第17話 私…頑張るから…。
グロテスクな表現があります。
苦手な方はご注意ください。
夢を見た。暗い森の中で真っ黒な怪物に憑りつかれそうになって、私は涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、泣きわめき、地面を体液で汚してみじめったらしく這いずる。
怪物は4本の腕で私を捕らえ、赤いミミズのような舌で私の身体をなめまわす。なめられているのは身体なのに、まるで心臓を直接なめられているような、悍ましい不快感が全身を塗りつぶしていく。
怖い…怖い!…誰か、誰か助けて……!
怪物は噛り付こうと私の頭に牙を突き立てる。死を覚悟した。その瞬間、頭の中に何者かの声が響いた。
「チカラ…ガホシイカ?」
その声は、人の声じゃなかった。抑揚がなく、イントネーションもバラバラで変。数百人…いや数千人以上の声が重なってできてるような、そんな感じの違和感のある声だ。
誰?誰かいるの?いるなら助けて!
私は、もがきながら声の主に助けを求める。でも、声の主が現れることはなかった。怪物は口をさらに広げ、ついには、私の頭に食らいついた。
い…やだ…嫌だ…嫌だ嫌だ!!……助けて…!
怪物は私をゆっくり…ゆっくりと咀嚼する。味わうように、いたぶるように食べる。
不思議なことに私は、痛みを感じない。感じるのは死の恐怖と、食材のように扱われている事への不快感。そして…深い絶望感だけだ。
あああ………やめて。食べないで!
私は、泣きながら懇願した。けど、怪物は私の意思など気にせずに食べ続ける。
ああぁ……こ…わい…!たべ…ないで…!
怪物は中身をまるでスープを飲むかのように飲み干し…あああ、今度は私の肩に嚙り付いた。まだ…まだ食べるつもりだ。やめて…やめて!
あああ…あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
自分の絶叫を最後に、私の意識は深い闇に飲み込まれた。
「ああああああああああ!!!!」
絶叫とともに私は飛び起きた。
勢いが強かったせいか、壁に激突してしまったんだ。
「ううぅ…」
じーん、とした鈍い痛みにより、私はようやく我に返った。
ペタペタと頭を触って確かめる。
…どこも、至って変なとこはない。
「夢…?」
夢にしては、妙に現実味があった。
本当に夢だったのかな?
そう思わざるを得ない程に、あの恐ろしい夢には現実味があったのだ。
目覚めて早々、私は不安な気持ちになった。
とりあえず、部屋から出よう。
…………。
………。
部屋から出て、5分経った。
私は広く複雑に入り組んだ廊下をさまよっている。
広い……本当に広い…。
ふと、私は前世の社会の教科書で一度だけ見た、ベルサイユ宮殿を思いだした。
ただ、ベルサイユ宮殿ほど、ここは豪華ではなかったけど、それでも私がかつて住んでいた家よりも、何十倍も広くて、何十倍も豪華だと思う。
ほら、この絵画だって…
「…て、あれ?」
なんだろう、デジャブを感じる。
私は立ち止まって、周りを確認した。
ここ…さっき通ったところだ。
ここの壁に飾られている絵画は、見覚えのある。
確か部屋を出てすぐ目に入った大きな絵画だ。
「もしかして……迷子になった…?」
私はブンブンと首を横に振り、早足でその場から離れた。
どこ?どこ!?
自分のいる場所がわからないことが、こんなにも怖いなんて…。
部屋から出るんじゃなかった。
「誰か…みぃちゃん…!…どこにいるの?」
みぃの名を呼びながら走り回る。
まだ会ったばかりだというのに、こうして名前まで呼ぶほどに信頼しているこの私の浅はかさは、かつて不信に染まっていた私が見たら危機感を覚えるだろう。
その不信感が薄まる程、私にとってあの森での出来事は、大きな分岐点だったのかも知れない。
ガチャリと扉が開く音がして、視界の左側から人が出てきた。
稲穂色の狐耳が特徴的なおっとりとした少女………みぃだ!
