8 一試合目 前
遅いと怒られるので、私たちは急いで一コート――本部前に並ぶ。
先輩の後ろ、いつもの私達の定位置につき、指示に従って腰を下ろす。
先生の話はいつも長いため、憂鬱な気分になるのがいつもの私だった。
「――今日来ている中学校は、京都から桂中、大枝中、兵庫から鳴尾中、小田北中。そして日吉中と、この学校、南田中の六校です」
「なんか今回も強そうやね。普通に五コート行き確定だわ」
「あー……うん。鳴尾と桂が鬱陶しいけどまあまあましじゃない?」
先生の言葉を聞いて、私はののに話しかける。
ぶっちゃけ、今回来ている中学校は、どう考えても強い。とはいえ、南田や大枝は私たちと同レベル――一年生に限れば、なのでまあましな方だが。
一番ひどかった時など、三島トップクラスの中学校に加え、他地区のトップクラスの中学校が勢ぞろいしていた。あの時ほど絶望感を感じたときは、今までの中で、ない。
そして先生の話を下を向いて聞く。いつもと同じ話。鬱陶しい。早く終われ。先生の話を聞くくらいなら人試合でも多く試合をさせて実力をつけさせてほしい。
私たちには、十二月初めに――初めての研修大会があるのだから。
「で、コートの説明をします。変則ですが、ここが一コート、その右隣が二コートで、一コートを挟んで三コート、四コート、五コートとなっています。強い人は一コートへ、弱い人は五コートへ集まる仕組みとなっていますので、皆さん一コートを目指して頑張ってください」
先生は、いつも私たちにとる乱暴な態度とは違って丁寧な言葉遣いで集まった中学生たちに説明を続ける。
ここまで丁寧に話していても、どうせ私たちを叱る乱暴な怒鳴り声で台無しになるのだから無駄ではないのか――と、そんな考えがふと脳裏をよぎったが、世間体を気にしているだけなのだと気づき、解決する。
「そして、この黒板を見てください。今回は二個一、二試合同時方式で行います。基本はA――強い方から交互に入って行きますが、もしAの人がボール探しをしている時などはBが二回続けて入ってもらって結構です。臨機応変に対応してください。これがスムーズにいったら、七試合――もしかしたら十試合くらいは普通にできるので、頑張りましょう」
――そんなことを言っていても、そんなにうまくいかないのが女子の練習試合なのだ。
私は一年生にしては何度も練習試合を繰り返しているからわかっているのだが、弱い人は負けて、負け審を終えた後、面倒くさがって黒板に自分たちの名前――ここでは記号を使うが。を書かない場合がある。
それは、南田の生徒にとても多く、今日のようにペア数が五十に満たない場合だと試合が滞る原因となってしまう。
私としては、早く書いてほしいと思う半面、自分たちもそうしたいな、と思ってしまう黒い面も確かにある。
「で、そういえばサーブをした時――これは女子の試合に多いんですけど、ファーストサーブを外した後、ボールの行方を確認しない人がいるんですね。で、そのままどこに行ったか分からず、探す時間が多くなる。で、学習したかな、と思ったら同じことを何回も何回も繰り返す。――正直、阿保ちゃうか、と思います」
先生はこれを毎度のごとく言う。受けを狙って言っているのか、無意識に言っているか、私にはわかりかねるが。
案の定、他校で、今回初めて南田に来た人たちは下を向いて笑いをこらえている。
――そんなことをするから先生はいつもこのしょうもない茶番を繰り返すのに。
「では、試合を始めます。起立、礼」
「「お願いします」」
「じゃあ、一番目に試合が入っている人はすぐにコートについてください。三分を目安にしてください」
――今日もまた、練習試合が始まる。
私たちはなぜか最初に試合をすること多い。
それは今回も例外ではなく――
「えーっと、今日は……うわ、また一番目か。しかも桂の九番とかついてないわー」
「でも一年生やったら勝てるんじゃない? っていうか、勝たないと先生に怒られる」
「まあそうやけどさ。なんか、初戦から強いところってやる気起こらんくない?」
「文句はいいから、トスしにいこ」
毎度のごとく文句をぶつくさ言う私をののが宥めてくれる。
――別に、嫌いなわけじゃないんだけど。試合は。強い人と試合できるってことも、楽しいんだけど。
「えーっと、桂の九番手さん、トスお願いします」
こういう時、後衛なのに私が相手を呼ぶ。
