リ、プロビデンス
リ・プロヴィデンス(RE・PROVIDENCE)
プロローグ
赤い八頭の龍が暴れ回っていた。 見渡す地平一面に真っ赤な炎が溢れていた。 山を崩し地面を掘り起こし、川を干上がらせる。 竜巻が巻き起こり、暴風が吹き荒れる。 混沌が辺りを支配していた。 突如、白く輝く日輪が天空に出現した。 一瞬、日輪が強い光を放つと八匹の赤い龍の中心に光が太い線となって向かって行く。 八匹の龍たちが激しく苦しみ始めた。 日輪から放たれる光に抗って龍たちは集まって日輪の光から中心を守る。 荒れ狂う暴風とぶつかり合う巨大なエネルギーの中、八頭の龍たちと日輪の攻防が暫しの間行われた。 二つの巨大な力はしばらく拮抗していたが、少しずつ日輪の力が押し始めた。 遂に龍の頭を引き千切って日輪の光が再び中心部分に突き刺さった。 引き千切られた八つの龍頭は一つの赤い球体となって、東の方向に飛び去った。 序々に赤い光が弱まって行く、赤い光が消え去った後には、一人の男が呆然と立ち尽くしていた。
丘の上に一人の男が立っていた。 逞しい身体に強靭な意志、腰には幅広の頑強な剣を下げている。 青地に金色の装飾を施した鎧を身に着けている。 胸には三本足の鳥に似た形の紋章が描かれている。 荒ぶる魂、高天原において並ぶ者がいないと言われる戦士であり勇者。 しかし何故か周囲を見渡すその両目から止めどなく涙が流れ出していた。 今、彼の周りは廃墟であった。恐らくは大きな都市であったのだろう。 天変地異か突然の巨大な竜巻にでも襲われたかのように疲弊していた。 多くの建築物は本来の姿がわからない程破壊しつくされ、所々に散乱する彫刻を施した残骸が元の華やかな姿を彷彿とさせているにすぎない。 廃墟のあちらこちらには、兵士とおぼしき鎧・兜に身を包んだ人々が、倒れ傷つき苦痛のうめき声を上げていた。 その鎧は引きちぎれ、兜にはひびが入り、剣や弓の多くは折れるか砕けている。どれほどの災禍がこの地を襲ったのか想像する事もためらわれた。 「・・・何と言う事だ・・・」 その逞しい姿に似合わない弱弱しい声で彼はつぶやいた。 その時、今まで厚い雲に覆われていた空に光がさし始めた。 雲のすき間から輝く日輪が出現した。 薄暗かった丘の周辺が明るい日差しを浴びる。 除々に辺りの雲が引き始め地上全体を光が照らす。 その日輪から澄んだ女性の声が響く。 日輪はゆっくりと輝くような美女に姿を変えた。太陽と生を司る女神、天照大御神である。 「須佐之男よ。大丈夫ですか?」 須佐之男と呼ばれた男は、倒れるように方ひざを地につけた。 「申し訳ありません姉上・・・私の力が及ばず・・・。」 須佐之男命は涙を拭う事もせず俯いたまま、搾り出すように言葉をつぶやく。 「・・仕方ありません、あの力は・・」 天照の優しい言葉に須佐之男命が頷く。 「全滅は免れましたが、天軍五十万は総崩れです、天叢雲剣も力を失ってしまいました。」 そう言って須佐之男命は腰に佩いた大剣を握りしめる。 「姉上・・さらに申し訳ありません・・荒御霊を使わせてしまいました。」 そう言うと雄雄しき英雄は両膝をついた。 「良いのです。あなたを失うわけにはいきません。」 にっこりと微笑んだ女神は頭上に両手をかざす。 かざした手の先に巨大な鏡が出現した。 一点の曇りも無い美しい鏡面、裏には四匹の聖獣が踊る見事な彫刻が施されている。 「心体の光明なるは、暗室の中に青天あり。念頭の曖昧なるは、白日の下に霊鬼を生ず。」 精神集中のための真言を美しき女神が唱える。 頭上に輝く鏡からまぶしい光が放たれ、周囲の荒れ果てた街や平原を覆っていった。 すると驚いたことに破壊しつくされた街が平原が徐々に復元していく。 傷ついた人々も光を浴びた途端に治癒し、歓喜と共に空を見上げる。 再生の力がこの高天原の大地の隅々まで照らしていく。それは正しく女神の和御霊の力だった。今や高天原は本来の美しい都の姿を取り戻していた。 輝く宮殿、緑溢れる屋敷や広場。煌く鎧を着た兵士たち、美しい天女たち、華やかな衣に身を包んだ天界人たち。多くの人々は天照を拝み感謝の敬拝を送っていた。 「私達姉弟の力が合わさればこのくらいの事、何でもありません。」 須佐之男が立っている丘の背後、高熱の何かに焼かれたような跡の残る広い荒野は、天照の放つ再生の光を受けても何の変化も無かった。 「しかし天照陛下に焼かれたかの地は、幾千年の後まで人の住めない荒野となるでしょう。」 天照の背後に従者と思しき二人の天界人が現れた。 その内の一人、端正な顔に知性を強調したような男性神が坦々と無表情で話す。 天界の宰相であり天照の片腕と言われる知恵の神、思金である。 「今後、あの辺りは死の海と呼ばれることでしょうね。」 「オモイカネ! それにウズメ!」 女性神らしい華やかな衣装に身を包んだ色香漂うもう一人の従者も口を開いた。 踊り子であり芸能の女神でもある天宇受売命、また天照の良き相談役でもあった。その美貌と抜群のスタイルは、絶世の美女である天照の横にあってさらに輝いて周囲の人々の目を釘づけにしていた。 「天照様。何百年かぶりに荒御霊を使われてお疲れでしょう? そろそろ休まれては。」 「まだ弟との話しが終わっていません。もう少しお待ちなさい。」 須佐之男の方に視線を戻しながら主神としての威厳に満ちた声で応える。 「確かに高天原の被害は小さくありません。オモイカネの言う通りこの地は、今後何千年も砂と風だけが行き交う土地となり、人が住むことは無いでしょう。」 「・・・姉上に余計な気苦労をさせて申し訳ありません。」 アメノウズメが怒りのこもったするどい眼光で須佐之男を見つめる。 「まったく、天上一の英雄の名が泣きます。あなたの油断がこの失態を生んだのですよ!」 「ウズメちょっと黙っていなさい!」 「姉上。ウズメ殿の言われる通りです。面目ありません。」 ウズメは美しい顔に不敵な笑みを浮かべて得意げに頷く。 「姉上。・・東方に飛び去った赤い龍の力の後を追わせて下さい。・・地上の民にどんな災いをもたらすか分かりません。・・それに敗戦の将としての責任を取らなければなりません。」 深刻な表情で天照に向かって懇願する。 「須佐之男。・・私はあなたを責めるつもりはありません。」 「しかし、勝利をふいにしてしまったのは事実。ウズメが話したように私の油断がこの失態を招いたのです。」 建速須佐之男命は悲壮な面持ちで話す。 「まさか母上があそこにおられるとは誰も思いもしません。・・あなたを責められません。・・ましてやあのような行動に出るとは思いもしませんでした。」 笑顔だった天照の顔が困惑に曇る。 「あそこまで黄泉の軍を追い詰めておきながら・・一瞬の油断が敵の逃走を許してしまったのです。・・どうか姉上、私を総大将の任から外して下さい。」 天照に向かって荒ぶる神、建速須佐之男命は叫ぶ。 するとどこからか、男性らしからぬ涼やかな声が響いた。 「そうです姉上、私からも弟の願い通りにしてあげる事をお願いします。」 「何を言うのです月詠! 須佐之男は天界の英雄であり軍神なのですよ!」 突然の横槍に驚きをあらわにして天照大神が叫ぶ。 「良いではありませんか。・・本人が望んでいるのですから。」 涼やかな美青年が女神の近くに浮かんでいる。 夜と月と時を司る男神・月詠である。天照の弟、須佐之男の兄であり、天照を補佐し時には代理として政事を司る。 すぐ斜め後ろには腹心の臣下である天探女が従っていた。 「確かに須佐之男以上に軍団をよく率い、武勇に長けた者はいないでしょう。・・しかし本人にやる気がないのであれば、その力は失ったのと同じです。」 「天照陛下。かわいい子には旅をさせよというではありませんか?」 「ウズメ! 何という事を言うのですか!」 天照は美しい顔を怒らせて振り返った。 するとオモイカネが頷きながら几帳面そうに口を挟む。 「そうですね。彼に地上の様子を見て来てもらうのは良いですね。」 「お、オモイカネまで、何を言うのですか!」 天照は困惑しながら叫ぶ。流石に右腕であるオモイカネに言われると勢いが弱まる。 「あの女戦士は確かに母上によく似ていた。しかし母上かどうか怪しいものです。」 「そんな事はありません、あれは確かにお母様でした。あのような場所にいらっしゃるのは信じられませんが、あの神秘的な美貌が他にあるとは思えません。」 冷淡に指摘する月詠の言葉に、天照は必死に反論する。 月詠は鼻筋の通った顔を左右に振って、天照の言い分を否定する。 「いえ。あの女戦士は何も名乗りませんでした。・・須佐之男や姉上を見ても何の反応もありませんでした。・・あの優しかった母上と同じ人物とは到底思えません。」 天照も思うところがあるのか何も言い返せなかった。 「そんな妖しげな者に惑わされて暴走してしまうとは・・天下一の英雄が聞いてあきれますね。」 「月読!・・あなたの言うようにあの女戦士は母上では無かったかも知れません。」 天照は鋭い視線を月詠たちに送った。 「しかし、母上の姿をした女性に戦場といえども刃を向ける事は、須佐之男はもちろん私にも出来ません。」 「姉上はともかく須佐之男は仮にも全軍の総大将なのですよ! 最前線で戦意を失くすなどあってはならない事です!」 「・・それはそうですが・・しかし・・」 「姉上は弟に甘すぎます! 辛勝必罰は武門の習いですよ!」 その時、二人を見つめていた須佐之男が勢いよく立ち上がり遥か頭上を見上げて叫んだ。 「父よ! 私に旅立ちの許しを!