表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

貼紙

 ゴトゴトっと扉が開いたら、荒いコンクリートの路面が広がった。規則的な出っ張りが一直線に延び、それに添うかのように二列になって転々と続くそれは、盲人誘導のための案内表示である。ホームに降り立った私は、そのタイルを杖の先でたどるように、エスカレーターの乗り口にやってきた。

 つい最近まではこうではなかった。そう、定年を迎えるまでは軽快に階段を駆け上がったものだ。一年ほど前のこと、ある日突然に膝が痛くなり、歩くことすら儘ならなくなってしまった。歩くことはもとより立つことすら苦痛となって、厭々行った病院でショッキングな宣告を受け、以来治療に通っている。

 変形性膝関節症と書かれた診断書には、老人性という注釈があった。定年になってまだ一年たったばかりのこの私が、すでに老人として扱われているのがショックだった。そりゃあ運動音痴であることはみとめる。が、病気知らずの私が、健康にだけは自信があったこの私が老人だという。

 そんなことで治療を受けて一年。幸いなことに足を引き摺らずに歩けるまでには回復したが、長時間立ち続けることはできなくなった。もちろん買い物に付き合うこともできない状態だ。今でこそ縋る必要はなくなったが、外出するには杖を手放せない。

 痛みこそ退いたとはいえ、足の筋肉が驚くほど早く弱ってしまい、関節が痛むのか、筋肉痛なのかわからない鈍痛のせいか、人並みに歩調をあわせることもできなくなってしまった。

 が、今は()いた時間帯。他の利用客に遠慮する必要もなければ、追い立てられる焦りもない。自分のペースで歩けるだけありがたい。それにしても、どうして駅のホームは階上にあるのだろう。しかもホームは三階ほどの高さがある。歩くことに不自由な者にとって決して便利な仕組みではないと、今になって気付かされている。


 用心のために両手を()けておけるようにと妻が持たせてくれた肩掛けバッグを、昔日の遠足のように襷掛けしてヨタヨタしている。午前中で終わるはずの診察が長引き、支払いの順番待ちで待たされ、こうして駅まで帰り着いたとき、既に午後三時を過ぎていた。

 なんの感慨もなく利用してきた電車だが、定年を過ぎて二年もたつと反って新鮮だ。そして、どうしても避けられないのが厄介な階段だ。

 階段にしようか、それともエスカレータの世話になるか、いつもそんなつまらないことで気を揉んでいる。

 膝の痛みを避けるためには、エスカレーターを利用すれば良いとは判っている。しかし、次々に現れるステップに足をおくタイミングがとりづらい。縋らないだけのことで、杖に頼っているのは確かで、杖と足の両方を乗せるタイミングがなかなか取れないのだ。躊躇する理由はもう一つある。もし転んだらという不安が拭えないのだ。多くのエスカレーターは、乗ったら最後、途中で降りることができない構造になっている。乗ったとたんに転んだりしたら、一番下までまっしぐらに転げ落ちてしまう。途中で他の利用者をなぎ倒すことにもなるだろう。その不安がどうしてもつきまとう。一方の階段は、もし転んでも途中の踊り場で止まるだろうと、妙な安心感があった。しかし、階段は昇るより下るほうが膝に堪える。軟骨が磨り減って骨同士が擦れ合っていることを考えると、なるべくなら無理は避けたいところだ。が、そうして甘やかすと筋肉が弱ってしまう。達者な者にすれば、なんという脳天気な悩みだと映るだろう。敢えてそれに異を唱えるつもりはないが、足が一部機能しないだけでこんなにも気弱になるものである。

 そんなわけでエスカレータの乗り口で迷った私は、今日は素直に楽をさせてもらうことにした。

 そう決めて乗り場に立ったものの、案の定踏み板に足を乗せるタイミングがとれない。それなら痛めている足を乗せれば良いはずだが、勝手に進む板を踏みしめる自信が湧いてこない。足を出しかけては戻すことの繰り返しだった。