普通は前衛がトスをするので、前衛が相手も呼ぶものなのだが、ののは少し恥ずかしがってか、いつも私の方をくいくいと向いて、相手を呼ぶように促す。
普段は私より活発で、元気なののなのだが、こういう初対面の人を呼ぶのにはめっぽう弱いようだ。
「あ、負けた」
ののがじゃんけんに負けたので、私はさっとラケットをのののものの下に敷く。
くるくるとラケットが回り、指示したのは裏――ノーマークだった。
向こうはマーク、表を選んでいたのでこちらに決定権がある。
私とののは顔を見合わせて、
「「サーブお願いします」」
と、声を揃えていった。
要は暗黙の了解、というやつなのか。私たちはトスで勝ったらいつもサーブを選ぶことにしている。念のために確認をしておくのだが、基本、サーブを選ぶというスタンスは変わらない。
そして、こちらはサーブ権を取った、ということは向こうにコート決定権が移ったということだ。
これに関しては口出しなどしてはならないので、相手の決定を待つ。
「じゃあ――コートは、手前でお願いします」
桂の人がそういった。
私たちは一番目の試合だったので、四コート――今から試合をするコートへと駆け出して行った。
「ファイブゲームマッチ、プレイ」
正審の声が響く。とはいっても私たちは四コートBの試合であるため、審判も審判台には上らず、ネットを引っ張っているポストの横でカウンターを持って立っているだけだが。
「入るよファースト――先リード!」
「はい、入るよ――」
私ボールをは二回付いて、トスの姿勢に入る。いつものルーティンだ。かっこいいことを口では言っていても、サーブなど外すことの方が多いが。
「はーい返すよ、はーい」
「はーい、返せるよ――」
明らかに向こうの掛け声の方が大きい。意識の差、というやつなのか。
だが、私は別に掛け声の大きさで身じろぎなどするわけもないし、いたって平常心だ。こんな声を大きく張り上げて、集中力を失ったらどうするつもりなのか、と馬鹿らしいことを考える余裕だってある。
もっとも、実力差は歴然としているため、偉そうなことを言っていられるわけはないのだが。
集中力を高め、トスを上げる。頭上に上がったボールを、頭から思い切り地面にたたきつける。できるだけゆったりと、それでいて振りぬきは早く――私はいつも、これを考えて練習をしている。
サーブは勢いよく直線を描いてサービスコートの中へ。
しかし、こんなことで点を落とすような相手でもない。だから、まだ集中力は切らさない。
さあ、どこに来るのか――
今回サービスコートに落ちた私のサーブは、案の定、相手のフォア側へ落ちている。
バック側ならば打点が一転であるため、一年生の感覚では難しく、ミスも多いし、サービスエースも取りやすい。しかし、フォア側ならばどうだろうか。打点が複数あり、力もかけやすい。そして向こうは私たちよりも技術的に優れている――
サーブを入れて、一番相手の攻撃が怖いところに、私はボールを落としてしまったのだった。
案の定、相手は私がおらず、前衛にもかからない所めがけてボールを飛ばす。
いわゆる、中ロブと言われる技術だ。
私は全速力でボールに食らいつこうとする。一秒でも速く、一秒でも速く――そう考えながら私はバックの構えにする。
――ミスをしてしまったらどうしよう。
不安が募る。その間にもボールはぐんぐんと私との距離を詰める。
打点がおかしい。近すぎる。
私はがむしゃらにラケットを振った。当てるだけ。当てるだけでもいい。次につなげられれば、それでいいのだ。
しかし――
「あ……」
私が打ったボールは、相手前衛の目の前に行った。
まぎれもない、相手へのチャンスボールだ。
このままでは相手の好きなようにされてしまう。でも、もう遅い。
自分の力不足でこうなってしまった。ボールには追いつけていたのに、自分の下手なバックハンドのせいで。
「「よっしゃラッキーでかいわー!」」
さも当然かのようにボールを落とし、相手はコートを抜けていった。
「……ごめんね」
私はとぼとぼとコートを出る。
ばつが悪い。自分のせいだ。大体いつもそうだ。
私はよく、先生に考え過ぎだと言われる。それは今も当てはまっているのかもしれない。
――みんななら、たった一点でしょ、なんて言うのだろう。でもそれは違う。次同じことをされた時、私はまた同じことを繰り返すだろう。それは相手に弱点として伝わり、相手はそこを重点的に狙うことになる。
