信長と光秀
「あんさんら、ゲームでもしてるつもりやないやろうな。人が死んだはるんやで、怪我したはるんやで。誰かがそう仕組んでるのやったら、止めささなあかん。もし、あの世のモノを使うてるのやったら、先にお清めでもするんが筋ちがいますの。次ぎ狙われるんは、お婆さんかもしれへん、息子さんかもしれへん、お爺さんかもしれんやないか」
彼女は祖父に向かって指をつきつけた。
「たしかに、自然に衰えるんやったらかまへん。うちらが気ぃ揉むことなんかあれへん。しやけど、理由もわからんまま殺されるの、あんさんは誰より知ってるはずや。そのお人が無責任すぎまへんか」
こんどは私に指がつきつけられた。その指がすぐ目の前に迫ってくるような気迫がある。普段の百合とは全く別人格のような厳しさが眼光にも表れていた。養子縁組は体質や考え方に影響を及ぼすと百合が言ったような記憶があるが、そうすると九条彦子の考え方が前面に押し出されているのだろうか。たしか彦子は内裏女房だったとか。そうすれば筋の通らない考えに反発するとも考えられる。とはいえ、指を突きつけられて私は言葉を失った。
「あんさんも、仮にも天下取ったんどすやろ。こういう時にはどうするて、考えはおへんのか? それともなんどすか、攻めるのんは得手やけど、護りは赤子みたいなもんということどすか?」
百合は信長にも指を突きつけた。鼻白んだ信長が扇子でそれを払いのけると、百合は再び突き付けた。
「其の方、無礼にも程があろう。この儂に指を突きつけるとはどういう了見か。遺恨あってのことか」
信長は、大音声とともに立ち上がって百合を睨みつけた。
「……なにしてんの。話をしてんにゃろ、言いたいことがあんのやったら口で言いなはい。その前に座んなはい。……早ぅ座りぃな。…………座わらんかいな」
百合が畳を思い切り叩くと、その剣幕に圧倒されたのか、信長は決まり悪そうに腰をおろした。
「信勝、この女子は何者か」
座るときに信長は百合と正対しないよう向きを変えた。そして小声で百合の正体を知ろうとする。
「鳥羽天皇の内裏女房だったそうですから、内裏を取り仕切る人だったみたいです」
「鳥羽天皇……また、恐ろしく古い話だのう」
チラチラと様子を窺っては視線を逸らす。そりゃあ、千年ほど昔の人だから古くて当たり前だが、そういう信長だって五百年ほど昔の人だ。古いということでは大差ない。それにしても、そうして驚いたりする仕草が悪戯坊主のようで、とても愛嬌がある。
「信長はん、いつまで逃げてますの。ちゃんと目ぇ見て話しまひょ。守りは苦手いうことどすか?」
痺れを切らした百合がたたみ掛けると、信長は一瞬ビクンとなった。
「実をいうと、その通りだ。負けて逃げる戦も少なくはない。寄せておるときはともかく、守りに立たされるといかん。無駄な人死には避けるが常道。尻尾を巻いて逃げるが得策よ」
ぷいとソッポをむいて呟いた信長だが、なにごとか考えるように口を噤んだ。
視線を落として固まっていた信長が、ニヤッとしてある男の名を口にした。
「小勢ながら守りに強い、しかも策士といえば真田。たしかさきほど、あの者を誰ぞの寄り親にしたようだが」
ぶつぶつ呟きながら視線を百合に向けた。
「真田をこの場に呼び出せば、なんぞ策があるやもしれん。ほかには……日向がおれば心強いのだが、おらぬ者を望んでも是非もないことであるな」
「真田さんを呼び出せば、えぇ知恵が借りられますか?」
間髪を入れずに百合は聞き返した。胸を反らし気味、背の低いくせに、上から見下ろすような姿勢でいる。これは、百合がそうしているのか、それとも九条彦子がそうさせているのか判断に困る。が、とにかく、あくまで尊大な姿勢を崩すまいという気持ちの表れなのだろう。だからか、信長は少年のように素直に返事をした。
「大国に挟まれた小国を守り抜いた男だからな、そこそこ知恵がまわるはずだ」
