第15話 剣聖の遺志を継ぐ者
アンリちゃんがパーティに加入してから数分後、私達は歩いて家に向かっている。
そして、その道中にとても大きな坂道に出くわした。
「お…重い…。」
「…大丈夫?」
苦しそうに足を動かしているアンリちゃんに声を掛けた。
アンリちゃんは自分の倍ほどの大きさの荷物を背負いながら坂道を上っている。
…私が頼んだとはいえ、とても辛そうだ。
「…やっぱり私が持つよ!」
「あー。アタシはこういうのに慣れているから、大丈夫だぜ。それよりも、みぃは周りを警戒してくれ。モンスターがいたら…教えてくれだぜ。」
アンリちゃんはニコッと笑い、苦しそうでも気合いだけで前に進んだ。
…すごいなあ。
既に重い荷物を持っているのに、私のことを考えてさらに荷物を運ぶなんて、私でも渋ってしまう事だ。
とても優しくて、元気いっぱいで、本当は私の方が年上なのに…お姉さんって感じの印象を受ける。
…私も頑張らないと。
今の私にできることは、この2人を家まで守り抜くこと。
だから、集中して辺りに敵がいないか警戒しないといけないね。
私は精神を統一して目と耳の感覚を研ぎ澄ました。
草の動きや風の音など、普段なら感知できない情報が目と耳を通して伝わる。
「…………。大丈夫。この辺りからはモンスターの気配がしない。」
「…え?け…気配?なんだそりゃ?そんなものどうやったらわかるんだぜ?」
「えっとね。意識を凄く集中させると…色々わかるんだ。ほんの少しの音や物の動きとかそういうのが普段の何倍もよくわかるの。この辺りにモンスターの気配がしないと思ったのは私達3人分の息をする音と血が流れる音しか聞こえないから……アンリちゃん?」
「………す…すげえな。いったいなぜみぃはそんなに耳が良いんだぜ?!なんかの加護の力か?それとも狐人特有の能力なのか?」
アンリちゃんは鼻息を荒くしてズイッと私に顔を近づけた。
…あ。アンリちゃんの髪から甘い匂いがする…。
感覚が鋭くなっているから、匂いを強く感じてしまい少しクラっとした。
「えっとね…。アンリちゃんが言ったこと全部だと思う。私たち狐人は外敵から逃げて…逃げて…逃げ続けて生き残った種族らしくて、察知能力が高いんだ。それと、この髪飾りがその察知能力を上げてくれるの。」
香りに目をグルグルさせながらも、私は頭に着けている髪飾りを外してアンリちゃんに見せた。
「ほうほう。なるほど…みぃ、少しその髪飾りを貸してくれないか?大丈夫、すぐに返すぜ。」
「うん!いいよ!」
アンリちゃんは髪飾りを受け取るとジーっと見つめた。
眉間にしわを寄せるように凝視している姿は、まるで本を読むご主人様みたいだった。
「ふむふむ。…………ん!?え…これって………。な…なあ、みぃ。」
「どうしたの?何だか凄く驚いているようだけど…」
「このアーティファクト……この髪飾りは誰からもらったものなんだぜ?」
アンリちゃんはすっごく興奮した様子でぐいぐいと聞いてきた。
「え…えっとね…これはご主人様から貰った物なんだ。ご主人様が私のためと言って渡してくれたの。」
「そのご主人様って誰なんだぜ?」
「えっと…クレイン=ジョルジェって言う名前の男の人だよ。」
ご主人様の名前を教えたら、アンリちゃんがさっきよりも動揺した。
「ええええええええ!!!?!!クレインってあのクレインか!?あの伝説の!!」
「…………え?!ご…ご主人様ってそんなに有名なの?」
「有名もなにも…みぃは、聞いたことないのか?≪無敗の剣聖≫クレイン=ジョルジェの伝承を。」
アンリちゃんはリュックの中から、1冊の本を取り出して私にズイッと見せ付けた。
表紙には炎を吐くドラゴンと、そのドラゴンに立ち向かうように剣を構える男の人が描かれている。
タイトルは、【剣聖・クレイン】。
「華麗なる剣技と多種多様な魔法そして圧倒的なカリスマを誇ると言われてるぜ!市販の剣で、ワイバーンの大群を倒したり、武装したカルト教団をたった1日で壊滅させたり、一騎打ちでドラゴンに勝ったり…とにかくすごいんだぜ!!」
すっごく早口で、私でもちゃんと聞き取れたか怪しいけど…これだけはわかった。
ご主人様は私が思っていたよりも偉大で優秀な人だという事実とそして…そんなご主人様が恐れていた試練は私が楽観する程簡単では無いと言う現実だ…。
…私に…できるのかな。
二つ名を持っている強いご主人様が怖がっていたものだ。
私なんかが勝てるのだろうか?
