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廃れる商店街

 実乃莉の祖父が店を構える商店街も行き交う人が少ない。真夏の昼下がりなど好んで出歩く時間帯ではないだろうから当たり前かもしれないが、ポツンポツンとシャッターを下ろしたままのところがあった。アーケードがあって雨風を気にせず買い物ができるのだから、もう少し賑やかでも良さそうな環境が整備されているのにだ。

 都市部から順に地方へと大型店舗が進出するようになったとはいえ、はたしてそれは住民にとって手放しで歓迎することだろうか。半生を自動車販売に捧げてきた自分でさえ、駐車場を確保できないからバスや電車に頼っているのが現実だ。気軽に買い物に行けないような場所に大きな施設ができたところで意味がないではないか。むしろ、商店街のほうが生活に密着している。数少ない客を奪い合う結果が、シャッターを開けない店ということか。便利さの代償として、選んで買う楽しさを奪われているのだなと思う。


 祖父の店は、商店街の入り口から五十メートルほど入ったところにあった。商店街そのものは四百メートルくらい続いているというから、まだ入り口に近いというべきだろう。山田文具店という看板は、それなりの年季を示すかのように煤けていた。間口はわりと広く、店もそこそこ大きいが、いつ陳列したのか疑いたくなるような古びた万年筆がショーケースに並んでいるのが憎めない店だ。

 愛想よく迎えてくれたのが、実乃莉の祖父であった。私とほぼ同年代なのに、妙に老けた印象だ。


 実乃莉の身におきたことを話して到着が遅れたことを説明すると、ぎょっとして実乃莉を抱きかかえた。その踏切りは何人も自殺したから、成仏できない霊にでも引っ張られたのだろうかと青ざめている。


「ちょっと、菊屋さんだろうか、それとも高見屋さんだろうか。なにも実乃莉を巻き込まなくてもいいのに、酷いことするねえ。ちゃんとお葬式にも出たっていうのにさぁ、恩知らずもいいとこだよ。あんた腹立てないの?」

 体は小さいが、口は爆ぜる。元気の良さそうな祖母だ。

「莫迦言うな。あの二人がそんなことをするもんか」

 夫婦で勝手な詮索を始めてしまったのだが、その中に菊屋と高見屋という屋号が出てきた。

「菊屋さんと高見屋さんというのは、この商店街の?」

 訊ねてみると、あっさりとそうだと頷いた。自殺したのはもう一人いて、その人は会社勤めをしていた人だそうだ。といっても、すでに七十をすぎた人だそうで、自由になる時間を、大型店舗進出阻止のために当てていたそうだ。三人とも自殺するような様子などまったくなかったので、口に出せない事情があったのだろうと噂が一人歩きしているらしい。


「ところで、踏切りの向こう側でもたくさんの方が亡くなっていますが、あの方々はどこの人かご存知ですか?」

 踏切りの向こう側は駅に近いこともあって、近くの住人が被害に遭ったとは限らない。その程度の、あまり期待しない質問だったのに、祖母のほうがすぐに反応した。

「それですよ。荒物屋の石亀さん一家が追突されて、ご主人と息子さんが亡くなってねえ、奥さんが重体で、お嫁さんも入院でしょう。親戚がお葬式をだしたんですよ、気の毒に」

「車が歩道に乗り上げたときだって、なあ、お好み焼き屋の北村さん、巻き添えくって亡くなったし、餅屋の夫婦も入院したままだなぁ。だけど、それがどうかしたのですか?」

 祖父が怪訝そうに顔を向けてきた。踏切り自殺もそうだが、それぞれの事故を関連づけて考えなかったことのあらわれだろう。

 あのことを話して、まともに聞くだろうか。気が狂ったとか、妙な宗教に引っ張り込もうとしていると警戒するのが落ちではないだろうか。しかし、実際に躓いた実乃莉がいるのだから、無下に帰れとは言わないだろうと、頭の中でモヤモヤしていたものが一本にまとまりだした。


「それって、幽霊のしわざということですか? あなたしか見ていなかったのでしょう?」

 案の定、私の話は受け入れられないようだ。

「なるほど、見たのは私だけのようです。ですが、それでも確かに実乃莉さんが躓いて、踏切りに突っ込むところでした。その少し前には私の連れが躓いて、危うく車道へ飛び出しそうになりました。私が間に合わなければ二人とも大怪我か、悪くすれば死んだことでしょう。現実問題として、現場には原因らしきものが見当たりません。だから自殺と処理されるでしょうね。そうして考えると、過去の自殺と考えられている事故も、ひょっとすると殺されたのかもしれないと思ったわけです」

