絶望の中で
タイトルから既に不穏な空気が……
俺は出血多量で動けないでいた。
血はすでに魔法で止めたが、出て行った血を戻すような、上級相当の回復魔法は使えない。
俺は右手を動かして、左腕に触れようとする。だが、そこにあるはずの腕には、触れることができなかった。肘から先がなくなっているのだ。
もう、この状態での戦闘はできないだろう。いや、できたとしてもやつには勝てない。
ダンジョンの大きさから、難易度は高いと予想していたが、まさかここまでとは。
なぜ、俺が今こんな状況になっているのか。絶望感に浸るの中で、俺は少し前のことを思い出していた。
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このダンジョンに来てから一週間がたった。サバイバル生活もだんだん慣れてきている。
ここでの食料の確保は、木の実を採取することと魔物を狩ることだ。
レッドファングの他にも、パンチラビットというCランクの魔物がいた。ちなみにパンチラはしない。
こいつの味は牛肉に近いが、少し生臭い。だが、それも毎日食べていれば慣れた。
近くに川もあり、水にも困らない。寄生虫の心配をしたが、よくよく考えてみれば光魔法で浄化すればいいだけだった。
浄化魔法の名前は〈クリア〉だ。
そして、この巨大樹の性質が少しだけわかった。
この巨大樹、近くに魔物を寄せ付けないのだ。範囲はだいたい五十メートルくらいだろう。その範囲の中には絶対に魔物が入ってこない。
原因は不明だが、この巨大樹が魔力を吸って生きていることに、なにか関係があるのかもしれない。
探索の方は、未だに西の方に行っている。切断されている木がまばらにあり、その原因を捜索中だ。
もう一週間も経ってしまったが、焦る必要はないだろう。なにせ脱出方法がわからないのだ。脱出のヒントを見逃してしまったら、元も子もない。
最近は切断されている木の傾向がわかった。
その傾向とは、巨大樹から見て真っ直ぐ西に近づくほど、傷つけられた木が多くなっていく、というものだ。この情報が、少しでも脱出に役立つといいんだが。
今日の探索は、真っ直ぐ西に進んでみようと思う。今度こそ、原因を見つけてやる。
巨大樹から真っ直ぐ歩いて二時間。進めば進むほど、ボロボロの木が多くなっていく。
その木の中に、爪で引っ掻いたような跡があった。幹の中ほどまで食い込んでいたようだ。とんでもない切れ味だな。
グルゥゥゥゥ……
「っ!?」
突然獣の鳴き声を聞き、急いで木の陰に隠れる。顔だけ出して観察してみると、どうやら虎の魔物のようだ。
だが、今まで見たことがない魔物だ。魔物大辞典にも載っていなかったと思う。
全身が真っ白な三メートルくらいの虎だった。まるで四獣の白虎だな。方位も巨大樹から見て西だし。完全に狙ってるだろ、これ。
そんなことを思っていると、虎の魔物と目が合ってしまった。
「やべぇっ!」
なるべく木の多い方へ全力疾走する。すると白虎は、もうすぐ後ろに迫っていた。
まじかよ! 足速すぎるだろ!?
木を使って視線を遮り、急カーブして木の後ろに回り込む。そして、すぐに白虎の様子を確認する。
やつは俺を見失ったようで、キョロキョロと俺のことを探していた。
一応、これで一息つけるな。
なんとか隠れたが、俺はやつを撒くことができるのか?