「みぃちゃん…!」
「え…?」
探していた人を見つけた私は、ついつい彼女に飛び込んでしまった。
けど途中で冷静になった私は慌てて止まろうとした。
けど、あまりにも急すぎて止まることができず、みぃに突撃してしまった。
けれど、みぃは少し驚いたような表情で私を受け止めた。
「わっ!ミ…ミカちゃん?えっと…どうしたの?」
「………。…………。」
勝手に部屋から出て迷子になった。
…なんて、恥ずかしくて言えない。
そんな私を察してくれたのか、みぃは優しく微笑み頭を撫でてくれた。
「ん……。」
気持ちよくて、私は猫のように目を細めて、声を漏らした。
「いやはや。朝からこんなおいしいものが見れるとは…。良い目覚めだぜ!」
「なるほど。…………これも良いですわね。」
みぃの後ろには、ニマニマと笑う仕草をするアンリと、何かぶつぶつと呟いているマリアがいる。
みぃは撫でるのをやめて、私の手をつないだ。
「これでみんな揃ったね。じゃあ…いきなりで悪いけど…私についてきて!」
「本当、いきなりだな…まあ、とりあえずついていくぜ!」
「わかりました。」
みぃの口ぶりから察すると、私達を呼んで何かするつもりなのかな?とりあえず、私もついていこう。
「……。」
私は無言で頷き、「ついていく」という意思表明をした。
「ありがとう!…こっちだよ!」
そう元気に飛び跳ねたみぃは、私の手を引きながら走った。
…嬉しそうに狐の尻尾を振っているのに気付いた。
「かわいい……。…もふもふ……。」
「…?ミカちゃん何か言った?」
独り言を聞かれてどきりとした。
「………!!何でもない…です。」
私は下を向いて、ぽつりと答えた。
すると…同じようなタイミングで、みぃは急に立ち止まったのだ。
どうしたんだろう?
顔を上げると、こげ茶色の大きな扉が目に入った。
「はあ…はあ…。いきなり走り出すのは反則だぜ!」
「…この部屋って………。」
アンリとマリアが追いついたのを確認したみぃがその扉を開ける。
部屋の中に入って真っ先に目に入ったものは、立派な机と高そうな椅子、大きくて寝心地が良さそうなベッド、そして壁にくっついている暖炉だ。
こういうのって、確かアンティークっていうのかな?
「…ここは?」
「…ここは、ご主人様のお部屋だよ。」
みぃは少し寂しそうな顔で答えた。
何で寂しそうなのかと私は疑問に思ったが、ほこりの被ったベッドを見てすぐに察した。
「もしかして……みぃちゃんのご主人様…もういないの?」
「………。……うん。そうだよ…ご主人様は、もういないんだ。」
みぃは右手で目をこすり、ご主人様について話し始めた。
「ご主人様はね、すごい人なんだ。剣聖なんて呼ばれて、みんなから褒められて、本なんかにもなった…すごい人なの。」
みぃは喋りながら暖炉の近くに移動し、暖炉に手を突っ込んだ。
ガチャッとドアノブをひねった時にする音がこの部屋に響いた。
「ご主人様は私にとって特別な人なんだ。」
「…特別な………人…?」
「うん。ご主人様はね、私を大事に育ててくれたの。私…実は奴隷だったんだ。ぼろぼろで、病気にもなっていて、それで森に捨てられてたんだ。もうだめなのかなって全てを諦めていた時に…ご主人様が、私を見つけて拾ってくれたんだ!だから、ご主人様は私にとって特別な人。」
みぃは奴隷だった。この事実に私は驚きを隠せなかった。
それはアンリも同じだったようだ。
「ちょっと待つのぜ…みぃは元奴隷だったのか!?………アタシはてっきりメイドかと思ってたぜ…」
「うーんと…メイドさんってのも合っているかも…。………それでね、私、ご主人様から頼まれた事があるの。」
「………頼まれた事って…?」
みぃが頼まれた事について聞いてみた。
みぃは少し間を開けて口を開いた。
「いつか起こるであろう試練から、【宿命ノ砂時計】を守り抜け。って、ご主人様が私に頼んだの。」
「試……練…?【宿命ノ砂時計】って?」
聞いたこともない単語に私は困惑した。
ただ、それは私だけで、私以外の人達は顔色を若干だけど、青白くさせた。
「こっちだよ…頭ぶつけないようにね。」
みぃは体勢を低くして暖炉の中に入っていった。
よく見ると暖炉の奥に階段があり、下へ続いている。
「………。」
私も姿勢を低くしてみぃの後に続く。
………。
……階段を下りた先はまるで別世界だ。
