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彼女までの体験談  作者: 前田俊介
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一章 カルパッチョ

 これから語るのは突然霊能力に目覚めた青年が高校生の頃に死別した彼女と、いわゆる本当に最後の会話を交わすまでの間に出会った不思議な人たちとの体験談である――。




 麦酒は空になっていた。

 暮れなずむ夕陽に子どもの影はなく、公園のベンチに一人佇むサラリーマンというシチュエーションは昔何かで読んだ漫画に影響されてのことかもしれない。

 あの漫画の名前は……確かそう、「めぞん〇刻」だ。あのシーンの詳細は思い出せないが、読んでいて何とも言えない気持ちになった記憶がある。

 当時、俺の周りには世間で言うところのオタクばっかりだったからアニメや漫画の話題を常に欠くことはなくて、放課後はいつもみんなでゲラゲラ笑っていたっけ……なんて、少しセンチメンタルだろうか?

 どうも気分が金木犀を嗅いだような、まるで拍手後の静寂みたいな切なさに覆われているのはたぶん、もうすぐ俺が父親になるせいだろう。

 父親。文字通り親になるという意味のそれは今まで無責任だった俺を一気に不安にさせた。こんなに適当に生きている人間がどうやって家族を養い支えていけばいいというのか。

 俺はレジ袋からもう一本麦酒を開ける。プシュッという質量の無い音にごくごくと喉を鳴らし、大して好きでもない液体を無理やり胃に流し込む。

 それに、もしも万由美が死んでしまったら……。

 出産は体力の消耗が非常に激しく、身体の弱い彼女にとっては負担になることは相違ない。医者によれば昔よりも技術が向上しているから死ぬことはまずないと暢気に髭を弄っていたが、俺は彼のことなど、いや、医者という職業そのものを信用していなかったので、別段当面の問題が解決されたというわけではない。ここまで俺が死というものに対して神経質になるのは恐らく、最近俺に霊能力が芽生えたことが関係しているのだろう。

 渋谷のスクランブル交差点で突然目覚めたその能力は従来のそれとは勝手が違っており、例を見るには相手の名前を呼びどこで会うかを事前に約束する必要があった。

 正直、女子とのデートみたいですごく使いづらい。しかも、霊という定義が「生きている人間以外」という非常にあやふやなものなので、試しに「ポチーっ!」と大声で叫んでみたら見知らぬチワワ(霊)にトイレでお尻を噛まれたりする。大変危険な能力であるのは自明であろう。

 だが、俺がこうして万由美の看病を母親に任せて公園にやって来たのはまさにその能力のせいであった。

 俺にはこれから会わなければいけない人がいる。

 そいつは小柄で垂れ目で常に頭に変な寝ぐせがあって、随分ずぼらな性格をしたやつで、兼か早くて手に負えなくて、それで……俺の最初の彼女だった。

 二条ゆき。

 ややあって高校で死別してからは何の音沙汰もなく、俺とゆきの間にはおよそ十二年のブランクが存在している。

 だから、今の俺をあいつは知らないし、あいつの今を俺は知らない。

 なんだか怪文書みたいな言い回しになってしまったが、要はこういうことだ。

 また会えるなんて思わなかった。

 霊能力を得てからヘンテコな場面によく遭遇するようになったが、それらをまとめて帳消しにしてしまうほど、あいつとの再会はずっと焦がれてきたことであり、絶対に叶わないはずの願いだった。しかし、一体どんな力学が作用したのか、俺はもう一度あいつに会えるという。

 胸中は喜びと緊張でいっぱいだし、何から話せばいいのかと考え始めると、まるで煙草の煙にライトを当てたようにして万由美の顔が脳裏にぼんやりと浮かびあがった。

 そこでようやく俺は人生が巻き戻し昨日の無い壊れたビデオカメラのようなものだと悟るのである。

自分の気持ちにはとっくの昔に整理がついているはずなのに、なぜ! なぜ今このタイミングで!