 祖父母は、そんな莫迦なことがあるわけないと否定しながら、気味悪そうに顔を見合わせている。

「じゃあ、菊屋さんもそうだったのだろうか。そりゃあね、客足が減ったのと財布の口が締まったのとで、儲けてる店なんかなくなりましたよ。だけど自殺するほど追い込まれてはいないでしょう。だって、そんなことなら沈んだ顔してなきゃおかしいじゃないですか」

 祖父はそう言って自分の頬を二三度叩いてみせた。


「そんな気配はなかったのですか?」

「あるもんかね。高見屋さんだってそうだ。だから皆が首を捻るのですよ。だけど、そんなことがあったのなら、お祓いを受けさせたほうがいいな。すぐにでもそうさせよう」

 この夫婦は信仰心の篤い人達のようだ。

「そのことですが、勝手なことをしたと叱らないでください。私の連れにお祓いを受けさせるついでに、実乃莉さんもいっしょに。いえ、決しておかしなところではありませんから。ちゃんとしたお宮ですから安心してください。そのとき受けた御護りがこれで」

 永楽銭に糸を通し、それらしく仕立てたものを見せると、実乃莉もポケットから同じものを取り出した。

「こんなもの、ただの気休めでしょうがね」

 言ったとたんにこめかみがチクンとした。


 それにしても、自殺した人が商店主だったり大型店の進出に反対している人だったことは意外だった。また、交通事故では二軒の商店主が死亡し、もう一軒は夫婦そろって入院している。商店街の近くであるだけに、自然な出来事かもしれないが、なにも商店主だけが住んでいるわけではあるまい。会社勤めの者もいれば、悠々自適の人だって少なくはないはずだ。そう考えると、とても高い確率で店主が死んでいるといわざるをえない。とても奇妙な雲行きになってきた。


「あんた大丈夫かね? 大変なことがあったのだし、長いこと話に付き合っていたら疲れるだろう?」

 祖母がしきりと実乃莉を気遣っている。なるほど細くて白い腕には静脈が青く透けていて、とても健康体とは見えない。それに、お宮でも絶えず何かに凭れかかっていた。が、彼女は普通の高校生のように元気なものだ。


「だけど、今日は顔色がいいね、疲れていないのかい?」

 どうやら実乃莉は、長時間の話に付き合うことができなかったらしい。なのに今は平気な顔で丸椅子に座っていて、そんな実乃莉に祖母は異変を感じているようだ。

「本当に大丈夫? あんた、すぐにもたれなきゃダメだったでしょう。すぐに息苦しそうにしてたし」

 それが実乃莉の本当の姿だとしたら、甲斐の体質を驚くべき速さで取り込んでいることになる。自分の変化には気付かなかっただけに、私にしてからが奇異に思えた。

 これで実乃莉がどんどん健康になったら、この夫婦はどんな顔をして驚くだろう。お祓いのことを毛嫌いされなかったのだから、それ以上のことは言うまい。無用な詮索をさせる必要はないのだから。

 亡くなった人のことをまた教えてほしいと告げて、私は家路についたのだった。



 中三日空けて、私は百合の呼び出しを受けた。特に予定などあるはずもなく、機嫌を伺う女房もいないとあって私は気軽に応じた。そんなふうに勿体ぶってはいるが、本当は退屈を持て余していたのだ。膝が悪いときは一日中でも居間でゴロゴロしていられたのだが、足腰がピンシャンすると動きたくてしかたない。だから、百合の誘いは渡りに船だった。それに、実乃莉の祖父から耳にしたことを自慢したくもある。


 一方で、百合も何か情報を得たのかもしれない。これは自分の思い込みにすぎないが、なにか自慢したがっているような口ぶりでもあった。おそらく、絹と二人で過去の事故報道を調べたのだろう。


