ミカの悪夢 恐怖の薬品実験。
今回の御話はだいたい3000字程度です。
真っ暗な牢で泣き続ける私はようやく涙が枯れて声もかすれてきた。
子供のように泣きじゃくっていた私だけど、涙と悲しみはずっとは続かない。
どんなに激しい感情でも時間が経ってしまえば、嫌でも冷めて落ち着いてしまう。
餌を待つ獣のように目を光らせて見張る3人の騎士の一人が、ようやく静かになったとぼやいている。
騎士は全員が棘の付いた鎧で身を包んでいる。
…これは後から気づいたのだけど茨騎士の奴らは種族がバラバラで、生まれも境遇もそれぞれ違うらしい。
この目の前の3人の騎士は、実は人間ではない。
鎧で体を隠しているから気づかなかったけど、全身がもふもふな毛で包まれている人型の犬なのだ。
確か、コボルトだっけ?よくファンタジーモノの小説でゴブリンの次くらいに多く登場している魔物だ。
あの女は魔物まで使役して自身の配下にして操っているとは…正直意外だった。
私の頭の中だと、ああいう性悪女って「高貴な私は魔物なんかを下に付けたくない!」って言って嫌がるものかと思っていた。意外と差別はしないで偏見も持たないタイプなのかもしれないけど、私にとっては性悪女である事は覆らない。
「もう落ち着いたな?サディ様に報告に行ってくる。ベータ。ガンマ。見張っていろ。」
「りょうかいお兄ちゃん。」
「わかりました。アルファ兄様。」
3人の内、長男であるアルファがランタンを手にして、この場を離れていく。
アルファにベータにガンマって…何というか、あんまり名前っぽくないな。
まるで識別番号のような名前だけど、本人たちはそれで良いのだろうか?
「姫さまにつかまっちゃうなんて、キミ哀れだね。ベータ…キミに同情する。」
見張りの一人であるベータが私に話しかけてきた。
声質からして、ベータはどうやら女性のようだ。私よりも小柄で声も何となく幼い。
それなのに物騒な棘の鎧を着て腰に剣を2本滞納しているのが、それがとても不格好でアンバランスな印象を受ける。
「ベータ姉様!変な気は起こしちゃダメですよ!僕たち茨騎士団は王女様に拾われた身…王女様の意向であれば例え道を外れる事だってするって…!そう誓ったでしょう?」
「わかってる。けど…やっぱり可哀想だと思う。」
同情をしてくれるがやはり助けるつもりは無いようだ。けど、私は失望はしない。
こいつら茨騎士団はサディの下僕なのだから、私の味方をしてくれるわけが無い。
もし味方なら、すでに手を打ってくれたのだから。
最初から期待していない者に裏切られても、別に気にもしない。
そうして、サディがやって来た。
また、白衣の男たちを引き連れて戻って来たようだ。
「さっきぶりね。子供みたいに泣き喚いて気は済んだかしら?」
「ほっといて…なんで私ばかり…こんな…!」
「もうアンタの不平不満は聞きたくないわ。さっさと始めるわよ。」
サディは注射器を手に持って、怯える私に見せつけた。
「これは私が開発した薬液よ。材料はさっき言ったから、もうわざわざ説明しなくていいわよね?これは人の精神を大きく下げる効果がある…と予想されるけど、実際は確かめてみないとわからない。よって、これから恐慌状態と平常状態の違いを確かめるわ。」
サディは私の髪を掴んで注射器を首筋に押し付けた。
「ひ…!やめ…っ!いたっ?!」
よく注射を刺す時は『チクリとした痛み』と形容されるが、実際はそんな優しいものなどでは無かった。
ズブリと深く突き刺された首筋に嫌な異物感を感じ、とっても怖かった。
「恐慌状態の人が投与されれば…どういった効果が出るのかしらね?…計測開始。」
サディが注射器をさらに押し込むと、私の首に何かが流し込まれた。
血管に血液とは違う別の液体が入ったのをこの身に感じて、気色悪い感覚がしてゾワっとする。
そして、私の体に異変が起こる。
「はへ…へぅう…っぁ……ふぁ…はにほれ…?あふぁまわふわふふぁふゅりゅ…」
ろれつが回らず上手く言葉が言えなくなった。
そして、この時の私は頭が回っておらず、ずっとフワフワしていた。
まるで自分が雲になってしまったような奇妙な夢心地で、自分が今何を考えているのかもなんでこんな事になっているのかも、全てがわからなくなった。
「あへ…あはははは…ひもひいぃ…あうへ、おひはまになっはみふぁい…ああ…さてぇさぁん……わはしふぉ…ねぇ~わはしをあいひへぇ?あははは。」
