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子守する猫

 ジュウベエが、いや、新村さんが喋ってから数日経った。今日は日曜日だ。わたしは朝から掃除と洗濯に勤しんでいる。

 当初、新村さんは150年程先の未来に居ることに驚いていた。わたしの服装やこの部屋の中にあるものは、彼にとって不思議なものばかりだらしい。家電一つ取っても、あれはなんだこれはどうだと、興味は尽きないようだ。

 わたしは一人暮らしなのであまり物は持っていないし、色んな道具を揃えているわけでもない。極々普通の暮らしをしていると思うのだが、彼が生きていた時代よりもはるかに便利で快適なのだろう。彼はいい世の中だと感心しきりだ。中でも、彼はコタツを大層気に入ったらしい。暇さえあれば中に潜り込み、ゴロゴロと喉を鳴らして寛いでいる。

 わたしはベランダで、洗いたてのブラウスをパンと広げた。それをハンガーにかけていると、新村さんがコタツから声をかけてきた。



「ちとせさん。これ、いいな。暖かいよ。京があんなに寒いとは知らなかったが、これがあれば凌げるような気がする。もう、火鉢なんか使えないなあ。」


 

 わたしはブラウスを物干し竿にかけて、新村さんの方を向いた。彼は文字通り丸くなっていて、のんびり欠伸をしている。



「暑かったら言ってね。温度調整するから。」


「大丈夫。心地いいよ。」


「そう?ならいいわ。」



 本人曰わく、かつては要人の護衛をして活躍したそうだ。人を斬ることもままあったと言う。きっとわたしが想像するよりもずっと、殺伐とした日々を送っていたのだろう。こんなにのんびり出来るのはいつ以来だろう、と言って喜んでいる。彼は現代の生活に早々と馴染み、文明の利器をやたらとありがたがっているようだ。

 わたしのことも、最近ではすっかり気を許してくれているらしい。彼はわたしの前でも眠るようになった。初めの頃は何をするにも警戒心を丸出しにして、わたしの動向を鋭い目つきで伺っていた。眠るときも、わたしより先に寝たのは初めにお風呂に入れた時だけで、最近まではわたしが寝るまで絶対に寝ようとはしなかったことを思えばすごい進歩だ。表情も少し柔らかくなったように思う。

 だが、彼は時々酷くうなされていることがある。寝言で、黒船だとか小松様がどうのと言っているので、恐らく幕末の夢でも見ているのではないかと思う。だが、彼はそれについてはどうしても話そうとしなかった。頑ななので、わたしも無理して聞き出すようなことはしない。けれど、それが少し心配だった。

 わたしは全ての洗濯物をベランダに干し終えて、部屋に戻る。先ほど掃除機をかけたところなので、ガラス戸を少し開けた状態にしておいた。

 ふと視線を感じ、思わずそちらを見る。すると、わたしをじっと見ていた新村さんと目が合った。



「そういえば、ちとせさん。君の着物は異人のようだな。和服は着ないのか?」



 わたしは、青いチェックのシャツワンピースの上に、ベージュのカーディガンを羽織っていた。髪は一本の三つ編みにして頭の後ろから編み込みにして、後ろでまとめている。



「持っているけど、普段着にはしていないわ。」


「どうして。」


「どうして?習慣かしら。洋服の方が楽だしね。晴れ着は着物だけど。」



 そんなものか、と言い、新村さんは再度わたしを眺めた。



「髪も、髷にはしないのか。」


「一度もしたことがないわ。だいたい、この格好には合わないでしょう。」


「そうか。俺もこの間、少し外へ出てみたのだが、よその者もやはりそうらしいな。男も女も、和服で髷の者は一人も見なかった。」


「そうでしょうね。お芝居くらいでしか見たことないもの。」


「西洋化、か。男の軍服くらいならともかく、おなごまでもが洋装とはなあ。悪くはないが、ちと寂しい。」



 新村さんはそう呟くと、残念そうに小さくため息をついた。わたしは別段悪いことはしていないが、そう言われるとなんだか申し訳ない気になってくる。なんと返事しようかと言葉を選んでいると、新村さんの興味はさらに移って行ったようだ。



「けれど、外の景色は変わった物が多くて見物のしがいがある。」



 そう言うと、新村さんはスッと立ち上がった。そのままベランダに向かって歩き始める。



「ちょっと散歩してくるよ。塀の上を歩くのが近頃の楽しみなんだ。」



 彼は網戸に前脚の爪を立てて、器用に開けた。網戸はあまり開かなかったが、少しの隙間でもするりと抜けてしまう。



「新村さん?そこから出るの?ここ、三階よ?ちょっと高くない?」


「いや、そうでもないさ。隣の家の雨樋とその長い柱がちょうど良いんだ。では、昼には戻る。」


「え?あ、行ってらっしゃい・・・・。」



 新村さんは、ベランダの柵の間からひょいと飛び出して行った。わたしが直ぐに追いかけて下を覗くと、彼は既に隣の三階建ての家の屋根に飛び移っていた。そのまま雨樋を足掛かりにして近くにある街灯に飛び移り、するすると伝い降りる。そして、その家の塀に辿り着くと、ピンとしっぽを立てて塀の上をどんどん進んで行った。「長い柱」とは、どうも街灯のことを言っていたらしい。