失敗の代償は世界の破滅なんだ。
…逃げたい。
まるで床にこぼした黒いインクのように、私の心にじわじわと不安が広がってきた。
出来るだけ明るく振る舞っていた心が、どんどん絶望の色に染まっていった。
「それでな!クレインには…っ!………みぃ?どうしたんだぜ?暗い顔して。何か悩んでいる事でもあるのか?」
「え!?……ううん…なんでもないから!」
「……あるんだな。…よし。遠慮せずアタシに話すんだぜ!」
表には出していなかったのに、見透かされてしまった。
「心配しないで。」って言ったのに、アンリちゃんは目をしっかりと合わせ横に並んでくれた。
「本当に大丈夫…だから…」
「そうは見えないぜ。隠してるのバレバレだぜ?」
「…………。」
「なあ……みぃ。…………アタシ…まだ出会ったばかりだけど…みぃのことが心配だ。良ければ…話してくれないか…?」
優しく寄り添うアンリちゃんの声は若干震えていた。
アンリちゃんは本当に私のことを心配している。
私の中で何かが開くような音がした。
次の瞬間、口から心の中にとどめていた言葉や感情が吐露されていく。
「…………ご主人様がね、私に頼み事をしたの。これから起こる試練から、世界を守ってほしいって。私は試練がどれほどのものか…よくわからなかったから、何とかなるって思っていたけど……アンリちゃんが私の知らないご主人様のことを教えてくれたおかげで気付いたの。ドラゴンと一騎打ちで勝ったご主人様が恐れていた試練を…私なんかが何とかできるわけがない!それなのに…私は何も考えず……大丈夫って言っちゃった。」
ぐにゃり、と視界が歪んだ。
敵の攻撃でも受けたのか、それとも幻惑作用のあるキノコの胞子でも吸ってしまったのかと思ったけど、そのどれでも無かった。
あれ?なんで…
不思議に思い拭ってみた。
それは、冷たい涙の雫だった。
私……泣いているの?
壊れたように涙がボロボロと溢れ出る。
拭っても拭っても止まらない。
止まらない…止められない…
目の前にアンリちゃんがいるのに…強く見せないといけないのに、私は無様に泣いていた。
恥ずかしさと情けなさで私は手で顔を覆った。
「よしよし。落ち着いて…深呼吸をするんだぜ。」
アンリちゃんが頭を優しく撫でてくれた。
急に泣き出したのに、彼女はとても冷静だった。
「要は約束をしたけど重すぎて、諦めてるってことだろ?まあ確かに…あの剣聖が恐れる程の試練をどうにかできるか?って言うと…正直難しいと思う。だから、へたれる気持ちもわかる。ただ…勘違いしちゃだめだぜ?」
「………?」
「まだその試練がどれほどの難しいかわかっていないだけで、無理だと決まった訳じゃないんだぜ!…そうだな。例えば………もし、霧が立ち込める道で迷ったらみぃはどうするんだぜ?」
「え?!えっと…何とかしてそこから出る?」
いきなりの質問に戸惑い、私はその場でパッと思いついた答えを言った。
するとポンッと手を鳴らして、私に指を指して続けた。
「そう!…そうだぜ!その場でうずくまっていたってなんも意味はないだろ?その場でじっとせず勇気をもって行動する!…これが大切なんだぜ!だから…途中で約束を投げ出しちゃだめだぜ!」
アンリちゃんは私を元気づけてくれている。
まだ出会ったばっかりにもかかわらず、ここまで優しく人と接することができる者はそうはいないと思う。
勇気をもって行動する…か。
「アンリちゃんは凄くたくましいね…。」
涙を拭い私はアンリちゃんの目を見た。
「私…頑張る。頑張ってご主人様を…ううん。今度こそみんなを守ってみせる!」
力強く吠えるように私は声を出した。
するといきなり、アンリちゃんは私の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。
「ん……。ア…アンリちゃん?急にどうしたの?」
「………。……!?あ……ああ。頑張るんだぜ!アタシもできるだけ協力するぜ。」
「手伝ってくれるの?!ア…アンリちゃんは良いの?」
予想外の言葉に私は耳を疑った。
すると、アンリちゃんは当然のことだと言わんばかりの反応で言葉を返した。
「ああ。あんなこと言ってアタシだけぬくぬくと見ているわけにはいかないのぜ!」
「………!」
アンリちゃんの言葉には噓偽りが一切無いように感じた。
…本気で言っているのがわかった。
私も…アンリちゃんのように頑張る!