 神さまはこの世にはいない。

 だとしたら、俺はきっと理不尽という運命に振り回されているのだろう。抗う術などなく、無抵抗のまま拳銃で急所を撃ち抜かれていくような感覚が胸の奥をぎゅうぎゅう締め付けてくる。鈍い痛みが寂寥感となって天災のように押し寄せてくる。

 俺はたまらなくなって思わず麦酒で額をおさえた。

 すると、ふと空いた方の手に正体不明の生温かい物体が重ねられていることに気が付いた

「……ゼリー?」

 ぬるぬるとしていて艶とハリのあるそれは人の手というよりかはタコの足に近く、まるで石を持って独りでに動いているようにも見える。

例えるならそう、触手。

どこに繋がっているのかと恐る恐る目で辿っていくと、

「あ」

「あ」

といった具合に不意にタコ型火星人と視線がぶつかった。

「後藤さんじゃないですか!」

「どうも」

俺が挨拶すると後藤さんはシュルシュルと器用に触手をあげてみせた。

相変わらずお茶目な人だ。

「死んでいるのかと思って脈を図らせてもらったよ」

「なるほど。それはご心配をおかけしました」

後藤さんとは先週ショッピングモールで知り合った。宝くじ売り場がどこにあるのかわからないというから一緒に連れていってあげたのが縁である。

彼の見た目について全く驚かないのはそういった事情からだった。

「悩みを抱えているね」と後藤さんはイカリングのような口をパクパクさせた。

「それも重要な悩みだ。麦酒、いただいてもいいかな?」

「どうぞ。たくさんありますから」

俺は麦酒を一本手渡した。

辺りは未だ橙色に染まっている。

「ありがとう。篠原くんは今、何歳だっけ?」

「今年で二十七歳になります。全然ペーペーですよ。毎日苦労してます」

「苦労したぶんだけ人は楽できる。次からは苦労しないように上手く立ち回れるからね。君はきっと立派な中年になれるよ。僕とは違ってね」

「また奥さんと喧嘩されたんですか?」

「篠原くん。君は絶対にギャンブルに手を出してはいけないよ。息子にも馬鹿にされるような父親になってしまうからね。万由美さんは元気かい?」

「ええ。おかげさまで。教えていただいた料理がとっても気に入っているようでよく食べてます」

「あれは一子相伝の秘密のレシピだからね。本当の作り方はトルコアイスみたいに火星人しか知らないのさ。だから仕事を辞めたくなったらぜひ店を構えるといい。僕はね、君たちの幸せを心から願っているんだ」

「ありがたいことです。でもどうしてそんなに俺たちに親切にしてくださるんですか?」

「……」

 後藤さんはつぶらな瞳を遠くに向けた。空には一番星がうっすらと滲んでおり、飛行機とおぼしき小さな光が雲の中に吸い込まれていく。

「実はあれから色々あって妻に家を追い出されてね。今は放浪の旅をしてる。船に乗って実家に帰ってもいいんだけど、ここにはたくさん思い出があるからね。君たちを見ているとつい昔の僕たちの姿を重ねてしまうんだ。お節介を焼きたくなるのはそのせいだよ」

「お節介だなんて、そんな。後藤さんは優しい人ですよ。ただちょっとギャンブルが好きなだけです」

「好きすぎて家庭をないがしろにしてしまったけどね。情けない話だよ。仕事を辞めて遊び呆けているなんて。妻にも息子にも愛想を尽かされたし、僕にはもう毒を飲む道しか残されていないんだろう」

「いいえ、そう思うのはたぶん……後藤さんがちゃんと生きているからですよ。この間、僕亜は自殺した霊に会ったんですが、彼はこんなことを話してくれたんです。「「今になってみれば本当に死にたい人間は死について考えたりしない。なぜなら考える前に死んでしまうからだ」って。どこかで聞き覚えのある文句ですが、彼は後悔していましたよ。一時の勢いに任せて自ら死を選んでしまったことを。「もう少し道を模索して生きてみればよかった。そうすれば必ず上手くいくとは限らないけど、死んでから後悔することはなかった」って。僕もそう思います。だから後藤さん。そんな悲観的にならないでください。僕はまた僕の周りで誰かが死ぬのはごめんです。だってそれはとても辛いことですから」

 カァカァとカラスが鳴いている。しばらく後藤さんは黙ったままでただ麦酒をちびちび舐めていた。何を考えているかはわからない。だけど物事はきっと良い方向に向かってくれるはずだと俺は信じた。