 改札からバス停へ懸命に急いだ。が、そこには誰もいない。

 なんだ、出た後かと溜息が漏れた。

 目的のバスは直前に発車したばかりで、次の便まで一時間ほど待たねばならなかった。足さえ痛まなければ十分な余裕があったはずだ。しかし今の私といえば駆け足は論外、早足だって思うにまかせない体たらくだ。

 次のバスまでの一時間をどうしてつぶそうかと考えた私は、久しぶりに駅前をぶらつくことにした。


 駅前の信号を左に折れると商店街だ。しかし買い物には早い時間帯なのか、人影がまばらだ。そのせいか、シャッターを下ろしたままの店もちらほらあった。

 商店街入り口の一等地に店を構える和菓子屋も、大きな暖簾をだらんと下げているだけで客の気配がない。酒屋もそうだ、果物屋もそうだ。そして写真屋も判子屋もシャッターを下ろしたままだ。地方の商店街がシャッター通りと化してきているとテレビが特集番組を組んだことがあったが、この商店街もシャッター通りと化してきているのだろうか。

 この夜野(よの)の町も、すっかり(さび)れてしまったように映った。


 そもそも、この近辺の宅地化が進み、熱狂的な住宅需要もあって瞬く間に新しい町が出現したことが発端だ。大規模団地ができると交通手段が不可欠で、野ッ原だったここに駅ができた。本当のところは、計画段階で開発業者が鉄道会社に新駅を要望したのだろう。そして新駅開設が更に人気を呼び、早い者勝ち、奪い合いの人気だったという。団地から駅までのバス路線も整えられていたので、入居と同時に通勤することが可能だった。

 当時は、そうだ、新婚所帯もいたが大半が子供のいる世帯。働き盛りが溢れ返っていた。大きな子供といってもせいぜいが中学生。子供のほとんどは小学生から幼稚園の年代で、若さに溢れた団地や町内で競うように盆踊りや祭りをしていたものだ。納涼の野外映画会なども懐かしく思い出される。

 ところが、人は徐々に歳をとるものだ。住宅が造成されたときに溌剌としていた入居者も一線を退き、多くの者がこの世を去った。当時小学生だった自分が、いつのまにやら還暦をすぎている。

 当時の収入を考えてみるがいい。たしかに堅調な経済成長の真っ只中ではあった。右肩上がりに収入が増えたのは事実だ。しかし生活水準が上がるのに伴い、物価も上がった。洗濯機、冷蔵庫、テレビと便利なものが登場し、競い合ってそれを買ったものだ。世に出回りだした頃の洗濯機は、ただ洗濯槽に水を蓄えるだけ。それを一方向に回転させるだけという単純な構造だったが、値段だけは驚くほど高かった。庶民の収入が増えたとはいっても、背伸びをしなければ買えない高級品だ。しかし、便利さを知ってしまうと買わずにいられなくなる。文化的な製品が発表されるたびに出費が嵩んだのだ。マイカーをもつことが当たり前になり、進学競争が激化した。そうして、決して多くない給料がどんどん消えてゆく時代で、庶民の究極の野望がマイホームだ。

 私の親だって、定年を迎えるまでは絶対に病気にならないことを前提に、決死の覚悟でローンを組んだはずだ。残債は退職金で賄えると、考えてみれば誰もが無謀な賭けをした。そして当時の住宅事情を考えてほしい。僅かばかりの土地を皆で奪い合うのだから、一戸建てなど夢のまた夢。買えたにしても敷地に余裕があるはずがない。そんな家だから増築もままならず、子供が成長するにつれ、家族全員を収容することができなくなった。