・・八つの龍が私を待っています!」 そして彼は頭上の空をにらみ続けた。 空を覆っていた全ての雲が消え去り晴れ渡る青空から、重厚な声が響く。 「我が子たちよ・・人の心は・・整わず・・時はまだ・・来たらず・・」 しばし沈黙の間があり。 「・・息子よ・・思う通りにしなさい・・地上の子らと・・暮らしてみなさい・・」 「・・父上。」 天からの語り掛けに須佐之男命はその長大な剣を振り上げて答えた。 「・・行ってきなさい・・守ってあげなさい・・私に代わって・・」 天からの声が優しく語りかける。 苦しそうに須佐之男たちの会話を聞いていた麗しき女神・天照が、たまらず天に向かって叫ぶ。 「お待ちください父上! なぜ須佐之男だけ地上に行かなければならないのですか?」 少しの間があってから父と呼ばれた声は、憤る女神に諭すように語る。 「・・愛しい娘よ・・龍の力は放置出来ない・・あの子は強い・・力では無く心が・・地上の民を愛し、救ってやれるだろう・・」 唇を噛み締めながら、何も言い返せず天照は無言で天を見つめる。 「・・行ってきなさい・・私の代わりに・・人の子らを愛してあげなさい・・」 須佐之男は力強く頷いた。 「わかりました父よ・・では姉上、しばらくは御前には参上出来ませんが・・いつも姉上の事を思っております。」 天照に礼をしながらそう言うと彼は地上に降臨すべくゆっくりと丘を下り始めた。 駆けつけた天軍の兵士や将に声をかけ、何人かは後から付いて行く。他の将士たちは深く腰を折り敬意を払っていた。 副将らしい鎧武者に後事を託すと、後は一度も振り返らず丘を下っていった。 須佐之男の後ろ姿を、女神は深い悲しみに満ちた目で見送りながらつぶやいた。 「・・須佐之男・・早く帰ってくるのですよ・・」
第1章 入学式と再会
桜が咲き乱れる春。今年は暦通りに季節が巡り、入学式に相応しく桜が満開を迎えていた。 ここは小高い丘陵が連なる住宅密集地。 須賀速人十六歳、今年から文武両道を校是とする、市内有数の名門校である高原高校に入学する。今日は入学式の日だ。 「お兄ちゃん!入学式終わる頃に私が学校に行くから、その時記念写真撮ろう!」 速人の一つ下の妹 須賀 恵利が右手で髪を左手でアクセサリー付きのゴムで後ろに持ち上げのその髪を結びながら大声で叫んできた。 「別にいらないよ。入学式なんてどこも似たようなものだし、お前と写っても嬉しく無い。」 俺たちは母親を二年前に病気で亡くしている。 父は今、長期の海外出張に行っていて日本にいない。国内にいてもあちこちと飛び回って、一月も家に留まる事は無かった。 両親不在で兄妹二人だけの生活を二年間続けている。 だから俺の高校の入学式には誰も出席しない。 父の妹であり、母の親友でもあった恵叔母さんが代わりに出ようかと言ってくれたが、丁重にお断りさせて貰った。親が出ないなら意味は無いと思ったからだ。 今日、中学の始業式の妹が気を利かせてくれたが、妹同伴で入学式に出てもシスコンと思われるだけで何のメリットも感じなかった。 「可愛い妹が気を利かせてやっているのに失礼ね!」 確かに我が妹ながら結構可愛いと思う。 事実俺の通っていた成海中学では、健康美少女として男女問わず人気がある。 「自分で可愛いいと言うのか?」 仲の良い兄妹だと思うが、何かと突っかかって来る。妹は俺の言葉を無視して命令してきた。 「とにかく学校が終わったらすぐに行くから校門で待ってなさい。勝手に帰ったら晩飯抜きだから。わかった!」 「分かった、分かった。合流して奥津食堂で食事してから帰ろう。」 俺はため息をつきながら返事をした。 まあ入学式の日くらい外食しても良いだろう。 つい最近まで受験勉強で苦労していたし、妹には食事や体調管理と気を使わせていた事でもあるので、少しご機嫌を取っておく方が良いだろうと考えながら玄関に向かった。 「ふむふむよろしい。可愛い妹は大事にしないとね。」 満足気な表情をしながら妹は見送りにやって来た。 「お!なかなか制服似合ってるわね。お母さんが見たらきっと喜ぶと思うわ。」 高原高校の制服は濃紺のブレザーにグレーのズボン、淡い青のネクタイだ。女子はズボンがスカートに変わっただけの同じ構成だ。 ネクタイの色は一年は青、二年は黄色、三年は赤で、毎年買い替えないといけない。 同じ高原高校に入学の決まった親友は「ほんと、面倒だよな。そんなにネクタイを買わせたいのかな?」と文句を言っていた。 (最近恵利は母さんに似てきたな。) わざわざ玄関まで出てきて、目を輝かせて頷く妹を見て思う。 母さんはほんわかした美人だったが、父に似たのか恵利は活発さが売りの美少女だ。 最近彼女が笑うと、母さんと同じ穏やかな笑顔にドキッツとさせられる事がある、所謂ギャップ萌えというやつだろうか? ほんわかした雰囲気の割りに自分の意思を貫く強さをもった母と、親子である事を疑う人はいないくらい容姿も性格も似て来ている。 「それじゃあ、また後でな。」 玄関の扉を開けて、恵利に向かって少し微笑んでから学校に向かった。 微笑んだ顔を見た恵利が、何故か恥ずかしそうに顔を赤くしていたが、それは気にせず扉を閉めた。
連なる丘陵地の中でも頭一つ高い丘の上に立つ高原高校は、洗練されたデザインの白い校舎が立ち並び、まるで大学の様な雰囲気がある。屋上に煌く太陽電池パネルが、最新式の設備を有する学校である事を無言で伝えていた。一見新設校に見えるが、これでも今年創立40周年を迎えるそれなりの伝統を持つ名門校である。 高原高校の白い校舎はかなり広範囲から見る事が出来、付近のランドマーク的な役割を果たしている。 家から近いが、急な坂道を登らなければ着かないのが少々難点だ。 大学と見間違うほどの規模と設備を持つ校内は、活気と清潔感が見事に融合していた。 だからといって入学式そのものは他の一般的な高校と変わらない。 来賓挨拶に校長先生の話、特別興味深くも無い話を延々と聞かされる。 春の日差しが強い今日は、午前中だと言うのに良い具合にポカポカと暖かい。 睡魔と格闘を始める生徒が続出していた。 多くの生徒と共に睡魔との闘いに敗れそうになっていた時、司会の先生の声が眠気を覚ました。 「在校生から歓迎の言葉、在校生代表 美神 照さん」 その人が来賓の末席から立ち上がった瞬間、会場の全ての人が息を呑むのを感じた。 颯爽と演台に進むにつれ会場の声にならないどよめきが大きくなっていく。 同じ濃紺のブレザーに黄色いネクタイ、しかし同じ服を着ているとは思えないほど華やかだった。 背筋をピンと伸ばし腰まである艶やかな黒髪をなびかせ歩く姿は、正に女神だった。 相変わらず美しいその人を俺はよく知っている。 「ほぼ2年振りか。」 久しぶりに見る姿は懐かしさと憧れ、そして苦さを思い出させた。 美神さんが演台の後ろに立つと場内のざわめきは収まった。 一瞬の静寂。 会場の全ての目と耳が演台へと集中する。 「新入生の皆さん。ようこそ高原高校へ。私は生徒会長の美神 照です。在校生を代表して皆さんを歓迎致します。」 澄んだ透明な声が響き渡る。 その声は心の奥まで染み込んで、太陽の光を浴びたように暖かい気持ちにさせる。 そして、新入生を一様に見渡してから溢れた笑顔は、まるで百合の花のように美しかった。 その笑顔に会場の全ての人が溶けてしまったのだった。
式典が終わりそれぞれの教室でガイダンスを受けて今日はもう終了となる。 すでに新入生は全員新しい自分の教室に入っていた。机の上に名前が書かれていたので席につき、担任の教師が来るのを緊張しながら待っていた。 そこに上級生とおぼしき女子生徒が顔を出す。 高校生とは思えない豊満な胸と、溢れる色気に男子生徒はもちろん女子生徒も思わず見とれてしまう。 (ネクタイは赤だから三年生か。)と速人を始め教室のほとんどの生徒が思っていると、外見通りの色気のある声で彼女が大きな声で話す。 「須賀速人君はこのクラスでしょうか?」 いきなりの名指しに驚きながら、速人が手を上げる。 「はい。おれ、いや私ですが?」 美貌の先輩はキラリと鋭い視線を速人に送ってから、誘惑するような微笑みを浮かべた。 「須賀速人君、美神生徒会長からの呼び出しです。帰りに校門前に来て下さい。」 口説くような言い回しとその美貌から放たれる色気に、たった数秒間の言葉だったが、確実に何人かが恋に落ちたのは間違い無かった。 速人の返事も待たずに去っていく魅惑の先輩と入れ替えに、担任の教師が教室に入って来た。
「明日は午前中にクラブや生徒会の紹介がありますが、今日も各クラブの紹介ブースが校門までの沿道に出てますから入部したいクラブが決まっている人は寄ってみて下さい。」 「我が校は文武両道を校風にしてます、強制ではありませんが運動系・文化系問わず部活への参加を強く推奨しています。」 「生徒会とは別に校内クラブ連合会という部活のための組織もあり学校全体で活動をサポートしています。」 校内クラブ連合会、通称「クラ連」の顧問だという担任の丹羽先生が熱く説明してくれた。 「まだ何も考えていない人は、明日の説明をじっくり聞いてどこかのクラブに入って欲しい。」「まあ。強制では無いですよ。」 強制では無いと二回も言いながら、入部させようという意欲満々の表情だった。 その後、授業の注意点や教科書の販売、校内の説明・注意事項の話しがあり、親に渡す書類やら何や、プリントの束の説明を受けて今日の予定は終了になった。