 約束の時刻は午後一時だったが、生憎なことにバスは一時間に一本しかなく、自宅にいても退屈なだけなので私は少し早めのバスに乗った。


 昼食を誘うつもりでお宮を訪ねると、案の定、二人して商店街の地図を作っているところだった。

「これはこれは、よく調べましたねえ。いや、見易い地図になっています」

 商店街を中心とした地図で、大きくて見易い地図になっている。といっても、壁に貼るのならともかく、セロファンテープでツギハギの地図なので自由な書き込みができなさそうだ。ただ二人の努力を考えると、実乃莉の祖父から貰った地図を出すことを躊躇ってしまった。


「これは誰ですか?」

 欄外に三人の名前と住所が印刷されていた。

「踏切りで自殺しはった人どす」

 絹が得意そうに胸を張った。ところが、その三人の自宅は地図に反映されていない。要は、そこまでは調べられなかったということだ。


「たいしたものですね、三人の名前と住所を調べてしまったのですか」

 おおげさに感心してみせると、絹は満更でもなさそうに鼻の穴を広げて胸を反らせた。

「若い人たちは優秀だなぁ、チョチョッと調べてしまうんだから敵わないよ。ところで、交通事故のほうはどうでした?」

 そ知らぬふりで事故の被害者について訊ねてみると、まだわからないと素直に言った。そんな状況でそれ以上のものを見せたらどんなことになるか、勤めているときにも部下から手酷い反撃をくらったことをよく覚えている。いや、忘れろというほうが無茶な仕打ちだった。だからといって祖父の好意を握りつぶすわけにはいかない。


「実はさ、悪気はないんだよ。だけど私も偶然に知っちゃったわけさ。偶然だからね」

 何度も念を押したはずなのに、実乃莉の祖父から貰った地図を広げると非難めいた声が同時に湧き上がった。

「ちょっと、なんですの、これ。うちと絹ちゃんで懸命に調べたのんより見易いやんか。なんやの、これ。信勝さん、いけずやわぁ」

「姉さん、これ、お店の名前だけやおへんえ。ここ……、ここもや。人の名前が書いたぁるがな。……この名前はなんやの、なんで知らん名前が出てきますのんや? なにえ、これ。ほんま腹立つわぁ」

 それでも百合は抑え気味だ。拗ねてはいてもどこか他人事のようにもみえる。そのかわり絹は盛大にむくれてしまった。ぷっと(ふく)らませた頬がほんのり桜色に染まり、いちいち書き込みを指差してはぶつぶつ呟いている。どうやら自分の情報収集能力を否定されたと受け止めたのだろうか。


「実はね、実乃莉さんのお爺さんに地図をいただいたので、そこに住いを書き込みました。こっちの印は閉店したところです」

 これだから女性という生き物は厄介なのだ。褒められて優越感に浸りたいということは理解できる。しかし、仮に私が手ぶらで現れたとすると、自慢げに溜息のひとつももらそうという魂胆だろう。そしてその目論見が見事に外れると不満を露わにする。女房を例にもちだすまでなく、女性とはそうした不条理を平気で行う生き物だ。この二人も例外ではなかったわけだ。

「厭らしい、何したはりますの? 電話一本くらいくれたかてええのんと違いますか。女や言うて見くびってもぅたら困りますえ」

「はいはい、そんなに脹れたら別嬪さんがだいなしですよ。この前のお金が残っているから、それでお昼を食べましょう。それからまた考えればいいじゃないですか。さあ、立った立った」

 いくら脹れてみたって、こういうときのあしらいでは私に抗することなどできまい。客や部下の機嫌を取り続けてきた経験がものをいう。手の平を返すように機嫌を直すことが悔しいのか、二人はそれでも渋っていた。が、急かされるとだんだんその気になるようで、着替えをしたいと言い出した。


「そのままでいいじゃないですか。いや、その格好のままがいい。その格好で出歩いたらお宮があることの宣伝になるではないですか。それなら、汚すといけないから油が跳ねるような料理は止めたほうがいいな。じゃあ、どうですか、寿司でも」

 いくら不機嫌なふりをしたところで、二人は所詮子供に毛がはえたようなもの。寿司の二文字につられていそいそし始めた。


 ところで、先ほどの様子では呼び出された理由がいま一つ腑に落ちない。死んだ者の名前が知れたといってもたった三人。住いを特定できておらず、交通事故に関しては情報なしだ。そのほかに関連づけられることをみつけたのだろうか。いや、それなら最初に得意がって言うのではなかろうか。それとも興味を失くしてしまったか。しかしあの様子ではそれは考え難いことだ。呼び出した理由はなんだろう、それがわからないので、こっちがモヤモヤしてきた。