「器用なものね。新村さんが帰るまで、ベランダを開けておかなくちゃ。」



 すると、新村さんと入れ替わるように今度は玄関のチャイムが鳴った。日曜朝の来客は、いつも決まっている。五つ離れた姉のちづるが、時々娘のみどりを預けに来るのだ。みどりは1歳になったばかりで、わたしにとっては姪にあたる。わたしはいそいそと玄関を開けた。



「いつも悪いわね。今日は預かってもらえなかったのよ。」


「ううん、みどりはかわいいし、お姉ちゃんも忙しそうだしね。」



 そう言って、わたしは姉の手から子供を抱き上げた。みどりはすやすやとよく寝ている。



「そうなのよ。休みなんて、いつ以来だったか忘れたわ。」


「無理しないでね。みどりだっているんだし。」


「みどりがいるからこそよ。女ひとりでも、どこまでも大きくしてやるわ!みどりも、会社も!」



 姉は数年前に小さな会社を立ち上げた。軌道に乗ってからも毎日忙しく働いている。今日は休日だが、どうやら大事な仕事があるらしい。

 姉はいわゆるシングルマザーだ。ひとりで父の役目も果たしている。たまにいつもの保育所で子供を預かってもらえない時があるらしく、こうしてわたしの元へやってくるのだ。



「じゃあ、もう行くわ。頼んだわよ、ちとせ。」


「うん。行ってらっしゃい。」



 バタバタとまるで嵐のように去っていく姉を玄関先で見送り、わたしは部屋へと戻った。みどりが寝ている間に昼食の用意をしておこうと思い、エプロンを付けて台所に立つ。

 トントンと野菜を切っていると、みどりの声が聞こえてきた。いつの間にか目が覚めたらしい。何やら楽しそうに、きゃっきゃと笑っているようだ。寝起きはぐずることが多い子なのに珍しいと思った。念のために、料理の手を止めて様子を見に行くと、みどりが新村さんのしっぽをつかんで大喜びしていた。新村さんも、いつの間にか戻っていたらしい。

 みどりが力いっぱいに新村さんのしっぽを掴み、引っ張って遊んでいる。そして、彼は恐らく痛いのだろうけれど、必死で耐えてくれているようだった。少し俯いて畳の目でも数えているかのように、ただ一点を見つめてじっとしている。今、もし彼が人の姿だったなら、きっと冷や汗と脂汗を流しているだろうと思うような、苦しげな表情だった。



「みどり、止めなさい。猫さんが痛いって言ってるよ。」


「い、いや、おれは構わな・・・・ぐあ。」



 新村さんは大丈夫だと言おうとしていたようだけれど、さらに強く掴まれたらしい。一瞬だけ、新村さんの顔に苦悶の表情が浮かび、潰れたような呻き声が出た。わたしは早く止めさせようとみどりの手を掴み、彼女の指をしっぽからゆっくりと外していく。



「こら、みどり。止めなさいってば。新村さん、ごめんなさい。大丈夫?」


「ああ、これくらい何ともない。」



 その言葉の割に、新村さんはしっぽを足の間に巻き付けるようにして小さくなっている。耳をぺたんこにして、前脚でしっぽをさすっていた。よほど痛かったのだろう。



「もう、みどり。あなたも猫さんにごめんなさいしなさい。」



 そう言うと、みどりが泣き出してしまった。しっかりと抱き直して、今度はあやしにかかる。



「それにしても、ちとせさん。君には子がいたのか。驚いたな。今まで見なかったが、どうしていたんだい。」


「ううん、違うの。姪よ。姉の子なの。今日は姉が仕事で忙しいけど、いつもの保育所が定員で預けられなかったみたいで。だから、わたしが預かっているの。こうしてたまに子守をしてるのよ。」


「そうか、君の姉上の。」



 みどりが少し落ち着いてきたので、わたしも新村さんのそばに座った。ふと、新村さんを見ると、彼は悲しそうな顔をして、みどりを見つめていた。彼はわたしの視線に気づくと、何でもない風に直ぐに元通りになった。取り繕ったようにニコリと笑うのが、妙に引っ掛かる。その時、彼は何やら小さく呟いていたけれど、聞き取ることは出来なかった。よほどしっぽが痛かったのだろうと思い、わたしはもう一度彼に謝ろうと口を開く。しかし、次の瞬間、わたしが声をかける前に再び新村さんが悶絶していた。何事かと新村さんのしっぽを視線で辿る。すると、みどりがわたしに抱かれたまま、また新村さんのしっぽを力一杯つかんでいた。



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