校舎を出て見回してみると、校門までの沿道にお祭りの屋台のように各クラブのテントがならび、クラブ名が書かれた幟が立っていた。 正式な勧誘は明日の説明会以後らしく関心がある生徒にだけ説明して、他の生徒にチョッカイを出す人はいないようだった。 俺はお目当てのクラブを探すべく沿道に向かった。 ちょうど沿道の真ん中辺りにテントを構えていた剣道部の前で立ち止まった。 そしてテント内の受付に座っている責任者らしき上級生に声をかけた。 「すいません。剣道部に入りたいんですが。」 剣道着の胸に津山と書いてある上級生が爽やかな笑顔で答えてきた。 まだ薄ら寒い中、剣道着だけで通している先輩は強者のようだ、他にいる何人かの部員は皆胴衣の上にブレザーを羽織っている。 「おお!ようこそ剣道部へ。主将の津山麻里です。こっちにクラスと名前を書いてください。」 机の上に置いているノートを指さしながら速人にボールペンを渡してきた。 もう既に数人の名前が書かれていた。 その名前の中に、同じクラスで中学からの親友の名前が書かれていた。 (さすがは一輝、フットワークが良いね。) などと思いながら言われた通りに名前を書き込んだ。 津山が速人の書き込みをじっと凝視していたが、思わず言葉が漏れる。 「・・・おっ、君が成中の須賀君か、我が校に来たんだな。」 津山先輩は俺の名前を見て頷いていた。 「俺もあの県大会の試合は見ていたからな。・・・いやあ~すごかったよな~。」 「そうか、そうか。暴れ龍がうちの部に来たか!・・楽しみだな。」 確かに速人は以前、そんなあだ名で呼ばれた時もあったが・・・・・。 「あっ、そうなんですか?・・・・・よろしくお願いします先輩。」 昔の自分を知っていると聞いて少し驚きがあったが、よく考えるとこの学校は丘の上にあり、見下ろすと俺の居た中学を見ることが出来る。県大会は中学・高校同時開催だから近所の中学を応援に来るくらいはしそうだった。 名簿に必要事項を書き終えてボールペンを返す。 「早速明日の午後、デモンストレーションに軽い練習があるから参加してみると良いよ。」 先輩からのお誘いにすぐに承諾の返事をしようと顔を上げる。 「いや、ちょっと待てよ。君は須賀速人君だよね。」 先輩は俺がしゃべる前に片手で制止した。 テントから顔だけ出して校門の方を遥かに凝視した。 そして何かを確認した後、一人で納得してから俺の方に向き直った。 「たぶん君、明日は参加出来ないと思うから、時間が出来たら何時でも来てくれて良いよ。」「他の部員に君の事はちゃんと知らせておくから、アポ無しでも大丈夫だから。」 「え!どうしてそんな事がわかるんですか? 明日参加するつもりですけど?」 急に予言めいた事を言われて不思議に思いながら聞いてきた俺に、先輩は俺の肩を軽く叩いて。 「校門に行けばわかるよ。自分も関係者だから間違いないと思う。まあとにかく、これからいろいろとよろしく。」 疑問符を頭上に浮かべている俺を、爽やかな笑顔で先輩が校門の方へと送り出した。 他に寄るところは無いので、俺は妹と待ち合わせるべく校門の方に歩き始めた。
校門に近づくと人だかりが出来ていた。よく見ると美神さんが中心にいた、生徒会の旗も立っていた。 テントは無かったが生徒会のメンバーが校門前に待機していて、美神さん見たさに人が集まっているようだった。何人かの女子生徒が握手してもらったり、写真を一緒に撮ったりしていたが、ほとんどの人は遠巻きに眺めているだけだった。 他の生徒会のメンバーが質問に答えたり、人の整理をしたりしていた。 そんな美神さんから逃げるように、俺は妹を探して人だかりを迂回し、すり抜けようとした。 その時、あの涼やかな声が聞こえて来た。 「須賀速人君! ちょっと待ちなさい!」 慌てて振り向くと、美神さんが仁王立ちして俺を睨んでいた。 「私を無視して帰ろうとするなんて、良い度胸しているじゃないの。弟の分際で姉を無視する非礼見逃すわけにはいきませんよ。」 怒りを露わにしながらこちらに歩み寄って来る。 「すいません。ちょっと急いでいたので。それに弟じゃ無いですよ。いとこです。」 顔見知りなので挨拶した方が良いかなとは思っていたが、面倒な事になる予感があり敢えて無視したのだが甘かったようだ。 「いとこと書いて従う姉・弟と書くのだから、あなたは弟で良いのよ。」 得意げに言って照さんはさらに近寄って来た。 「そんな事はどうでも良いの、私はあなたに用があるのよ!」 生徒会の他の先輩たちも集まって来た。そして校門付近にいる生徒たちも立ち止まり興味深々に成行きを見守っている。 照さんは飛び切りの笑顔を俺に向けて言った。 「須賀速人君、あなたを生徒会庶務に任命します。」 そう言えば入学式のスピーチの中で新入生にも生徒会を手伝ってもらうと話していた事を思い出した。 「庶務ですか?・・・。普通こういうのは成績優秀者なんかが呼ばれるものじゃないですか? 自分は中の上くらいの成績のはずですけど・・。」 遠回しに否定、しかし照さんは全く気にする様子もなく続けた。 「もちろん女子の方は成績優秀者にお願いするわ。でも男子は成績とは関係無く会長の一存で選ぶのが慣例なのよ!」 「それで女子の方はあなたにお願いしたいのだけど、良いかしら?櫛名田 姫乃さん。」 美神さんは例の太陽のような笑顔を俺の後ろに向けて話かけた。
振り向くと同じ新入生らしき美少女が立っていた。 いやただの美少女では無い。如何にもお嬢様と言った感じのものすごい美少女だった、腰まである黒髪を背中の後ろで昔ながらの櫛のような髪留めで束ねている。俺の顔をチラッと見てから深々と頭を下げながら言った。 「はい会長!もちろんお受けいたします。」 そして、その後の彼女の行動に驚かされた。 素早く俺の腕にしがみつくと体を密着させ、俺の顔を見て幸せそうに微笑んだ。 「速人様と添い遂げるためにこの学校に来たのですから、願っても無いお誘いです。」 腕にしがみつかれ、さらに至近距離で美少女の微笑みを受け動揺しまくっている俺に、鈴の音のような声で挨拶して来た。 美神さんを始めとする生徒会役員たちも、驚きで硬直していた。 「お初にお目にかかります。櫛名田 姫乃と申します。速人様とは遥か昔、夫婦の契りを結ばせていただいておりました。」 (なんだって???)とさらに動揺する俺に構わず続ける。 「この度も是非伴侶にしていただくべく参りました。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します。」 周りで見ていた生徒たちからどよめきがおこる。 (なに~!)(いきなり大胆!)(右京山の天使が!!)(姫乃様~!)(リア充爆発しろ!) などと周囲で大小の話声が飛び交っている。 「ちょ、ちょっと待ってくれ。」 慌てて腕をふり払おうとしたが、見かけによらず強い力で掴んでいて簡単には外せない。 「夫婦とか俺は知らないぞ。というか高校生だから結婚した事無いし。それに今、初めましてって言ったから初対面じゃないか!」 すぐ近くに少女の可愛い顔があり、しかも密着している制服ごしに感じる柔らかい感触に焦りながら反論した。細く見えるのに弾力に富む感触と共にシャンプーの良い香りを嗅いで心臓が高鳴る。 「速人様からは初対面ですが、私はずっと以前からあなたを知っていました。」 身体を密着させたまま、彼女は悲しげな表情を浮かべた。 「本当は中学の時にご挨拶したかったのですが。速人様が心を痛められているお姿を拝見して、高校入学まで我慢する事にしましたの。」 思わず抱きしめたくなるような微笑みを浮かべて。 「やっとお会い出来ましたね。」 そう言って彼女は俺の腕に頬ずりしてきた。 「わかった、わかった。速人については姫ちゃんの好きにしてくれて良い。でも生徒会の仕事はきっちりやってもらわないと認められないわよ。」 照さんは生徒会長というより保護者のように確認する。 「もちろんです会長、いえお姉さま。速人様の姉という事は私にとっても姉上。その方からのご依頼でしたら、最善を尽くさせて頂きます。」 真剣に美神さんに応える、しかし俺から離れるつもりは無いようだ。 美神さんは満足気に微笑みながら頷いていた。 「そういう訳で明日の午後から生徒会のブリーフィングを行いますから、生徒会室に二人とも来て下さい。そのまますぐ出掛けるから昼食はしっかり摂ってから来て頂戴ね。」 美神さんはそろそろ話を締めようと二人に指示する。 「ちょ、ちょっと待ってくれ。」 さっきからちょっと待ってくればかりだと思いながら。 「まだ生徒会に入るとは言ってませんよ!」 話がまとまってしまうまでに抵抗しなくてはと声を張り上げた。 しかし、美神さんはにっこりと笑って。 「弟が姉に奉仕するのは当然です。これはもう決定事項です。」 「何が決定事項だ! 何の説明も受けてないし、それに弟じゃなくていとこだ。」 さすがに怒りを顕わにして主張する。 すると女神のような荘厳さを漂わせ俺を指さしながら、照さんは言い放った。 「・・・問答無用! 」