地面と壁は暗い色の石でできていて、ルーン文字のようなものが書かれた白い紙がびっしりと貼りつけられている。
不気味だが、どこか神秘的な雰囲気を感じる。
…先が暗くて、よく見えない。
私はみぃの左手を握った。
優しくて頼もしい彼女の握力に、私はとても安心したんだ。
「いやーまさか隠し通路とは…この先には一体何があるんだぜ?」
「えっとね、一番奥に【宿命ノ砂時計】があるの。ここは【宿命ノ砂時計】を試練から守るために造られた施設なんだ。」
「へーなるほどねー。だから、そこらじゅうに魔法が施されているんだな!」
みぃとアンリの会話を察するに恐らく二人は試練が何なのか知っているのだろう。
…もしかして、試練が何なのかわからないのって…私だけ?
このままだと私だけ置いてけぼりになってしまう。私は意を決してみぃに質問する。
「あの……さっきから…言っている試練って…なに?」
「うーん。私もそこまでは詳しくないンだけど…試練ってのはね、モンスターがいっぱい現れて【宿命ノ砂時計】っていう大きな物を壊しに来る災害のこ事なんだ。【宿命ノ砂時計】は…私もよくわからないけど、試練が起こる時間と種類を教えてくれる……らしいよ。」
「…壊しに来る?なんで…?あと……種類ってなに?」
「それは…私もわからない………けど、壊されたら大変なことになる。確か、【宿命ノ砂時計】を壊されて滅んだ国があるってご主人様が言っていたはず………名前は…シノ……えっと…なんだっけ?」
「シノウーニャ国です。この森を抜けたずっと先に在った小さな国です。」
今まで黙っていたマリアが口を開いた。
…シノウーニャ国って………なんか変な名前。
「そうだった。マリアありがとう。試練の種類についてなんだけど…」
みぃは試練の種類についてわかりやすく教えてくれた。
試練は全部で4つあるらしく、【宿命ノ砂時計】の砂の色によって起こる種類が違う。
白色の砂の場合、黎明と呼ばれる試練が起こる。
黎明、は少人数でも対処が可能な量のモンスターが出現するため、一番簡単な試練。
金色の砂は、白昼と呼ばれる試練が起こる。
白昼は、戦闘がある程度できる人が数人でやっと対処ができる量のモンスターが出現する。
赤色の砂は、黄昏と呼ばれる試練が起こる。
この黄昏が一番難しいらしいく、戦闘慣れした騎士が数十人いても対処が難しいほど、強力なモンスターが数百という規模で出現するとのこと。
最後に、黒色の砂の場合で起こる試練、闇夜。
闇夜は、かなり特殊で、出現するモンスターの量は白昼と変わらないが、種類が他の試練と違うらしい。
黎明、 白昼、 黄昏、 闇夜。
この4つの試練に共通していること。
それは、出現したモンスターが【宿命ノ砂時計】を破壊しようとすること。
【宿命ノ砂時計】が破壊されたら、どうなるのか。
何かしらの被害が起きるらしい。
被害の大きさも砂の色によって変わるらしい。
白色の砂の場合、最低でも村1つ分の地域が、瘴気と呼ばれる黒いモヤによって汚染されて、人が住めない環境に変わるらしい。
金色の場合は、白色の時とさほど変わらないレベルの被害らしい。
赤色の場合、なんと、国1つ分の地域が、瘴気によって生物が生きていけない環境に変化するらしい。
そして、黒色の場合、世界が滅ぶ。
そう。世界が滅ぶ。
被害の規模があまりにも大きすぎて私は一瞬、冗談を言っているのかと思った。
けど…みぃの顔は真剣で、噓を言ってるとは、到底思えない。
「……みぃちゃんは………そんな…恐ろしい事から…その、宿命ノ…砂時計を……守るつもり…なの?…し…失敗とか…………怖く……ない…の?」
私は慌てて口を押えた。
思っていたことを…つい口にしてしまった。
怒られる!そう思ってギュッと目をつぶった。
ポンッ
私の頭に何か温かいモノが乗っかった。
目をゆっくり開いて確認した。
みぃの手だ。
みぃが私の頭を丁寧に撫でてくれた。
「…怖いよ、すごく怖い。ミカちゃんの言う通り、もしも負けちゃったらって考えると…不安で逃げたいってなる。けど、ここの【宿命ノ砂時計】は黒色だったの。……ここを守らなかったら、世界は滅んじゃう…!だから…遠くに逃げてもダメなんだ。この場所は、私が…私たちが守る!だから、ミカちゃん…安心して。」
私への言葉のはずなのに、まるで自分に言い聞かせるかのような口調だった。
みぃは失敗することへの恐怖と緊張と戦っている?