「なら、日向いうのは?」
真田については納得したのだろう。しかし、だからどうだということには一切触れず、百合は信長が口にした別の人物のことを訊ねた。
「日向は日向ではないか。光秀の他におるまいが」
むっとしたように信長が言い捨てた名を聞いて、一座が静まった。それはそうだ、彼がいう光秀というのは、明智光秀のことを指すと思うからだ。
それにしても、光秀は自分を暗殺した相手であるはずだ。憎いだろう、切り刻んでやりたいだろう、それがどうして、光秀のことを頼りになる男だと断言できるのだろう。そう思ったのは私だけではあるまい。おそらく一座の者はみな同じように考えたのではなかろうか。
「光秀というのは、明智光秀のことですか?」
思わず私は口走った。もし光秀が現れたとして、ここで乱闘でもおこされたらかなわない。
「ほかに光秀という者がおるのか? 儂は明智の光秀より知らぬが」
本心なのか芝居なのか、信長はわけがわからんとでも言いたげに私を見た。
「ちょっと待ってくださいよ、あの明智光秀なのですか? 本当に間違いないのですね?だけどなぁ、そんな人を呼び出したら大騒ぎになるにきまってますよ。だって、選りにも選って信長さんを殺した相手ではないですか。それとも、もう恨みは晴れたとでも?」
誰だってそう思わないだろうか。死んだ後に恨みつらみが泡のように消え去ったとはいえ、自分の仇敵が目の前の現れたら平静でいられるだろうか。。だが信長は、私の顔をまじまじと見つめて感心したように目を細め、暫くして高笑いを始めた。
「これはなんと、儂もずいぶん歌舞いたものだが、其の方も達者だのう。光秀が儂を殺したと申すか、これはまた面白いことだ」
さも愉快そうに笑いながら言うものだから切れぎれだが、信長は私が言ったことを冗談だと受けとめたようだ。だが、皆がみな真面目な顔で信長に注目しているものだから、高笑いが乾いたものになり、力なく止んだ。
「其の方ら、正気か。儂が光秀に討たれただと? そのようなこと、あるはずがなかろうが。光秀は儂の片腕ぞ、だからこそ、近江から丹波にかけてを任せておった」
冗談を言っているようには見えない。むしろ、我々が嘘をついているとでも言いたげだったが、暫くしてあ奴めの仕業かと呟いた。あ奴とは誰を指すのか知りたいと思ったが、私は知っているかぎり、信長と光秀の確執を確かめることにした。
「詳しくは知らないのですが、明智光秀は織田の家臣としては新参ではなかったですか?」
信長と光秀との出会いは、信長が美濃を平定した直後ではなかったか。だとすれば家臣団の中で最も新参者のはずだ。
「いかにも。将軍義輝が三好や松永に討たれると、仏門にあった弟の義昭が自分を将軍の座に据えよと方々の大名に頼ったのよ。したが、一口に上洛と申すが、遊山旅ではない。立ちふさがる大名を滅ぼすだけの力量がのうては適わぬ。やむなく越前の武田を頼り、朝倉を頼りおった。だが、頼った先はいっこうに腰を上げぬゆえ、儂にも声がかかった。儂に声をかけてきたのは、まだ美濃を平定する前が初めてで、平定し終えてから二度目の声が掛かった。そのおりの使者が光秀であった」
意外にも信長は淀みなく過去のことを覚えているようで、更に続けた。
「話してみるとこの男、なかなかに聡い。恥ずかしいことだが、儂の家臣には知恵者がおらぬでのう、なんとしても家臣に迎えたいと思ぅたのだ。そこで、上洛を果たす代わりに儂の家臣として務めよと条件を出したところ、義昭の奴、それを請けおったわ」
信長にとってそれは、万の兵を得るよりも嬉しい出来事だったようで、話す間に頬が弛むのがよくわかった。