その言葉に固まっている俺を一瞥して、美神さんの斜め後ろで様子を見ていた眼鏡の男子生徒が口を開いた。 「会長。それは流石に横暴です。役員参加は強制ではありませんから。」 静かに美神さんをなだめてから俺の方に向き直った。 「僕は副会長の兼井 重です。よろしくお願いします。」 「生徒会では1年生から男女一人ずつ庶務として役員になってもらい、生徒会の仕事を覚えてもらう事になっています。」 切れるビジネスマンの印象を受ける2年の先輩は淡々と話を進める。 「庶務とは生徒会とクラブ連合会とのパイプ役になる事が主な仕事で、文武両道を目指す我が校では、かなり重要な役職でもあります。」 兼井先輩は何かしゃべろうとしている美神さんを手で制して話を続ける。 「女子は文化系クラブ、男子は運動系クラブを担当してもらうのが通例ですが、何かと揉める事が多い運動系クラブ担当は、行動力と調整力が求められるのです。」 そこで副会長はメガネを直して一呼吸おいてから。 「ですから1年生の男子役員は成績で選ぶのでは無くその人となりを考慮して、会長の判断に委ねられています。」 「今年の庶務は美神生徒会長から強い要望があったので、須賀速人君、君に是非引き受けてもらえるようお願いします。」 そう言うと兼井副会長は軽く頭を下げた。続けて他の生徒会役員の先輩方も後に続く。 「まあ彼らもこう言っているから心よく引き受けてよ。」 と美神さん他人事のようにまとめてきた。 「美神会長! あなたも会長らしくきちんとお願いします。」 兼井さんが会長を軽く睨む。 やれやれと肩をすくませて、美神さんが俺に正しく向き直った。 「須賀速人君。生徒会の仕事を手伝って下さい。君しかこの役職をこなせる人材はいないと私は思っているわ。・・よろしくお願いします。」 そこまできちんと要請されると、もう断る理由は俺には無かった。元々美神さんの頼みを無下にすると後が怖いので拒否権は無かったのだが・・・。 「わかりました。力不足かも知れませんが、よろしくお願いします。」 姿勢を正して頭を下げ返事をしたのだが、片腕には櫛名田がしがみついたままだった。
「ところで、櫛名田さん。そろそろ放してもらえるかな?」 可愛い過ぎる美少女との密着は決して嫌ではない、いやこの甘い感覚をもう少しだけ味わっていたい気もするが、先程から強烈に身の危険を感じていた。 「姫乃と呼んで下さい。でなければ放したくありません。」 子供が甘えるように話す姿はとても可愛かった。しかし、更なる危機を感じて話を進める。「わ、わかった、・・ひ、姫乃。これから同じ生徒会庶務だ。よろしくな。だから腕を放してくれ。」 そう言った瞬間、姫乃の顔に笑顔があふれる。 「やっと姫乃と呼んで頂けましたね。もう放しませんわ!」 と言ってさらに強くしがみついてきた。 「だから、もう放してくれよ! ちゃんと姫乃って呼んだだろう。」 さらに危機感を感じ焦る俺に姫乃は一転悲し気な顔になり。 「私の事が、お嫌いなのですか? わたくしは速人様にお会い出来ることを心待ちにしておりましたのに・・・。」 可憐な表情が曇るのを見ていたたまれなくなり、つい本音が出てしまう。 「・・いやそんな事は無い。・・君のような可愛い女の子に抱き着かれてうれしく無いはずはない。」 俺の言葉に姫乃の表情に笑顔が戻る。 「本当ですか?」 「・・ああ。・・でも何かすごい危険が迫っている気がするんだ。だから放してくれるかな。」 姫乃に更に説得を試みたが、もう手遅れだった。俺の背後から、怒りを含んだ、よく知っている声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん! お楽しみのようですね~。」 振り向くといかにも不機嫌そうな妹がこちらを睨んでいた。さっきからの胸騒ぎはこれだったのかと引きつった声で応える。 「・・よ、よう! 早かったな。」 何か言おうとした恵利に、直前から気が付いていたのだろう、美神さんが声を掛ける。 「あら! お久し振り恵利ちゃん。 今日はお兄さんのお出迎え?」 「はい。美神姉さん、ご無沙汰しています。・・・兄が何か悪さをしていないかと思って来て見たんですが、まさか入学式の日からナンパしているとは・・・想定外でしたね。」 妹は笑顔で美神さんに挨拶した後、笑顔のまま俺の方を向く。 笑顔の裏の静かな怒りのオーラに俺の顔が凍りつく。 「・・ご、誤解だよ、誤解! お、同じ生徒会にスカウトされた者同士。 し、親睦を図っていただけだ・・」 「へえー、そうなんだ。さすが高校生にもなると密着度も変わってくるんだね!」 笑顔のまま言い返す恵利を見て、俺の背中に冷たい汗が流れる。 「まあまあ、生徒会に速人をスカウトしたのは私なのよ。少し大目に見てあげてね。」 「え、そうなんですか!」 険悪になりつつあった妹は美神さんの弁護に気勢を削がれたようだ。 すると、俺の横で様子を窺っていた姫乃が俺の腕を放して妹の方に駆け寄って行く。 「あなたが速人様の妹の恵利さんですね!」 言うと同時に恵利の両手を自分の両手でしっかりと握りしめた。 「お会いしたかったわ。速人様の妹という事は私にとっても妹です。姉妹として、これから仲良くしてくださいね。」 突然の乱入に驚いた妹だったが、すぐに無表情になり鋭く姫乃を見つめ返した。 「あなた、誰なの? お兄ちゃんとどういう関係なの?」 姫乃はその問いかけに恵利の手を放し、上品さ溢れる仕草でゆっくりとお辞儀をしてから。 「これは申し遅れました。私は櫛名田 姫乃と申します。速人様とはいずれ生涯の伴侶となる者です。これからは実の姉妹以上の絆を築いていきたいと思っています。よろしくお願いしますね。・・どうか恵利さん、私を本当の姉だと思って甘えて下さって構いませんからね!」 堂々と言い切る姫乃に妹は一瞬気後れしたようだ、姫乃では無く俺に突っかかって来た。 「お、お兄ちゃん! しょ、生涯の伴侶ってどういうこと! そんなの聞いてないわよ!」 「俺もさっき会ったばかりで、よくわからないんだよ!」 うろたえる俺に更に追い打ちをかけようする妹に姫乃が飛びつく。 「そんなに驚かなくても良いんですよ。姉妹が無理なら親子でも構いません。母と思って存分に甘えて下さい。」 と恵利を強く抱きしめる。 「いやあの、 母親って・・??」 妹は姫乃に強い力で体全体を抱きしめられて身動きが取れない。 俺もさっきは動けなかった。 「私も前から妹以上だと思っているよ。恵利は可愛いしね!」 感心したように様子を見ていた美神さんも急いで恵利に抱き着く。二人に抱きしめられてさらに身動きが取れなくなった恵利が顔を真っ赤にして叫んだ。 「お、お兄ちゃん何とかして~~。」 妹の悲鳴のような声が入学式直後の校庭に響き渡るのだった。
第2章 過去の記憶 美神さんと櫛名田に抱き着かれた恵利を解放するのは一苦労だった。 美神さんは「恵利は気持ち良い!」と言って放さないし、櫛名田も「良い香りがする。」と言って恵利から離れるのを嫌がった。 美少女二人の体に触れる事はためらわれたし、ましてや力ずくで引き離すなど衆人監視の校門前で出来るはずも無かった。 生徒会の他の女子生徒の方々の力を借りて恵利を救出できるまでに10分ほどかかってしまった。 その間他の生徒たちの好奇の目にさらされていた妹の苦情に速人は耐えなくてはならなかった。 恵利は中学の中だけでなく近所の人たちからも健康美少女として人気がある。 成海中学出身者の多いこの学校では彼女の顔を知る人が結構いて、ギャラリーは多かった。 櫛名田も左京山中学では有名だったらしく、「姫乃さんだ!」とか「櫛名田姫が!」「右京山の天使!」とかささやく声がいくつも聞こえていた。 その後、速人が家に帰って恵利から散々お説教を受けた事は特筆すべき事では無い。
次の日、1年1組の教室に入ると、中学からの親友である建実 一輝が愉快そうに声を掛けてきた。 「ようシスコン速人君! 昨日は大暴れしたらしいな。入学早々、モテモテだったってみんな騒いでいたぞ。自分はさっさと帰ったから、見られなくて残念だったなあ・・。」 同じ剣道部で部長も務めていた頼りになる奴なのだが、相変わらずの軽いノリだった。 「そうよ。いきなり美少女に抱き着かれて鼻の下を伸ばしていたらしいじゃないの!」 そう言ってきたのは家が近所で幼馴染の奥津 有希だ。 世話焼きで、時々食事を作りに来てくれたりもする姉御肌の美少女で、三姉妹の長女でもある。ポニーテールを左側によせている髪型は、得意の弓を引く時に邪魔にならないようにらしい。 恵利とは本当の姉妹のように接しているが、何故だかおれには説教が多い。 昨日の事を思い出すと面倒になったので、適当に話すことにした。 「シスコンはやめろよ! 美神さんに、生徒会入りを頼まれただけだよ。ちょっと妹が絡んでややこしくなったけどな。」 「美神さん生徒会長になっていなんだなあー」 一輝はひどく感心してから真剣な表情になって話す。 「あれほどの美少女会長といとこ同士なんてうらやましい!」 一輝は羨望の眼差しで俺の肩を片手で抱き締める。 「だから前に話しただろう。ここ2年間は顔も合わせて無いって。俺も久し振りなんだ。」「でもすごいよな。美神会長って大財閥の御令嬢なんだろ?」 一輝も昔は一緒に遊んだこともあるはずなのに、少し他人行儀だ。昨日の式典での美神さんの存在感に圧倒されたようだ。 「美神家は大きな家だけど、大財閥というほどでもないぞ。」 「でもご令嬢と言うのは本当だろう?あんなに綺麗だしな。きっと淑やかなお嬢様なんだろうな。」 ちょっと妄想が入って来ている一輝に、うんざりしながら速人が答える。 「お嬢様と言うよりは・・あれだ、おてんばってやつだな。というか一緒に遊んだ事あるだろう!」 「俺は結構けりいれられたぞ。空手チョップもよくうけたよな。美神さん、特に俺には遠慮が無かったからな。弟は姉に従うのが義務だ。とか言って。」 妄想を壊されて少し不機嫌そうに一輝が尋ねる。 「あれ! 兄妹だったか? 従姉弟って言ってなかったか?」 「そうだよ。