だとしたらそれは、並大抵の精神じゃない。だって、失敗したら世界が滅ぶんだよ?
私なら…いや普通なら責任の重みに耐えきれず…逃げるだろう。
それなのにみぃはその責任を背負い、試練と戦うつもりだ。
私はみぃの強い意志に感服した。
それと同時に、みぃに強く憧れた。
みぃのように、強くて頼られるような人になりたい!
そのためにはどう行動すればいいかな?
数秒考えた結果、一つの方法を思いついた。
そうだ!私も…試練に挑めばいいんだ。
「……みぃちゃん。…私も………みぃちゃんと一緒に、試練と戦う…!」
みぃは私の目を見つめて、沈黙した。
数秒経った後、みぃはゆっくり口を開いた。
「………ミカちゃん、気を悪くしたらごめんね。ミカちゃんには、重すぎると思うの。」
それは、私にとって理想的では無い回答で、感情的には今すぐにでも反論したくなるけど、理性的に考えれば納得できてしまうような現実的な返答だった。
「…………!…でも!私は…」
「レベルだって、まだ低いでしょ?20レベル以上ある私たちでも…危ないの。そんな危険なことにミカちゃんを巻き込みたくないんだよ!」
みぃの言うことは正しい。
レベルが低いうえに攻撃力もない私がモンスターの大群と戦うなんて絶対無理だろう。
だけど…!
「大群と戦うなら……人は多いほうが…良いでしょ?…私も……一応攻撃はできるから。みぃちゃんたちのサポートはできる!だから…」
「それでも…」
「みぃちゃんお願い…!私…頑張るから…。足を引っ張らないようにするから…!!」
私はみぃのようになるためだけに、ただの憧れだけで参加したいわけじゃない。
私を救ってくれたことの恩を返したい。
雨の中、倒れていた私を介抱してくれて、その厚意を蔑ろにして逃げた私を怪物から救ってくれた。
だから、私はみぃの負担を少しでも減らしたい。
みぃは私の目を見つめて、再び黙った。
10何秒経ってみぃは口を開いた。
「……。試練はとても危険……死んじゃうかもしれないよ?それでも…本当に戦いたいの?」
「はい!…私は…試練と…みんなと一緒に…戦いたい…!」
「………。わかった。それだけやる気があるんだったら…大丈夫かな。」
「……!!あ…ありがとう…!」
許可が下りたことへの喜びで、私はその場で軽くジャンプした。
「おいおい…なあみぃ、…本当に大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫だよ。ちゃんとわかってるみたい。」
さて、試練が起きる前にレベルを上げないと。
幸いにもこの森には、モンスターが沢山いるからレベル上げをすることができる。
少しでも強くなって、みぃの役に立てるようにする。
そして……みぃに信用されるようにする!
今度こそ、私は幸せになるんだ。
物語の主人公のような、幸せな人生を歩んで見せる。