「ところで、呼ばれた理由を教えてもらえませんかね。さっきからモヤモヤしているのですよ」

 そう水を向けてみたのだが、二人はそっぽを向いて答えてはくれなかった。


 百合の携帯が鳴ったのは、すっかり食べ終えてお茶を飲んでいるときだった。

「もし……、その声は実乃莉ちゃんやな。今か? お寿司屋さんやけど……。なにえ、もう来てんのか? お昼は? あぁ、食べてきた。ほな、すぐに帰るさかい。……すぐやて、お向いのお寿司屋さんやさかい」

 パタンと電話機をたたんだ百合は、絹を促して立ち上がった。

「ほな、お勘定はよろしゅうに」

 絹は執念深い性格のようで、とても意地の悪い言い方をして立ち上がった。だというのに二人そろって妙な含み笑いを浮かべている。まったくもって女性は始末におえない生き物だ。

 


 勘定を済ませて表に出たとき、お宮の入り口がすっと閉じるところだった。少しくらい待てないのかと戸を開けると、珍しいことに履物がいっぱい並んでいる。()()()と数えてみると、大小取り混ぜて八足もある。実のところ、玄関に他人の履物があるのを私は初めて見た。


「絹さん、絹さーん」

 勝手に上がりこむわけにはいかないので案内を乞うたら、いかにも忙しいという顔をした絹がやってきた。

「この忙しいのに、いちいち呼ばんといとくれやす。勝手に上がったらよろしいやおへんか」

 ことのほかのご立腹だ。

「勝手にといっても大勢のお客のようだから。なんなら出直そうか?」

 実際のところ私はこの家の間取りがよくわからないのだ。いつも案内される部屋なら案内なしで行けるにしても、どこまで広い家なのか知らない。もしいつもと違う部屋へ案内したのならお手上げなのだ。

「信勝さんは氏子総代どすやろ? 氏子には氏子の務めがおす。忙しいのやさかい、なんぼかでも手伝って(てっとうて)もらわな。ちゃっちゃとお上がりやす」

 どうやら氏子総代というのは、巫女より立場が下のようだ。


 叱られた子供のように小さくなってついていったのは、風神雷神の屏風がある部屋だった。

 実乃莉がいる、祖父母もいる。その他は見知らぬ二組の夫婦と、マスクで顔が半分隠れた少年だった。

「どなたがお参りかと思ったら、実乃莉ちゃんか。来るのなら教えてくれればいいのに。今日は顔色が良いね、あれから調子はどうかな?」

 あれから三日。その短い間に顔色だけは普通の娘とどこも変らない実乃莉がいた。頬の色というよりも、唇の色があの日とまるで違っている。


「あれから息がきれないのです。座ったままで話ができそうだけど、やっぱり持久力は無理みたい。でも、一時間くらいは平気でいられるようになりました。あっ、息苦しくてだめなのではないですよ、腰が辛くなって」

 本当に嬉しそうにそう言った。

「それは良かった。あとは、なるべく食べて、運動して、筋肉をつけようよ。腰や背中の筋肉が弱いから座っていられなくなるのだからね。もっとぽっちゃりしていたっておかしくない年頃なんだよ」

 そう言ってやると、素直に頷いている。この娘も自分と同じように、妙な力に救われているのだろうか。それともあの日は驚いたから蒼白だったのだろうか。正直なところ私には答が出せないような気がする。


「菅原さん、でしたね。実乃莉が大変お世話になりました」

 祖父が丁寧に頭を下げた。


 あの日、少し休んだ実乃莉は、台所に立って夕食を作ったと祖父が語った。いつもなら何度も休みながらの作業を、一度休んだだけでし遂げたというのだ。祖父母は驚いて、その日のできごとを根掘り葉掘り聞き出したそうだ。


 なんと恐ろしい目に遭ったということはわかったが、それと病気が関係ないことくらいわかる。何かがなければ実乃莉がこんなに元気になるはずがないと考えてなおもしつこく問い質すと、お祓いをしてもらったことだけが日常と違うことだった。それで、なおもしつこく訊ねたところ、知らない人の養子になったと語った。