 そうでなくても子は親元から羽ばたこうとするし、企業も通勤の都合などに配慮しようとしなくなっている。住居のことを度外視して勤務地をおしつける風潮が、土地から若者を奪うことにもなった。とはいえ、それは従業員の都合だから、会社が斟酌するわけがない。世間が変わるわけがない。そうした結果、若者の多くが親元を離れていった。我が家だって例外ではなく、子供はみな外に出てしまい、今は妻と二人で寂しく暮らしている。そんなふうにして、かつて生気に満ち溢れていた町が、老人の町に変貌したのだ。

 人口減少が、特に若い世代が少なくなったことが一番の痛手ではなかろうか。

 老いた者の消費など微々たるものだ。老いるにつれ食が細くなるし、脂っこいものを敬遠するようにもなる。なにせ年金収入に頼った暮らしだから派手なことはできない。それに加えて子供たちの援助をしてやりたいから猶更質素な生活になる。

 そう考えれば、商店街が寂れるのは当然だともいえる。

 そんな町だというのに大規模店が進出したからたまらない。品数が多く、一箇所ですべてが揃う店へ客が奪われてしまい、商店街を利用するのは、自前の足がない年寄りくらいになってしまった。


 改札を出てまっすぐ左に行くと、狭い路地が二本。結界を張ってでもいるつもりか、路地の入り口に赤提灯を連ねた門がしつらえてあった。バーやら居酒屋が客を呼び込み、陽気な笑い声や派手な看板が賑やかで、最盛期にはぎっしりと店が営業していたものだ。もちろん喧嘩もあったし、商売とわかりながらつい惑わされる欲望もあった。

 一方の路地はどの店も看板を外し、貸し店舗の案内が貼られている。馴染みというほどではないが、気安くしてもらった店があったのに、すべて店じまいしたようだ。

 もう片方の路地は、半分くらいが看板を下ろしてある。

 定年を迎えて以後、収入が激減したこともあって立ち寄らなくなった場所だが、どれも懐かしい店ばかりだ。

 大きな提燈を提げているのは、一番古い居酒屋。路地に面した壁に、料理の写真がベタベタ貼ってある。

 その隣は焼肉屋だ。いまだに炭火を熾した七輪を使っているのだろうか。脂の焼ける煙が店先を漂っていて、つい食べたくなったものだ。それと競うように焼き鳥屋が、わざと食欲をそそる煙を扇いでいた。こうなると肉と鳥の煙が混じりあってなんともいえない臭いになっているのだが、遠慮した方が負けとばかりに張り合っていたものだ。

 路地を挟んだ向かい側には、スタンドタイプの喫茶店があり、こじんまりした寿司屋があり、テカテカのドアのバーがある。ほかにも、ラーメン屋やらうどん屋、それに、お好み焼きの店もある。

 が、せっかく残った路地だというのに、ここも櫛の歯が欠けたようになっている。

 路地の奥へゆくほど営業をやめた店が多い。

 突き当たりまで行って戻る途中に、奇妙な貼紙をみつけた。たしかそこは上品な味の煮物を食べさせてくれる居酒屋だったはずだが、看板はすでになかった。ただ、書かれて何日もたっていないような貼紙があるだけだ。


『成人病対策 遺伝療法』 半紙を縦に二つ切りした紙に、毛筆でそれだけ書いてある。看板のつもりなのだろうか。それにしても、あまり商売気がなさそうだ。早朝の雨にでも濡れたのだろうか、裾の糊がはがれてヒラヒラしていた。

 入り口の引き戸も壁も居酒屋当時のままだが、客寄せの意図は皆無。まして、引き戸の上に注連縄が張ってあるのも異様だ。客商売なら宗教を連想させるものはご法度だろう。

 成人病対策とはどういうことだろう。成人病予防の方法を教えるというのだろうか。遺伝療法というのにも引っ掛かるものがあった。

 そもそもこんな呑み屋街に医院を開業するだろうか。また、遺伝治療というのは最先端の治療法のはずだ。なら、検査設備などはどうするのだろう。どの店も同じだけの敷地しかないのだから、大掛かりな機器を設置できるのだろうか。また、どうして医療機関としての看板を掲げないのだろう。そもそもここは医院なのだろうか。それにしては入り口に注連縄が張ってあるのはどういうことだろう。

