶らしい。これが寝ぐらか。ずいぶん清潔感のある良い部屋なことだ。前を歩くジジイを呼び止める。
「おい、ここが寝ぐらか?」
「ああ、わしらのな」
ジジイがそう言うと、部屋の方々から十数人の男がゾロゾロと湧いて出た。若いのから老いぼれまで、バリエーション豊かな男たちが俺の周りを取り囲んだ。生きている人間じゃあないな。こいつと同じ死者、幽霊だろう。その中の一人が、俺の目の前まできて言う。
「新入りかぁ?身体もでかいが態度もでかいぞ、もう少し遠慮したらどうだヨ?なぁ、たけ爺さん。まさかこいつ生きてるのか?」
「自分で聞いてみろ」
生きているのかとは随分だが、生きていない者の方が多いこの場では当然の疑問か。へらへら笑いながら、男は俺の足を軽く蹴りながら言った。
「おい。お前、生きてるか?」
「……」
無礼な男だ!間髪入れずに蹴りを入れて来た男の顔面を鷲掴みにしてやった。油圧で駆動する機械のように、頭蓋が軋むほどの力を加えていく。その時、にわかに俺の右掌から青白い炎が噴き上がって男の顔面を焦がした。
「あああああ!?熱い熱い熱い!!」
「足癖の悪いやつだ、少し頭を冷やした方が良いな。ずいぶん熱くなっているじゃないか」
ほんの十秒ほど顔面を炙ってから解放してやった。なんだかわからんが、手のひらから火が出たぞ。これは便利だな。
「あぁあぁあああ……」
言葉にならない声をあげて、男は顔を押さえて地面を転げ回る。幽霊も焦げるんだな、新しい発見だ。滑稽な姿をいつまでも見ていたいがそうもいかない。俺は周りを取り囲む男たちに向けて叫んだ。
「聞け、幽霊ども!俺は誰にも遠慮はしないし、誰の指図も受けるつもりはない!俺の敵に回る奴、気分を害する奴がいたら目玉をくり抜いて食ってやる!」
未だに転げ回る男を無視して、辺りを見回す。近くの壁に冠を戴いた骸骨がペンキで描かれているのを見つけた。骸骨の王か、気に入った。そこに大きなコンテナボックスをいくつか集めてくっつけて並べた。王の寝具だ。そこに大仰に座り、足を組んだ。
「ここが気に入った。ここを俺の寝床にする。文句のあるものはいるか?」
そう言って見栄を切ってやった。集まった男たちは何一つ言葉を発さない。ただ、俺の方を見るだけだ。その瞳に浮かぶのは恐れか、いや彼らはまるで憧れのような眼差しを持ってこちらを見ている。
「おい、ジジイ。たけ爺と言ったか?そう言うことだ、俺は今そう決めた。良いな」
「いいなと言われてもな、わしにはどうすることもできん。好きにしたら良いだろう」
そう言ってたけ爺は肩をすくめた。ならば良い。寝床を確保できたのは僥倖だ。
「ならば俺はもう休む」
それだけ言うと、俺は目を閉じた。数時間しか活動していないがもう疲れ果てた。肉体的にというより精神的に。真っ暗闇の廃墟で幽霊に囲まれて眠るなんて、そこらの肝試しなんか目じゃない。全く貴重な体験だな。最悪の環境とは裏腹に、俺の意識はすぐに深い眠りへと落ちていった。
……
目が覚める。窓から差し込まれる光を見れば、どうやら日も沈むころのようだ。一日無駄にしたな。一体どれほどの時間眠っていたのだろうか。上体を起こして、自分の顔を触る。やはり耳も鼻もない。残念ながら夢ではなかったらしい。これからゾンビみたいなこの身体と一生付き合っていかなければならないというのか。いや、一生というのもおかしいのか?心臓は動いていないわけだが。ぼうっと考えているところに、昨日の男が現れた。真っ直ぐ直立不動の姿勢をとると、言った。
「昨日はすいませんでした!」
「……」
顔を掴んで焼いてやったのに、すいませんだと。恨まれても謝られるような事はないはずだが、どう言うことだ。火傷の男は目の周りが焼けたようで、妙な形に変色している。頭の中まで茹っておかしくなったのか?
「いや、たけ爺と話して気がついたんス。兄貴は俺らの希望だって!」
「なに?」
俺が希望だと?絶望の間違いじゃないか。トラックに轢き潰されたような面で、生きているんだか死んでいるんだかわからん俺が希望だと。笑える話だ。