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「いや、私はこの形の羅列からして、表音文字の可能性すらあるかなって」
「確かに文字の種類が多すぎるけど。でもフェイクの可能性もある」
半日解読に取り組んだところで、昼食を買って来て食べながら、今現在のお互いの推測を話し合っているところだ。
五年間、全く同じ授業を受けた唯一の存在だけあって、学院で得た知識が同じだというのは本当に話が早くて楽だ。しかもそれらに対しての理解度もお互い同レベルなのだから。
思いつく限りの仮説を立てては黒板に書き込み、二人がかりで検証をする。
多分ここには他のどんな人でも入り込むのは難しいだろう。
自分たちでも口にはしないけどお互いにそう感じているだろう程に、私達は阿吽の呼吸だった。
だからジョルジュ先輩がときどきこっそり様子を見に来ても、邪魔することなく立ち去っていたことにも気付かないほどに、私達は没頭していた。
「やった!」
「ああ、これで間違いないな」
私達はやっとのことで解読に成功していた。
結局、文法などは既存のもので、文字は未知のもの、とはいえそれも既存のものを別の文字に当て替えているだけだった。
さらにご丁寧に、部分的には暗号まで含まれていて、暗号部分は文字ではなく記号であり、未知の文字と記号を区別することとにも手間取り、解読に三日半もかけてしまった。
もう解読されている古代文字と似た系統だったから良かったものの、そうじゃなかったらもっとかかったかもしれなかった。
でも、言語学者でもない私たちには、本当に全く新しい言語体系だったとしたら、数か月かけたって解読はできなかったことだろう。
それを10日で、と言っていた所長って、やっぱり鬼か悪魔だと思う。
罠を外すのにも時間をかけたので、もう期限はあと四日と半日しかない。とりあえず先輩を呼びに行って、文字と暗号を解読できたことを報告する。
先輩にも確認してもらって、作業をすすめる承認をもらったので、今度は作った文字表と暗号表をもとに、本格的に本の内容を読めるように解読していく。
これも、見開いた本の左のページを私が、右のページをカミーユが担当して、どんどん私たちが普段使っている言葉に翻訳しては、紙に記していく。
この作業も、私とカミーユのスピードがほぼ一緒なので、挿絵などのせいで文字数にあまりに違いがあるとき以外は同じようなタイミングで次のページへ進めるので、サクサクと進んでいく。
お互いに、1ページおきに内容を読む形になるので、本の内容の本当の理解には至らないものの、書かれている内容に、私達の気分がどんどん下がっていく。
この本は、とある暗殺者集団があがめている邪心の経典で、彼らはその邪神から特異能力を授かることで、普通の者には不可能と思われるような事件を数々起こし、そして犠牲者は増え続けていた。
その暗殺者集団は、彼ら自身の何らかの目的のために殺す場合と、彼らの殺人能力をサービスとして買い上げてもらっての殺し、を行っていたので、最初は無差別殺人なのかと思われていた。
それでも何年にもわたる調査のなかで、様々なことがわかってきて…そして今回、研究所の諸先輩方の働きによって、この邪神の経典が手に入ったのだ。
そして、期限がきられていることの大きな理由が、この国に、周辺諸国の要人が集まり、国境をまたいで暗躍している暗殺者集団への対処を話し合う日が迫っているから、だった。
その要人たちが、彼らのターゲットにならないわけがない。
自国にて、他国の要人を暗殺されるなど、国際問題にもなりかねない事案ではあるけど、今回の件に関しては、ある程度どの国もそうなったときは仕方がない、という空気はある。
通常の護衛では守り切れないのだ。
でもだからこそ、要人を守り抜いて、この国の力を見せつけたい、というのが国の上層部が願っていることで、そっちの対応は多分、塔と庁と研究所からそれぞれに出された、それらの担当者が頑張っているのじゃないかと思われる。
私たちのチームは、『暗殺者集団に特異能力を授けている邪神について書かれている本を解読すること』を、今、請け負っているということだ。
我々にとって未知の存在だった邪神について知ることができれば、暗殺者集団の異能のついても少しはわかることがあるかもしれなくて、そうなれば要人の警護にも役立てられるし、国際的な話し合いの場においても、対策を練るうえで重要な情報になることは間違いがない。
私達二人の肩にかかっているものが重すぎやしませんか?と愚痴りたくもなったけど、これを入手する方が大変だったよね、とすぐに気が付くことでもあるので、文句は言わない。
どうやって暗殺者集団を出し抜いてこれを持ち出せたのか、私には推測することもできないほどだ。
会議室に、ひたすら私達がペンを走らせる音が続く毎日が過ぎ。
昼食のためにペンを置いた私達は、お互いに視線を交わして、同じ思いであることを確認した。
そう。
