第10話 脱走奴隷、ミカ。
何も知らない無垢な赤子のように、身を縮ませて眠っていた。
眠りについている時だけは、現実と言う苦痛に目を背けられた。
しかし、冷たい水の感触が眠っていた私を地獄に引き戻す。
「………。…………。」
「おはよう。よく眠れた?」
目を開けるとそこには赤い悪魔が…サディがいた。
…右手に鞭を持っている。
そして彼女の表情は、目を背けたくなる程に悪意に塗れていた。
「……。」
「今日はシンプルに鞭打ちにするわ。ご飯はその後で良いわね?」
そう言ってサディが鞭を振り上げる。
バチィッと鞭が床にあたる音が響く。
「ヒィ…。」
痣と共に鮮明に残された恐怖が、私を怯えさせる。
萎縮する私の姿を見て、サディは悪辣な笑みを浮かべる。
「アハハ!やっと反応したわ!叩いたらいい声出すかしら?」
「や……め…て…。」
「なんでよ?奴隷のくせに主人である私に逆らうつもり?」
「違う…」
「私に逆らおうとするなんて悪い子ね!悪い子にはお仕置きしないといけないわね!」
サディは赤黒い鞭を大きく振り上げ、叩きつけるように勢い良く振り下ろした。
「ーっ!!!!」
空を切った鞭が私の左腕に当たる。350と赤い数字が表示される。
私は痛みをこらえる為に歯を食いしばった。
ここで声を出したらもっとひどい目に合ってしまう。
ここで耐えられれば大丈夫。そう思った次の瞬間。
「-----っ!!!?!?!!?!あああああああああああああ!!!!!!!!!!」
とてつもない痛みが左腕を襲ってきた。
左腕の痣が赤黒く発光して、異様なまでにずきずきと痛む。
「痛いでしょ?この鞭は【苦痛の呪鞭】、ヒュドラみたいに再生能力の高いモンスターを倒すために作られた特殊な鞭よ。この鞭で叩かれると、3秒ごとにHPが50減る呪いにかかるの。普通なら一回叩かれただけで死ぬけど…アナタはHPが4桁もある。だからそう簡単には死なないわ。」
「………!」
「だから…安心してよね。アハハハハハ!!」
高らかな狂笑を零しながら、彼女は刃のような視線を送った。
サディが鞭をめちゃめちゃに振りまくる。
「ああ!!!あう!!!いや!!!!あ!!!やめ…う!!!」
鞭が体にあたるたびに激痛が走る。
HPが恐ろしいスピードで減っていく。
HPが3桁までいった、その瞬間。
「「「生命と救済の神よ、傷ついた者の為に、この者を癒したまえ。」」」
「「「(ヒール)」」」
サディの後ろで待機していた3人の人物が、私に向かって回復魔法をかける。
すると傷が癒えていき、減ったはずのHPが回復した。
「あ…あう……あ…」
「心配しなくても大丈夫よ。死にそうになってもすぐに回復させるから…さあ、まだまだ行くわよ!」
「も…もう……やえ…て………」
「なんで?こんなにも楽しい事なのに…何が不満よ?」
「い…痛い…の……やあ……」
「痛いのが嫌?」
私は、コクコクと頷いた。
サディは満面の笑みで顔を近づけ、とても透き通った声で
「ワガママはだめよ。私のかわいいかわいい奴隷さん。」
と言った。
一瞬でも、彼女の慈悲に期待した私が愚かだった。
ずっと前から気が付いていたけど、それすらも忘れてしまい、私は彼女に泣きついてしまった。
「あわ…あ…あああ…」
同情を誘わせる行為が、彼女の怒りを買うというのを知っていたのに。
後悔しても遅かった。
痛めつける理由を得た彼女は、とても嬉しそうに鞭を握り直したのだ。
「反抗的な奴隷には罰を与えなきゃね!」
甲高い笑い声とともに赤黒い鞭の連撃が私に襲い掛かった。
「ああ!!!あう!!!ああ!!!いああ!!!ああああ!!!」
「「「生命と救済の神よ、傷ついた者の為に、この者を癒したまえ。」」」
「もういやあ!!!たずけ…たずけでえ…!!!」
「「「(ヒール)」」」
鞭と呪いによる痛みと、回復魔法の一瞬だけのやすらぎと、死ぬかもしれない恐怖と、痛みと、やすらぎと、恐怖と、痛みと恐怖と痛みと痛みがずっと繰り返される。
……地獄だ。私は今、地獄にいる。
…いや違う。地獄に居続けている。
私は13日間もここに閉じ込められ、毎日毎日サディから遊びという名の拷問を受け続けている。
痛いよお…けど腹パンゲームよりは……まだマシ。
そう思えばこの痛みも少しだけ耐えられる。
だけど…まだなの?サディはまだやるの?もう嫌だ。
サディはさっきから鞭を振るうのを止めてくれない。
「や…めえ……て……」
「やめないわ!!!」
サディが鞭を振り下ろそうとした。
次の瞬間。
「お待ちください!殿下!!」
一人の騎士がやって来て、愉悦に浸っていたサディを制止した。
唐突に楽しみを邪魔された彼女は、興醒めと言った感じで冷えた視線を騎士に向けた。
「何をするの?私の楽しみの邪魔をするつもりなら…」
「後にしてください!殿下。御耳を…」
目上の者の言葉を遮ることもいとわずに、その騎士がサディに耳打ちした。
「-?!??!…本当なの?」
「はい。」
