プロローグ
1945年7月16日 1000時
アメリカ ニューメキシコ州 アラモゴード近郊
「30秒前……20秒前……」
私の隣にいる白衣を着た研究員が赤いボタンに震える手を置きながら震える声を絞り出す。
「君、手が震えているぞ。もう少し力を抜きたまえ。」
私は彼に忠告した。
「はい、オッペンハイマー所長。」
彼から返事が返ってきた。それでもまだ彼の手は震えている。
だが、この時になって自分自身も自分の体を支えている腕が震えていることに気がついた。
しかし、震えているのは私や彼だけではない。この部屋にいる五人全員が震えている。
それもその筈。我々は未だに人類が成し得ていないとても危険で壮大な実験をしようとしているから。
「10秒前」
時間が経つにつれ五人の息が荒くなってくる。空調の効いた部屋なのだが汗が頬を滴り流れ落ちた。
「……5、4、3、2、1…ファイア!」
研究員はそれと同時に赤いボタンを押し込んだ。
ボタンはカチッと良い音をたてて、ボタンの真上にある赤いランプが灯った。
ボタンが押されてから五人は強化ガラスを通して広がる広大な砂漠を睨みつけた。
すると次の瞬間。物凄い風音と伴に砂漠の砂が強化ガラスをピキピキと打ちつけた。
各観測地点から風速や温度の変化などのデータがメーターを通じて捉える事が出来た。一部の観測地点のデータはメーターを振り切って動かなくなった。
私はそれらのデータを見るだけで手一杯になったが、ボタンを押した隣にいる研究員が感嘆の声を漏らした。
私がその声に驚き、彼の視線の先を見ると、遥か砂漠の向こうに灰色のキノコの形をした雲がもくもくと上がっているのが見えた。
私はデータを見るのを忘れ、人類が新しい歴史を刻む瞬間を目の当たりにした。
だが、私の中に喜びは生まれなかった。私はこの実験のために多くの時間と苦労を犠牲にした。各観測所からは、
「オッペンハイマー所長!やりました。」
「オッペンハイマー所長!成功です。」
などと私を褒め称える歓喜の声がスピーカーを通して聴くことが出来た。
が、私はちっとも喜びを感じ取れなかった。この時私は自らの手で『原子爆弾』というおぞましい物を作り出してしまったという恐怖心で心が満たされていた。