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「ほらね、あなたもちゃんとすればこんなに可愛いのよ」
お姉様は後ろから私に抱きついて、ちゅ、と頬にキスをしてくれる。
私の好みはお姉様のような美人タイプなので、鏡の中の、お姉様の手で仕上げられた自分を見ても、なんとも思わない。
お母様譲りの茶色い丸い目と茶色い髪。
お父様譲りの黒髪に金色に近い明るい色の目のお兄様やお姉様とは、ここも異質だった。
ヴィリエ家の黒髪と金目は有名だ。
どうして私だけ、とまた思いかけて、いくら考えたところで私は私、と考えるのをやめた。
「ろだりー!」
二歳になって、舌足らずながらに私の名を呼んで、部屋に駆け込んできた甥っ子シャルルの可愛さにきゅーん、としたからだ。
お義兄様の金髪とお姉様の金目を受け継いだ、金色しかない甥っ子は、この世に遣わされた天使だ。
「ああーシャルルー、今日も可愛いねーちゅーさせてー」
「うん!!」
鏡台のスツールから立ち上がって、小さい甥っ子を抱き上げ、そのふくふくした頬にちゅちゅちゅ、とキスの雨を降らせる。
くすぐったがって笑うその声も可愛い。
ああ。至福。
「あなたも、早く結婚して子どもを持てばいいのよ。あなたの子なら、可愛いに決まっているわ!」
鼻息荒いわ、お姉様。
シャルルは美男美女のお義兄様とお姉様の子だから、こんなに奇跡のように可愛いのに。
でもまあ、私達弟妹を溺愛しているお姉様だったら、私の子がどんなに不細工でもきっと可愛いと大騒ぎだろうけど。
「そういえば、最近カミーユ君の顔を見ていないわ。元気なの?」
「うん?元気だよ?」
どうしてここでカミーユの話題が出たかな?
カミーユは確かに腐れ縁でここ7、8年はほとんど行動を共にしてるけど、休みの日まで一緒にいたりするもんか。
明日出勤すれば顔を合わせるんだし。
お姉様がお茶に付き合ってくれる中、シャルルを膝にのせて、フルーツの盛り合わせを食べ終えたところで、お姉様が深刻そうな顔をした。
「ところで。ロザリー、例の話本気なの?」
「え?本気だけど…」
例の話、というのは、私が家を出て一人暮らしをする、という話だ。
どうやらその話がいよいよ実行に移されると聞いて、慌てて飛んで来たらしい。
「女の子の一人暮らしだなんて、心配で夜も眠れなくなっちゃうわ!せめて、家に来ない?」
「エーメ家の大きなお家なら、私一人くらい居候しても部屋は余っているだろうけど…お義兄様にそこまで迷惑をかけられないわよ、今回住む家の手配だけでも有難かったわ」
「ロザリーは学費もかからなかったのだし、それくらい迷惑でもないと思うのだけどね。ダニエルも部屋探しの協力はしたけど、結構心配しているわ」
お義兄様は、お姉様を溺愛している。
そしてそのお姉様は、私たち弟妹を溺愛している。
その結果、そのお姉様にとって大切な私達は、お義兄様にとってかなり優先順位の高い、大切な存在、と位置付けられている。
そんなわけで、お姉様が心配することについては、一緒に心配してくれる。
ありがたい話だ。
「でも、もう決めたのよ。私ももう、働き始めて三年目に入ったし、貯金も少しでき始めたし。何より…近さは何事にも代えられないわ!」
鼻息荒く拳を握る。
そう、一人暮らしを始める理由。
それは通勤時間だった。
毎朝、お父様とお兄様と私の三人で同じ馬車で出勤するので、我が家的には無駄はない。
ただ、貧乏男爵家の家は、貴族街の外れにある。
王都の道は、攻め込まれた時に敵の侵入を容易くさせないために、細くなったり変に曲がったりする。
だから、毎朝早くに家を出ても、必ず途中で渋滞に巻き込まれるので、勤務先に着くのに一時間以上かかるのだ。
当然馬車の中でうとうとするのだけど、貧乏な家の馬車が快適なはずがなく、ベッドで寝るのとは格段に睡眠の質が違う。
姉の住むエーメ家のタウンハウスからだと、距離は三分の一程度になるものの、渋滞は免れない。
私が住もうとしている物件は、王都の中心部にあり、なんと徒歩通勤圏だ。
あの渋滞に巻き込まれずに済むのだ。
帰りだって、父や兄との帰宅のタイミングを合わせるために、仕事を中断する必要がなくなる。
つまりは、今までよりも往復分二時間も寝る時間を増やせるのだ!