「ちっ!忌々しい試練め…。」
サディは何か恨み言のようなことをブツブツと呟いた。
「また後で戻ってくるから。ここでおとなしくしててよね。」
サディは私にそう言い残し、牢獄を後にした。
その足取りはとても乱れていて、急いでいるようにも慌てているようにも感じた。
「……?」
静かになったのを漸く気が付いた私は、周りを見渡した。
…誰もいない。
私に回復魔法をかけた白装束の3人も、何も言わずにただジッと見つめていた豪華な騎士も、サディの後に続いていなくなっていた。
………少し眠ろう…かな。
嫌なことから解放された安心感から、私は目をゆっくり閉じた。
………。
…………………。
ガチャリと音が聞こえて、私は飛び起きた。
ジクリと鈍い痛みがする…どうやら鞭の呪いがまだ解けていないようだ。
私は太股にある痕を撫でる。
「……?」
何だろう?何か視線を感じる。
ただの視線じゃない…まるでねちょねちょとした何かが絡みつくような視線だ。
わかりやすくいえば気持ち悪い変質者に見られている感じ。
何と無く、私は鉄格子の先に目をやる。
「ひ…」
私は悲鳴を上げ、後ろへ仰け反った。
何故なら視線の先に裸の大男が立っていたからだ。
大男は屈強な体で顔の形が四角い…まるでボディビルダーのような男。
そんな大男が裸で、脂汗を流しながら爛々とした目でこっちを見ているから恐怖だ。
「チッ…!気づきやがったな…。」
大男は野太い声で毒づく。
その声には聞き覚えがあった。
「あ…あなた…は!」
私はガタガタと震えた。
この大男は、私に暴行したあの豪華な騎士だ!
副騎士団長はゆっくりと…嫌がらせかと思うほどにのそのそと私に近づいてくる。
「…近づかないで!」
感じたことのない恐怖と嫌悪感によい、私は後ろに下がって明確に拒絶した。
「何だと!私に気に入られるということは名誉なことだぞ!」
「は?いったい何を言っているの?」
私の反応に対して、騎士団長はニタニタと下品な笑みを浮かべた。
「お前のその体、その顔そして…そのぼろきれのような姿が私好みなのだよ。」
「……!」
「お前と初めて会った時から、お前を痛めつけて、その貞操を穢そうと…」
「聞きたくない!もう…しゃべらないで!」
私は悲鳴を上げ、耳をふさいだ。
騎士団長の言葉の一つ一つが悪意に満ちている。
聞いているだけで吐き気がする。
経験したことのない悍ましさに晒され、今までで一番の恐怖を肌で感じた。
「私の話を遮るとは躾がなっていないな…。この私がじっくり躾てやろう!」
副騎士団長が跳びかかり、覆い被さるように私を押さえつけた。
私は手足をバタつかせて暴れる。
「止めて!!!放して!!!この…変態!!!」
「暴れるな!……この!」
「いや!!!!!!いやああああ!!!!!!!!!!!!!」
私は絶叫を上げた。
顔に副騎士団長の生ぬるい吐息がかかり気持ち悪い。
脂汗が体に移ってきて気持ち悪い!
副騎士団長の手が私の太股に伸びていく。
変態騎士団長が私の体に触れようとした…その瞬間。
「ぐはあ!?」
副騎士団長は声を上げ、ぐったりと脱力した。
「…。」
副騎士団長の後ろに誰かいる。
姿は良く見えなかったけど、見慣れた鎧を着ている…。
多分、サディの騎士の誰かだ。
「………だ…れ?」
「早く…ここから逃げろ!」
騎士はそう言ってから、何かを渡してどこかへ行った。
私は渡された物を確認した。
…これは!私の荷物だ。
投獄された時、荷物が全て取り上げられていたけど、何とか取り戻せた。
「……。」
私は這いずるように起き上がり、牢屋から出た。
………。
…………………。
「はあっはあっはあっ!!!」
私は走っている。
牢獄からは出れたが、同時に見つかってしまった。
後ろにはたくさんの人が追いかけて来る。
「ー!!!」
小石につまずきそうになったり、何かを踏んで怪我をしたりする。
けど走るのを止めない。私は走り続ける。
…やっと門を抜け、城下町から脱出した。
雨が降ってきたため、私を追いかけていた人達は諦めて戻ったけど…私は走り続けた。
モンスターに襲われても、私は走り続ける。
走らないと…少しでも遠くに行かないと!
私は焦りと恐怖により足を速めた。
「あ…!」
雨により土がとても滑りやすくなっていた。
私は足を滑らせ、顔から転んだ。
「あぐぅ…っ!?」
疲労により起き上がれない。
視界がぼやけて前がよく見えない。
もう………疲れた…。
私の中の誰かが「休んでいいよ。」と言った。
一休み…ほんの一休みだけ………。
私は睡魔に身をゆだねようとした。
「………。………!!!」
誰かがいる。
何か言っている気がするけどよく聞こえない。
独特なシルエットをしている。
形は人に似ていて、胸のあたりらしきところが膨らんでいるから多分女性。
だけど、頭に何か角みたいなモノがある。
「だ……れ………?」
私はそのシルエットに尋ねた。
だけど…その答えが返ってくる前に、私の意識は闇に飲まれる。




