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20180511.語彙力という幻想

 最近やたらと語彙力などと言う言葉が流行っている。正直、意味不明理解不能である。

 確かに語彙力が高いと「整った文章」や「誤解されにくい文章」が作れる。が、それは最低限の語彙力で十分である。色々な文章を読んでいると自然と身に付く。むしろ如何に駄文に満ち溢れているか分かるくらいである。

 で、だ。語彙力が高いと困った問題が起きる。当たり前と思って使った単語が「通じない」のである。語彙力というものは相手も語彙力があってこそ初めて意思疎通できるのである。上手く意志疎通するための語彙力であって過剰華美な語彙力など無駄でしかない。

 大事な事は相手の語彙力のレベルを知ることである。そういった意味においては語彙力が高いというのは利点である。が、語彙力が高いと評価する人間はそれ以上の語彙力を持っている人間しかいない。語彙力の低い人間には言葉が通じないのだから。ひどい場合には、というかよくあるケースでは馬鹿にされるのがオチである。なんか気取った意味不明な言葉を言っているという扱いである。あ、通じないやと思った時点で語彙力は封印しとくのが吉である。ちなみに私の経験では一か月ほど意味不明な言葉を使ったと笑いのネタにされた。以後その相手には難しい言葉や洒落た言い回しは使わないように注意した。

 語彙力を測るうえで結構便利なのは新聞についてくるパズルである。小さな新聞だと問題として成立していないものが多いのでできるだけ大きな新聞のものだ。これが平気で解ける程度の能力があればまず困らない。

 言葉というのは「伝える」ことが一番大切なことであって、自分の語彙力を誇るものではない。分かる相手にだけ符丁のようにして使うのが賢いやり口である。相手が上の立場の人間の場合は特に。その場合は周りが馬鹿にしても分かる人には分かるので評価される。大切なのは「語彙力を磨く」ことでなく、「語彙力を利用していかに伝えるか」である。まあそれとなく「自分をアピール」するのには結構便利である。あくまで「相手が分かる範囲」で使用する分にはだが。

 あと語彙力が最も必要になるのは「言う」ときではなく「聞く」ときである。相手の微妙なニュアンスをしっかりと見極めること。それが大事である。そういった意味では普段使っている母国語よりも外国語の語彙力の方が大事といえるだろう。文化の違いはそのままニュアンスの違いに反映される。単純な訳では現れてこない相手の微妙な心情をくみ取るには外国語の語彙の多さが大切になってくる。

 言葉とはげに難しきものである。それは言葉を介して他人と繋がるからだ。他人に正確に伝えること、他人の伝えたいことを正確に読み取ること。言うは易し行うは難し。語彙力という一単語の幻に振り回されてはまさに「語彙力がない」というものである。

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