 びゅうという風切り音が首筋を通り過ぎる。

 風は冷気を孕んでおり、もうじき冬になるのだろう。公園に植えられた木々は葉を散らしながら遊具にパラパラと落ちていく。

「お店、やってみたらどうですか」と俺は言った。

「え……?」

「お店ですよ。さっき後藤さんがおっしゃってたじゃないですか。「仕事を辞めたくなったらぜひ店を構えるといい」って。あの料理でお店を出すんです。俺にも手伝えることがあるなら、手伝いますから」

「お店か……。でも、始めるには資金がいる。恥ずかしながら僕は一文無しだ。いくらか借金もあるし、とてもじゃないが開店なんてできそうにないよ」

「だったら俺が……ふが」

 出す。と開けかけた口ににゅっと触手が差し込まれる。後藤さんは首を横に振っていた。

「ありがとう。でも、その気持ちだけで十分だよ。嬉しかった。僕には誇れるものなんて何もないけど、今ようやく見つけたよ。君というかげがえのない友人だ。だから君に迷惑をかけることはできない。……そろそろ行くよ。実家に帰って親孝行することにしたんだ。何年かかるかわからないけど、この恩は絶対に返す。また会おう友人! 君に出会えて僕は救われたよ」

「ふ、ふがふが……!」

 待ってください! 俺は触手を引っこ抜いて後藤さんを引き留めようとした。しかし、絶妙な力加減でそれは阻まれる。

「ふが……!」

 俺がこのまま次第に遠くなる彼のシルエットを眺めているしかないかと諦めかけたその時、

「お父さん!」

 と、視界の端に小さなタコの姿を捉えた。

「待ってお義父さん!」

「み、みちる! どうしてここに!?」

 後藤さんは自分の息子の登場に酷く驚いたのかイカリングのような目を大きく見開く。夕日を背景にタコのシルエットが二つ重なっていた。

 息子を抱きしめる触手に力が入る。

「ずっと探してたんだお父さんのこと。お母さんと一緒に」

「お、お母さんと……?」

「うん! ほら!」

 みちるの視線の先、そこには滑り台に寄りかかるようにして、絶世の美女が立っていた。おかっぱ頭の木村〇エラみたいな風貌をした女性である。

「バーカ! 私がギャンブルぐらいであんたのこと嫌いになるかよ!」

 彼女は言うだけ言ってぷいっとそっぽを向いた。もしかしたら照れくさいのかもしれない。しかし、その言葉は後藤さんに涙を流させる理由としては十分であった。

「お、おまえ……」

 つぶらな瞳からぽろぽろ零れていく金剛の露。抱きしめたみちるの頬を伝って「くすぐったいよお父さん」なんていう笑う様はまさに親子だった。

「い、いいのか。僕なんかで……。こんな、こんなダメなお父さんなのに……!」

「いいんだよ! そりゃ休日はギャンブルしないで遊びに連れていってほしいなとか仕事しなくていいのかなとか思うけど、でも、それでも大好きなお父さんだもん! ぼくのお父さんはお父さんだけだもん! だからここからまた始めよ? ね、お父さん」

「ああ、ああ……。そうだな、ああ。もちろんだ……」

 後藤さんはみちるを抱きかかえ俺の方を振り返った。

「篠原くん。こんなことってあるんだね。人生ってわからないもんだね」

「そうですよ。そうに決まってます」

 俺は手の甲で涙を拭い笑った。

 後藤さんも笑った。

「さ、帰るよ」

 奥さんがぱちんと指を鳴らすと三人乗りの小さな宇宙船が公園の真ん中に出現した。

「じゃーねー! お兄さん!」

 ぶんぶん手を振るみちるくんに俺は手を振り返す。

「今度万由美さんと……それから君たちの赤ちゃんと一緒に家に遊びに来てよ。その時は僕の自慢の料理でおもてなしするからさ」

「カルパッチョですか?」

「そう、カルパッチョ!」

 俺は三人を乗せた宇宙船が空に飛んでいくのを笑顔で見送った。

 待ち人はまだ来ない。

 だが、これはこれでいいかなと俺はさらにもう一本麦酒を開けたのだった。

 これが一つ目の――彼女までの体験談である。


元々は「初恋のやり直し」をテーマに何か物語を書こうと思っていたのですが、青臭いのを重々承知で「人生」をテーマに描かせていただきました。上手く描けているのかは正直よくわからないですけれど、何か感じていただければ幸いです。読了、ありがとうございました。

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