 腑に落ちないことだらけだ。でも、一軒でもいいから営業店舗が増えたことを好しとすべきだろうか。私はそんなことを考えながら喫茶店で時間つぶしをすることにした。


「いらっしゃい」

 言葉少なに迎えてくれた主人は、たった二年ほど見ない間にすっかり皺が深くなっていた。

 額が大きく後退し、右こめかみの黒子がこころなし大きくなっている。その先っぽから長い毛が一本伸びているのが滑稽に見えた。長く顔を出さなかったというのに、カウンターにホットコーヒーが出された。私のことを忘れたかと思っていたのだが、どっこい、ちゃんと私の嗜好を覚えていてくれたようで、ソーサーにシナモンスティックが副えてある。

 食というものに左程こだわりがない私には、二年前の香りなのか味なのか、たいして興味がない。ただ、出された器が薄汚れていることが当時を思い出させ、つい馴れた口調で話をしてしまった。

 人の姿が疎らになったこと、商店街が寂びれたこと、そして路地が寂びれきっていることなど、次から次へと話の種がつきない。

 居酒屋の親父は達者なのか、バーのマダムは今でも艶っぽいのかと話題に上げる。すると主人は、居酒屋の親父は声が震えだしたの、バーのマダムは今だに胸の開いたドレスしか着ないなど、得々と答えてくれた。

 そんな話がしばらく続き、ふと話題が途切れたときに、例の奇妙な店について訊ねてみた。すると、主人はあまり知らないと首を傾げた。まだ開店して日が浅いせいか、客の出入りは殆んどないそうだ。開店の挨拶に回ってきたときは、神職の装束を身につけた若い女性が、花冠をつけた巫女を伴っていたそうだ。どんな商売をするつもりなのか、皆が薄気味悪がっているということだった。



 一週間後、私はまたしても病院からの帰りでバス待ちをすることになった。どこか喫茶店で時間つぶしをと思ってうろうろしていると、巫女が例の店に入るのが見えた。

 どうせ一時間くらい時間をつぶさねばならない私は、好奇心に引き摺られるまま、路地の奥へと足を向けた。


 前回に来たときもそうだったが、中に人がいるのかどうか、まったくわからない。

 ここがどんな店なのか看板が出ているわけでもなく、今が営業時間なのかも定かでない。

 あんな奇妙な貼紙をするものだから何かの店なのだろうと勝手に決め付けているわけだが、本当のところ店なのかどうかすらわからない。無理して知る必要などないことは十分にわかっている。が、曖昧なままということが我慢できず、逆に知りたいという好奇心にかられた。とはいっても、まったく無関係な者が立ち入って良いのか気にかかる。

 用もないのに路地の奥へ行ってみたりと迷った末に、私は入り口を引いていた。


 引き戸の奥は一般家庭の玄関のようだ。いや、普通の家庭がこんな立派な玄関をしつらえるはずがない。こんなに広い玄関を作るくらいなら、少しでも部屋を広く取りたいはずだ。

 二坪ほどの土間には、赤土がつき固めてあり、突き当たりに素木の式台が置かれている。一段上がったところには畳が敷いてあって、正面は床の間になっていた。無人の玄関だからか、床の間にさりげなく立ててある竹の花入れが殊更目を惹いた。

 靴箱はなく、式台の横に女物の靴が二足、そして草履と浅沓が並んでいる。隅に寄せてあるところをみると、来客はなさそうだ。

 路地のどの店も、気軽に来てそのまま帰れるように土間のままだ。もちろん床が板張りだったり安物の樹脂タイルだったりするが、靴を脱ぐことを強いる店などひとつもない。なにやら敷居が高く感じるが、まさか閉じ込められることもなかろう。