たった一点と侮ることなかれ。いつも私の気持ちはそうだ。
自分を追い詰めてしまう、私の悪い癖なのだ。
一ポイント交代なので、しばらく私たちには待ち時間が発生する。
他愛のない会話で時間をつぶし、相手が抜けるのと同時にコートの中へ。
普通に考えて、私たちはここから反撃をするか、相手の強さに甘んじてなされるがままに負けるか――その二択だ。
「入るよーー!」
掛け声の応酬。
トスを上げる。今度は微妙に打ちにくいところへと上がってしまう。
さっきしたことと同じように意識して、振りぬく。
しかし、それはうまく面の中心に当たらない。地面にぶつかる。ボールが叩きつけられる。
「次入るよ――」
まあ、いつものことか、と気を取り直してセカンドサーブ。
今度はフォルトなどという馬鹿な真似をすることなくコートの中に緩く入ったが、まぎれもないチャンスボールだ。向こうはさぞ当たり前かのようにラケットを力いっぱいに振りぬく。
追いつけ。きっと追いつく。自信をもって、上に返せ。
全速力で走る。相手は九番手とはいえ、二年生なのだろうか。技術が一年生のそれとはまったく違ったものだ。
落ち着け。ゆっくりと。当てるだけでもいい。
私はそう言い聞かせながらラケットにボールを当てた。
ゆっくりと、殊更にゆっくりと上がっていくボール。――ちゃんと入るのだろうか。
見守りつつも定位置にさっと戻る。
相手は、ショットで打つのは愚策、とでも思ったのか、ロブで私を走らせに来る。
――うまいことののの前にショットを持ってくることはできないだろうか。
そんなことを考えることは簡単だ。しかし、私にはそこまでできる技量や経験などないに等しい。
このままではミスを待つだけの試合。何も面白くなく、それでいて力もつかない。
なんとかボールを返し、次のボールを待つ。
試合を作り上げる、ということは、私には無理な話だ。
相手に振り回されるだけの試合。一年生らしい戦い方。
しかし、今回は向こうの方がミスをするのが少しだけ早かったらしい。
私の放ったボールは、見事、相手前衛の真後ろに落ちた。――それも、十分な高度で。
相手は、そこにボールが来るなど予期していなかったのか、焦って取りに行く。だから、たとえフォア側に落ちたとはいえ、打点が定まらず、ボールは大空へと舞い上がる。
それを確認した後、
「「よっしゃラッキー!」」
私とののは声を揃えて言った。
運は私たちに味方してくれたのだろうか。
三ポイント目も、危ない場面は多々あったとはいえ、何とかポイントを取ることに成功した。
しかし、ついているのもそこまでだ。
今度は向こうが二点連続で点を取り、こちらがマッチポイントを取られている、いわばピンチの状況だった。
「ほんとに強いな。あっち」
「うん。今日、ちょっと調子いいって思ってたけど、全然。加奈に迷惑ばっかりかけちゃってる気がする」
「全然そんなことないよー。ってか私が下手すぎるせいでこんなことになっちゃってるから、ごめん」
そんな会話をした後、私たちはコートへと入る。
「入るよーファースト――」
「入るよー!」
のののサーブの番だ。私は、相手の動きを見ながら、のののサーブが入ることを願う。
入りさえすれば何とか望みが繋げるのだが、入らなかったらお察しだ。
ぱしっと音を立ててのののボールがコートを駆け抜ける。
しかし、そのまっすぐなボールは、ぎりぎり、ボール一個といったところでフォルトだった。
「あ、ごめん」
ののが私にアイコンタクトを送りつつ、小声でぼそっと言った。
「入るよー!」
セカンドサーブ。緩い。相手はそれを好機と見たか思い切り振ってくる。
そのボールは、まっすぐに私とののの立っているところのちょうど真ん中に。俗にお見合いコースと呼ばれているところ。
私たちは焦ってそこへ走る。体が重なる。二人とも遠慮する。
「よっしゃラッキーでかいわー!」
ボールが自分たちの体の隙間を通り抜けていたことに気が付いたのは、相手の喜ぶ声を聞いた後だった。
――二ゲーム目。レシーブゲーム。
特筆すべきことはない。相手が強すぎるのだ。――もしかしたら、自分たちが弱すぎるのかもしれないが。
相手のサーブは速い。それでいて正確だ。これで九番手というのだから、桂中は本当に恐ろしい。
私たちは成すすべもなくストレートで点を落とし、再びサービスゲームへと突入する。
私がサーブを打とうとした瞬間、後ろに先生が立っていることに気づいた。