 それを聞いて驚かないほうがおかしい。祖父母は仰天して詳しい話を聞いた。それどころか、交番へ出向いて本当に揉め事があったかどうかを訊ねたそうだ。

 すんでのところで大怪我をするところだったというのが作り話ではないことが判明したのは良いとして、勝手に養子縁組をするなど言語道断だということでお宮に案内させたのだが、既に百合も絹も帰った後だった。


 すぐに息子夫婦を呼び寄せて仔細を説明すると、これまた大騒ぎになった。しかし一方で、問い詰められている間ずっと、実乃莉が平気な顔で座っている。その事実が実乃莉の両親を戸惑わせた。妙な薬を飲まされたのではないかと問い質すと、実乃莉は黒目を上に向けて考えていた。そして、水を飲んだだけだと言った。

 祖父は、そこまで説明して湯呑みを取った。


「確かに詳しく説明しなかった私が悪いのかもしれません、お腹立ちでしょうね」

 驚き、腹を立てただろうが、こうして事情を話す祖父に怒りのようなものは感じられない。相手の気持ちを察することにおいては、この場の者の中では自分の右に出る者はいまいと思った。そして、決してそれが自惚れでない証拠に、祖父が中断した話を続けた。


 なにか薬を飲まされたにしても、実乃莉の病気を知っていてはじめて薬を選ぶことができるのだろうし、一度飲んだだけで症状が激変する薬なんて聞いたことがない。祖父母にとっても両親にとっても雲を掴むようなことだった。


 また、誰の子にさせられたのかと訊ねると、どうやら昔のお姫様らしいと言った。どうやら戦国時代のお姫様だそうで、成田甲斐という名だということがわかった。ところがそれも混乱の種だ。戦国時代にそういう名前のお姫様がいたとしても、それは何百年も昔に死んだ人ではないか。とすると、実乃莉は死人の養子になったということか。ますます混乱してしまう。


 ところで、実乃莉は真新しいスマートホンを持っていた。踏切りで放り出したスマートホンが見つからないので、買ってくれたのだという。友達の電話番号などもわからなくなったので、元通りにするまでが一苦労だと実乃莉は涼しい顔で言った。


 一夜明けて、皆でお宮へ行ってみることにした。すると、巫女がにっこりと迎えてくれた。そこでようやく百合から事情を聞くことができ、納得しきれないまま帰宅したのだそうだ。


 本人にふりかかった災いが回避され、真偽のほどはともかく、血色が良くなり、歩いても息を切らさぬようになったのは事実だ。あまりの不思議を目の当たりにした実乃莉の母親は、やはり難病で苦しんでいる子供の親にそれを伝えたそうだ。その成り行きで、百合に相談したいとなった。それで今日があると祖父が語り終えた。


「なるほど、そういうことでしたか。混乱させたのは申し訳ないですが、あの場で本当のことを言っても同じ結果だったでしょうから。それでどうですか、お姫様は」

 両親に訊ねてみると、昨日より今日が良いと答えた。つまり、確実に快方へむかっているということだろう。


「おかしいと思いましたよ。だってね、実乃莉ちゃんが百合さんの携帯に電話をよこしたのが不思議だったもの。番号を教えたところなんか見ていませんし、そのときは実乃莉ちゃんは携帯なんか持っていなかったですから。まあ、胡散臭い宗教にひっかかったと驚いたでしょう? 昔の人との養子縁組だなんて、誰が考えても気違いじみていますよ。でも、決して宗教とは関係ないですから安心してください」

 百合を窺っても何も言おうとしないので、私が話を受け持つことになってしまった。


 これまでの実乃莉は、目覚めても体調が安定せず、学校へ行けるかどうか直前まで判断できなかったそうだ。が、これからは普通の高校生活を遅れるだろうとも語った。そして、奇妙な宗教でないのであれば、実乃莉の友達を救ってくれないかとも語った。


 その友達は実乃莉と同い年で、四年ほど前からグリオーマで苦しんでいるという。ある日突然痙攣がおき、気を失ってしまったのだそうだ。それからバランス障害が顕著になったらしい。医師に問われるまま思い出してみると、何年か前から慢性的に起床時の頭痛に悩まされていたのだそうだ。

 病気のせいか、少年はがりがりに痩せている。


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