とりあえず、やつが木に切っていた犯人と見て、間違いないだろう。ちょうどさっき見た爪の形も、獣の爪のようだった。
「まずいな……」
やつは俺の居場所を探るように鼻を鳴らしている。見つかるのも時間の問題だろう。
せめて、巨大樹の所まで行くことができればなんとかなるんだが。
だが、俺とやつではスピードの差が桁違いだ。姿を見せた瞬間に殺されるだろう。今はせいぜい、木の陰に身を潜めることしかできない。
とにかく逃げる方法を考えるんだ。こういう時は、三つの選択肢を思い浮かべよう。
1. 隠れながら移動する。
2. 巨大樹に向かって全力疾走。
3. 囮で翻弄して、その隙に逃げる。
1.は音でバレそうだな。やつは匂いでも追跡できるみたいだし、却下だ。
2.は俺の足の速さが足りない。すぐに追いつかれてやられるだろう。却下だ。
となると、一番可能性が高いのは3.か。問題は何を囮にするかだな。
石を投げて、気がそっちに向いたところで隠れながら逃げるというのは、あながち悪くない気がする。
そうと決まれば、さっそく石を投げてみる。遠くの方でガサガサと音がした。うまく葉っぱに当たったようだ。
白虎の気も音のなった方向に向いている。今のうちに逃げよう。しゃがんでゆっくりと、音を立てないようにだ。このまま巨大樹の方に向かおう。
作戦は思った以上にうまくいった。俺は巨大樹のすぐ近くまで来ている。もうすぐ安住の地だ。
「はぁ、危なかった」
何度か死ぬと思ったが、なんとかなってよかった。これからは、あの白虎に気をつけて探索しないとな。
どうでもいいことだが、人は一人になると独り言が多くなる、と言うのは本当みたいだな。現に俺も、独り言がかなり多くなっている。
「脱出したら気をつけないとな」
って、また言ってしまった。本当に気をつけねば。
巨大樹に向かって歩いていると、後ろからガサゴソという音がした。
俺はそちらを振り返ってみる。するとそこには、さっき俺のことを追いかけていた白い虎が俺に牙をむいて飛び出してきているところだった。
「なっ!?」
とっさに左腕を盾にして、そのまま白虎に押し倒される。
白虎は俺の腕を噛み砕き、引きちぎった。
「ぐっ!」
白虎は次に、俺の喉に噛みつこうとする。喉笛を噛み切って殺す気のようだ。
俺は咄嗟にヒヒイロカネのナイフを引き抜き、噛み付いてこようとする白虎の右目に突き刺した。
すると、白虎は痛みで俺の上から退く。その隙に、俺は巨大樹の方へ思いっきりで走りだした。
だが段差につまずいてしまい、転がるようにしてこけてしまった。
まずい! 喰われる!
と思ったが、白虎はいっこうにこちらに近づいてこない。
「はぁ、はぁ、なんでだ……?」
白虎は、こちらを忌むようにしばらく睨みつけ、森の方に帰っていった。
白虎が見えなくなるまで、俺は呆けてしまった。なんで見逃されたんだろう。
「あ、そうか……」
巨大樹の、魔物を寄せつけない範囲に入ったのか。白虎のような強い魔物でも、ここには入れないんだな。
「いってぇ……」
左腕をちぎられた。急いで〈ヒール〉を使い、止血をする。
そして俺は、ふらつく足取りで巨大樹へ向かった。
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ということがあり、冒頭に戻る。
水と食料は二日分はある。とにかく肉を食べて、血を作らないとな。
だが、血を作ってどうすればいいだろうか? 脱出方法を探すのが一番なのだが、こんな状態では無理だからな。
幻肢痛が俺を襲う。左腕はないとわかっていても、脳はまだ、そこに左腕があるのだと勘違いしているのだろう。正直言って鬱陶しい。
俺も、あの冒険者のように白骨遺体になるのだろうか?
巨大樹の近くにいれば、魔物に喰われることもないだろうから、骨くらいは残ってくれるだろう。
「俺は死ぬのか……?」
ソフィとシャルのことが頭に浮かぶ。二人とも、どんな時も俺を信じていてくれた。今世の大切な人たち。
俺が死ぬとしたら悲しむだろうな。顔をぐしゃぐしゃにして泣いて、いずれそれも乗り越えて行くんだろう。どちらも強い子だったからな。
父様と母様も泣いてくれるだろう。あれだけ俺に愛情を注いで育ててくれたのだ。悲しまないはずがない。
死をはっきりと意識したことはなかった。この世界にいても、俺は安全な場所にいた。
もちろん危険なこともあったが、その時は必ずソフィがいて、俺を安心させてくれた。
…… 俺が死ぬだと? こんな所で、意味もなく死ぬだと?
「ふざけるなよ……」
ソフィにもシャルにも会えずに死んでたまるか。少しでも死を受け入れていたさっきまでの俺に腹が立つ。
左腕がないのなら、そのぶん右手と頭を使えばいいだろう。たかが左腕の一本を失っただけじゃないか。
脱出手段がないのなら考えろ。俺は元から頭は良かっただろう。
難易度が高いのなら、俺はその障害をすべてぶち壊して進んで行く。
「絶対に生き残って、ここから脱出する。そして、俺の大切な人たちにもう一度会う……!」
みんな、待ってろよ。
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《パンチラビット》
パンチラビットとは、Cランクのうさぎの魔物である。
名前の通り、強力なパンチで相手を倒す。得意技はストレートだ。
《クリア》
生物の体にとって毒となる物を取り除く魔法。
取り除く対象は、汚染水はもちろん、空気中の毒素や病気の類も浄化可能である。
毒性が強くなるほど魔力を多く消費する。