だからいつも兄妹じゃ無いからって言うんだけどだ。必ず最後は 問答無用! で締められるんだ。」 「じゃあ抱き着かれたのは照さんなの?」 二人の会話を聞いていた有希が冷静に問い詰める。 「照さんだったらそんなに驚かないだろう。・・あれ?・・もしかして怒ってるの?」 「べ、別に怒ってないわよ! じゃあ誰に抱き着かれたのよ? 」 「櫛名田さんっていう同級生だ、・・同じ庶務にスカウトされたんだよ。」 有希から顔を逸らしてなるべく平穏を装って答えた。 「へえ~。同じ役員だと抱き着いても良いのね?」 逸らしていた顔を両手でこちらに向けさせ、有希が疑惑に満ちた目で問い詰める。 「・・俺から抱き着いた訳じゃあ無いぞ。」 有希がさらに何か言おうとする前に一樹が持論を語り出した。 「俺は思うんだが、最近の美少女像というとツンデレが主流だと思うんだよな。」 「何の話だ??」 「今、お前の周りにはフラグの立った美少女が揃っている。これはすごいことだぞ。」 「いや、だから何の話だ???」 「俺が見たところ、姉属性、妹属性、幼馴染に婚約者と、なかなか好い感じだ。」 「・・婚約者はいないと思うけど?」 一輝は結構なイケメンで剣道の腕も俺と互角で市内でも上位に入る。 剣道部の部長を務めただけあって、弁も立つし人望もある。しかし、妄想が始まると止まらなくなる所が玉に傷だった。 本当は結構女子にも人気があって告白なんかもされていたが、長く続いたのは見たことが無い。こんなに美少女の話が大好きなのに、よくわからない親友である。 「ツンデレの幼馴染も捨て難いが、やっぱり本命は純愛路線の婚約者だと思うぞ!」 「俺はやっぱり純愛美少女が一押しだな。主人公一筋の一途な愛、ツンデレも悪くは無いが、わかり易いデレデレ路線こそ男のロマンだよな!」 「なんでも良いけど何の話だ??」 一人熱くなっている親友に冷たい視線を送る。 「お前! こんなおいしい状況を理解していないのか? 周りはみんな理解しているぞ。成中派と左京山派のアイドル派閥争いが既に勃発しているというのに!」 「なんなんだそりゃ?」 「ちなみに、お前の妹は成中の一位だ!」 「え! 恵利は中学生だぞ? 何で高校の派閥に関係が?」 「だから昨日校門前で派手にやらかしただろ? 元々恵利ちゃんは成中では有希と人気を二分するほど有名だからな。やっぱり可愛いと再認識されちゃたんだよ。」 「へえ~そうなんだ、有希もそんなに人気があったのか?・・以外だな。」 恵利も有希も可愛い方だとは思っていたが、身内を贔屓目で見てしまっているだけと思っていた。そんなに注目されていたとは! 俺たちのすぐ側で二人の会話をジッと聞いていた幼馴染が赤い顔をして二人の頭を殴って来た。「あんた達。本人の目の前でよくもそんな話を堂々とできるわね!」 「いて~な!」 一輝が殴られた頭を撫でながら有希を見上げる。 「良いじゃないか。褒めているんだから。まあでも俺は櫛名田さんの左京山派に鞍替えしようかと思っているけどね。」 有希がキッと一輝をにらんでから俺の方をチラチラ見て小声で話しかける。 「・・そ、それで、・・は、は、速人はどうなの? 」 「何が?」 不思議そうに尋ねる俺に有希は恥ずかしそうに聞いてきた。 「・・だ、だから。やっぱり一輝と同じく・・櫛名田さん派なの?」 よく聞きとれなかったが、櫛名田のことが気になるようだ。 「そうだな、やっぱり恵利が絡むと、成中派に入っていないと怒られそうだからな~・・」 ちょっと考えてから。 「・・有希がそんなに人気があったのは驚いたけど、余計に成中派にいないとお前に説教されそうだしな!」 「・・べ、別に何もしないけど。・・まあ良いことにしてあげるわ。」 有希は照れたような表情で頷くと速人の隣の席に座った。 「フッ、正にツンデレの典型だな。さすがは幼馴染属性を持つ美少女だけの事はある。」 一輝は感心したように何度も頷いていたが、有希の射るような視線に気が付き素早く話題を変えた。 「はははは・・それより、お前剣道部には入るのか? 俺は申し込んできたぞ。」 俺も実はこれを聞くつもりだった。 「おう。昨日挨拶してきたよ。」 「私も入部してきたわよ!」 有希が急いで付け足してきた。有希は中学の時から弓道部で、その筋では有名らしい。 何故か弓道場と剣道場が隣にあったため、同じ部活をしていた印象がある。 そして何故か高原高校でも剣道場と弓道場は隣同士になっていた。 「知ってる、弓道部だろ。剣道部の隣のテントに入って行くのを見たよ。」 有希の方を振り返った。有希は満足そうに微笑んでいた。 「そうか。高校も同じ剣道部だな。速人は今日の練習出るのか?」 「それがなー。生徒会室に来いって美神さんに呼び出されてるから、今日は行けない。明日、どんな感じだったか教えてくれよ。」 やっとまともな会話になりつつあったのに、美神さんの名前が出た途端雰囲気が変わった。「まったく! 美少女に呼び出されるなんて。ずるいぞ。」 そこに先生が入って来たので、三人の話は打ち切られた。
午前中のクラブ活動及び生徒会・クラ連のガイダンスが終わり。俺と一輝は一緒に昼飯をとった後。生徒会と剣道部、それぞれの部屋へと向かった。
職員室と同じ階にある生徒会室の扉をノックした。 「一年の須賀速人です。」 「どうぞ。入って下さい。」 室内から返事があり、俺は静かに扉を開けた。 一つの教室分の部屋の中には幾つかの机とソファーセット、後はたくさんの資料の詰まった本棚が並べられていた。 部屋の中央の壁に据え付けられているホワイトボードには目立つ文字で、「合同体育祭について」と大きく書かれていた。 何よりも驚かされたのは、思ったより多い人数が部屋の中に居る事だった。 「あ、速人、遅かったですね?」 部屋の一番奥にある校長先生が使う様な立派な机の向こう側から美神さんが手を上げて声を掛けてきた。 その声に言葉を返す前に、すぐ横から飛び出してくる影があった。 「速人様お待ちしておりました。やっと、ご一緒出来ますね。」 姫乃は扉のすぐ近くにいたせいか、一瞬気が付かなかった。またもや俺の左腕に体ごと抱き着いて来た。 「おお!・・ひ、姫乃。わ、わかったからちょっと離れてくれ。」 姫乃は悲しげな顔をして見つめて来た。 「速人様は、私の事がお嫌いなんでしょうか?」 「い、いや、そういう訳じゃないけど、ほ、ほら!先輩方も見ているし。・・い、今は離れておこうか。」 少し罪悪感を感じながら、姫乃の両手を外して美神さん達に向き直った。 「遅くなりました。それで自分は何をしたら良いのでしょうか?」
話しだそうとした美神会長を制して、兼井副会長がきびきびと話して来た。 「よく来てくれました須賀君。」 「先ずは役員を紹介しておこう。ちょうど全員いる事ですし。」 淡々とした口調で話しを進める。 「先ず、風紀委員長の雨野メイ先輩です。先輩だけ生徒会で唯一3年生です。」 「君が照ちゃんお気に入りの須賀速人君か。よろしく! 名前で呼んでくれて良いよ。」 昨日、教室まで呼びに来てくれた先輩だったが、風紀委員だとは思わなかった。 笑顔で握手を求めて来た先輩はとても風紀委員に見えなかった。身長は175センチくらいだろうか、何よりプロポーションの見事さが際立っていた。 しかもそれを本人も隠すつもりが無いらしく制服の胸元は少し緩み、細いスカートがヒップラインを強調するかのように下半身にまとわりついていた。表情も麗しく女優のような立ち振る舞いは男性のみならず女性も虜にしてしまうのは間違い無かった。 「よろしくお願いします雨野先輩。でもお気に入りという訳じゃ無いですよ。会長とは従姉弟どうしですので。」 苦笑しながら握手に応える。 「いえ。君の話は照ちゃんからよく聞いているのよ。私には従姉弟以上の愛情を感じるの。ちょっと嫉妬するくらいにね。」 軽く肩すくめてメイ先輩が話す。そこに副会長が補足を入れてきた。 「風紀委員長に見えないでしょうが、これでも人望はあるのですよ。ダンス部の部長ですし。ダンス部が去年の全国大会で準優勝出来たのも先輩の指導力のお陰です。」 「褒めているのか、けなしているのかどっちなの。兼井君?」 後輩に睨みをきかす姿は舞台俳優のような優雅さを感じる。 「もちろん両方です。本来は3年生は進学のため役員にはならないのに、会長と一緒に居たいためだけに、委員長の座にとどまっているなんて、大人げ無いというか・・・。」 「良いじゃ無いの。校則で禁止されている訳でも無いし、ちゃんと後任は育てているから大丈夫よ!」 慌てるメイ先輩の返事に、肩をすくめて応えてから、兼井副会長が俺たちに向き直った。 「先を続けましょう。書記の石川凛子さんと田所 力君、どちらも2年生です。」 「よろしく須賀君。櫛名田さん。」 「よろしくな須賀、櫛名田。」 石川先輩はきっちりお辞儀しながら、田所先輩は手を振って挨拶してきた。 「「よろしくお願いします。」」 俺と姫乃は同時に会釈と共に応える。 「それから君達には丁度顔見知りでしょう。校内クラブ連合会の津山麻里委員長と副委員長の小谷野詩織さんです。」 「二人は剣道部部長と文芸部部長ですから、それぞれ昨日顔合わせていますよね。」 「よう。やっぱり会ったな。よろしく須賀。櫛名田さんも。」 「よろしくね須賀君。君の事は彼女である櫛名田さんから既に聞いているから心配しないでね。」 昨日津山部長が言っていた意味はこう言うことかと納得しつつ、小谷野先輩に何を心配するのかと疑問に思いながら応えた。 「いろいろ、よろしくお願いします。」 