教国の考え
バレンタイン伯爵は、座っている俺の正面まで来て、俺を見下ろすように見つめていた。
「私は五年前、アバークロンビー領の闘技場でこう言ったね。『ソフィアを頼んだ』と。そして、アルフレッド君は『任せてください』と答えた」
「ええ、確かに言いました」
俺は、バレンタイン伯爵の目を見つめながら言い返した。
「……」
「……」
すると、バレンタイン伯爵と俺とのにらみ合いが始まった。
「あ、あの、お父様、迷惑をかけたのは私の方で、アル君は悪くないんだよ?」
ソフィがその緊張感に耐えきれず、伯爵を説得しにかかったが、伯爵は俺から目を離そうとはしなかった。
「アルフレッド君、君は確かにソフィアの洗脳を解いたが、ソフィアが洗脳されたのも、君の力不足が原因ではないか?」
「その通りです」
すると、伯爵は一度目を瞑り、深呼吸をしてからゆっくりと目を開けた。そして、俺の目を真っ直ぐに見据えながら、次の言葉を口にした。
「君は、本当にソフィアを守れるのかね?」
その瞬間、一瞬時が止まったような静寂が訪れた。心なしか、誰かが唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
そんな緊張が走る中、俺も伯爵から目を離さず、言葉を捻り出した。
「もう二度と、ソフィと離れるような失態は犯しません」
伯爵はそれを噛みしめるように聞くと、今まで固まっていた口角を上げた。
「頼んだよ」
そして、それだけを言い残し、部屋を出ていった。
「信頼は、なんとか失ってないみたいだな」
ヨハンが微笑を浮かべ、俺の方を向いた。
「最後通告かもしれんぞ?」
「それなら、婚約取り下げてたんじゃないか?」
「それは私が絶対に止めるよ」
ソフィも、俺の座っている椅子に近づいてきた。
「ソフィアさんが魔王の嫁か。最強夫婦だな」
「もともと、愛の強さなら最強なんだがな」
「うわぁ…… 妬ましい……」
「ヨハンよ。自分に嫁がいないからって、そんな感情を抱いてはいけないぞ」
「うるせぇ! 僕だって、いつかはできる…… はずだ!」
なんだ、その自信のない答えは。引きこもりのオタクじゃないんだから。あ、睡眠時間もちゃんと取れない、魔道具オタクか……
「まずは、魔道具への愛情を減らすところからだな」
「そんなことしたら、俺の存在意義がなくなるぞ!?」
「必要最低限はやってもらうことにする」
魔道具の開発と改善を無限に繰り返しているせいで、ヨハンの魔道具技術は他の国を圧倒し始めている感がある。少しは休んでもいいと思うんだがな。
「魔道具から女性に興味を変更しないとね」
「ソフィアさんまで!?」
予想外の方向からの言葉に、ヨハンはがっくりとうなだれてしまった。
「三人とも仲がよろしいんですね。私はついていけませんわ」
「さっきから会話に混ざってないと思ったら、ついてこれてなかったのか…… コミュニケーション能力が心配になってくるな……」
「余計なお世話ですわ!」
自分では気がついていないのかもしれないが、割と冗談についてこれている。これならコミュニケーション能力も問題なさそうだな。
四人で騒いでいると、部屋の扉が開き、ナディアが入ってきた。
「魔王様、お楽しみのところ申し訳ございません。お手紙が入っております。お目通しください」
「手紙? どこからだ?」
俺は椅子から立ち上がり、ナディアから手紙を受け取った。そのまま手紙の裏面を見て、署名を確認した。
そこには、『教皇』と書かれていた。
「アル君、誰からの手紙だったの?」
「教国の、表向きの最高権力者様だ」
「表の最高権力者というと…… 教皇か?」
「そういうことだ」
まず教皇とは、王国で言う国王であり、帝国でいう帝王のようなものだ。だが、それはあくまで形だけのものだ。
俺は手紙の封を切り、中の紙を取り出した。そこには、簡単に言うとこう書いてあった。
『貴国から、勇者の返還を要求する』
「勇者の返せって、なんで今更……」
横から手紙を盗み見たヨハンが、疑問を口にした。
帝国に勇者がいた頃は、勇者の返還要求など行われなかった。それなのになぜ、ハイタス王国を建国した途端、こんな請求がされたのか。思い当たる節は一つだけある。