それもこれも、ダニエルお義兄様のお陰に他ならない。
ありがとうお義兄様!
お義兄様の人脈がなければ、あんな一等地に格安では住めないです!
ちなみに、私達の勤務先は全員違う。
父は魔術師の塔、すなわち魔術そのものを研究している。
そしてアルセーヌ兄様は、魔術師庁、お役人だ。
そして、私は魔術師の塔と魔術師庁の両方からの出向者たちが上司という、魔術研究所、に勤務している。
魔術研究所は、塔とは違ってかなり生活に近い魔法の研究開発や、その行使、が役割だ。
具体的には、犯罪に使われた魔術を解析して対抗処置を施す、とか、新しい生活魔法を生み出すとか、今まであった生活魔法の改善だとか、ゴツイあたりだと国内に魔物が出たときはそれの討伐をするとか…とにかく、本と書類とペンが主なお父様やお兄様に対して、私はひたすらに自らの魔力を実際に使いまくる仕事をしている。
王都でなにかイベントがあるときには、魔術師庁のお役人魔術師と研究所の魔術師が結界を張ったりなんだり、実務をこなす。
まあ、体のいい下っ端組織。
雑用係、何でも屋、とも言える。
私としては自らの豊富な魔力を思う存分使いたかったので、学院を首席で卒業したのに研究所を就職先に選んだ時には、お父様をがっかりさせてしまった。
一緒に机を並べて研究したかったのにー、と。
まあ、研究所以外でも仕事で魔力を使わないわけではないのを知っていたけど、職場体験に行ったときに、塔も庁も引きこもりの色白ひょろひょろさんが多くて、うわ、無理、と思ったのだ。
後で良く聞いたら、たまたま体験先の部署にそういう人が多かっただけらしいのだけど。
でもとにかく私には、魔獣や魔物が出たときに討伐に出る、研究所が魅力的だった。
「だけど一人での通勤は心配だわ、特に帰りの夜道とか…」
「そんな心配は無用よ、私、いつも魔獣や魔物の討伐のメンバーに選ばれるほどなのよ?」
お姉様は魔力が多くても、荒事は嫌う。
昔から、痛いの痛いの飛んでけー、とお転婆だった私に治癒をかけてくれるのを得意としていた。
それに対して、私の攻撃魔法の多彩さと強さは同僚たちの中でも群を抜く。
多分、研究所で10年くらいの先輩までなら、勝負したら私の方が勝つかも。
それ以上の先輩だと実践経験の差で、負けることもあるだろうけど。
「とにかく。私は、一分でも一秒でも長く、寝たいの!」
「ねたいのー?」
膝の上からこてん、と首をかしげて見上げてくる天使。
ああ、神様ありがとう。こんな天使をつかわして下さって。
「うふふーシャルル、お昼ご飯の後、ロザリーおばちゃんと一緒にお昼寝しようねえ」
「うん!」
「あああ可愛いシャルルー、ぎゅってしていい?あ、逃げようとしても無駄だよー!ほーら、逃げようとした罰で、くすぐりの刑だぁー」
膝の上で暴れるシャルルのお腹やわき腹をくすぐって、シャルルと二人できゃっきゃと笑いあう。
お姉様がやれやれ、といった顔をして、お茶を飲み干した。