永禄の十一年に信長は約束通り上洛を果たし、義昭を将軍の座につけた。翌年早々に三好三人衆が義昭の宿所を襲った。これを防いだ光秀を、それから暫くして京都の奉行職に就けた。信長の家臣に足りないもの。それは朝廷や公家との折衝能力で、義昭の家臣でもある光秀の右に出る者はいない。木下秀吉には洛外の治安維持を、丹羽長秀には京の内政を、そして中川重政には洛内の治安維持を受け持たせた。そのとき、秀吉が陰に隠れて公家衆に接触を図っている。京と清洲とを忙しく行き来していた信長の留守を狙ったようで、信長は出すぎたことを苦々しく感じていた。
信長の背後を衝く動きをみせた朝倉を討つべく軍を進めると、浅井勢が背後を急襲してきた。信長は総退却を決断し、秀吉に殿軍をまかせて僅かな供回りとともに京へ逃げ帰った。無事に務めを果たした秀吉が己の功績を声高に吹聴することも信長の神経を逆なでした。撤退を成功させたのは光秀と秀吉の力闘なくてはなかっただろう。しかし、池田勝正の統率力があってこそだ。それに、身分からして農民出身の秀吉が出しゃばるべきではない。なのに秀吉は自分の手柄だと言いたてた。その完璧な負け戦を悟られまいと心をくだいているだけに、苦々しいことだった。
すぐさま国元へ取って返した信長は、軍勢を整えるや浅井討伐にむかった。後の世に伝わる姉川の合戦で、そのとき光秀は従軍していない。
「その戦で奇妙なことがおこったのだ」
信長はちょっとだけ口をつぐんで皆を見回した。
「儂は柴田勝家に命じて小谷城下を焼き打ちさせ、儂自身は横山城を包囲したのだが、勝家を総大将にしたにもかかわらず、諸将の動きを秀吉めが知っておったことがわかった。小憎いことに、横山城を包囲しておった佐久間盛信や、安藤守就の動きも知っておった。しかもだ、徳川配下の武将の動きも知っておった。儂は後になってそれを知ったのだが、急に信用できぬようになったのだ」
そこで信長は、論功の名目で秀吉を横山城の城主に任命し、自由に動くことを制限したのだが、大人しくなるばかりか、かえってコソコソとするようになってしまった。
呼び出して叱りつけようとしていた矢先のこと、戦に負けて閉じ篭っていた朝倉と浅井が本願寺に泣きつき、本願寺が後押しを承知したことが伝わってきた。信長としては、敵対しない限り無駄な殺戮など望んではいないので、光秀に交渉させたのだった。上手くまとまりかけていたそのとき、本願寺側がおかしな言いがかりをつけてきた。最初から約定など守る気などなく、武装解除をしてうえで支配するつもりだというのだ。更に、そのために光秀を城主にすることが決まっていると。
そんなことなど毛の先ほども考えていなかった信長は途方にくれた。なんとかして自分の誠意を汲み取ってもらわねば戦になる。だから信長は、所領安堵の加え、加領の安堵状まで書いた。しかし交渉は膠着状態になり、長島で一揆が起こった。
長島は低湿な土地だから、周囲を囲んで交通を遮断すればいずれ収まる。そう考えた信長は、息子信雄を大将に、鎮圧軍を出した。ところが信雄は、弱ってしまった一揆勢に総攻撃をかけたのだ。飢えて死ぬか衝かれて死ぬか。目の前に死しかぶらさがっていない一揆勢は、それこそ死に物狂いの反撃をし、信雄自身が危うくなった。
それで本願寺との交渉は決裂してしまった。手を出すなとあれほど言っておいたのにと、信長は猛り狂った。
信雄を責め問いした信長は、小姓のそそのかしに乗ってしまったと重い口を開いた。すぐさま小姓を捕えさせた信長は、それが秀吉から送り込まれた者だと知った。
信長の呼びつけられた秀吉は、自分のたくらみが露見したことを悟り、庭先で這いつくばった。一言も弁解せず、ただお赦しくださいとばかり言った。
今にして思う。信雄と小姓を叡山へ連れて行き、その場で首を撥ねればよかったと。
そうすれば本願時衆をあれほど頑なにさせずにすんだのではないか。
残された道は力と力のぶつけ合い。とはいえ、女子供を巻き添えにする必要はまったくない。せめて弱き者は救いたいと最後の申し入れをしたにもかかわらず、本願寺衆はきっぱりと拒絶した。
