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20180423.暑い春である

 暑い。暑い。暑い。と口に出してみても涼しくはならない。ただ口に出さずにうーうー唸るよりはまだましか。

 気分は夏である。平年と比べて高いという警戒情報が出ているが一方で気温差が激しい。冬でも夏でもない。ならばやはり季節は冬から夏へ移り変わろうとしている春なのであろう。

 桜はさっと咲いてさっと散った。これを異常だと考えることもできるが、侘び寂びと捉えて風流と考えるのもありだろう。

 春夏秋冬、四季とするが、季の禾とは稲のこと。気温ではない。植物だ。今の暦は汎用性を求めて実のところ動植物など昔の暦が大切にしたものを置いてきた。それは人間の社会の変化もある。そうして忘れ去られたのが本当の季節感なのだと思う。月や風や動植物を感じる風情。それが季節。

 平年というが結局のところ数十年の蓄積でしかない。私達の感じるものに比べて地球の動きというものは比べ物にならないほど大きい。気候は地球の動き。移ろいゆくのが当然なのである。事実、平安時代などと今では気象環境が異なっている。

 今年は暑い。来年はどうだろう。暑くなっていくのか。今年が暑いだけなのか。今が暑くて、では夏になったらどうなるのか。結局のところ人間とは小さなものである。地球には勝てないし、そもそも勝負をすべきでない。

 怖いのは平気で地球のエネルギーを奪っていることである。再生可能とうたっている風力や太陽光や地熱。これらは地球を循環しているエネルギーだ。フロンの発明は当時広く認められ広がり活用された。だが後にオゾンホールという問題がわかり消えて行った。産業革命前後による二酸化炭素濃度の急上昇を温暖化としてとりあえげている。過去にこれは平気としたもので広げて後で問題と化した物はたくさん存在する。クリーンなエネルギーが本当にクリーンなのか。地球に与える影響を私たちはその時になるまで知ることができない。

 今が異常か正常かなど人間の秤と地球の秤ではまったく違うこともありえる。暑い暑いと言って、春がない夏だ季節感がないというのは違うのだと思う。今年の春は暑い。人間にいえるのはただそれだけなのだろう。

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