 式台は、荒い鉋仕上げになっていた。まるで三和土(たたき)の上に立つように、足元が滑らないようになっている。

 思い切って上がりこんだはいいが、障子の奥にしか行き場はない。

 そういえば子供の頃の町医者もこうだったと、なんだか懐かしさを覚えながら開けると、四畳ほどの部屋になっていた。

 医院なら受付があるはずだが、その中にあるのは床几(しょうぎ)だけ。長椅子ではなく、床几だ。その他には何もない。そして三方は板壁だ。


「ようこそお越しくださいました。病を治しにこられましたか。それとも、今日は相談だけにしときますか」

 私が来たことをどうやって知ったのか、飾りのように思えた板壁がすっと開いて、巫女が姿を現した。

 白依緋袴の巫女だ。長い黒髪を一つにまとめ、半紙で巻いた上から水引で括ってある。大きなお宮にいてもおかしくない、正真正銘の巫女のようだ。

「えっ、あのう、こちらがどういうことをなさるのか、何も書いてないものですから、それを伺おうと思っただけなのですが、ご迷惑ですよね」

 無遠慮に上がりこんだことを詫びて退出しようとしたのだが、巫女は気を悪くしたふうではなく、少しくだけたもの言いになった。

「これは失礼いたしました。こちらでは、成人病を治すお手伝いをしております。治す言いますと医師法違反になりますよって、あくまでお手伝いでございます。そういう事情やから、健康保険の適用除外でございます」

 巫女はそう言って、ここは新たに設けられた分院であると語った。ただ、本部がどこなのかはよく聞き取れなかった。それにしても、声も涼しげだが、話し方も教育がいきとどいた巫女だ。


「詳しぃは言えまへんけど、よう効くて評判のようどす。……です」

 慌てて言い直したものの、いくら言葉をつくろってみてもアクセントまでは直せない。濁音が多く荒っぽい言葉が主体の土地柄には、とても似つかわしくない品格を感じる。

「どこぞ具合の悪いところがあんのどしたら、……ありましたら、お試しになってはいかがでしょう」

 しまったと言いたげに言い直す顔が初々しかった。ところで、表の貼紙とともにさっきも成人病と言い、今また具合の悪いところと言った。しかし治療ではないようだ。それらをどう考えれば良いのだろうか。そういえば、入り口に注連縄が張ってあったし、今対応してくれているのは巫女だ。するとここは宗教団体が信者獲得のために設けた拠点ということだろうか。いささか用心に越したことはないと思う。でも、もう少し話を聞いてみるくらいなら良いだろうと思った。


「実は、去年から膝を悪くしていまして、整形外科に通っています。それと、一昨年から急に疲れやすくなりました。すぐにだるくなるものですから診てもらったら、糖尿の気があると。それで週に一度の割りで大学病院に通院しています」

 名乗ったわけではなく住所も教えていないのだから、その程度なら話してかまわないと思った。すると、それを聞いたとたんに巫女の口がまぁとでもいうように開いた。と、すぐにそこに手を当てる。

「いやぁ、そうどすかぁ。……すんまへん、馴れん言葉はしんどうおっさかい、普通に喋らせてもらいますけど、膝が痛いんどすか? そんなん、(やまい)の中に入りますかいな。祭主さんやったら一発で治してしまわはりますしぃ。それと、糖尿どすか? 不治の病やゆうて難儀したはりますやろ? それかて一発で治さはります。こない言うたら手前味噌どすけど、うっとこの祭主さんはピカイチどすえ。目利きかて、そこらの祭主さんより遥かに上どす。どないでっしゃろ、いっぺん祭主さんにお話ししやはったら」

 巫女が手を当てたのは、あまりにつまらない病気だから拍子抜けして笑ってしまったのを隠すためだったのだ。どこか公家が扇で口元を隠すのと同じような、無言のうちに上下関係を意識さすような振る舞いに思えた。