「なめられてるな」
「アル君、なめられてるってどういうこと?」
ソフィが興味深そうに聞いてきたので、俺は問題形式で出すことにした。
「まず、帝国へはこんな要求は行われなかった。なぜだと思う?」
「帝国が、私たちを操ってたからだよね?」
「実態はそうだが、そのことを教国は知らなかったぞ」
「うーん…… 考えられるのは、帝国の強さに恐れていたから、かな?」
「教国はこの世界で最大の宗教、真神教を広めた国だぞ? 武力で怯むことはない」
「ええ…… わかんないや……」
ソフィは考え込むような仕草をした後、ギブアップをした。
「勇者たちが帝国に従っていたから、ですわよね?」
そして、ソフィがリタイアした途端に、アリスが参加してきた。
「え? それって、私たちが操られていたってこととなにか違うの?」
「まったく違いますわ。まず、なんで教国は帝国に逆らわなかったんだと思いますの?」
「やっぱり、勇者がいたからだよね?」
「その通りですわ。ならなぜ、勇者がいると教国は動けないんですの?」
「武力があるから…… って、それは違うんだよね。うーん………… あっ…… 勇者が正義だから……?」
ここでようやく、ソフィも教国が陥っていた状態に気がついたようだ。
勇者が正義。
教国は、帝国に逆らおうとした途端、勇者によって教国を滅ぼされかねなかった。なぜなら、勇者は正義であり、正義と対決しているものは必ず悪だから。
教国は、帝国に牙を剥いた瞬間、自らが生み出した正義によって悪にされてしまいかねなかった。
「その通りだ。さすがはソフィ。俺がこれをリベリオンのみんなに説明するのに、いったい何時間かけたんだったか…… アリスも、知っている情報ならペラペラ喋れるんだな」
「うるさいですわ」
教国の状況。それは、リベリオンが動くためには必ず知る必要があった。もちろん、俺以外のメンバーも知っておけば、なにかと動きやすくなる。
そのため、俺はリベリオンのメンバーに、このことを頑張って教えようとした。だが、リューリク以外は政治に疎く、説明が大変だった。
「さて、話を戻そう。ソフィの言ったとおり、勇者が正義だから教国が動けなかった。なら、なぜ教国がこういう状況に陥ったのか、わかるか?」
「勇者が王国を滅ぼしたから、だよね?」
勇者が帝国の指示に素直に従ったということは、これは勇者の意思でもあったと考えられる。
勇者が王国を滅ぼしたという事実は、教国の上層部に衝撃をもたらしただろう。
なぜか、勇者と帝国が手を組んでいる。意思が一つになっている。なら、もし私たちが帝国に逆らったなら、私たちも滅ぼされるのではなかろうか? そう、あのラント王国のように…… となり、教国は動けなくなったのだ。
「大正解。さすがは俺のソフィ、他のポンコツとは違うな」
「ポンコツで悪かったですわね」
俺はアリスをスルーし、話を進めた。
「そして、俺たちは勇者を帝国から取り戻した。つまり、勇者と帝国は分離した訳だ。教国はそれを見て、俺たちと勇者には繋がりがないと考えた」
「でも、勇者もハイタス王国の建国に関わってるし、なんでそう思ったのかな?」
「ハイタス王国への協力はあくまで有志活動で、心は教国に戻ってきていると考えているのだろう。なにせ、アレックス、ターニャ、ランベルトは教国出身だからな」
「なるほど……」
「さて、行くか」
俺は手紙を封筒に入れて、部屋を出ようとした。
「アル君? どこ行くの?」
「どこって、教国だが?」
「「「はぁ!?」」」
「お兄様、さすがの行動力ですね。このシャーロット感服いたしました。どうか私を嫁に貰ってください」
三人の叫びと、今まで出番のなかったシャルの明らかなツッコミ待ちを無視して、俺は部屋を出た。
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《真神教》
アルフレッドを転生させた女神を崇める宗教。
世界の平和、自然の保全、全生物の安全確保という教えを説いている。
この世界の六割以上の人間が、この宗教に所属していると言われている。