叡山総攻撃を決めた信長は諸将を集め、叡山を完全制圧するよう命じた。そのとき、抵抗できない者は無理をして痛めつけないよう念を押し、手向かう者には容赦するなとも言った。
ところがいざ攻撃を始めると、あちこちで根切りだと喚きがあがり、瞬く間に伝播した。
その声を最初に上げたのは秀吉の隊であったことを光秀はその耳で聞いた。武器を持たない者はもとより、女子供や幼児まで血にまみれるのをその目で見た。
秀吉は明らかに主君の命を逸脱している。主君の前では従順をよそおいながら、勝手なことを始めている。
やがて火が放たれ、叡山は阿鼻叫喚のるつぼと化した。
多くの投降者や非戦闘員を抱えた光秀は、それを後送し、保護するのに人手を割かれ、死に物狂いで討ちかかってくる敵を討たねばならず、とても他隊への目配りができなくなった。
自分の指示が徹底していなかったことを信長が知ったのは、すべてが終わってからだった。
そのときも断固とした措置を信長は躊躇った。迂闊なことをすれば秀吉が益々離反するとの不安もあったからだが、秀吉は調略に長けていたから、それを失いたくはなかったのだ。
そして武田が南下し、長篠城が包囲されたと報せが入った。
長島一揆の起きる少し前から、信長は自領内の街道整備を始めていた。道幅を広げ、うねった道をまっすぐにし、できるかぎり勾配を緩くした。程よいところに茶店をおいて移動の便を図る。それにより治安が良くなり人の往来が活発になると、それだけで富を生んだ。その道は、徳川領にまで及んだ。
賛否両論あるなかで断行した道普請により、長篠城の救援に成功し、そのまま設楽ケ原に軍を進めた。
見通しの利かない地形を利用し、何重もの土塁や馬防柵で敵の力を減殺させ、鉄砲で勝敗を決しようという策だ。そのために十四にもおよぶ攻め口に諸将を配置した。
このとき、光秀も参陣している。
軍議の席で光秀は槍隊の指揮を申し出た。それも僅か二百と微々たるもので良いと言ってのけた。
信長の家臣には智謀を巡らす者がいなかったので、戦の仕方はすべて信長が采配を揮っていたということだが、その中で光秀の隊は異彩を放っていた。
彼は、馬防柵を二重に備えさせ、柵の後に土塁を築いた。その土塁から次の柵までの間に溝を掘り、そこに水を引き込むと、そこへ掘った土を放り込んだ。つまり泥田にしてしまったのだ。泥田を這い出したら柵がある。そこを乗り越えると土塁。土塁を駆け上がったら、更に泥田があるという具合で、敵の足を止めようということだ。一方で、一箇所だけは突入口を残してある。
幅一間ほどの突入口の先は、柵が切り取ってあった。
彼は、僅か百ばかりの兵を四隊に分けた。まず、敵を誘い込む前衛に二十、侵入した敵を側面から攻撃する伏兵をそれぞれ十。敵の背後を衝く隊に十、そして新たな敵を食い止める後詰に三十。柵の守りに六十、残りは交替要員である。
闘いが始まると、切り取られた柵に誘われるように敵が突っかけてくる。しかし馬防柵や泥田に遮られて、自然と縦に伸びてしまう。
前衛が突っかけるふりをして柵の内側へ後退すると、敵は誘われるように突入してきた。五人か、多くて十人が侵入したところで後詰が後続の侵入を阻止して、誘いこんだ兵を串刺しにするという戦法だ。織田自慢の長柄の槍は敵の抵抗をものともせず繰り出され、味方の兵を損ずることなく確実に敵を仕留めていった。頭立つ者を仕留めると敵が浮き足立つ。
信長は、高みから全体を見渡しながら、その戦法に驚いていた。わざと自陣に敵を誘いこむ戦法など、家臣の誰もしたことがなかったからだ。
浅井に背後を衝かれたときも木下藤吉郎を殿にしたのだが、その更に後詰を受け持ったのも光秀だった。
光秀は、なるべく夫丸を使わず、戦闘要員は専属の役目としている信長の手法を高く評価し、だからこそ機動力に富み、戦法の変更にも柔軟に対応できると言った。そんな光秀を信長が放っておくはずがなかった。