「速人様共々よろしくお願いします。」 夫を立てる良妻のような面持で姫乃が二人に応える。 「・・あれ?お前たち付き合っているのか?確か違う中学だよな・・。」 少し驚いた津山さんが聞き返して来た。しかし、否定しようとした俺よりも早く小谷野先輩が突っ込みを入れる。 「麻里! 野暮な突っ込みはしなくても良いの! 愛し合う二人に時間は関係無いんだから!そうよね、姫乃さん。」 「ありがとうございます部長。その通りです。すでに二人は将来を約束した仲ですから。」 目を輝かせて姫乃が小谷野先輩に答える。 「おい・・。いつ誰が約束したんだ?」 突然の姫乃の発言に反論する俺の言葉を無視して、姫乃は続ける。 「先輩方お二人をお手本にして仲睦まじいカップルを目指したいと思います。」 頬を赤らめながら姫乃は決意表明をする。 「え! 先輩たち付き合ってるんですか?」 敬語も忘れて突っ込んだ俺に先輩二人は照れながら。 「まあそうとも言うな・・野暮な質問して悪かったな・・君達の事は暖かく見守る事にするよ・・」 「いやあの、俺は目指して無いし約束もして無いんですけど・・・・」 当惑する俺の腕の袖を姫乃が引っ張りながら、こっちを睨んできた。その怒っていても可愛い姿に後が続けられなかった。 兼井副会長が咳払いをして話を戻した。 「え~、このメンバーに一年の須賀君、櫛名田さんの庶務二人を加えたメンバーが今年の生徒会役員となります。では早速、本年度の最初の懸案事項の打ち合わせに入りたいと思います。会長よろしくお願いします。」 兼井副会長に制止されて以来、少し拗ねたような表情をして俺たちの様子を黙って眺めていたが、やっと自分の出番がきたかと姿勢を直して会長の威厳を取り戻して話し始めた。 「ではまず。1年生の二人は知らないと思いますが、六月の試験が終わるとすぐに、国津高校との合同体育祭が行われます。その準備が生徒会としての最初の仕事になります。」 「その手始めとして今日は国津高校の新生徒会と顔合わせをしますから、国津高校に今から乗り込みますよ。」 美神会長は少し得意げに説明した。そこに時計を見ていた副会長が声を掛ける。 「会長! そろそろタクシーが来る時間です。」 「おっとそうね。・・では皆さん校門前に移動しましょう。」 優雅に立ち上がると、美神は先頭を切って部屋から出て行った。 速人たちは校門前に到着していた3台のタクシーに分乗して国津高校に向かった。 速人の隣には姫乃が乗り込みずっと腕を絡めていたが、幸い他の生徒には会わなかったので、気にする者はいなかった。
タクシーは坂道を下って幹線道路に出ると目的地に直進しないで、大きく迂回した。環状線と呼ばれるバイパスにでた方が速いからだ。 環状線の下を私鉄の赤い列車が走っていくのが見えた。 川と線路を一つずつ越えるが、基本的に山の上とふもとである。直線距離で2キロ程、校舎の上からなら肉眼でお互いの校舎が見える。 国津高校は緑地公園の緑を背後に従えた、創立90年に達しようとする古い伝統校だ。 クリーム色の校舎は使い込まれた印象があるが、それは古いというより歴史を感じさせる赴きがあった。 緑地公園の隣の立地のため、私鉄の駅や高速道路のインターがすぐ近くにあり、交通の便は高原高校より格段に良かった。 両校は昔から交流があり、ライバル校として文武を競ってきた。 両校合同体育祭は、この街では有名な行事で一般の見学者も多い。 体育大会は二日間に分けて行われ、初日は各クラブの対抗戦があり、二日目に両校が各競技で直接対決する。 二日間のトータルの成績で優劣を決定する。 両校のクラブも本大会前の練習試合という認識で調整しているようだが、愛校心から各競技白熱した試合になる事が多い。 中には全国大会よりもこの大会に重きを置いているクラブもあるようだ。 それだけに熱くなりすぎないよう、しかし負けないように調整していくのが生徒会の役割だとタクシーに同乗した副会長から説明された。 タクシーを降り、慣れた感じの会長を先頭に国津高校の生徒会室に向かった。 校門を入ってすぐに、国津高校の制服を着た美少女が会釈しながら出迎えてくれた。 「皆様ようこそいらっしゃいました。月島副会長からの指示でお迎えに来ました。」 長身でスマートな美女は、肩先で切り揃えられた髪を揺らしながら、笑顔で顔を上げた。 年はそう変わらないはずなのに、美少女というよりも大人の女性の色気を感じさせる。 豊満なスタイルが売りの雨野はある意味妖しさを醸し出していたが、それとは違う妖しい魅力のようなものが彼女の周囲に漂っている。 「私は月島の補佐をしています朝倉咲耶といいます。生徒会室へご案内致します。」 「あなたが咲耶さん? 義明から名前は聞いています、よろしくお願いします。」 美神が興味深そうに挨拶をする、美少女が二人並ぶと何とも華やかな雰囲気になる。 美神たちは咲耶の先導で進むと、生徒会室の前で見知った男子生徒が美神を出迎えた。 「ようこそ国津高校へ、お待ちしていました。美神さんお久しぶりです。・・咲耶くんもご苦労様。一緒に中で待っていてくれるかい?」 「いえ、私は他に用がありますので、ここで失礼します。」 そう言うと咲耶は、会釈をしてすぐに立ち去った。 秀麗な顔に爽やかな笑顔を浮かべて美神に挨拶してきた青年は、美神の従姉弟であり、速人にとっても従兄弟である月島 義明だった。 「久し振りですね義明、今日はよろしくお願いします。」 美神は普通に挨拶したが、速人は意外な再会に驚いていた。 「速人も久し振り! やっぱり生徒会に入ったんだな。」 見慣れた笑顔の義明であったが、一瞬冷たい視線が混じっていたような気がした。 「お久しぶりです義明兄さん。・・自分の意志で入った訳じゃないですが、よろしくお願いします。」 速人の言葉に不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに納得したように頷いた。 「照さんに引っ張られたのか、なるほど! 君は相変わらず愛されているね、羨ましいよ。」 ちらりと速人の腕にしがみついている姫乃を見てから言葉を続ける。 「それに早速彼女まで同伴とは、速人は奥手だとばかり思っていたけど、違ったようだね。」 「い、いえこれはその、彼女という訳では・・た、単なるスキンシップですから。」 腕を組む事にいつの間にか慣れてしまっていた速人は、自分でもよくわからない言い訳を口走りながら、急いで姫乃の腕を外す。 「まあそれはともかく、義明兄さんが国津高校の生徒会にいたなんて知りませんでした。」 速人は話題を変えようと無理に疑問を口にした。 「それは僕も知らせて無かったからね。・・それより会長が待っています、皆さんどうぞ中に入ってください。」 そう言うと生徒会室のドアを開け速人たちを招き入れた。
部屋の中は高原高校の生徒会室と、ほぼ同じような配置になっていた。しかし大きく違っていたのは、その華やかさだった。 部屋の中央の大きな机の後ろでゆったりと椅子に腰をかけている男子生徒に目を引き付けられる。華やかな女子4人に囲まれた色気漂う美男子だった。 その男子生徒一人だけでもかなり華やかな印象だったが、主人とメイドのように左右に控える4人の女子生徒は雑誌の表紙を飾ってもおかしくない美少女ばかりであり、華やかさを2倍にも3倍にも増幅させていた。 「ようこそお越し下さいました美神会長。あなたの美しさに相応しいとは言い難い狭苦しい部屋ですが、どうぞおくつろぎ下さい。」 座っていた美男子は立ち上がり、芝居がかった丁寧なお辞儀をしながら美神に挨拶する。 「これはご丁寧にありがとうございます。今日はよろしくお願いします出雲会長。」 にこやかに、しかも優雅に返事を返しながら、出雲会長と呼ばれた青年に近ずいて行った。 速人たちを招き入れた月島が、出雲会長の傍にでこちらに向き直った。 「では私がみんなを紹介させていただきます。」 中央に陣取る美男子を手で示し。 「こちらが国津高校生徒会長の出雲 主税です。」 「高原高校生徒会の皆さん、よろしくお願いします。」 優雅な動きで軽く会釈をして、甘い笑顔という表現が似合う微笑みを浮かべた。 美神以外の生徒会の面々は少し気後れしたようだった。 「それから私は副会長の月島義明です。一応、美神会長とそちらの須賀速人君とはいとこ同士です。よろしくお願いします。」 月島は美神と速人を手で示した後、軽く会釈をした。 「そしてこちらの美少女軍団は、右から書記の加山美鈴さん、次も書記の沼川仁美さん、一年庶務の木佐朝美さん、同じく一年庶務の浜田美里さんです。」 美少女四人組は紹介されると次々にまばゆい笑顔と共に、「よろしくお願いします。」と可愛いく挨拶をした。 「この四人はね、全員名前に美という文字が入っているんだよ。僕は美しい女性が大好きだからね。美少女しか役員にはしない事にしているのさ。」 出雲は自分の手柄であるかのように、誇らしげに説明した。 美しいと言われて美少女四人組はクスクスと可愛い笑い声を出雲会長の背後で立てていた。 月島は苦笑しながら話を続けた。 「まあ男子も役員はいるんですけどね。」 そして部屋の入口付近を手で示して。 「そっちの隅で呆れているのが、右が部活連委員長の八重樫藤四郎、左が副委員長の皆方武司です。」 「俺たちは呼び捨てかよ?」 血の気の多そうな皆方武司が吠える。 「まあ良いじゃないか武司。高原高校の皆さん八重樫です。よろしくお願いします。」 八重樫委員長が礼儀正しいお辞儀をしながら挨拶する。 「俺は皆方、よろしく。会長は見ての通り女たらしだから気を付けてくれ。」 皆方副委員長も慌てて挨拶してきた。 「俺たちは出雲会長の不品行を抑えるのが、最大の使命だと思っている。」 厭そうな顔で皆方が語る。 「いやいや、ちゃんと委員会の仕事をしろよ。会長には月島が付いているから大丈夫だよ。」漫才の相方よろしく八重樫が突っ込みを入れた。
