3.小さな光
―――三年前。
二十歳になったばかりのルミは、仕事に疲れた体でマウスを動かしていた。
どんなに疲れていても、一日一回はパソコンを起動させメールを確認する。
その頃、動画で音楽を聴いたり、演奏を聴いたりすることにも飽きて、生放送を見ることが多くなってきていた。
その日も仕事から帰ると、異様に疲れた体をパソコンの前に置き、大きなため息をつきながら電源ボタンを押した。
かすかなモーター音がし、間もなく聞き覚えのある音楽が耳に響く。それは、パソコンが立ち上がったことを知らせているのだ。
ルミは左手で額を支えるようにしながら、右手でマウスを動かした。
何度か今放送されているサイトをクリックしては、出てくる。
入ってすぐに『いらっしゃい』と声を掛けられても、無言のまま退室することが常だった。
少しでも気が向けばとどまるが、大抵はルミの心を動かすことはなかった。
「つまらないな……」
そんな呟きがもれたとき、タクの放送に飛んでいた。
『こんばんは、初見さん。ゆっくりしていってね』
画面の中のタクは、ルミに向かって微笑んだ。
その顔は、いわゆるイケメンと言われる美形なだけで、何のとりえもなさそうに思えた。声は確かに《いい声》なのだろう。けれど、それが何の意味を成すこともない。
それでもぼんやりと見続けた。なぜか退室する気にならなかった。
それどころか、いつもなら仕事のミスが忘れられず、ずっと苦い思いをしているのが常だというのに、タクの声を聞いている今、全てのことが頭から抜けているのだ。
体調を崩しやすいルミは、まともに高校生活を楽しむことができず、殆ど行かずにレポートだけで卒業したようなものだった。
本来ならば、退学の対象となるところだったが、不良行為があるわけでもなく、勉学への意欲が低いわけでもないと判断した学校側が、異例の措置として卒業させてくれたのだ。
しかし、いくら高校を卒業したからといって、すんなりと仕事に就けるほど社会は甘くなかった。
友達はというと、大学へ進学したものや専門学校へ進学したもの、就職組みでさえ学校からの斡旋や推薦があって決まっていく。
ところが、卒業させてはもらえたが、企業への斡旋となると休みがちなルミには難しいようだった。
結局、高校を卒業してから二年間、親が黙って見守っていてくれたこともあり、ひたすら健康になることだけを考えて過ごしてきたのだ。
そんな甘えた生活をしてきた者が、急に社会に出て簡単にいくはずもなく。今日も、ミスの連続だった。
ペットショップに勤めてはみたが、見ると働くとでは大きく違い、動物の糞尿の始末や掃除に散歩。そのほか、こんな仕事もあるのかと思うことばかりで、常日頃母親に全てをやってもらっていたルミとしては、分からないことばかりだった。
「あなたね、このくらいのこと、家の手伝いをしてたら、誰だってできることなのよ」
ため息混じりに先輩に言われても、小さな声で「スイマセン」と言うしかなかった。
そして、今日も同じように、誰でもできるはずの仕事で失敗をしてしまったのだ。
勤めだして二ヶ月。自分には合っていないのではないかと本気で思い始めていた。
だからだろうか、タクの声に癒されている自分がいる。
始めて聞くその声に、全てを忘れて聞き入ることが最高の幸せのように感じた。
話の内容はといえば、一日中部屋の中で何をして過ごしているかということを、面白おかしく話しているだけなのだ。けれど、どんなに楽しそうに語っても所詮は一人の世界なのだということ。
話の最後に『外に出ると気持ちいいよ。出てみろよ! 風を感じられるって、最高だからさ! 次回のミーティングは今月末の日曜日、時間が決まったらここで知らせるから、風を感じたいと思ったらいつでも参加してくれよなー!』と歌うように話していた。
(ミーティング? なんだろう)
ミーティングと聞けば、会社で仕事の打ち合わせをしている状況しか思い浮かばない。
『じゃ、次の放送でまた会おう。初見さん、また来てくださいね』
急に自分に声を掛けられたのかと思って、びっくりした。しかし、冷静に考えてみれば、始めてその場に足を踏み入れたのが自分だけとは限らないのだ。
ルミは動揺している自分がおかしくて、小さく笑った。
それでも、もう一度タクの放送が聞きたいと思い始めていた。