ところで、美濃を平定したあたりから藤吉郎の態度が鼻につくようになってもいた。
しがない土民から侍大将にまで登りつめた藤吉郎は、小才が利いた。雑用を厭わず、小利口に立ち回ることで調略をさせるのに便利だったのだが、武家の出でないことに負い目が強く、ことさら自分の手柄を吹聴し、他人の手柄をも自分のものにすることが目についた。それを叱りつけると、こんどは銭で手柄を買い取ることさえした。一方で、家臣も家来を養うために銭が必要で、些細なことであれば銭に替えようという気になったのだろう。が、そうして徐々に実績を積むうちに藤吉郎も家臣団の末席につらなることになった。
やがて秀吉と名を改め、後に羽柴を名乗った。
そこまで黙って信長の話を聞いていたのだが、なかなか肝心なところに話が進まないので、私は確かめたいことを直接訊ねてみることにした。
「話の途中で腰を折るようですが、私たちは歴史の授業でこう習いました。百名ばかりの近習をしたがえて本能寺に投宿しているとき、明智光秀が謀反をおこしたと。そこであなたは討たれてしまったと。本当はどうだったのですか?」
すると信長は目をひん剥いて癇癪をおこしたようだった。が、暫くして気持ちが鎮まったのか続きを始めた。
「これから肝心なところを話すのでないか。相手の話は黙って聞くものだ」
すっかり冷めてしまった茶を一口ふくむと、続きを語りだした。
「上洛を果たした頃からであろうか、藤吉郎はそれぞれの武将に小者を差し出すようになった。なかなか目端の利く者を送りこまれて不満を申す者はおらなんだのだが、奇妙なことに、藤吉郎は武将たちの内緒事に詳しくなった。それゆえ、少しばかり藤吉郎が出すぎたことを申しても咎めだてする者がおらぬようになったのだ。すると益々図に乗りおって、儂の近習にと何人か寄越しおった」
そう語る信長は苦々しげだ。無理もない、藤吉郎は家臣団だけでは飽き足らず、主君の近習にまで間者を差し向けてきたのだ。そうなると、全く信用できなくなっていた。
戦が始まると、使い番が駆け回るものだが、どういうわけか秀吉の陣に駆け込む者が多いことに気がついた。一旦は自陣へ戻ってゆくのだが、暫くするとそれが秀吉の陣に駆け込むのだ。これでは大将が誰なのかわからなくなる。なるべく遠ざけねばと信長は思った。
秀吉を遠ざけるための芝居を始めたのは、丹波制圧からだ。
光秀に与えた所領を召し上げ、丹波制圧を命じた。いくら切り取り次第だと言われても、これまで腐心した国を召し上げられるということは、それなりの落ち度があると誰しも思うであろう。光秀の心中を慮れば、主君に対する不満がつのるはずだ。となれば、信長と光秀の仲は悪いと考えるだろう。
しかしそれだけでは安心できず、信長は甲州征伐で光秀に酷い仕打ちをした。
武士の面体に傷をつけられては面目が丸つぶれ。光秀の離反を強く印象づけられた。
その後、信長は毛利を攻め倦んでいる秀吉に援軍を差し向けることにした。
実は、信長と光秀は秀吉の本心を探るための大芝居をうつことにしたのだ。
まずは、秀吉から送り込まれた小姓を排除しなければこちらの考えていることが筒抜けになってしまう。だからといって、ただ追放したのでは秀吉に怪しまれるので、気の毒だが誅殺する必要があった。それに、町衆の中にも秀吉の間者が紛れこんでいるだろうから、その目を欺く必要もあった。
亀山城を発った光秀軍は、老の坂で京へと向きを転換。本能寺を取り囲んだ。
「惟任日向守光秀、奸族を誅す!」
怒鳴り声がして、寺は騒然となった。とはいえ、殿居を命じたのは秀吉から送りこまれた小姓ばかり。余の者には光秀の軍に紛れ込むように命じてあった。
やがて攻撃が始まると小姓どもは討ち死にをしたのだが、町衆の目を欺くために寺を焼いた。
「嘘も隠しもない、これが本能寺の出来事だ」
信長は、そう言って一同を見回した。