ファブリ 後編
一組の男女は、僕の家に押しかけると、突然口を開いた。
「あなたがレクイエムのリーダーですか。思っていたよりも小さいですねぇ」
「誰だ?」
僕は二人を警戒して、控えていた簡易アンゲロスを動かす準備を、こっそりと始める。
男は、そんな僕から目を離し、後ろで動き出そうとしているアンゲロスを軽く観察すると、再び僕に視線を戻した。
「そんなに警戒していただかなくても結構ですよ。私は、あなたの敵になるつもりはありませんからねぇ。むしろ、協力を申し入れたくてここに来たんですよ」
男はいやらしい笑みを浮かべながら、話し出した。
「協力?」
「ええ、あなたの噂を聞きまして…… どうやら、帝国を滅ぼしたいそうで?」
「…… お前らにも、その気があるのか……?」
「その通り。私も帝国に散々痛い目を見せられましてねぇ。ちょうどいいタイミングですから、爆発させてやろうかと」
僕は、男の目を睨むように見た。
男も、僕の方を面白がるように見てきた。
「どうやら、嘘じゃなさそうだな。いいだろう。協力してやる」
「ありがとうございます。作戦はもう立ててありますから、あなたは私の作戦を聞いて、自由にしていただいても結構ですよ」
男は右手の人差し指を立て、笑顔を作った。
「なんだ? 共闘はしないのか?」
「ええ、あなたにはその魔導人形がある。私がいても邪魔なだけでしょう」
「まあ、確かにそうだが」
僕が一瞬アンゲロスの方を向き、男に視線を戻した時、男は、鋭い刃物のような目つきに変わっており、その口角も不気味につり上がっていた。
「では、私にできることはなにか…… それは、あなたの魔導人形が完成できるよう、人間を用意することです」
僕はそれを聞いて、男の方に身を乗り出した。
「アンゲロスに理想的な人間が用意できるのか!?」
「ええ、ここの聖女は、珍しい光魔法を使えるそうですから」
「なっ!? 聖女を!?」
「なにか不都合でも?」
僕は考えた。教国の聖女をアンゲロスに使うということは、大司教に刃向かうことに等しい。真神教の信者である僕が、そんなことをしてもいいのか?
僕の思考を読んだかのように、男はさらに続けた。
「安心してください。アンゲロスは帝国とともに、魔族をも滅ぼせる。長年魔族と戦ってきた教国の、それも聖女ともあろうものがそれを達成できるとなれば、この上ない幸福でしょう」
その言葉に…… 言い訳に、僕の心はあっさりと動いた。
「わかった。聖女を使う」
「では、聖女を捕まえる代わりに、未完成でいいので、アンゲロスを一体貰えませんか?」
「そのくらいならお安い御用だ」
「ありがとうございます。では、作戦会議としましょうかねぇ」
ジンと名乗ったその男は、僕の家を出てすぐに大司教を洗脳し、わずか一ヶ月程度で、聖女を捕えた。
僕は保険のため、何度か聖女と接触していたのだが、どうやらその必要もなかったらしい。
そして、僕が聖女を回収しに向かう途中、見つけてしまった。
「さすがソフィ、相変わらず理解が早いな」
「えへへ」
目の前で女とイチャついている、第十一代目魔王、アルフレッドを。
その時の僕の顔は、一体どんなだっただろう?
もしかしたら笑っていたかもしれないし、怒りで睨みつけていたかもしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。
ただただその瞬間、僕はこう思った。というか、呟いていた。
「…… お前が最初の一人目だ、アルフレッド……」
僕は、アルフレッドにダッシュして近づき、ポーチを腰から盗み取った。
✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽
牢屋に囚われの身となった僕は、自分の過去のことを、僕と話に来たビューレに話した。
「…… というわけだから、僕は君たちを裏切ったんじゃなくて、最初から敵だったんだよ」
ビューレは終始真顔だった。嬉しいかも悲しいかもわからない表情で、ずっと僕の顔を見ていた。
「…… それでも私は、ファブリを友達だと思っています」
驚いた。
この聖女様は、自分の命を脅かされていたというのに、それでもなお、こんなことを言えるのか。
「友達って…… 僕は君を利用しようとしただけだよ? ジンってやつが信用ならなかったから、自分でもビューレとの繋がりを持っておこうとしただけさ。だから、友達だなんて一度もーー」
「それでも! ファブリは私の不満を、迷いを、願いを…… すべて静かに聞いてくれました……」
ビューレは下を向いて、僕の言葉を遮るように言ったものの、だんだんと弱々しい口調になっていき、終いには黙り込んでしまった。
僕がビューレの話を聞いたのは、ただただ信用を得るためだ。
同時に、ジンの作戦が正しく動いているかを見ることもできたが、一番の目的は、やはり保険のためだった。
「それだって、簡単に利用できるようにって、考えてのことさ」
「私に協力すると言ったことも…… すべて嘘だったんですか?」
「まあ、そのレクイエム自体、僕の作った組織だしね」
ビューレは、僕の言葉を噛みしめるように聞くと、プルプルと震えだした。
「ならなぜ! 私を助けたのですか!? 私のために怒ってくれたのですか!? それは、私に情があったからではないんですか!?」
ビューレは顔を上げ、涙で濡れた瞳を見せると、一気にまくし立てた。その勢いに、僕は一瞬、思考が止まってしまった。
助けた? 怒った? そんなこと、あったかな……?