その後、今度は高原高校の役員の紹介を行い、挨拶しあって室内の応接セットに集まった。 出雲会長が場を仕切るように口火を切った。 「さて、わざわざ今日皆さんに我が校へお越しいただいたのは他でもない、合同体育大会の日程を決めるためです。」 「先ず日程を決めてから、細々した事を話し合いたいと思います。」 出雲会長の言葉を引き取って月島副会長が進める。 「そうですね。何と言っても今年は対戦40年目の重要な年ですから、気合が入ります。」 美神がそれに応える。 「そうです。 遂に国津高校の完全勝利が実現する、記念の年ですからね。」 出雲会長が美神を挑発するようにおどけて言い放った。 それを聞いた美神の眉がピクリと動く。 「これは異な事をおっしゃいますね。 国津高校の完全敗北が決定する、過酷な年だと私は認識していますが? 」 笑顔で話す美神に、これも笑顔で出雲が応える。 「美神会長は冗談がお好きなようだ。 我が校の勝利は既に確定していますよ。」 美神は笑顔を崩さないまま出雲を睨みつける。 「ほほ~う・・・・。あなたとは一度じっくり話し合う必要がありそうですね。」 出雲も爽やかな笑顔を崩さないまま美神の視線を受け止める。 「話し合いには異論ありませんが、我が校の勝利は揺るぎませんよ。」 「・・・・・・・。」「・・・・・・・。」 二人とも爽やかな笑顔のまま睨み合っていた。 「出雲会長・・・。 挑発はそれくらいにして、話を続けましょう。」 見かねた月島副会長が割って入る。 すかさず兼井副会長も後に続く。 「美神会長・・。 時間がありませんよ! 」 はっと我に帰った美神は、時計を見てから本来の気品を取り戻して話す 「日程は例年通り6月の第一週で、我が校は問題ありません。」 月島は、美神の言葉に頷いてから、出雲に目で合図を送る。 その合図に応えて初めて真面目に出雲会長は返事を返す。 「我が校もそれで問題ありません。」 後は去年のクラブ数に変更があったか、例年と同じ進行で良いかどうかという細かい確認が、坦々と進められた。そして1時間程の打ち合わせが終わり、速人たちは帰る体制に入った。 打ち合わせの間、速人にほとんど話す場面は無かった。 それは姫乃も同じで、さすがに腕は組んでこなかったが、ずっと速人の隣で密着していた。
国津高校のすぐ南側には広大な緑地公園があり、その一角に野球場や陸上競技場、市立体育館があり、ほぼ一週間それらの施設を使って大会が行われる。 新生徒会の顔見せを兼ねて、大会の打ち合わせに国津高校を訪れる事も恒例行事らしい。 この辺りは合戦場や城跡が多くあり、緑地公園も有名な砦跡らしい。教科書に出てくる歴史上重要な合戦跡も近くにあるが見に行った事は無かった。 「じゃあそろそろ帰ろうか。」 美神は出されていたお茶を飲み干してから明るく言った。 「出雲会長。役員の皆さんお疲れ様でした。ではまたよろしくお願いします。」 丁寧に挨拶をした後、さっと振り返って出口へ向かう。 他の役員も挨拶をして美神に追随する。 速人と姫乃も同時に立ち上がって出口に向かおうとしたが、呼び止められた。 「ちょっと君、右京山の櫛名田だよな?」 姫乃は指をさして声を掛ける皆方副委員長の方に向き直った。 「はいそうです・・そう言えば先輩にはお会いした事がありますね。」 「そうだ、クラブの部長会議で何度か会っているよ。」 国津高校は右京山中学出身者が多く、高原高校は成海中が多いのは立地からして当然だ。 右京山中学は国津高校のすぐ隣にある。 「お前は合気道の部長だっただろう? なんで高原に行ったんだ? そっちは合気道やって無いと思ったが?」 速人と姫乃が正式に出会ってまだ二日目だが、速人は姫乃が合気道をやっているようには思えなかった。というより失礼だがスポーツをするようには思えなかったのだ。 だから姫乃が文芸部に入ったと聞いて何の違和感も無かったのだ。 驚きを隠せないでいる速人を見て、少しはにかみながら説明する。 「良家の子女のたしなみとして、ちょっとかじっていただけですよ。 うふふ。」 それを聞いた皆方が乱暴に言葉を続けた。 「ちょっとかじっただけで、全国大会には行かんだろう? 我が校の合気道部はお前が来ないと知って大騒ぎしていたぞ!」 すると姫乃はきちんと話した方が良いと判断したのか皆方の方に向き直り、悪びれた様子も無く笑顔できっぱりと言い切った。 「私は速人様と一緒にいる為に高原に来ました。合気道は好きですが、速人様のお傍にいる以上の優先事項は私にはありません。」 言葉の解読に時間がかかったのか皆方さんは数秒間固まっていたが、俺の顔を見てつぶやいた。 「須賀速人・・・・。そうか成海中の須賀か。」 姫乃の方に向き直り吐き捨てるように言った。 「母親が死んだくらいで竹刀が握れなくなるような軟弱な奴の、どこが良いのか俺には分からないね!」 その言葉を聞いた姫乃は両目を吊り上げて怒りを顕わにした。 「なっ、何ですって!」 皆方の少々乱暴な言葉に美神と月島もハッとした表情で二人の方に顔を向ける。軟弱者と言われた本人である速人は、皆方の言葉に二年前の事を思い出した。
中学二年の四月初旬、俺の母は病で亡くなった。 突然の事で実感がわかず涙も出なかった。 母の葬儀が終わってすぐ剣道部の夏の全国大会が始まった。個人戦にエントリーしていたが、先生をはじめ周囲に人たちは、出場を断念すると思っていたようだ。 生前母は「応援に行くから頑張ってね。きっと優勝出来るわよ。私の子供なんだから!」 と意味不明な確信を持って優勝を期待していた。 その期待に応える事が母への弔いになる様な気がして、俺は大会に出場したのだった。 気にしていないつもりだったが、やはり母のいない寂しさがあったのだろう、俺はひどく荒っぽい試合をばかりしていた。 その時、ついた悪名が成海中の暴れ龍だ。 たぶんその頃の俺の本当の実力だと、予選通過が精一杯ぐらいだったと思う。 しかし、俺の激しすぎる気迫に押されて相手が戦意喪失する試合が多く、気が付けば全国大会の準決勝に進んでいた。 相手は優勝候補の最有力の猛者だった。 この選手に勝てば優勝はまず間違いない。そう思って気合い満タンで試合に臨んだ。
最初から気迫120%で前に前に押し込んでいく俺に対して、さすがの猛者も防戦一方になり、体ごとぶつかって行った突きに避ける事も出来ず場外に吹っ飛んで行った。 「 一本! 」 審判の俺の勝ちを告げる声ににやりと微笑み、この試合の勝利を確信し、その先の優勝に手が届いた感触があった。 そして2本目の立ち合いに臨むため開始線に立ち竹刀を構える。 相手は俺の突きで飛ばされた後遺症で、まだ足元が定まっていない。それでも気合を入れ直し、開始線で竹刀を構えた。 この時、会場のほとんどの人が俺の勝利を確信していたと思う。 俺はもちろん相手選手も構えてはいるが、勝敗はほぼ決していた。
勝利を確信した、その瞬間だった。 相手選手を見据えたその先に、良く知っている美しい姿が俺の目に飛び込んできた。 それは観客席の真ん中でひっそりと俺を見つめる美神さんだった。 紺色の中学のセーラー服に身を包み目立たないように小さくなって座っていたが、その華麗な美貌を隠す事は難しかった。 俺は本当に試合に夢中になっていたのだろう、今の今まで全く気が付かなかった。 しかし、勝利への確信が俺の心に慢心をもたらしたのかも知れない、周りを見る余裕が俺の正面に居る美神さんを気ずかせてしまった。 その瞳は心配そうに俺を見つめていた。 俺の学校の仲間たちは勝利の予感に湧いてていたが、その興奮とは対極にあるように美神さんは静かだった。 美しい顔にいつもの華のような微笑みは無く、不安と悲しみが覆っていた。
その姿を見た時、美神さんの心に流れている涙を感じた時、俺の心は悲しみに支配された。(何と言う事をしてしまったのだ。姉上を悲しませてしまう。) そんな言葉が心の、いや記憶の奥深くから湧き上がってきて、俺を氷つかせた。 気が付けば、俺の頬を滝のように涙が流れていた。 (そんなつもりじゃないんだ。姉上を困らせるつもりでは無いんだ。) 美神さんを見つめながら、そんな思いが溢れ出しあまりの苦しさ・悲しさのため動けなくなってしまった。 「 一本! 」 軽い衝撃を感じた直後に相手選手の勝ちをコールする審判の声が、俺を正気に戻した。 俺はゆっくりと竹刀を構え直し、三本目に備える。 しかし、すでに戦意は完全に失っていた。 周囲の歓声も審判のコール何も聞こえていなかった。 ただ、美神さんの美しくも悲し気な顔しか見ていなかった。
そして、俺の敗北が確定すると、美神さんは静かに立ち上がり、そのまま会場から出て行ってしまった。 暫くの間、試合場の上で呆然と立ち尽くし、美神さんが消えた方を眺めていた俺だが、審判の注意に我を取り戻し、仲間たちの方に帰って行った。 それから約2年の間、美神さんと会う機会は無かった。 母同士仲が良かったため、一ヶ月と空けずに須賀家と美神家とは頻繁に交流していた。 しかし母の死を境に両家が交流する事は全く無くなった。 高校入学まで、美神さんと電話で話す事さえ無かった。