しかし、その代わりにさっきまで心を蝕んでいた恐怖が消えうせたように錯覚した。
実際には薬物によって精神と感覚が麻痺して、ただただ目の前にあるような恐怖にすらも鈍くなっただけである。
ゴーグル越しに見物するサディは満足そうに、本に直接メモを書き込んで記録していた。
「恐慌状態が解消され、安心感で満たされているようね。我ながら上的な結果よ!あはは!……さて、次は平常状態での投与よ。………この中に勇気ある志願者はいるかしら?」
サディは振り向きながら、傍観者達に訪ねた。
しかし当然ながら誰も手を上げない。ただざわざわとして、周りの様子を窺っているだけであった。
だけど、それはそう。
怪しい薬の実験体になど、まともな感性の持ち主なら絶対に志願しないのは誰でもわかる。
薬が効いて頭が綿アメになって無かったら、私はツッコミを入れていただろう。
「………そう。まあ、仕方ないわね。…投与するから、しっかり観察してなさい。」
「…?…殿下、一体何を…!」
「…っ。計測開始。」
次の行動に、この場にいた私以外の誰もが驚愕した。
私も意識がはっきりしていたのなら、確実に驚いただろう。
冷静に考えて自分も実験体にするなんて、正気じゃないからだ。
特にサディみたいな性悪な奴は、自分を躊躇いなく傷付けるようなことをしない。
「はぁ…ふぅ…。ああ、なるほど…こう言う感じね…。頭がすっきりするわ。嫌と言うほど、心が沈静化してくるのを感じるわ。」
自身の首筋に刺し込んだ注射器を引き抜き、サディは足元に投げ捨てた。
軽い金属の反射音と医者達の小声での会話が、この狭い牢の中で反響した。
「………お前達が…私を口だけのバカな女だと思っていたのは…知っているわ。きっと、今回も理想だけを語って、本来の責務から逃げようとしているって…噂するつもりだったんでしょ…。」
ふらふらと千鳥足になりながらも頭痛のする頭を押さえつけ、狼狽える医者達を鋭い目で睨み続ける。
「確かに私は…人並み以下で…無能なのは間違いないでしょうね。…戦争だって、私よりも有能な指揮官がいるでしょうね。けど…けどね、私はやるわ…。お前達みたいな……口だけの…臆病者じゃないのよ。私は…誰にも止められない。戦争に勝って…絶対的な功績を作って、あのバカな大臣や無能な国民共の顔面に…作りたての表彰状を押し付けて……絶対に認めさせるのよ…!そしていつか…こんな狭い鳥籠から抜け出して……自由な世界へ…静かに……静…かに…」
ブツブツの呟くサディは、まるで糸の切れた人形のように力なく倒れた。
ちょうど私と目が合ったサディはまた何かを小さく呟いた。
「………アンタは……哀れな…偶像よ…。ただ…消費されるためだけに……産み落とされた………存在するしか価値がない………偶像なのよ………。私は……私は…決して…お前とは違う…。私は……お前と違って………ちゃんと…やってる……!ただ…象徴として…祭られているだけの……お人形じゃないのよ…。ただ…誰かに愛されるだけの………ぬいぐるみに落ちぶれるのも……クソくらえよ…。私は……誰かの所有物じゃ………無い……はず…。お前とは違う…お前とは違う…。違うはず…。認められない…と…私は……絶対に……認められ…ないと………いけないのよ…。」
静かに呼吸も浅くなっていくサディを眺めながら、第三者として観ている私は思った。
この女は哀れな道化だ。何かを成し遂げようと必死に足掻く哀れな少女だ。
あくまでも回想する私だからこそ、出てくる感想だ。
余裕が少しある今の私だからこそ、こうして悲惨な過去を傍観できる。
…結局、サディは私と同じだったのかもしれない。
しかし、だからと言って納得できないし、恨みや憎しみが治まるわけもない。
だけど、身を焦がすような憤怒に飲まれても自分のしたいように生きていく事ができないのは、私も彼女も同じだ。
感情的に復讐を望む事無く確実に身を守るために逃亡を選択した私と、不条理を耐えながらその行き場のない憤怒と憎悪を無関係な弱者にぶつける彼女。
どっちも、感情的に動くリスクを恐れ保守的で臆病な選択をしている半端者だ。
何も変わらない。今でも私は彼女が憎くて仕方がないのに、憎しみのまま復讐する気になれない。
復讐なんてする勇気も責任も、こんな私が背負えるわけが無い。…なぜなら私は臆病だから。
そうして私は過去の記憶を悪夢として傍観して、ただただ無意味な時間を浪費していった。