オリヴィア・バーナード
「…… アルフレッド、待った?」
「いや、ちょうど今来たところだ」
これは嘘ではなく、本当に今来たところだった。
まだ待ち合わせの十五分前なのだが、少しだけ俺の方が早かったらしい。
「…… 行こ」
「おう。道中の魔物は、俺に任せとけ」
「…… 頼りにしてる」
今日は、名目上は一応デートである。ただ、場所が場所なだけに、デートと言っていいのかはわからない。
今日の行き先は初代魔王のダンジョンだ。クラリスが死んだため、中の魔物はすべて消えたのだが、そのダンジョンに入るまでの暗闇の洞窟にはFランクの魔物がそれなりにいる。そのため、俺たちの服装は一応戦闘用の装備だ。
俺は、目の前に飛びかかってきたレッサーウォーウルフを魔力を使わずに殴り飛ばす。たったそれだけで、レッサーウォーウルフは肉片と化した。
「Fランクなんてこんなもんか。私服でよかったかもな」
「…… 血がついたら大変」
「返り血を浴びるとも思えないけどな」
まあ、万が一ということもある。例えば、十年前のように、いきなりサイクロプスが出てくるかもしれない。
しばらくの間まっすぐ歩いていると、大穴の空いた通路を見つけた。
「確かここら辺に……」
俺が足元の石を踏むと、ガコッという音がして、俺とオリヴィアは魔法陣に囲まれた。
「…… ビンゴ」
「だな」
その言葉を最後に、俺の視界は真っ白に染まった。
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次に目を開けると、そこは森だった。
「久しぶりに来たな」
「…… ここどこ?」
「ん? オリヴィアはここを知らないのか?」
「…… うん。私が知ってるのは、あの広い洞窟だけ」
俺はてっきり、オリヴィアもここに来てるものだと思ってたんだが、どうやらここに来たことがあるのは俺だけらしい。
「そうか…… なら、案内するよ」
「…… お願い」
俺は正面に見える、ノッポの巨木に向かって歩き出した。
近づいて見てみると、巨大樹は俺が以前にここをクリアした時のままで、幹の真ん中がぱっくりと割れ、中には魔法陣が浮かんでいた。
「ここも変わらないなぁ……」
「…… なんの魔法陣?」
「転移の魔法陣だ。この先が、あの洞窟になってる」
俺はオリヴィアの手を引いて、魔法陣の中に入る。魔方陣をすり抜けると、そこは既に洞窟の中だった。
オリヴィアは周りをキョロキョロと見渡すと、一言だけ呟いた。
「…… ほんとだ」
「なんだ? 疑ってたのか?」
「…… ちょっとだけ」
…… なんか、前に一緒にいた頃よりも信用されてなくないか?
「オリヴィアを騙して、俺になんの得がある?」
皮肉を込めて言ってやると、オリヴィアは少し考え込み、俺の方を向いた。
「…… ずっと二人でいられる」
「……」
…… ヤンデレ?
「…… 冗談」
「あはは…… それはよかった」
俺がそう言うと、オリヴィアは少しムッとした表情になった。
「…… 私と二人きりは、嫌?」
「そんなわけないだろ」
「…… 私が裏切ったから?」
人の話を聞かない婚約者だ。
「だから、二人きりは嫌じゃないって……」
「…… 嫌じゃないだけで、好きでもない?」
「はぁ……」
しまった。ため息を漏らしてしまった。
「……」
オリヴィアは俺を置いて、先に歩き出してしまう。俺はそんなオリヴィアの背中に向かって、大声で叫んだ。
「オリヴィア! いい加減に冗談はやめてくれ! 頼むから!」
するとオリヴィアは足を止め、顔だけこちらを向いた。
「…… キスしてくれたら、いいよ?」
即物的なところは変わってないな。
俺はオリヴィアに近づき、頰を両手で包むと、小さな唇に自分の唇を合わせた。
「…… んっ……」
オリヴィアから吐息が漏れる。
互いの唇を離すと、銀色の糸が切れた。
「…… 悪ノリして、ごめん」
「この小悪魔め」
俺が軽くオリヴィアのおでこをチョップすると、それを受けたオリヴィアはクスッと笑った。
「…… これからは、アルフレッドのご機嫌取りが私の仕事になる?」
「どういうことだ?」
「…… 最低でも、三人の子供を産まないと」
「ああ……」
ソフィとの約束か。
「別に、いつも通りにしてくれればいいぞ。変に気を使われるのは好きじゃない」
「…… 受け入れてくれる?」
「受け入れてなかったら、婚約を解消してるさ」
その一言で、オリヴィアの笑みがいやらしいものに変わった。少し前のオリヴィアだったら、絶対にやらない表情だ。
「…… こんな私でも?」
「それは…… ジンのマネか?」
オリヴィアの表情が、いやらしい笑みから真顔に戻る。
「…… そう」
「それが、オリヴィアがなりたいと思っている自分なら、俺は受け入れるさ」
「…… 男前」
「伊達に三人娶ってないからな」
ひとりひとりを尊重して、受け入れる。それが、俺にできる最大限の愛だ。
