昔のことさ
わたしはコタツに入り、みどりと一緒に昼食を採りはじめた。新村さんはみどりを警戒して、少し離れけたソファに退避している。もちろん彼の分の食事も用意しているのだが、こちらを恐々と見ているだけで近づこうともしない。
「新村さん、食べないの?」
「俺は後でいいよ。」
「ごめんね、みどりの手癖よね。」
みどりはご機嫌だ。もぐもぐと口を動かしながら、スプーンを握りしめて新村さんのいるソファに行こうとする。どうやらみどりは彼に触りたくて仕方がないようだ。けれど、新村さんはしっぽを庇いながらさっと逃げてしまう。不服そうなみどりはさらに追いかけようとするが、新村さんに適うはずがない。その上まだ食事中だ。わたしはその都度みどりを捕まえ、コタツに戻す。それを、既に何セットか繰り返している。
何とか食事を終える頃、みどりはうとうとし始めている。眠っている今のうちに、と新村さんはいそいそと食事を始めた。わたしは座布団の上にみどりを寝かせて、食器を片づけることにした。
「新村さん。洗い物してるから、みどり見ててね。」
「相わかった。」
新村さんは、ちらちらとみどりの様子を見てくれている。けれど、みどりが眠りながらてを握るように動かすと、びくりと毛を逆立てて、慌てて飛びのいていた。それから様子を伺いながらそっと元の場所に戻り、みどりが寝ている事を確認してから食事を再開する。今更だが、もう少し離れた場所におかずを置いてあげれば良かったのかもしれない。
昼食を終えた新村さんは、再びソファの上に戻った。みどりから少し離れてほっと息をついている。
「ちとせさん。ご馳走さま。」
「いいえ。それも洗っちゃうわね。」
わたしは新村さんの食器も流しに運ぶ。新村さんは、ソファの上から眠るみどりをじっと見つめていた。食器を洗いながら、新村さんの話に耳を傾ける。
「幸せそうな寝顔だ。新時代の為に、と刀を奮ってきたが、何が正しいのかが分からなくなっていた。けれど、この時代に来て、この顔を見て、間違いではなかったと思えたよ。」
「迷っていたの?」
「そりゃあ、な。人を斬る日が続くと、気が狂いそうだった。」
昔を思い出しているのだろうか。新村さんは遠い目をして、部屋の中の何もないとろをじっと見つめた。その後、再度みどりの寝顔に視線を戻す。微笑んでいるのに、それが何故だか酷く寂しそうに見えた。
わたしは片付けを終えて、コタツに戻る。この時期、水で洗うと手が冷たい。
「お父上も、さぞかし可愛がられていることだろうな。」
「みどり、いないのよ。お父さん。」
「そうだったか・・・不憫なことだ。」
「お姉ちゃんが頑張っているし、大丈夫よ。」
姉だって、好きでシングルマザーになったわけではない。思い出すだけでも許せない思いが溢れてくる。あまり話したくないが、無闇に同情されたり、不憫がられるのも嫌だと思った。けれど、新村さんを見ると、彼の方が酷く傷ついたような顔つきでじっとしていた。
「・・・俺にも、子供が生まれるはずだったんだ。」
「え?」
「でも、だめだった。もしも、生まれていればこの位だったろうかと思ってな。」
「そうだったの・・・。悲しいわね。あら、新村さん、結婚してたの?」
「結婚?夫婦のことか?」
「うん、そう。奥さんも辛かったでしょうね。」
「厳密には、子を身ごもった妻が死んだ。コロリだったらしい。その時俺は京にいて、てっきり誕生の知らせかと思ったんだが、真逆だったよ。」
「そんな・・。」
「死んだらあの世で会えるかな、なんて思っていたんだ。けれど、人生何が起こるか分からんものだな。死んだ妻だって、まさか俺が猫になっているなんて夢にも思わなかっただろう。」
冗談めかして、新村さんは笑った。けれどそれは酷く歪で、無理やり笑っているのがよくわかる。わたしは何もいえないでいた。心の中が、急にがらんとしてしまったかのような感覚を覚える。軽々しく返事をしてはいけない気がして、俯いてしまった。
「すまない。こんな話をする気はなかったんだが、つい。」
「ううん、わたしこそ・・・。」
「もう、二年近く経つんだ。気にしないでくれ。」
そうは言われても気にしてしまう。どこを見て良いか分からなくなり、わたしは視線をあちこちにさまよわせている。先程、勝手にムッとしていた自分を、自分で叱った。
「因果応報、か。」
新村さんが小さく呟いた。自嘲するような声でぼそりと零す姿は今にも消えてしまいそうなほど弱々しく、儚げだった。