『このままでは期限に間に合わない』
昨日も一昨日も、日付が変わるギリギリまで作業をした。
それでもあまりにもページ数が多かった。
徹夜での作業をしたかったけど、この建物は日付が変わるタイミングで、防犯のために誰も中に人がいられなくなる結界が自動で展開する。
「私の家でいいかな。多分私の家の方が近いよね?」
発した言葉はそれだけだったけど、カミーユにはちゃんと伝わった。
先輩に貴重な資料を持ち出す許可を取りに行くと、徹夜で作業をするという私達にかなりの難色を示したけど、期限までに終わらせるにはそうするしか仕方がないのだ、という私達の訴えに結局は折れて、所長に話をつけに行ってくれた。
そして所長も渋々だったそうだけど、許可をだしてくれた。
私達は早速必要なものをまとめると、退勤時間前だったけど、私の家に移動した。
あと二日とちょっと。
一人だったらくじけそうだけど、相棒がいる。
頑張ろう、と心から思えた。
私の家のリビングは、日中は日がさすので 明るい。
重たくてでかい本をどん、とテーブルに広げると、私はお茶を出したりすることもせず、すぐに作業を再開した。
夜には、明るく照らしてくれる魔道具の照明器具、なんてものを、貧乏な家の娘なので持ってないので、オイルランプとライトの魔法で照らした。
私の集中が途切れてライトの魔法が消えたりすると、カミーユが代わりにライトをかけてくれたりした。
しっかり食べると眠くなってしまうかもしれないので、ときどき、少量ずつ食べるものを口にしながら、黙々と作業を続けていると、いつの間にか明るくなっていて、あと一日半だとぞっとした。
1ページにつき1枚使う紙の山もまだ厚く、本の開かれている場所もまだまだ残りのページに厚みがある。
ランプを消すと、「少しだけ休憩しよう」とカミーユに提案されて、頷いた。
丁度家にあった、包丁を使って皮をむかないと食べられないフルーツを私がカットしている間、カミーユがコーヒーを淹れてくれた。
うう、美味しい。
コーヒーが疲れた体に染みわたる。
ああ、赤猫亭で飲んでいた時間を、解読にあてられていたら。
でもまだ文字と暗号解読は出来ていなかったし、あの日、魔力が減った状態で作業に移っていたとしても、どっちみち大した進歩は無かっただろうとは思う。
でも、どうして期限がこんなに短いんだ…とどうにもならないのが分かっていても愚痴りたい。
最初一週間って言いかけてたよね?だったらとっくに期限は来ていた。ということは、明後日の昼までというのは、本当のギリギリなのだろう。
果物から糖分を摂取して、さらにコーヒーを飲んで少しだけ頭がシャキッとしたところで、作業を再開した。
昼頃に先輩が訪ねてきて、簡単につまめる軽食を持ってきてくれた。
私たちがそれを食べながらも作業を続けている間、先輩は私たちが読めるように経典の内容を書き下した紙を、ページ通りに合わせて、クリップでとめて、読み始める。
今まで書き下した分は研究所に置いて来てあるので、関係者たちが既に読んでくれているはずだ。
先輩は、昨日からの成果を確認し終えると、それを持って研究所に戻っていった。
帰り際に大きなキャンディを置き土産にして。
キャンディの甘酸っぱさを楽しみながら、糖分補給にこの手があったか、と余裕のなさに苦笑した。
多分家の中を探せば、うちにもキャンディくらいはありそうだ。
先輩は夜にも訪ねてきて、暖かい食事と、甘いお茶を持って来てくれた。
そして私達の書いたものを読み、また研究所に持って帰った。
もう昨日からは、カミーユも私も暗号表などがなくても書き下せるようになっていて、一ページにかかる時間も短縮されていた。
疲れのあまりに麻痺してきて、書かれている残忍な内容に精神的にやられて、書き下すスピードが落ちる、ということもなくなっていた。
そして、締め切りの期限であった昼にはまだ少し時間があるうちに、私達は全てを書き終えた。
既に先輩が待ち構えていて、邪神の経典と、私たちが書き下した紙を抱えると、流石に読むこともせず、即、研究所に戻っていった。
私達は、先輩が出て行った扉をしばし、呆けたように眺め、そして経典があった場所に先輩からの置手紙があることに気が付いた。
私達は、今日の午後と明日、さらに明後日まで休暇を貰えること。
明後日が会談の日で、今日明日で要人たちがこの国に入るので、警備が厳しいから休暇中は不用意に外を出歩かないこと。
この家は王都の中心部にありすぎて、今日の日没から始まる外出禁止令の対象区域になっているので、休暇中の食糧を勝手ながら食糧庫に入れておいたこと…などがかかれていた。
二人で頭を突き合わせてその手紙を読み、そして、先輩の差し入れの果実酒とそのまま食べられる少し食べ応えのある軽食を食べ。
遠慮してソファに転がろうとしたカミーユの腕を引っ張って、どっちがベッドに寝るか、といった押し問答をする気力もなかったので、力づくでベッドに引きずり込み、多分、お互いに三秒後には意識を手放していた。