22.5ヶ月分のリング(2)
母と一緒に台所に立つ。
それは、彼が食べるための料理を作るため。そして、父に手料理を作るため。
これも小さな親孝行。
母と一緒に台所に立つ。
たわいもない、女同士の会話。これも、親孝行。
「彼、遅いわね」
時計を見れば、八時を超えていた。
父は帰宅して、風呂に入っている。最近は、タクと飲む酒を楽しみにしているらしい。
「彼がきてから、一緒にご飯にしたほうがいいわよね」
母が作りかけの食材を眺めながら呟く。
ルミは『そうだね、あとどのくらいで来れるのか、連絡してみる』と言うと、階段をゆっくりと上った。
自室に入り、ケイタイを手にする。
階下からは、父がお風呂から出たのだろう、『母さん、パンツ出してくれ』という声が聞こえてくる。いつまでたっても、着替えを持ってお風呂に入らない父に、母は諦めているようだ。
ルミはふっと笑う。
ちょうどその時、表から車の止まる音が聞こえてきた。
(あ、タクかな)
窓に駆け寄り、カーテンを開ける。
窓を開け、春の風を部屋に入れる。
大分日が伸びたとはいえ、八時を過ぎれば外は真っ暗だ。
視線を道路に落すと、車から出てくる姿が見えた。その姿は、紛れもない愛しい人の姿。
タクは顔を上げると、ルミに向かって嬉しそうに笑いかけた。その手にはなにやら小さなものが握られていた。
タクが大きな声で言う。
「ルミ! プレゼントだよ。ずっと、待たせちゃったけど、給料5ヶ月分の指輪だよ!」
その声は、静かな住宅にこだました。きっと、ご近所では笑っていることだろう。
「タク、恥ずかしいから。でも、指輪って……」
「ずっと、お金がなくてプレゼントできなかったからさ。その代わり、誰にも負けないようなものをプレゼントしようと頑張ったよ! ルミ、愛してる!」
(恥ずかしいよー)
ルミが、恥ずかしさで両手を頬に当てたときだった、タクの車の前方からライトが近づいてくる。
そのライトはすごい勢いで近づき、身をかわす暇すら与えずに、タクの体を宙に飛ばした。
何が起こったのかわからぬまま、一部始終を目撃していたルミは声すら出せず、タクが路面に叩きつけられる鈍い音を聞いた。
その瞬間、何かにはじき飛ばされるように部屋から飛び出し、階段を駆け下りた。
玄関から出ると、タクを跳ねた車はとうに逃げた後で、虫の息のタクがルミに笑顔を向けていた。
「タク!」
駆け寄り、力の入らないタクの体を抱きしめた。
「ルミ……ほら……」
言葉のままにタクの手をみれば、そこには小さな箱。
「きゅ……給料……5ヶ月分……だ・ぞ……またせた……ね」
真っ赤な血がついた、小さな箱をタクからもらいうけると、タクが小さく笑った。
「タク、いらない……すごいけど、こんなのいらない、だから、だから、死なないで。私が欲しいのは、指輪なんかじゃないんだ。タクがそばにいることなの! タク、タク!」
「ルミ……泣くな……待ってる……から」
タクの腕が上がり、人差し指が天に向けられ、力なく落ちた。
家の中から出てきた近所の人たちが、遠巻きに輪を作る。母が、泣き叫ぶルミのそばで膝を落してルミの背中をさすってくれるが、ルミには分からなかった。
遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。
しかし、タクの魂はのぼり始めていた。