「…… ありがと。でも、これは本当の私じゃない」
「なら、なにが本当のオリヴィアなんだ?」
「……」
オリヴィアが黙り込んでしまったので、俺も無理に会話を続けず、上を見上げてしまったオリヴィアの手を取った。
「デートの続きをしようか」
「…… うん」
俺たちは十階層まで足を進め、そこから伸びている階段を下る。階段を下りきり、通路に出ると、横の壁には引き戸があった。
俺はその引き戸を開けて、中に入る。オリヴィアもそれについてきた。
「…… 懐かしい」
ここはあの時、オリヴィアが倒れていた場所だ。
「あんまり、いい思い出の場所でもないだろ?」
「…… ううん。ここは、アルフレッドに出会った場所」
「百年の恋も冷めるような出会いだったけどな」
なにかを叫びながら風魔法の連打。魔力が切れていざ出会ってみると、両足はないわ、下半身はビショビショだわ……
「…… 冷めた?」
「当時の俺は、『敵だったら殺す。有用だったら助ける』しか考えてなかったな」
「…… 酷い答え」
俺もそう思う。ただ、一つだけ言い訳をさせてもらうと、あの時の俺は生き残ることしか考えてなかった。
「恨むなら、俺たちをこんな場所に転移させた初代魔王を恨め」
「…… クラリスには感謝してるから、それは無理」
「俺が悪いのか?」
「…… アルフレッドも悪くない」
「じゃあ……」
「誰も悪くない」
珍しく即答だった。
オリヴィアは停止したまま、昔の自分が死にかけていた場所を眺めている。
俺は、そんなオリヴィアの頭に手を乗せた。
「…… そうだな。誰も悪くない。ただ、運が悪かっただけだ。なぜなら俺たちは、みんな……」
「…… なにかの目的のために、頑張ってた」
俺は大切な人に会うため。クラリスはアーサーの元に逝くため。ジンだって、内容はともかくとして、一つの目的のために動いていた。
「…… なにも目的がなかったのは、私だけ」
オリヴィアは悲しそうに呟いた。
俺は自分の手を、オリヴィアの頭から離す。
俺は、その時のオリヴィアを知らない。だから、なにも言えない。
オリヴィアは、俺が相づちを打たないことがわかると、続きを口にした。
「…… だから、私だけが状況に流された」
帝国でのオリヴィアの裏切り。
唐突な前世の兄の登場と同時に、敬愛する兄と、愛恋する俺を天秤にかけることになった。
俺はそこで掲げられた。オリヴィアにとって、どうやら俺はジンよりも軽かったらしい。
だがこれは、状況に流されたと言えるのか? 単に、俺よりもジンの方が大切だっただけじゃ……?
「…… オリヴィア、どうして俺の元に戻ってきてくれたんだ?」
オリヴィアはこちらを振り向いた。その目は潤んでいて、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
「…… 私は…… 誰かに受け入れてほしかった。でも、それは誰でもよかった。だから私は…… アルフレッドより、前世から一緒だった兄さんを選んだ……」
当然だ。付き合いが長い方が信頼できる。
「…… 兄さんの目的なんて、最初はどうでもよかった。ただ側にいられれば…… 必要とされてれば、それでよかった。
でも、兄さんの作戦に協力していくうちに私は、アルフレッドが勝っても、兄さんが勝っても、誰かが苦しくなることに気がついた……」
「…… オリヴィアは、優しいな」
すべてを理解した俺の言葉を聞いて、オリヴィアの目からは大粒の雫が溢れた。
「…… アルフレッド……」
俺はオリヴィアをそっと抱き寄せ、強く抱きしめる。
「わかったよ。オリヴィアの思っていたことが」
「…… うん。私は……」
「オリヴィアは、大切だと思う人に傷ついてほしくなかったんだろう?」
「………… うん」
「だからオリヴィアは、俺にジンを殺させなかった」
オリヴィアは、自分の風魔法でジンの腹を貫いた。それがジンにとって、どれだけ心地よかったことなのかは、あの死に顔を見ればわかる。
「…… 私は兄さんにも、アルフレッドにも悲しんでほしくなかった…… だから……」
ジンの計画が実行されれば、俺たちは全員死ぬことになる。そしてジンは、オリヴィアに殺されるのなら本望だった…… だからオリヴィアは、ジンを自らの手で殺した。
「思考は天使かもしれないが…… やったことは悪魔的だな」
「…… そう、これが本当の私。そんな私でも、アルフレッドは受け入れてくれる?」
「さっきも言ったが、受け入れてなかったら婚約なんてしてない」
「…… 優しい」
大切なものを守るためならなんだってする。そういうことなら、俺だって…… 同じだからな。
「これからは色々と償ってもらうぞ、悪魔さん」
「…… 頑張る」
俺の胸から離れて笑ったオリヴィアの顔は、ひまわりのように明るく咲いていて、闇色に染まった洞窟を照らすようだった。