「速人様の事を何も知らないで、何て事を言うのですか!」 姫乃の怒りの声に、俺は追憶の中から一気に現実に引き戻された。 「暴れ龍とか言うあだ名は知っているが、勝ったのは一年の夏だけで、気合の入った姿は見てないからな。」 ヒートアップしそうな二人を、美神さんはいぶかし気に、月島兄さんは冷ややかに、出雲会長は面白そうに眺めていた。 「暴れ龍と言うからには、もっと強そうな奴だと思っていたが、何か普通の奴だな・・。 本当にあの須賀速人なのか?」 皆方は速人をじろじろと眺め回した。 「そうですよ。本人です。」 姫乃は怒り心頭で皆方を睨んでいた。 しかし速人は何の感情も無く、他人の事のように感じていた。 「なんだ、張り合いの無いやつだな。やっぱり軟弱な奴じゃないか。」 皆方の暴言に姫乃の怒りが爆発した。 「誰が軟弱なんですか! 速人様が本気を出せば誰にも負けません! 」 (おいおいちょっと待て、かいかぶり過ぎだぞ姫乃!)と声に出して速人が否定しようとする前に、皆方が速人に挑発するセリフを放った。 「じゃあ。勝負するか?」 「えっ! 何の勝負ですか?」 姫乃では無く、速人に向けられた皆方の言葉に反射的に質問した。 「もちろん体育大会に決まってるだろう。・・お前たち庶務だよな?」 今まで沈黙していた出雲がここぞと口を挟む。 「この大会の成否には例年、庶務の力が大きく影響する。庶務としてその力量を示せと言う事かな?」 机の上に肘をついた姿勢で出雲会長はニコッと笑いながら説明した。 「おっ。流石はイズモン。良くわかってるね。」 「つまり高原がうちの学校に負けたらお前は軟弱者という事だ。その時は全校生徒の前で自分は軟弱者ですと宣言してもらおうか!」 話がとんでもない方向に行ってしまい呆然として、速人はすぐに反応出来無い。 すると美神と姫乃、美少女二人が速人と皆方の間に立ちはだかった。 目を輝かせて二人同時に叫んだ。 「「その勝負受けましょう!」」 「その代わり速人様が勝ちましたら、あなたは速人様の家来になっていただきますわ。」 姫乃がもう決まった事のように皆方の方を指さして言う。 「どうせこっちが勝つんだから何でも来いです!」 美神が強気に言い放つ。 「美神会長! 姫乃さん。落ち着いて下さい!」 兼井副会長があわててに二人に近寄る。 「まあ心配しないで。もしもの時は私も一緒に宣言してあげるから、思いっきりやりなさい!」 会長が振り返って速人にウインクしながら激励する。 「もちろん私も速人様とご一緒しますので、ご安心 下さい。」 姫乃も振り返り、今度はとびきり可愛い顔で速人に微笑む。 「何をどう安心するのかわかりませんけど、皆方副委員長。その勝負お受けします。」 「二人を巻き込んでしまった以上、引く訳には行かなくなりました。」 美神さんと姫乃の間を押し分けて速人が皆方と対峙した。 「少しは骨がありそうだな・・。ちょっとは楽しませてくれよ。じゃあな。」 皆方さんは少し見直したような表情を浮かべてから部屋から出て行った。 出雲が(困ったもんだ。)というように首を振りながら、速人に話しかける。 「すまないね須賀君、彼は気は良い人なのですが、血気盛んなところがあるのが困った所です。」 「本当に野蛮人なんですから!」 出雲会長の取り巻きの一人、加山美鈴が困ったように首を振っている。 「まあでも、両校の因縁は前からですから、発奮材料として丁度良いと思いますね。」 「でも珍しいな。速人が勝負を受けるなんて。最近は試合にも出てないだろう。」 月島が優しい笑顔で速人に指摘する。 「自分一人の事だったら断っていましたけど、俺をかばってくれた姫乃と美神さんに申し訳ないと思ったので・・・。」 「かばったのかどうかは、ちょっと疑問だけどね。」 速人の返事にちょっと疑問を持つように月島が応える。 「でも、俺が試合に出て無かった事、良く知ってましたね? 美神さんと同じで、従兄さんにも暫く会って無かったのに。」 速人が不思議そうに尋ねると、月島は(フッ)とため息をつくと一瞬無表情になった。直ぐに笑顔に戻ったので気が付いた人はいなかった。 「僕が可愛い従弟の事を気に掛けないはずがないだろう。フフフ。」 「ところで美神従姉さん。少し個人的に時間頂いて良いでしょうか?」 月島は速人の疑問を軽くそらして美神の方に話かけた。美神は兼井副会長からお説教を受けていたのだが、月島からの問いかけで事態の収束を図った。 「わかった、少しなら大丈夫。ちょっとついてきて。」 「それでは出雲会長、国津高校生徒会の皆さん今年もよろしくお願いします。今日はこれでおいとまさせていただきます。」 月島に応えた後、出雲たち生徒会役員たちに挨拶した。 そのまま、速人たちを引き連れ部屋を出て行く。部屋を出て階段の前で立ち止まって振り向く。「・・・先に行って校門前でタクシー捕まえて待っていてくれるかしら?・・・私は少し月島君と話をするから。」 美神の言葉に兼井が「わかりました会長。あまり待たせ無いでください。」と答えると兼井を先頭に階段を下って行く。 速人は不思議そうに二人を見たが、月島が笑顔で手を振っていたので、会釈して姫乃と共に階段を下って行った。 もちろん部屋を出た時点で、速人の左腕には姫乃の両手がしっかりと巻き付いていた。
廊下の隅に移動して月島が美神に尋ねる。その表情は先ほどまでの優しい柔和なものでは無く、厳しく引き締まったものだった。 「・・姉さん。速人の記憶は戻ってないのですか?」 「・・・戻っていません・・・。」 対する美神の表情もいつもの太陽のような笑顔が無く無表情だった。 「大丈夫なのですか? もうあまり時間がありませんよ!」 月島の語調は鋭く詰問するようだった。 「・・姫乃は記憶が戻っている。・・そして速人を昔と同じように慕ってくれている。・・・姫乃が速人の記憶を取り戻す鍵になると思う。」 美神は少し悲しげに、しかし淡々と話す。 「それで皆方の挑発に乗ったのですか?・・・」 「・・・そうね・・。」 美神は無表情に戻って小さく頷く。 「・・まったく、昔からあいつは俺たちに面倒ばかり掛ける。・・そのくせあいつがいないと話が進まない。・・・本当に気に入りませんね!」 珍しく怒りの表情を整った顔に表して月島が言い捨てる。 「・・・仕方ないでしょ。・・・あの子は可愛い弟なのですから。・・・私にとってもあなたにとっても。」 いつもの太陽の笑顔に戻って月島に微笑む。 「しかし、いつもとばっちりを食うのは、僕なのですよ!」 しかし美神はニコニコと笑顔を崩さず月島を見つめている。 怒りの顔から(やれやれ)といった顔に表情を戻して月島が言う。 「・・・まあ仕方ありませんね。・・馬鹿な子ほど可愛いと言いますから。」 頷く美神に月島が微笑む。 「・・しばらくは様子を見る・・ということで良いですか?」 普通の表情に戻った美神が頷く。 「・・私たちは前世での使命は今世でも同じです。・・・しかし同一人物ではありません。」 「当然前世での兄弟や夫婦の関係は、今世では意味がありません。・・・それでも私たちは速人を弟だと思っています。」 美神が月島の方を見る。 「・・・そうですね。・・そう認識しています・・・。」 月島は腕を組んで、いまいましげに首を左右に振りながら答えた。 「・・姫乃も前世で夫婦だったと言っても、速人を何とも思っていなければ高原高校に来ることも無かったでしょう。」 「・・・そうでしょうね。皆方も言っていましたが、自宅からの立地的にも、部活動的にも我が校のほうが彼女に相応しいですからね。」 月島は肩を竦めながら美神に応える。 「・・・そう姫乃は記憶ではなく、速人への・・いえ・・須佐之男への思いに突き動かされて行動しています。」 「・・・姫乃のその想いに賭けてみたいのです。・・・昔、地上で須佐之男が櫛名田姫にであった時のように・・・。」 美神は月島を見上げ、その目を見つめた。 月島は美神の目を受け止め、十秒程考え込むようにしてから口を開いた。 「・・・わかりました・・・姉上がそう言われるのでしたら待ってみましょう。」 「でも忘れないで下さい。・・私が待つのは速人では無く、姫乃さんだという事を。」 「・・・ありがとう・・・。」 美神はにっこり微笑むとそう言った。 「それじゃあ帰ります。・・・次に会うのは会場かな?」 「そうかも知れません。・・・お気を付けて。」 和やかに笑顔を交わして月島は美神を見送った。 しかし、二人とも気が付いていなかった。 少し離れた廊下の角で密かに二人の会話を、冷たい表情で聞き耳を立てていた人影があったことを。 美神と月島が別々の方向に去ったことを確認した咲耶は、一瞬凍るような笑みを浮かべたが、直ぐに元の穏やかな表情に戻ると、月島が去った方へ足早に歩いて行った。
国津高校の校門前、呼んだタクシーの前で5分ほど待っていた速人たちに、手を振りながら美神が走って来た。 「いや~お待たせ。お待たせ。・・・じゃあ帰りましょう。」 「そうですね。少し波乱はありましたが、予定はこなせましたし、月島さんが言ったように両校の因縁は昔からですからね。じゃあ行きましょう。」 兼井が副会長らしく話をまとめると、美神をタクシーに誘導した。 「・・速人。大会は任せたよ!・・・櫛名田さんもよろしくね!」 美神が元気よく速人を焚き付ける。 「はい!速人様と一緒に頑張ります。」 姫乃が速人にしがみついたまま、元気に応える。 「・・・やれやれ・・・。」 速人は深いため息をつくのだった。