「ですが、保険が利かないというだけで、料金のことは一切説明を受けていませんので」

 あとで料金のことで揉めたら困る。だから、そこははっきり言っておく。いくら駅前交番がすぐそこにあるといっても、いい歳してコスプレパブでカモにされたと知れ渡ったら世間体が悪い。

「そのことどしたら、初穂料……やのうて、初診料として三千円お納めいただいておます。それと、祈祷……またや、堪忍どっせ。せやのうて、治療費は五千円納めていただきます。お医者さんみたいに、やれ検査やお薬や()うて、次々にお金を出さすことは一切おへん」

 なんだか巫女装束を着た舞子を相手にしているようだ。しかし、それ以外に料金はかからないということは眉唾ものかもしれない。ぞわっと首筋の毛が立つように感じた。

「祭主さんにお話にならはったらどないどす? お話ししてるうちに祭主さんの手に合うか合わへんか見えてくるんやないやろか。どないするかは、それから決めてもぅてかましめへん。無理にお奨めしまへんけど、話の種にはなりますやろ。まずは祭主さんに会わはったらどないどす?」

 どういうわけか、彼女は方言を訂正することをやめたようで、遠慮なく京ことばを披露している。どう考えてもアンバランスだ。頭の先からつま先まで非の打ち所がない巫女なのだが、目を閉じて聞いていると、まるで舞子と話しているような気がする。別に京ことばが悪いのではないが、巫女とは色気に縁遠い存在でなければならないはずだ。それはそれとして、祭主と話すところまでは無料だという。よしんばここがコスプレパブだったとしても、こんな真昼間から無茶なことはできまい。会ってみるくらいかまわないだろうと思えてきた。

「では、お金がかからないところまでお願いしましょうか」

 人の好奇心というものは理性を超越したところにあるようで、成り行きとはいえ、私は更なる一歩を踏み出してしまった。

「いやぁ、そうどすか。ほな、場ぁを改めますよって、こっちにお運びいただけますか」

 巫女が背筋をピンと伸ばして会釈をし、そっと板壁を滑らせる。その先に廊下があった。


 一歩二歩と進む間に、ふっと目眩を感じた。いや、眩しいところを見たときのクラクラ感が近いかもしれない。そして歩きながらふと思った。

 ここはどこなのだろうと。

 運動音痴の私にも自慢できる能力がある。それは空間認識能力だ。いや、そんな難しい用語を使うからいけないのだが、要するに私は、閉鎖された屋内でも自分のいる位置を把握できる力に優れている。つまり、方向音痴の者からすれば、カーナビのような存在だ。ところが、その私が少し混乱を始めていた。

 東西に延びる路地の北側に店の入り口があったはずだ。そのまま三メートルほどのところに靴脱ぎがあり、右に、つまり東にしか行けなかった。そこで巫女と話したのだが、そこは四畳ばかりの部屋。畳一枚半ほどの正方形だ。そこから廊下へ出た。つまり、北へ進んだのだが、廊下の巾は一メートルほど。廊下はすぐに右へ方向を変えた。南へ、路地に向かっているはずだ。曲がってから五歩ほど歩いただろうから、曲がり角から三メートルほど南へ下がったわけだ。振り返ってみると、それは間違いではないことがわかる。ただ、私の位置認識が正しければ、もう路地までいくらもないはずだ。つまり、それなりの壁がなくてはいけないはずなのに、廊下はずっと先まで続いている。

 二歩ほど先を歩いていた巫女が立ち止まり、左へと曲がることを示した。私の位置感覚からすれば、すでにそこは路地を挟んだ向かい側の店への入り口辺りだ。すっかり混乱させられた私は、それでも意識の中に地図を開いている。頭の中で一本の線を引きながら、示されたとおりに左へ折れた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