5.企画と規格外
5.企画と規格外
わかっていた。わかっていた事だが、金が無い。ゴミ溜めで拾ったパーカーのポケットに金が入っているはずも無く。当然財布も身分証もない。ファーストフード店の前の道路にドカリと座り込む。
警察にでも行くか?「記憶喪失です、助けてください」なんて、そんな話が通ったとしてどうなる?お巡りさんは哀れな俺にこう言うんだ「顔はどうした?どこからきた?心臓が動いていないぞ?」そして病院行きか。クソッタレ、却下だな。
とにかく腹が減った。こうも腹が減ると、必要以上にイライラする。もう店から出る人間の持っている紙袋をかっぱらってやろうか。
「……」
フードを深く被り直して、ジッと下を見る。そんな事をしてみろ、すぐに通報されて終わりだ。あぁ。身分のない、どこの誰でもない人間が独り生きるというのはこんなに大変なものか。ふっとゴミ箱が頭によぎる。廃棄になるハンバーガーたちはどこへいく?どこかへ捨てているのか。それならば……。いや、だめだ。こんな格好になってもそれはできない。どうしても気に入らない。堂々巡りだ、クソ。ぐるぐるする思考の中、地面のシミを数えているところに女の声がした。
「あのぉー、すみません。ハンバーガー食べますか?」
顔を上げる。女が一人、ハンバーガーの入っているらしい紙袋とスマホを持って立っていた。青と赤の目が痛くなる配色の服に、白い帽子をかぶった女だ。
「あのぉ、いかがですか。ハンバーガー」
緊張した声で、再び女はそう言った。いかにもボロ雑巾のような服装の、この怪しい男によくも声をかけたものだ。
「……よこせ」
俺は目線も合わせずにそう言った。顔を見せるつもりはないし、他人となるべく距離を置きたい。それでもハンバーガーは食いたい。女は地面に紙袋を置いて、いつの間にかスマホのカメラを構えていた。
「はい!あの。いくつたべます?」
「おい、カメラは止めろ」
質問に答える前に、自分でも驚くような低い声で俺はそう言っていた。
「あ、インカメです。まだ撮ってないです。あの、もしよかったらで良いんですけど……撮影、ダメですか?」
「俺はそれが嫌いなんだ。イライラする、今すぐ消えろ」
そう言うと、女はすぐにスマホを引っ込めた。そうして消え入りそうな声で「ごめんなさい」とだけ言って、立ち去ろうとする。紙袋を持って。去りゆく背中に俺は声をかける。
「まて」
「はい。どうしました」
「ハンバーガー」
「やっぱり食べますか?」
女は歯を見せて笑っていた。どんな心境なんだコイツは。何を考えている、全くわからん。だがハンバーガーは食いたい。
「……食う」
「いくつ食べますか?」
そう言いながら、女は紙袋をガサガサと開けながら俺の隣に座った。
「いくつでも。あるだけ」
「大食いですねぇ良いですよ」
俺の前にハンバーガーを並べていく。10個のそれらが三角形を作った。何故コイツは同じものばかり10個も買っているのか。わからんことばかりだが、もうどうでも良い。
「どうぞ」
食えるものなら食ってみろとばかりに手を広げて見せた。無意識のうちに俺の口の端が少し上がった。同時に包みをあけて乱雑に食い始める。舌先の美味い!というのとは少し違う。何か満たされるような、根源的な幸せを感じながらそれらを平らげていく。一つ、二つ、三つ。一心不乱に口に運んでは噛みちぎる。ものの数分で全てを食い尽くした。最後の一つを口に放り込んだ時、隣にいた女が言った。
「はぇー、すごい勢い!いつもこんなに大食いなんですか?」
「……」
「あのぉ。撮影はしないんで、チョッとだけインタビュー良いですか?チョッとだけで良いですから!」
インタビューだと。コイツは何を言っている、ジャーナリスト気取りか。いや、そもそも何者だ。
「お前は、何者だ。インタビューとは何だ」
「ぢつは、わたし。ヨーチューバーやってまして。あのぉ底辺なんですけどね。えへへ。今日はその、企画で……その」
「企画とはなんだ」
「ホームレスにハンバーガー奢ってみたっていうんですけど」
そうか、ヨーチューバーというのか。この女、奇抜な格好も大量のハンバーガーも、そういうことか。だから用意した、それで俺に声をかけた。なるほどな。
「俺がホームレスか?」
「えっ!あのぉ違ったんですか。ごめんなさい!気を悪くしないでください!言い方が悪かったです、悪気はなかったっていうか」
「いや、まて」
ホームレスにひっかかったが、良く考えればホームは無い。ホームレスだ。それどころか名前もなければ希望もない、ホープレスだ。
「ホームレスかもしれん」
俺の言葉に、女は笑って言った。
「あぁ良かった、ホームレスで!あ、違う。良かったって言うのはそう言う意味じゃなくて、その」
ワタワタと慌てる女を見て、ふっと思わず笑ってしまった。面白い女だ。これが芸ならウケそうなものだ。
「あのー、私。ワタって言います」
ワタワタ慌てるからワタか?ちょうど良い名前だな。
「それで、お兄さんの名前はー……」
言いかけたところで、突然俺の目の前の紙袋が蹴り上げられた。