「よーし!そうと決まればみぃの家に向かうぜ!この道を真っ直ぐ進めば良いんだな!」
「あ。そっちの道は違う。…こっちだよ!」
私はアンリちゃんの手をつかんで走った。
「え?!お…おい。そっちって森だぜ?!道には見えないんだが…」
「大丈夫!」
道は倒木やがれきで埋まっていてアンリちゃんの言うように道とは到底言えないものだ。
だけど、実はこの道が本来の道だ。
曲がるように走って、倒木などの障害物をよけていく。
「うあ!!あっぶね!み…みぃ!もうちょっとゆっくり…」
「行くよ!!3…2…」
「行くって何のこ…うわ!!ま…前!前!!」
目の前に大きな柵が行く手を阻んでいる。
柵の高さは私の身長の2倍くらいはあるから、普段なら超えようとも思わないけど、今なら大丈夫…な気がする。
「1…せーのっ!」
「うわああああ!!!」
私はアンリちゃんの手を引きながら思いっきりジャンプした。
月の明かりが私達を照らし、涼しい夜の風が包み込むように体にあたる。
一瞬だけ、空を飛んでいると錯覚した程、綺麗に飛び越えられた。
地面に着地した私はゆっくりと後ろを振り返って、アンリちゃんの安否を確認した。
「はあ…はあ…し…し…死ぬかと…むちゃ…アタシ………荷物持ってるんだぜ………」
全身汗だくでふらふらして、呼吸が不規則だ。
…やっちゃった。
「ア…アンリちゃん、ご…ごめんね!そ…その、興奮しちゃって。つい…」
私は頭を下げて精一杯謝った。
「あ…ああ。だ…大丈夫…だぜ。全然、気に…してないぜ…。」
荒げた息と一緒に気を遣った言葉で、アンリちゃんは膝に手を突きながら応えてくれた。
…呼吸を整えているようだ。
しばらく、そっとしておこう。
モゾッ…モゾモゾ…
私の背中で何かが、うごめいている。
「ん……うみゅ………。んん……………み…ぃちゃん……?」
子猫のような声を聞いて私はハッ…とした。
ミカちゃんだ!ミカちゃんが起きた!
「あ。起きたんだ。ミカちゃんよく寝れた?」
「…うん。………ここどこ?」
ミカちゃんはきょろきょろとあたりを見る。
「あ……あれ…なに?……すごく大きい…館?」
私はミカちゃんの目線の先を見た。
暗い夜の闇にとても馴染むこげ茶色の大きな建物。
窓から、ほんの少しだけ明かりが漏れていた。
一言で表すとしたら森の洋館だ。
私にとって見慣れた場所であり、帰るべき場所でもある。
「えっとね…私が住んでいるお家だよ。」
私が答えを明かすと、ミカちゃんが目をパチパチさせて館と私の顔を交互に見返していた。
「………え?…え…え…え…ええええ!!?」
ミカちゃんの心底動揺した声がこの森にこだましたような気がした。