僕が放心していると、ビューレは再び下を向き、掠れて消えそうな声を出した。
「鎖で繋がれたぼろぼろの私を見て、少しでも気持ちが揺らぎはしなかったのですか……?」
鎖で繋がれた…… あ、あの地下でのことか。
あの時…… 僕は、僕は…… 確かに、ビューレを傷つけたあのデブを…… 殺してやりたいと思っていた……
「僕は…… 無意識に……」
僕はビューレのことを、しっかりと目に見て思った。
ああ、確かに…… こうやってビューレが泣いている姿を見ると、心が締めつけられるようだな…… 少しだけ。
僕は、すすり泣いているビューレに声をかけた。
「…… ビューレ。なんでビューレは、こんな僕を友達って思ってくれたの?」
「…… 私は、ずっと閉じ込められていました。聖女ですから当然ですけど、外に出て、誰かと関わることなんてなかったんです。だから、嬉しかった。ファブリが、私の話に耳を傾けてくれるのは……」
僕は天を仰ごうとした。しかし、上にあるのは、冷たい石の天井だけだ。
こんなことで心を動かされるなんて、僕も甘いな。
帝国と魔族に、必ず復讐する。そういう気持ちで生きてきたのに、こんな…… こんなお姫様が、ただ友達だと言ってくれることが、こんなにも嬉しいなんて……
人生をともにするわけでも、僕にとって有益でもなんでもないのに…… 友達だと思っていてくれたことが、こんなに幸せに感じるなんて…… こんなことで、復讐なんてどうでもいいかと思えてしまうなんて……
所詮、僕の覚悟なんてそんなものなのかもしれない。
レクイエムも、作ろうと思ったわけじゃなく、ただ作れたから作っただけだし。
はは…… こんな中途半端だから、魔族でさえ一人も殺せないのか……
「…… ビューレ、今から言うことは、とてもおこがましいかもしれない。許せないかもしれない。バカバカしいかもしれない。それでも、聞いてくれるかな?」
「もちろんです」
僕は声を出そうとした。しかし、なかなか出てはくれなかった。振り絞って、頑張って、それで出てきたのは、いや、溢れてきたのは涙の方だった。
僕はそんな涙と、嗚咽を起こそうとする体を抑えつけて、ビューレの方に向き直った。
「…… 僕は…… ビューレの…… 友達になりたい……!」
僕はそれだけ言って、冷たい床に額をつけた。
とてもじゃないが、ビューレの顔など見れなかったのだ。
恥ずかしいし、なにより、利用しておいてなにを言ってるんだ? という話だったからだ。
そんな僕の頭に、なんだか優しい感覚が訪れた。
顔を上げてみると、そこには、檻の隙間から手を伸ばしているビューレが見えた。そして、その手の先には、僕の頭があった。
ビューレは僕を見て、腫れた目をこすりながら笑った。
「だから、さっきから言ってるじゃないですか…… 私はファブリを、友達だと思ってますって」
「…… こんな僕をでも…… いいの?」
「なに言ってるんですか。ファブリだからいいんです。またお話ししましょう? 私、待ってますから」
ビューレは、僕の頭を撫でながらそう言って、少し困ったような顔をした後、黙り込んでしまった。
その理由は明白だ。僕が、とても話せるような状態ではなくなってしまったからだろう。
大したことはない。これはすぐに収まるものだ。だけど、今はまだ、このままで……
僕は、涙と鼻水と嗚咽に苦しみながらも、なんとも言えない幸せな気分に浸っていた。
ビューレは、そんな僕が泣き止むまで、ずっと頭を撫で続けてくれた。