20180507.決戦算術と1+4=10
ツイッターで面白い意見を見つけた。
当時の新聞の記事で東條氏が開戦にあたり1+4=80にするのが決戦算術だというものだ。ないない尽くめで考え込んでいては1+4=5のままで誰にでもできる簡単な計算。これを10にも20にも80にもしていくのが日本精神だというものだ。と発言したというものだ。
東條氏は大っ嫌いだがこの考え方には同意する。
まあ無茶言っているのは否定しない。ただこれがブラック企業の精神だというとそれは違うと思う。
あれがない、これがない。そうやって「出来ない理由」を挙げるのは誰にでもできるし簡単な事だ。そしてあらゆる場面において「できない」と判を押す材料になるのが「~がない」という言葉だ。
あれがない、これがない。で終わらず、あれがないならこうしよう。これがないならこうしよう。あるものを利用して利用しつくして一見して実現不可能なことを実現する。それが知恵と工夫であり、ないないと言っているのは何も考えず機械的に作業しているのと変わらない。
少なくとも研究者はこういう考えでないとやっていけない。~が常識という枠を壊す事。手持ちのものだけでそれをいかに工夫して生かすか考える事。無理だと分かってやるでなく一見無理な事に知恵で「筋道」を描く。筋道を立てず走らすのがブラック企業だと思う。そう何も考えずに。
さすがに80は筋道が立たないと思う。では1+4=80でなく1+4=10ならどうだろうか。普通の尺度では1+4=5しかないものを「1+4=10」にする。これは五進法の世界で成立する。それが知恵や工夫。筋道や勝算の立て方。そもそも現実で1+4を5にするのは難しい。ロスが発生し消失する。理屈通りいかない。それを無視した発想もまたブラック企業の発想なのだと思うのだ。
何も考えないままただどうにかしろ。機械的にあれしろこれしろ、それが無茶無謀である。自分の手札を考えたうえで知恵と工夫をもって「成功する道」を描き実現に向けて鋭意努力する。それは果たして無茶無謀なのだろうか。それを挑戦というのではなかろうか。
考えずに突っ走ることと考えて挑戦することを混同してはいけないと思う。
ポーカーにおいてはブタの手札でもフォーカードに勝つことだってできるのだ。